92 商人の矜持
「何するニャーッ!」
スィーがレイを羽交い締めにして引きずっていく。
油断したな。
いつもいつもケイトが捕まえるとは限らんのだよ。
レイの正面に回り込んで囮になっていたケイトが眉をつり上げて睨み付ける。
「ぐっ、何ニャ」
たじろぐレイ。
「交渉はユートに任せなさい」
「なに勝手なこと言ってるニャ!」
ケイトはいつものようにガミガミ言うことなくすうっと目を細めた。
いつもと違う雰囲気なのも相まって結構な迫力がある。
「ニャッ何ニャ」
ビクッと身を震わせたレイの眼前にケイトがギリギリまで顔を寄せる。
「レイは作る人、ユートは売る人、OK?」
そう問いかけるケイトの声はトーンが一段下がっていた。
マジで怖えよ。
よほど子供じみた言い合いが腹に据えかねたんだろうな。
それがレイにも伝わったようで必死の形相でコクコクと頷いている。
そして、そのまま装甲車の中に連行されていった。
「なんなんだい?」
呆気にとられていたグロリアが我に返る。
「気にしないでくれ。レイは独特の感性をしていて我は強いが悪い奴じゃないんだ」
「あー、それはアタシも悪かったよ」
ばつが悪そうに謝ってくるグロリア。
言い合いの途中からヒートアップして引くに引けなくなっていたようだな。
「好意に対してケチを付けたのは事実だからね」
商売人の矜持があるから引くに引けなかったと言いたいようだ。
「商売人はね、客を怒らせた時点で負けなのさ」
普通は言い合いになった時点で取引が不調になる。
そんな形で売買が不成立になれば商売人にとって屈辱的な敗北となるのだろう。
「商品じゃなく詫びを求めようなんざ商人のすることじゃないんだよ」
己に対する皮肉を込めた笑みを浮かべるグロリア。
プライドの問題って難しい。
だけど、こういう考え方をするグロリアのことは嫌いじゃない。
「そういうことなら」
「あー、それは助かるんだけど、あの子は大丈夫なのかい?」
「大丈夫とは?」
「あの子の好意に泥を塗っちまったじゃないか」
怒らせただけじゃなく傷つけたと言いたいようだ。
「謝罪なら伝えるから問題ない」
レイは良くも悪くもシンプルに考えるタイプだからそれで充分だ。
「そうなのかい?」
「そういう奴なんだよ。すぐに気にしなくなる」
何せ、元猫だからね。
怒っていた数秒後には普通にすり寄ってきたりもする。
三毛猫だった頃のレイには、そんな感じでよく振り回されたものだ。
「そういうことなら、こちらも気にしないよ」
「そうしてくれると助かる」
「で、馬車の方はどうするんだい?」
ただで引き取るつもりはないのは一貫しているようだ。
グロリアの言う商人の矜持の部分なんだろう。
レイとケンカしてまで守り通そうとした部分を無視する訳にもいかない。
「互いに妥協しよう」
「どうやって?」
「物々交換だな」
「はあ? それだって立派な取引だろうに」
意味が分からんとばかりにグロリアは怪訝な表情を見せた。
「物々交換なら好意に対するお礼と言い訳することもできるだろ」
代金として金を払った訳じゃないという事実があればいい。
「トンチじみたこじつけだと思うんだがねえ」
グロリアは皮肉のこもった笑みを漏らした。
「丸く収まれば何だっていいのさ」
「それであの子は納得するのかい?」
「頭に血が上って意地を張ってただけだから視点を変えてやれば大丈夫だろ」
「ハッハッハッハッハ! そうかいそうかい」
グロリアは何がおかしいのか声を上げて笑った。
「円満に取引できるなら何よりだよ」
笑いのツボはそこかよ。
商人らしいと言えばそうかもしれないけど。
「じゃあ、物々交換でいいんだな」
「そっちに不服がないならアタシもそれで構わないよ」
グロリアは納得してくれた。
レイもこの案なら納得すると思う。
お礼として渡されるものが食料であれば尚のことだ。
食い意地の張りようは人一倍だからなぁ。
「そうと決まれば何と交換するか選んでもらわないとねえ」
「ひとつは決まってるよ」
「は? まだ現物どころか目録さえ見ていないじゃないか」
確かにそうなんだが。
「最後尾の馬車の荷物だ」
俺は迷いなく告げた。
「どういうことだい?」
グロリアは怪訝な表情をしながらも探るような視線を送ってきた。
察しがいいな。
「さっきの魔物が他の馬車には目もくれず狙っていたからな」
「お宝を積んでいるとでも思ったのかい?」
呆れた顔でグロリアは大きく溜め息をついた。
「おあいにく様だね。この辺りじゃ珍しいものを積み込んじゃいるが、お宝ではないねえ」
「海産物の干物だろう」
「なっ!?」
短く叫んだグロリアの顔は愕然を絵に描いたような有様となっていた。
「なんで分かるんだい」
「かすかに潮の香りがしたからだが」
「そんなはずは……」
グロリアが困惑した様子を見せてくるのも無理はない。
馬車に積み込んでいる木箱は厳重に封がされているようで、本来なら馬車の外にまで匂いが漏れ出ることはないはずなのだ。
「それにしたって何故どうして干物と分かるんだいっ」
「干物特有の匂いもしたからな」
「なんてことだい。厳重に封をしたってのに……」
グロリアは愕然としている。
「普通は木箱に染みついた匂いなんて気付けないさ」
俺もボルトパイソンが執拗に狙っているのを訝しく思わなければ注意して匂いを嗅ごうとは思わなかったし。
「木箱……、呆れたねえ」
龍の素材でできた体は便利なもので、普段は人並みの嗅覚でもここぞという時には感度を何倍にも上げることができる。
だからこそ気づけたようなものだ。
「けど、アンタはそれに気付いた」
「まあね」
「なら、魔物にも嗅ぎつけられても不思議はないね」
それは否定しない。
「今の襲撃だって、そういうことなんだろうよ」
そっちは違うと思う。
読んでくれてありがとう。




