戦国時代で可能なチート覚書:稲作編その2
長期間放置していてすみませんでした。
稲作チートの第二段、以下テンプレ。
A:知識さえあればできるもの
B:知識さえあればできるが、法制度、慣習などを解決する問題があるもの
C:知識さえあればできるが、地理的制限があるもの
D:ある程度加工技術があれば当時の技術で実行可能なもの
E:転生、転移者の寿命内の技術開発で可能なもの
・備中鍬 A
二本から五本の歯を持つ鍬で深耕や水田荒起に用いる。
発明は幕後期の儒家・陽明学者で備中松山藩の山田方谷とされている。
又状に割れた歯のお陰で土が歯に付きにくく、湿り気のある土壌や粘土質の土でも容易に田起こしが可能。
後述のはねくり備中と比較すると性能では劣っているが、既存の平鍬と同様に扱え、
構造も単純であるため安価で普及させやすいと言う利点がある。
史実においても農具購入の資金に乏しい小作農でも保有していたと言う実績がある。
製造は容易なためA判定。
・はねくり備中 A
鋤の先端をフォークや備中鍬の先端に置き換えて、後部に支柱とそれに繋がる足を入れるための下駄状のものが付いた農機具。
昭和初期から40年台まで使用された。
踏圧力とてこの原理で比較的軽い力で深耕が可能。
成人男子の体重ならば30cmくらい余裕で歯が突き刺さるとのこと。
何より備中鍬と異なり前かがみではなく立ったまま作業ができるため、腰への負担が小さいと言う利点がある。
現代でも木製部分を鉄製に置き換えたりして販売されている現役の農具。
倉庫の隅で眠っていた備中の木製部分を修復して使用したと言う例もある。
手押し式耕運機では歯が立たないような固くなった休耕地などでは、
はねくり備中で耕起をしてから耕運機で砕土すると言った運用がされている。
先端形状を簡略化し、ねじやボルトの部品を釘などで置き換える必要があるが、製造は容易なためA判定。
・短床犂 B+C+D
戦国時代の時点でも九州北部や畿内など一部地域では畜力による耕作用農具である長床犂と無床犂(別名:抱持立犁)
と言う唐犂が普及していた。
長床犂は安定した深さで耕せ操作しやすい反面、犂が地面と接する犂床が長大であり深耕をすると牛馬への負担が大きい。
無床犂は牛馬への負担が小さく深耕しやすい反面、不安定で操作に熟練と体力が必要であった。
短床犂はこれらの長所を合わせた犂床を小さくした改良型であり、
明治33年に北肥後の骨董商、大津末次郎、ほぼ同時期に長野県小県郡の松山原野よって発明された。
これによって女子供でも畜力による深耕が可能になった。
また、昭和初め頃に改良によって短床犂の前方に小型の副犂を取り付けた二段耕犂が発明された。
礫土の反転作用を良好にししかも礫土が細かく破砕される効果が期待されたが、
前犂の調整が難しく、普及したのは調整が容易になる改良型が発明された終戦後になってからであった。
耕運機の普及で廃れこそすれど、車両が入れないような棚田では手押し式が、
畜力が現役の途上国の水田ではマイナーチェンジしたものが未だに現役である。
短床犂自体の製造難度はそこまで高くないためD判定。
二段耕犂ならE判定。
しかし、同時に乾田化と畜力耕作の普及が必要。
湿田では家畜のコントロールが難しく、畜力を導入する意義が低下する。
また、家畜が入るだけの広い田圃に耕地整理が必要な点もあるため、B、C判定も付け加えるある。
・深耕の効果~犂と備中鍬普及の利点
上記三つの農機具は戦国転生ものの先進農具として散見されるが
概ね「便利な農具が転生者の手で発明されて普及しました」だけで終わるのが常である。
よって下記に深耕の利点を記していく。
深耕することの利点として、まず田圃の透水性、排水性の向上する。
これによっていもち病のような病害、栄養障害による秋落ちの発生を抑えることが可能になる。
また、深く耕すことで作物が物理的に根を張ることができる有効土層が広くなるため、肥料を投入した時の効果が高まる。
稲の場合は15~18cmが目安である。
浅耕の土壌と比較した場合、収量は最大で15%程度の差があると言う実験結果がある。
ただし、急に作土を深くすると上層の富んだ土が下層に攪拌され、下層の不良耕土が上層に回ってしまうため、
年に2~3cm程度の深さで徐々に深くしていくことを目標にしていこう。
根が深く、広く張るようになるため台風や大雨で稲が倒伏しにくくなると言う利点もある。
徐々に深く耕すことから初年度では目立った効果は無いが、数年経過することで目を張るほどの差がある、
深耕した田圃だけ病害を受けなかったなどの描写で差を付けるのがいいかもしれない。
・八反取り B
八反ずりとも言われる明治末期に開発された除草用農具。
舟形の木枠に釘や小さい刃が取り付けられた固定式や、回転式の歯が付いている回転式がある。
これで表土を浅くかき回すことで雑草をかき取ることができる。
除草時に泥で水が濁ることによって雑草の成長を抑制する副次効果もある。
ただし、雑草が成長しきってから使用しても効果はなく、あくまでも発芽直後の段階で定期的に使用することが肝要。
それまで除草農具として普及していた雁爪と比較して倍以上の作業効率を持ち、
何より中腰にならず立ったまま作業できるため、腰への負担が軽減されるなど画期的な発明だった。
除草剤の普及で現代では殆ど使用されなくなったが、無農薬農法が見直されると部分的に復活。
構造が単純なため家の倉庫で埃を被っていたものを修理したり、
木製部分をアルミフレームに改良されたものが販売されるなど、なんだかんだで生き延びている。
後述の水田中耕除草機と合わせて、学生の農業体験で使用したことがある人もいるのではないだろうか。
同様の除草方法で沖田式除草法と言うものがあり、畑にも適用可能であるが農具の形状を八反取りとは変える必要がある。
固定式の構造自体は単純なので戦国時代でも容易く製造可能であるが、正条植の普及が前提であるためB判定。
・水田中耕除草機 B+D
八反取りの発展型の除草農具。
明治半ばに発明された中耕用農具の田打ち車を改良したもの。
大まかな構造として舟形の枠と前から滑走板、前転車、後転車からなる。
これを前後に押したり引いたりするだけで中耕と除草を同時に行える画期的農具。
執筆のために調べていると八反取りと中耕除草機を混同している人が散見されていた。
人力では重量上、1条か2条が限界であるため畜力の使用を前提とした3条、5条用が戦時中に導入されたが、
家畜が通る分だけ条間を余分に空ける、正条植の一種である並木植にする必要があり、
家畜の踏みつけによる稲の損傷も嫌われ、一部地域にしか普及しなかった。
また、この農具は畦間を押すため、株間の除草はできない欠点があった。
この欠点を解消するために縦軸回転爪も付け加えた株間除草機と言うものも開発されたが、
発明が除草剤の普及と重複したためすぐに消滅してしまった。
これも八反取り同様、無農薬栽培の広がりで硬質アルミ製に改良されて現代でも製造、販売されている。
小型エンジンを搭載した手押し型の2~3条用や6~8条を同時に除草できる作業車も存在している。
また、コンバインの普及で刈り取った後の藁を鋤き込むと言う用途もあるため、これらの機具の用途が見直されている。
一条用の手押し型ならば製造は可能だが八反取りより難易度は高く、普及に正条植が前提のため判定はB+D。
・除草用農具導入の意義
除草作業は旧来型の稲作においては多大な労働力が割かれる作業であり、
一説によると稲作における労働力の半分を占めていたと言われている。
これらの農具を導入することによって、除草作業に必要な労働力は手作業と比較して数割以下になる。
これによって農民は農繁期であっても様々な副業に労力を割くことが可能になる。
代表格は田植え直後に時期が重なる春蚕などがある。
作業量に余裕があるならば豆類や野菜なども並行して栽培することも容易となるだろう。
また、人手が少なく済むと言うことはその分だけ徴兵できる人口が増加したり、
土木作業に労働力を割けると言うことにもなる。
この手の農具は発明されても転生者の勲章になってハイ終わりと言う作品は多々見られるので、
明確なメリットやその効果が作中に反映されることを望む。
・木こりのジレンマ~その農具、普及するの?
この手の先進的農具は何一つ障害なく普及するのがチートものの常であるが、
多くの作者が見逃している要素がある。
それは、農民がこれを買えるかと言う点に尽きる。
戦国時代の農民よりまだ裕福であった江戸時代後期の中規模農家ですら可処分所得は15両≒75~80万円程度。
そこから諸経費を引くと1両≒5~6万円未満の余裕しかなかったと言う。
上記の水田中耕除草機は工業設備の整った現代で2~3万円程度。
鍛冶仕事で作るのなら無銘の打刀一本の半分相当と仮定しても倍の5~6万円と、手元に僅かに残った金と同程度。
もし、貴方が農民の立場であるとして、そのお金を新しい農具を買う金に使うか、
不作や病気になった際の予備費として貯めるのどちらを選ぶだろうか?
もしかしたら目聡い農民ならば田畑女房を質に入れても購入するだろう。
しかし、多くの農民は効果があると分かっていても買わないだろう。
これが想定される木こりのジレンマである。
貴方が領主、大名だとして、この手の農具を普及させたいのならば農民に配る、
何戸かの共同使用、あるいは低利の分割払いで普及させるべきである。
「良いものなら必ず売れる、普及する」と言う考えは当時の農民の困窮具合を無視した、
現代資本主義に毒された考えであり、間違っている。
調べると以外と生き残ってる戦前の近代農具。
しかも戦国時代でも部分的に製造可能。
先人たちの知恵には恐れ入る。




