千百年後の恋の歌
夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ
百人一首の第三十六歌です。子供用の「百人一首一覧表」を何気なく眺めていて、ふと気づいてしまったのですよ。
「これ、恋の歌、それも失恋の恨みの歌なんじゃね?」
って。
平安時代は妻問婚、そして複数妻帯の時代でした。男が女のところに尋ねていく。そして、複数の妻がいるから、他の女のところに行って、来ない日もある。
もう夜が明けちゃったよ、あなたはどこの女のところに居るの?
そういう歌なんじゃないかって。男を月に見立てたんじゃないかなと思ったんですよ。
この歌を知った頃には気づきませんでした。そりゃそうだ、小学生にこの機微を読めってのは無理です。
あれ、でも歌の解説ではどうだったっけ?
と思って調べてみると「夏の夜が早く明けることをユーモラスに詠んだ情景歌」という解説しか出てきません。
何でだろう? と思って調べてみて納得。作者が男です。清原深養父。あの清少納言の祖父か曾祖父か高祖父(系図が適当な時代なんで諸説あり)にあたる歌人で、琴の名手だったとか。
さらに、詞書(歌の前書き)に「月の面白かりける夜、あかつきがたによめる」とあります。
月に趣のある夜の明け方に詠みました。
うん、これじゃ情景歌扱いも当然です。
でもこれ、やっぱり「フラれ女の恨みの歌」にしか思えないんですよ。ほら、紀貫之だって女のフリしてエッセイ書いてたじゃないですか。いや、今だってご覧の「なろう」や「カクヨム」とかの投稿サイトを見たって、男でも女主人公の恋愛小説書いてる人なんか山ほど居るでしょう。
それに、よく考えてみたら「月に趣がある夜」なのに「月は雲のどこに隠れたの?」って詠むのは変じゃないですかね? いやまあ、雲に隠れてるってのが趣があるのかもしれませんけど。
と、そこで見かけた歌解説サイトの中にあった単語の説明文。『岩波 古語辞典 補訂版』からの引用だそうです。その中の「宵」の説明に、こんなのがありました。以下、孫引用。
上代の夜の時間の区分。ユフベ→ヨヒ→ヨナカ→アカツキ→アシタの第二の部分。日が暮れて暗くなってからをいう。妻訪い婚の時代には、男が女の家にたずねて行く時刻にあたる。
(傍点筆者)
歌解説では「まだ宵ながら明けぬるを」を「まだ夕方だと思っていたのに夜明けになっちゃった」みたいに解釈してます。
でも、宵を「男が女の家にたずねて行く時刻」と考えると、こんな風に解釈できるんじゃないでしょうか。
夏の夜は早いね あなたが訪ねて来る宵のうちかと思っていたのに もう夜明け
雲に隠れる月のように あなたはどこにいるのかしら
月のきれいな明け方に(フラれ女の気持ちになって)詠みました 清原深養父
素人の勝手な解釈ですけど、こういう深読みをしても面白いんじゃないでしょうか。
ウィキペディアによると、清原深養父はちょうど千百年前の923年に内蔵大允に任官しているそうです。いつ詠んだ歌かは確定していませんが、千百年くらい昔の歌であることは確かでしょう。
まさか千百年後になって「恋の歌」だと思われるなんて、清原深養父も思ってなかったでしょうけど(笑)。




