96 次は湖の魚が……
この調子だと夕食の前に魔法の授業をしなきゃならなくなりそうだと思っていたのだが。
「たっ、大変だぁっ!」
若い軽装の剣士が慌てた様子で駆け込んできた。
「何事だい?」
グロリアが不機嫌そうに応じる。
話の途中で割り込まれる格好になったのが気に入らないようだ。
「湖の魚がっ!」
そこまで言ったところで男は盛大にむせ込んだ。
慌てすぎだろう。
「まったく……」
グロリアも呆れている。
ただ、それで剣士を急かしたり叱責したりするようなことはなかった。
これがパワハラ元上司だと、ここぞとばかりに罵詈雑言を浴びせていたはずだ。
「湖の魚がどうしたってんだい」
大量に死んでいたとか巨大な魚型の魔物が上陸してきたとか、そんなところだろう。
しかしながら、剣士は今もまだむせ込んでおり話が聞けそうにない。
「しょうがないねえ」
嘆息したグロリアは湖の方を見た。
「ちっ、暗くて見えやしないよ」
舌打ちして愚痴る声には苛立ちが乗っていた。
夕闇が迫り来るような時間で、あたりも暗くなり始めているからな。
夜目が利かないと状況を確認することすらままならないだろう。
ただ、湖のほとりに人だかりができつつあり結構な騒ぎになっているのだけは明らか。
「騒々しいねえ」
愚痴りながらもグロリアは湖の方へ歩を向ける。
俺も肩を並べて現場に向かうことにした。
「これ以上の面倒事は勘弁してほしいもんさね」
グロリアは深く溜め息をついた。
どうやら願望とは裏腹に厄介なことに巻き込まれそうだという予感があるみたいだな。
自分の隊商があの手この手で狙われたことで警戒心を強くしているのだろう。
湖の光景を目の当たりにしたグロリアは驚きと怒りがない交ぜになった表情を見せる。
「どういうことだい、これはっ!?」
水面に様々な種類の魚の死骸が浮いていた。
数もそこそこ死んでいるということで俺の適当な予想が当たってしまいましたよ?
パッと見ではあるものの、どの魚にも外傷はないように見受けられたが……
「あー、これはダメだな」
「なんだってっ? 何がどうなってるのかユートには分かるのかい?」
グロリアが急かすように問いかけてきた。
「待ってくれないか。先にやっておかなきゃならないことがある」
俺は氷属性の魔法を使って危険だと判断した範囲の水を凍結させた。
瞬く間に凍っていく湖の光景に隊商の面々が息をのんだ。
「どういうことか説明してもらえるんだろうね」
「まだ終わってない」
「ぐっ」
俺は氷の上に歩を進め岸から十数メートルばかり離れた場所で歩みを止める。
下を見れば拳大の黒い宝玉が沈んでいた。
その部分だけ氷を溶かして理力魔法で胸元まで持ってくる。
「後先を考えない輩だな」
宝玉は魔法で浮かせたまま岸まで戻ると視線を鋭くさせたグロリアが目の前に立つ。
はやく説明しろと言わんばかりである。
「魔力の続く限り毒を放出する宝玉だ」
「ちょっ!?」
グロリアが大きく仰け反り、他の面々も一気に後ずさる。
「直に触れない限りは問題ないよ」
そう言うと皆も少し落ち着きを取り戻しはした。
とはいえ魚が死んでいるのを目の当たりにしているせいか、おっかなびっくりで近寄ってこようとはしない。
「人間が即死するほどの毒じゃないさ」
触れ続けていれば、さすがに死んでしまうけどね。
魚が死んだのは生命力が人間には及ばないことと毒の溶け出した水の中に居続けたからに他ならない。
汚染された湖の水も希釈されて問題なくなる程度の代物だ。
それでも生き物が死んだというインパクトを覆すことはできないらしい。
俺が付け加えた言葉を耳にしても誰一人として安堵する様子は見られなかった。
「しょうがないなぁ」
闇色の宝玉に光属性の魔法を浴びせる。
宝玉から色が抜けていくことでどよめきが起きる。
素人目にも宝玉の効果が失われていくとわかるからだろう。
「お、おいっ、大丈夫なのか?」
オッサンことロジャーが恐る恐るといった様子で聞いてきた。
見た目に反してビビりだな。
「ああ。浄化の魔法を使った」
「そっ、そうか……」
宝玉の魔力が残り少なかったこともあって浄化はすぐに完了。
無色透明になった宝玉はポッケにないないだ。
「あっちも浄化しておかないとな」
背後の凍らせた水にも同じ魔法をかける。
ただし、範囲がそこそこあるので多重発動させて時短した。
「死んだ魚は引き上げて焼却処分ニャー」
レイがそんなことを提案してきた。
見ていた面々からすれば忌避感もあるだろうし妥当な処理か。
「任せる」
「アイアイサーにゃ」
ビシッと敬礼してレイは仕事に取りかかり始めた。
「さて」
俺は湖に向けていた視線をグロリアたちの方へと戻す。
「運が良かったね」
「どういうことだい?」
怪訝な顔でグロリアが聞いてきた。
「魔法で水を用意したことで湖の水を飲まずに済んだじゃないか」
水をくむ労力も負担になりそうだったからね。
「そうだね。感謝するよ」
「どういたしまして」
重い雰囲気が漂っていたので、おどけた仕草で応じてみせた。
「それにしても無茶をする奴がいたものだよ」
グロリアは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らす。
「いや、間抜けと言うべきかな」
「どうしてさ」
「露骨にバレるような道具の使い方をするとか宝の持ち腐れだろ」
「確かに。死んだ魚が浮いてくることを考えられないのは、とんだ大間抜けだね」
嘲るような口ぶりではあったが表情の渋さは変わらぬままだ。
犯人に対する怒りがそれだけ大きいのだろう。
それは俺も同じである。
読んでくれてありがとう。




