戦国チート余談:ちょっと待って、その鉱山本当に掘れるの?
歴史モノのチートの中には「カンニングで未発見の鉱山を掘る」と言うものが多々見られる。
石見銀山の富で財を成した毛利家、黒川金山の金で財を成した武田家など
鉱山経営が領国に大きな富を為すのは周知の事実である。
また、当時の日本の主要輸出品である銅やそこから、
南蛮絞りで抽出できる金銀も大きな富を得られることは確実である。
もっとも、南蛮絞りは商人、国人程度なら大きな金額であるが、
複数の国持大名ほどの規模になるとあまり旨みのある金額ではないようだ。
石炭も当時は露頭=炭層が地表に露出していたものを地元住人が薪代わりに利用していた程度であり、これが利用できるなら製鉄、燃料問題などはほぼ解決できるだろう。
だかここで一つの疑問が浮かぶ。
その鉱山は本当に「当時の技術で」掘れるのか?
まず第一の問題として湧水がある。
坑道掘りをしてる鉱山において付き物の問題であり、
日本の鉱山は気候、地形の特性上、湧水が非常に多い。
戦前の日本では数多くの金鉱山が操業していたが、
戦時中に海外からの物資輸入が困難になると金鉱山整備令によって多くの金鉱山が操業停止となった。
この間に排水ポンプが停止したことで多くの坑道が水没する被害が発生しており、
戦後になって採掘を再開する際に年単位の時間が掛かっていたほどである。
従って、何かしらの排水装置がなければ採掘もままならない鉱山が大半である。
少量ならば当時利用されていた極簡単な「水上輪」と言うアルキメディアン・スクリュー
を利用した揚水装置でも対処できるだろうが、大量になれば蒸気機関でもない限り、人海戦術しか方法がない。
例えば佐渡金山は長年の採掘で湧水が酷くなり水替人足を大量に動員することで対処したが、これは当時日本有数の金山であったから採算が取れたようなもの。
しかもその人足は更生の見込みが薄い犯罪者や無宿者で構成されており、
3年以上生存できないと言う過酷な労働環境も手伝って逃亡者が続出する有様であった。
基本的に善政をして転生者様バンザーイの領国で、これをやったらギャグにしかならないので止めたほうがいいだろう。
せめて交代制にして人を増やし金銭面での待遇を良くし、鉱山街を設けて鉱夫や水替人足たちが気前良く散財するような環境を整えてやるべきだろう。
次に注意するべき点はこの坑廃水の水質である。
日本の鉱山の多くはその成り立ちから採掘物の多くは硫化物、もしくはそれを伴って産出する。
硫化物に触れてから鉱山より流れ出る廃水の多くは強酸性である。
この廃水をそのまま流すとその流域の河川が汚染され、農作物に大きな被害が発生してしまう。
そのため、中和処理を行ってから廃水を行うのが常なのだが延々と湧き続ける廃水を処理するための石灰を鉱山に運び続けるのは戦国時代の交通インフラで行うのはかなり厳しいと思われる。
せめて専用の水路を開削し、農作物に被害が出ないように海に流してしまうのが精一杯であろう。
なお、流れ込む海域における海産物の被害はどうにもならないので付随被害として割り切ろう。
史実の佐渡金山では閉山した現代でも坑廃水処理施設が稼動する程度に廃水が流れ出ているが、江戸時代の操業時にこれを処理したと言う話は寡聞に聞かない。
恐らくそのまま垂れ流したのであろう。
もう一つ注意するべき点として、鉱山の位置である。Googleマップで鉱山の位置を検索すると非常に辺鄙な山奥にあったりすることがある。
こう言う位置にある鉱山は索道を設置して資材を運んでようやく設備を整えて採掘したと言う様な場所であり、転生者の技術チートで多少技術力が向上した程度ではとても採掘できないと言うことはお分かりだろう。
一例として松尾鉱山などは江戸時代の時点でも硫黄の存在が確認され、試掘なども試みられたがその地理的な困難さからどれも失敗に終わってる。
本格的な採掘は大正時代に入ってからであり、それも索道や鉄道の敷設など多額の設備投資を行ってからとなっている。
ここまで散々否定的なことを書いているが、よほど辺鄙で山奥にある鉱山だとか蝦夷地の寒さの厳しい鉱山でもない限り掘れないと言うことはまずないだろう。
ぶっちゃけると史実では鉱害なんて気にしないで掘っていた訳なのだから。
過酷な労働を課したり領民に被害が出ると嫌だな、と言う人は上記のような対策や被害補償をすればいいだけの話である。
こう言うことが裏で起きてると念頭に置いて、物語に組み込めれば良し。
話に組み込んでもつまらなくなるとかテンポが悪くなるなら無視してしまってもいいのだ。
あくまでも面白さ重視。
なお、総埋蔵量に対してどれくらい採掘可能かと言えば、佐渡金山が江戸時代の250年間で採掘した金の量が、閉山までの総採掘量の半分程度だったため、その辺りが妥当と思われる。
機械式のポンプもなければ浮遊選鉱や湿式精錬のような近代的な採掘、精錬技術もなければその程度が限界である。
一例として近代以前の別子銅山は含有量3割程度の鉱石が採算ラインであり、それ以下はダボ山行きだったそうだ。
近代的な採掘技術があれば文字通り目に見えない鉱石すら精錬可能のため、含有量数%台でも利益が出るとのこと。
取り尽くしたと思われた鉱山が明治になっていくつも復活したのは上記の技術導入が要因。
ただし、数ある戦国時代までに未採掘の鉱山の中で絶対に掘れない鉱山が3つあることを注意してもらいたい。
一つは青森県の恐山。
これは地質の関係上、砒素を多く含むため採掘や精錬に非常に危険を伴うからである。
現代の技術なら採掘可能なのだが、埋蔵量がそれほどでもないので採算が取れないのと国定公園であるため自然保護の関係で開発ができない模様。
もう一つが鹿児島県の菱刈鉱山。
これは世界的に見ても非常に高品質かつ埋蔵量も莫大であるが、温泉の源泉のド真ん中にあるため熱水の処理で近世どころか昭和後半くらいの技術がないと採算が取れないからである。
どれくらい湧き出るかと言うと1分あたり9000Lで地元の温泉が枯れ果てるほどであり、住友金属鉱山が温泉水をパイプラインで供給して補償しなくてはいけないほどである。
そんな熱水が湧き出る坑道内の環境もお察しであり、機械的に強制換気しなければサウナも真っ青の労働環境となるだろう。
島津転生でスタートした作品などで採掘していたが、上記の通り近世程度の技術力では採掘は不可能であろう。
(5/12追記)
最後にもう一つが福島県南部と茨城県北部に広がっていた常磐炭田。
ここも菱刈鉱山同様に温泉水が湧き出る炭田であり、1tの石炭を掘るのに4tの温泉水が湧き出ると言う過酷な労働環境であったと言う。
世界最高クラスのポンプを稼動させてようやく採炭が可能だったというほどであり、首都圏に近い炭田と言う地理的な優位がなければ早晩に閉山していたであろう。
ここも戦国時代に採炭するのは困難と思われる。
精々、この二つの鉱山は温泉街として活用するのが関の山である。




