ほろ苦Valentine
彼氏とらぶらぶ中のマナに聞いて、初めて知った。
ボクの誕生日ってことになってる二月の十四日は、世間でいうところのバレンタイン・デーという奴らしい。何それ、と訊いたら、「はぁ?」と首を傾げたくなる答えが返って来た。
「女の子から、好きな男の子に、好きって告白出来る日なの」
ボクは誘われるままに、『Always』の事務所の簡易キッチンを使って一緒にチョコを溶かしていたけれど、納得出来なくて反論した。
「何だそりゃ、変な日ー。それ以外の日はコクっちゃダメなのかよ。女って面倒臭いな、いろいろと」
「かっちゃんだって、女の癖に」
膨れた顔で、マナが言う。だから何度も言ってるっつーの。たまたま身体が女だっただけで、ボクはこれまでもこれからも、ずっと男なんだって。
少し冷えて固まり掛けたチョコを、パウダーシュガーたっぷりのメレンゲの海の中で転がしながら、マナがにっこり微笑んだ。
「感謝チョコっていう手もあるんだよ。かっちゃんがプレゼントする分も作ったから、お兄さんに持っていってあげなさいよ。きっと、すっごく喜ぶよ」
マナが、女の目をしてそう言った。
なんで野郎が野郎にあげなきゃなんないんだ、なんて浮かんだ言葉は、なんでか知らないけど、飲み込んじゃった。言わせないマナの気迫が、ボクをちょっとだけたじろがせていた。
店の閉店時間がやって来て、晃さんと一緒に店の手伝いをしていた辰巳も事務所に顔を覗かせた。
「お待たせー。克也、帰り支度、ダッシュだ、ダッシュ。あと五分でマッターホルンが閉まっちゃう!」
ボクのお気に入りのケーキがある喫茶店に、バースデーケーキを買いに行くつもりでいたみたいだ。辰巳がそうしているように、ボクも慌ててエプロンを外して帰り支度を整えていると、マナが例の包みを小さな紙袋に入れて渡してくれた。
「ピンクの包みは私からかっちゃんへの友情チョコ。ブルーの包みは、ね?」
そう言ってウィンクしてくれるマナの後ろで、辰巳は晃さんから大きな紙袋を受け取っていた。
「髪を染めて垢抜けたせいかなあ。いきなり女性客のファンが増えたね、辰巳君」
「店のバイトを始めた、って勘違いして義理チョコを用意してくれたんじゃないっすかね」
「またまたあ」
苦笑しながら曖昧な返事をし、ざばざばとすげえゴージャスな包装紙に包まれているチョコの束を袋に流し込む辰巳が見えた。
「お待たせっ、克也、ダッシュでえゴー!」
「へーい……」
この温度差に気付けよ、ばーか。
何か、走るのがかったるい。辰巳がもさもさしてるボクを急かしたんだけど、結局マッターホルンの閉店時間に間に合わなかった。
「あ~ぁ。閉まっちゃった」
すごく、残念そうに辰巳が溜息をつく。ボクが結局走らなかったから、ボクを抱っこしたまま猛ダッシュした息がまだ上がってる。何か、ボクのせいって気がして来て、辰巳に甘えてる自分が嫌になった。
「下ろして。いいよ、別に。マナからチョコもらったし」
「お前さん、何怒ってるの?」
「べっつに~、怒ってないよ。腹減った」
そんな適当な返事をして、ぼぉっと立ち尽くす辰巳を置いて歩き出す。
なんかか今日は疲れちゃったのかな? 巧くつまんない、って気持ちを隠せなかった。先にアパートへ足を向けるボクに追いついた辰巳が
「コンビニで、百円ケーキでも買って帰ろっか」
とボクの手を取り、わざと子供みたいにはしゃいで手をぶんぶんと振って歩き出した。
「ケーキで腹膨らますのかよー」
「育ち盛りのお前さんにそんなことはさせませんよ。飯はちゃんと作ってあげる。朝の内に下ごしらえ済んでるから、大丈夫」
「わぉ、夕飯、何?」
「どんぐり風ハンブルグ。克也、どんぐりのあれを気に入ってたでしょ?」
結構切り詰めた生活をしてるから、滅多に外食なんてしたことないんだけど。外に出るのが怖かったボクを、一度だけ連れて行ってくれたイタリアンの店の名前が『どんぐり』だった。辰巳も一度しか行ってない、って言ってた。晃さんに教えてもらったんだって。
ハンブルグと、辰巳はパエリアを頼んで、二人で半分ずつ分けっこして食べた。それを思い出したら、ちょっと、ほっこりとあったかくなった。ちょっとしたことでも、こうやって覚えててくれる。辰巳の、そういうところが、好き。ボクも、そういう気の利く男になりたいな。……それをしてやれる相手はきっと、一生ボクには見つけられないんだろうけど。
「まーた変な顔してるぅ。どした? 愛美ちゃんと喧嘩したって感じじゃなかったのに」
街灯の薄明かりでもキラキラと光るようになった辰巳の頭が、目の前でしばしばと瞬いた。こげ茶の瞳がボクの目を真っ直ぐ捉える。心配そうに覗く視線が、ボク自身にも解らない憂鬱の原因を見抜きそうで、何となく知られたくなくて、思い切りそっぽを向いた。
「なんか、辰巳バランス悪い。頭だけ日本人じゃないみたい」
「う。それ、今日客にも言われた。しかも、そろそろプリンだよ、ってチェックもされたし」
自意識過剰な辰巳らしい落ち込み方だ。言い返せない正論の指摘をされると子供みたいにへこむ。関心がボクより自分のほうへ向いたから、なんだかほっとしてしまった。
「カラコン、入れてみたら? 昼なら結構いい感じに目も明るくなるかもよ?」
「よくそんなことまで知ってるね。それも、愛美ちゃんのおしゃれ情報?」
「うぃうぃ。でもさ、女の子情報ばっかもらっても、全然ボクの参考にならないんだよね」
「だから、お前さんも女の子だってば」
「違わぃ!」
「……トイレでぶっ倒れてたの、誰でしたっけ?」
「ぬぁ……っ! それ禁句って言ったじゃんか!」
そんなバカ話をしてるうちに、なんとなく憂鬱も飛んでいった。
辰巳の作ってくれたハンブルグは、あの店の味と同じくらい絶品で。
「ほい、十四歳、おめでとうさん」
そう言ってプレゼントしてくれたのは、子供用だけれど、ちゃんと通話が出来る携帯電話だった。
「来月で愛美ちゃんも東京へ行っちゃうからね。彼女も進学祝に携帯電話を買ってもらえるみたいだから」
晃さんからそんな話を聞いたらしい。携帯電話の件は、まだ愛美ちゃんに内緒だよ、と口止めをされた。
コンビニで買った小さなケーキじゃあ、なんだか物足りなくって。
「あ、そだ。今日お客さんからもらったチョコ、一緒に食おうか」
なんて、くれた人達に失礼なことを辰巳がいきなり言い出した。
「お前さー、教えてくれなかったからボク知らなかったけど、それって、コクハクのシロモノ、なんだろ? 普通、分けて食うもんか?」
お腹もいっぱいになって、思っていたより豪華なプレゼントももらって、嬉しい気分だったのに。いきなり気分が重くなって、モチベががっつり下がりまくった。
辰巳が少しだけ眉間に皺を寄せる。怒ってる、というほどじゃないけど、反論したいときに見せる皺。
「名前も知らない奴に義理立てするほど、俺、聖人君子じゃないし」
そんな憎まれ口ばっかり言ってたらあげないよ、と子供扱いする辰巳に、あっかんべえをしてやった。
「別にいいもん。ボクもマナからもらったもーん」
中身をよく確認もせずに、袋に手を突っ込んで取り出した。
「あ」
やべ、これ、青いほうだ。
取り出し掛けたそれを慌てて袋に戻し、ピンクの包みを手に取り直す。
「あ! 今の何? 青い包みの奴、なんで隠したの!?」
……バレた……。絶対、ばれた。辰巳のあの顔は、絶対判ったとか思ってる顔に決まってる。一瞬「あ!」って言葉と同時にびっくりした顔をしていたけれど、今はすんごい意地悪な顔して、ニヤニヤ笑ってボクを見てる。
「それで不機嫌な顔してたんだー。素直に言えばよかったのに」
そう言ってボクの脇からあっという間に紙袋を掻っ攫い、青い包みを開けてしまった。やだ! あげたくないんだ、それ、本当は!!
「食うな! それ、マナの彼氏仕様だから、激甘」
「げ……甘」
時既に遅し。ってか、お前子供みたいにがっつくなよ……。
半ば呆れながら、特に考えることもなくぼ~っとしてて、ボクもうっかり辰巳がもらったという、豪華なチョコレートを口に放り込んでいた。
「苦っ!」
安い板チョコを溶かし直しただけのボクらが作ったチョコとは、全然違う。大人の味。甘味が遠い、ビターな味。これをくれた女の人は、きっと辰巳との何気ない会話で辰巳の好みを知ってこれを選んだんだろう、ってすぐ判った。
「ろれん……本気ちょろ、食れちゃっら……」
ボクの口にしたチョコがあまりにも苦くって。最初の一口を舌に乗せたまま、変な音でごめんねをした。
不意に辰巳の顔が近付く。
「!」
泣きそうなくらい苦いチョコが消える直前、辰巳のやらかい舌がちょっとだけボクの舌に触れた。
「交換、終了ー。あ、足して二で割ると食えないこともないな」
ボクの舌には、辰巳が食っていた筈の、激甘トリュフが乗っていた。
辰巳はキッチンからペティナイフを持って来て、呆然としているボクの前で、二種類のチョコを細かく割った。
「一緒に食お。せっかく克也が作ってくれたんだもん。食えないとか言いたくない」
こぽり。腹の底から、言葉に出来ない何かが湧き上がる。
「らっきー。考えてみたら、俺、加乃にももらったことないんだよな」
ぼつっ。泡だった何かが、弾けて、消えた。
「別に、義理立てしてくれなくてもいいよ。お子様仕様のチョコは、ボクが食う」
ざざざー、と粉砕したチョコを、一気に自分の口へ掻き込んだ。
「あぁっ!! 俺のチョコ!!」
「ガキみたいに怒るなよ! お前のチョコは、そっち!」
「これは営業チョコだろ! それは、違う!」
「大体、ボクがいつこのチョコ辰巳にやるって言ったんだよ!」
「じゃあなんで二つもあるんだ!」
「うっさいなあ! 誕生日とバレンタインで二つともボクんのだ!」
子供同士の喧嘩みたいにやかましく叫びながら、ホントはすごく、落ち込んでいた。
早く、大人になりたい。こんなふうに辰巳が無理してボクに合わせてくれるんじゃなくて、本当の意味で対等になりたい。辰巳みたいな大人になりたい。相手の気持ちを大事に出来て、わがままを全部スポンジみたいにやらかく包める、そんなでかい人間に、ボクもなりたい。
今みたいな、辰巳のお荷物になってるボクは、嫌だ……。
「って、な、なんで泣いてるのよ、お前さん」
そう言いながら、取り上げたピンクの包みを、そっと返して来る辰巳。
「冗談だってば。お前さんがムキになるから、ちょっと面白くてからかっただけ」
ボク、辰巳のこういう鈍感なところは、嫌いだ。泣いてしまった理由なんて、ボクにも解らない。
「泣くな。お前に泣かれると……俺が、困る」
悪かった、と謝って、ボクを抱え込む辰巳はずるいと思う。ホントはボクが言うべきことを、いつも先に言ってしまう。そうやって、ボクよりずっと先を歩いてるって知らしめる。置いていかれないように、とでも思ったのかなあ。返事の代わりに、辰巳の背中へ回した手に、きゅ、と力を込めた。
「ほら、美人が台なしだぞ。せっかくの誕生日なんだから、もう泣かないの」
そう言って大きな掌で涙を拭ってくれる。その大きな差が、苦しかった。
「辰巳みたいに、強くなりたい」
「は?」
早く、大人になりたい。強くなりたい。頼るだけじゃなくって、頼られるくらいの信頼が、欲しい。
残っていたビターなチョコは、二人で一緒に食べた。ピンクの包みも一緒に開けて、半分ずっこにして食べた。大人のチョコは、やっぱり苦くて。
「無理しなくていいのに」
そう言いながら、美味そうにビターを口にする辰巳が、なんだか遠く感じられた。
ボクは結局大人になり切れず、激甘メレンゲで包んだトリュフを口にした。




