戦国時代で可能なチート覚書:軍事系チートその他その1
続き。
以下テンプレ。
A:知識さえあればできるもの
B:知識さえあればできるが、法制度、慣習などを解決する問題があるもの
C:知識さえあればできるが、地理的制限があるもの
D:ある程度加工技術があれば当時の技術で実行可能なもの
E:転生、転移者の寿命内の技術開発で可能なもの
・化成処理Eもしくは C
主に鉄製品の表面に四酸化三鉄(=黒錆)の酸化被膜を形成することで内部の鉄の腐食を防ぐ技術。
黒染めとも言われ既存の技術であるが、単純に鉄製品の表面を焼いて被膜を形成しているため、
被膜が不均質であるし、生産性が悪く、製品の形状によっては被膜が困難になる。
化成処理は処理剤を塗ったり、ドブ漬けにして表面に化学反応を起こさせることで、酸化被膜を形成する。
多湿な日本においては防錆は重要で、現代でも火縄銃の尾栓が錆で取れなくなって困ったと言う話は聞くことがある。
防錆に無頓着なフランスではシャスポー銃が高温多湿なベトナムで使用不能になって、
部隊が全滅と言う悲惨なエピソードもあるほど。
また、防錆処理を施せば海上において鉄製品を大々的に使用できるようになり、船舶の性能を向上させることができる。
実際に19世紀半ばに欧州では中空鋼製マストやワイヤー索具を導入することで、性能を大きく向上させている。
戦国時代スタートで可能な技術は二通りで、表面を石鹸などで脱脂した後に水洗いした鉄製品を
130~140℃まで煮沸した水酸化ナトリウム溶液に数十分漬けすることで被膜を形成する。
メッキと比較すると被膜が薄く、ピンホールが多いため表面に油を塗らないと、防錆能力はそこまで高くない。
強アルカリ水溶液なら何でもいいので、水酸化ナトリウムの代替に性質がほとんど同じな水酸化カリウムを使用しても問題ない。
草木、海草灰(炭酸カリウム)+石灰(水酸化カルシウム)の複分解反応で製造可能。
生産効率は良くないが技術的にはC判定。
石灰石、貝殻と言った石灰分の入手は土地によって制限が掛かる。
水酸化ナトリウムの製造はルブラン法、ソルベー法、塩化ナトリウム水溶液の電気分解のいずれかが必要。
どれも19世紀相当の技術が必要なためE判定。
電気やソルベー法が使えるならば、技術水準は他の大名を大きく突き放しているだろう。
もう一つはリン酸皮膜処理と言い、別名がパーカライジングとも言われている。
リン酸塩の水溶液に漬け込むことで、リン酸塩の酸化被膜を生成する。
現代の工業的な手法では水酸化ナトリウム溶液と概ね同様の工程。
手作業的な手法としては糖蜜にはリン酸が多く含まれているため、
10倍で希釈した水溶液に数日漬け込むことでほぼ同様の効果が得られる。
糖蜜はサトウキビを製糖した際に得られるため、琉球から輸入したり、竹糖を栽培してそこから得られることができる。
甜菜の場合は得られる糖蜜の量が少ないためあまり向いてないし、
そもそも戦国時代の時点では製糖法も未開発である上に西洋からの輸入種で、品種改良もされていないため糖分が少ない。
糖蜜の入手方法に制限があるため、技術的にはC判定。
追加加筆:タンニンと酢を用いた黒染め方法 A
現代におけるナイフのDIYで可能な黒染め法の紹介もする。
前述同様に脱脂した鉄製品を非常に濃い目に煮出した紅茶や緑茶と酢を4:1の割合に数十分ほど漬け込むことで黒染めが可能。
茶はタンニンの含まれるものなら何でも代用可能で、柿渋やナーロッパ風の異世界ならば葡萄の皮や種からも抽出可能。
酢は酸を含む物質ならば代用可能でナーロッパならばオレンジやレモンでも代用可。
原理としては酸によって腐食した鉄がタンニンによって還元されることで、表面に四酸化三鉄の被膜が形成されると言うもの。
茶や柿渋はお金さえあればどこでも入手可能のためA判定。
・巻き脚絆 B
脚部を保護し、ズボンや袴を押さえて野外活動などで引っ掛ったりしないようにする被服。ゲートルとも言われている。
普及したのは江戸時代であるが、足軽や武将の甲冑を見る限り戦国時代には普及していた模様。
今回紹介する巻き脚絆は日本陸軍が使用していたことで有名なもの。
布で脚部を強く巻くことで、長時間の歩行時に血が溜まって鬱血を防ぎ、疲労を防ぐ効果がある。
どの程度の効果があるかと言えば、実際に着用して歩行した人が6~7時間歩いても脚部はほとんど疲労しなかったと言う。
ただし、疲労軽減は脚部のみで、足首などはガタガタに疲れていたそうなので、そこまで万能でないことは留意するべき。
脚に巻く布は何でも良く、木綿や麻、それこそ筵でも構わないが、強度や快適さ、値段を考えると木綿がベストと思われる。
ただし、戦国時代に木綿はあまり普及していないため、所属大名によっては麻にしたほうがいいかもしれない。
巻きかたにはコツがあり「ゲートル+巻きかた」で動画などを検索してみたほうがいいだろう。
旧軍でもこの巻きかたは訓練させられ、慣れた兵士ならば1分ほどで両脚とも巻くことができたようだ。
脚部を強く圧迫することと、高温多湿の環境下ではノミ、シラミの原因になる。
そのため、行軍、戦闘時以外は解いたほうがいいため兵士には巻きかたを訓練させたほうがいいだろう。
なお、レギンス型の革ゲートルもあるが、牧畜があまり盛んではなく革の供給に不安がある
戦国日本ではあまり向いていないだろう。
旧軍でも明治まではレギンス型の革ゲートルであったが、やはり革の供給面の不安から綿製に変更されている。
長谷川ナポレオンでも語られたように、最強の軍隊は誰よりも早く行軍できる軍であり、
戦国時代でも豊臣秀吉が見せた中国大返し、美濃大返しのような高度な戦略機動は、戦況を一変させる効果がある。
巻き脚絆で兵の機動力を増せば敵の虚を突くことができるだろう。
技術的には簡易であるものの、この時代の布は高価であるため、兵に盗まれたり包帯代わりに使われてしまうかもしれない。
そう言うことをしない「訓練された兵士」が前提であるため技術判定はB。
一度、軍で採用されれば敵国に広まるのもあっという間と思われるため、先行技術による優位を得られる期間は短い。
投入する時期は良く考えるべきだろう。
・ボディアーマー E
中世末期より銃火器の登場から、甲冑の価値はどんどん低下していった。
実際にレプリカの固定された当世具足の胴に対して火縄銃を50m程度の距離から撃つと言う実験では、
ほぼ全ての角度で甲冑を貫いたと言う結果になっている。
そのため、防弾防具に関して様々なものが考案されていったが、どれも決定的とは言えなかった。
19世紀初頭の防弾性能を持つとされる胸甲は、胴部分しか防御されていないにもかかわらず数十kgはあり、
それでいて防げるのは有効射程外からの流れ弾程度でしかなかった。
防弾チョッキの始祖と呼べるものは20世紀初頭にカシミール・ゼグレンが開発したもので、絹織物が用いられていた。
ただの絹ではなく四層になる特殊な織り方の絹布を十層にも重ねて1cmほどにしたものであり、
本人が着用した実射実験で38口径の拳銃弾を至近距離で防ぐ程度の防御力があった。
ただし、凄まじく高価で当時の価格で800ドル=現代ドルで15000ドル=日本円で170万円もするほどであり、
一般兵士には装備されず、要人防護に使用される程度のものだった。
効果を発揮した事例としてスペイン王アルフォンソ13世の暗殺未遂事件の際に手榴弾の破片を防いだとされる。
これを戦国時代相当に落とし込むにはそれなりに工夫が必要と思われる。
この四層の特殊な織り方と言うものが調べても分からなかった。
四重織りと仮定してこれを用いるとするが、これはかなりの高度な技術を必要とする職人技になる。
そのため、安価に作成するために絹の不織布を用いる。
生糸にできない繭は真綿と呼ばれ、防寒具として当時から流通していた。
これを紙漉きの技術の応用で積層し、厚さ1cm程度の防弾層を作る。
絹は水を吸い込むと強度が弱くなったり虫食いに弱いことを考えると、
防弾層は油紙で包んだほうがいいかもしれない。
まだ白兵戦も起きる時代であるため、防弾ベストだけでは不安視されると思われるため、
当世具足の裏側に防弾ベストを裏張りすれば防弾甲冑の出来上がり。
戦間期のアメリカで犯罪者が用いたとされる木綿を使った安価なボディーアマーでも、
低初速の拳銃弾を防ぐ防御力があったため、黒色火薬の火縄銃ならば
士筒や大鉄砲のような大口径の銃で無い限り防ぐことは可能だろう。
生糸ではなく真綿の不織布であるため安価であるものの、やはり絹である以上は高価になると思われる。
通常の大名の経済力では武将や馬廻りくらいまでに普及させるのが限界と思われる。
チートで経済力が向上すれば足軽大将まで装備させることができるだろう。
指揮官の死亡率が下がれば、経戦能力の向上が見込まれるし、流れ弾で死なないと言う保障があれば、
安心して指揮を執ることもできるだろう。
なお、足軽にまで普及させる経済力があれば、ボディアーマーなど無くてもそのまま平押しで天下統一までできる。
技術判定は戦国時代では壊滅しかかっていた養蚕業の復活と、積層防弾層を作る高度な紙漉き技術がいるためE判定。
追記:紙甲 D
唐代~清朝後期まで中国で使用されていた紙製の対弾防具。
厚み3cm程度のブロックを紙か絹で包みラメラーアーマーのように紐で繋ぎ合わせたもの。
矢やマスケット銃が相手ならば柔軟性を持つ紙甲のほうが防御力は当世具足や南蛮胴より上であり、
白兵武器に対しても互角の防御力があった。
更に軽量な紙製であるため、動きを阻害しないと言う利点もあった。
ただし、しょせんは紙であるため、耐久力では明らかに鉄製防具より劣っていた模様。
海上における耐久性は腐食が無いだけ鉄製の甲冑より上であり、甲板上を軽快に動けると言う利点があるため、
水兵、海兵に装備させるのが効果的。
実際に明朝でも水軍の兵士が使用していた。
燃えやすいと言う欠点も消火が容易な海上なら多少は軽減できる。
当時の水軍では鎧が無いか、簡易的な胴丸しか装備していないため、紙甲でもアドバンテージになると思われる。
史実の戦国時代でも紙製の甲冑は存在したと言うことで判定はD。
ただし、耐久性の低さから替えの紙甲を継続的に供給する必要があるため、配備には相応のコストが掛かると思われる。
・大八車、リヤカー DもしくはE
日本の荷車の代表格とも言える代物。
大八車は江戸初期から大正時代まで使用された。
大人八人分の働きをすることからその名前が付いたと言う説があるなど、その性能には目を見張るものがある。
発明には諸説があるが、構造的には過去に製造された牛車とほぼ同じであるため、明暦の大火後の普請時に
牛車大工が作って流行したと言うのが正しいのかもしれない。
ただし、大八車が流行したのは街道整備が進んだ江戸時代以降の話であるため、道が狭く地面も固められてない
戦国時代では運用が限定されるかもしれない。
街道整備が前提と想定して技術判定はB+D。
リヤカーは大八車の旋回性能の悪さや停止状態からの引き出しと言った欠点を改善したもので、大正時代に発明された。
構造が単純だから中世や戦国時代でもできると思われているが、
軸受けに玉軸受けを用い空気入りゴムタイヤや
鉄製のフレームやスポークを使用しているなど、
技術基盤は明らかに20世紀初頭程度のものである。
明らかに採用が難しいゴムタイヤまで採用している作品は見かけないが、
玉軸受けは最低でも19世紀程度の工業力が必要であり、
鉄製のフレームは値段を跳ね上げることになるだろう。
これを戦国時代でも作れる程度に現地化するとしたら、車輪は大八車のものを流用し、
軸受けを鋼球の製造が難しい玉軸受けではなく、より簡単なころ軸受けにしたものならば、
転生者によってある程度技術力が向上していれば生産可能と思われる。
よって技術判定はE。
前述の巻き脚絆と併用すれば軍隊の戦略機動をより高めることができるだろう。
軍事系のチートを色々と書いていたら、火器が全くなかったため題名を変更。
行軍チートと言うものはあまり見かけないのは地味だからだろうか。




