88 痕跡で手口は分かる
「よく見ろと言われてもねえ」
グロリアが困惑の表情を見せる。
「素人でもあばけるニャよ」
「本当かい?」
疑わしげに問いかけながらもレイの指差した部分をのぞき込むグロリア。
しばし見ていたが、やがて顔を上げると渋い表情で嘆息した。
そして不機嫌そうな顔をしたまま頭を振る。
「サッパリだね」
「そんなはずないニャー!」
今度はレイが不機嫌顔になる番であった。
「そんなことを言われたってね。あたしゃ馬車を作る職人じゃないんだよ」
不機嫌どうしでにらみ合うような格好になってしまった。
このまま放置すると取っ組み合いのケンカに発展しかねない。
ケイトにアイコンタクトをすると無言で頷き素早くレイの背後へと回り込み、そのまま羽交い締めにする。
「ニャーッ! 何するニャーッ!?」
レイは激しく抵抗したが振りほどけない。
ケイトは意に介した様子も見せずレイを引きずるようにグロリアの前から退場させた。
「なんだかねえ……」
グロリアの険しい表情が毒気を抜かれたようにゆるんでいく。
「で、素人にゃサッパリでも何か証拠のようなものがあるんだろう?」
そう言ってグロリアは鋭い視線を俺に向けてきた。
「まあ、そうなんだけどね」
「勿体ぶった言い回しはゴメンだよ」
グロリアは先手を打って釘を刺してくる。
「話を続ける前にひとつ言っておきたいんだが」
俺がそう言うと、グロリアはやや顔をしかめた。
レイと言い合いになった直後だからな。
「何さ」
「これは馬車を作る職人でなくても分かることだ」
レイは盛って話すことはあっても、丸っきりのウソをつくことはない。
素人でもあばけると言った言葉に偽りはないのだ。
「そう言われてもねえ」
「車輪のスポークが何本も折れているよな」
「ああ、そうだね」
何を当たり前のことをと言いたげな目でグロリアは俺の方を見てきた。
「これは本当に折れたという状態なのかい?」
「うん?」
今度は怪訝な表情になるグロリアだ。
「言ってる意味がわからないんだがね」
「折れた部分がやけに細いだろう?」
「そうだね」
「その周り、腐食してボロボロになってるんだけど気付かないか?」
「なんだって!?」
目を丸くさせたグロリアが再び車輪を見た。
「本当だ……」
「長年放置して朽ちた廃屋じゃあるまいし、そんな状態になるのは不自然だ」
「むっ」
短く唸ったグロリアが近くにいた御者の方を見た。
御者はブルブルと震え上がって激しく頭を振る。
当然だ。彼が犯人ではないからな。
「誰もアンタが犯人だと言ってるんじゃないよ」
グロリアも否定している。
「街を出る前にちゃんと整備しているのはアタシも見ているからね」
その言葉を受けて御者はホッと胸をなで下ろしていた。
「毎朝の点検はサボってるみたいだけどね」
じろりと睨んで御者のオッサンを再び震え上がらせる。
「その程度ですべての責任を取れなんて言いやしないよ」
そう言ってグロリアは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らして俺の方へ視線を向けた。
「整備の後に誰かが妙な細工をしたってことだね」
「むしろ整備中だと思う」
「それはないよ。うちと付き合いの長い工房へ整備に出してるんだからね」
「いいや、塗装の上から細工したなら事前に気付いたはずだ」
「どういうことだい!?」
「外側の塗装の方はあまりボロボロになってなだろ」
「ああ、そうだね」
「それに対して下地塗りに使われた塗料は跡形もないくらい崩れ落ちてしまってる」
「なんてことだい」
不快さを押し隠すことなく顔をゆがめるグロリア。
「だけど、どうやればこんな真似ができるのさ」
工房の職人に可能なのか。
できたとして周囲にバレることなく実行できるのか。
職人の誰かが何らかの理由で裏切った可能性を考えたようだ。
「アシッドスライムって知ってるかい?」
「スライムってのは半透明でブヨブヨした見た目の魔物だろう?」
何を当然のことをと問いたげな目を向けられてしまった。
厳密に言うとブヨブヨした感じではなく張りのある体表面なんだが。
今は細かいことを言っても始まらない。
「それの亜種だな」
単なるスライムとの違いは常に体表面を覆うように粘性のある液体を分泌していることだろう。
グミキャンデーをローションまみれにすれば近い感じになるだろうか。
攻撃時には別の液体を分泌し混合させて溶解液にする。
そのあたりを説明するとグロリアは顔をしかめた。
「そんなのが車輪に塗りたくられていたのかい?」
「薄めた状態でね」
「小賢しい真似をしてくれるじゃないか」
グロリアは吐き捨てるように呟いた。
「誰が黒幕か心当たりがあるような口ぶりだね」
「ああ、こっちに損害を負わせて工房との信頼関係も潰そうとか考えるような下種が1人いる」
不機嫌そうな表情を崩さぬまま返事をするグロリア。
「その様子だと一筋縄でいかない質の悪い相手なんだろう」
俺がそう言うとジロリと睨まれてしまった。
「どうしてそう思うんだい?」
「こんな姑息な手を使って商売の妨害をしてくるからに決まってるだろう」
「それだけかい?」
「自分で言ってたじゃないか。馬車の工房に疑いの目を向けさせる魂胆の輩がいるって」
グロリアは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らした。
「どんな手を使ったんだか」
犯行の手口は分からなくても工房のことは疑わないか。
工房主との信頼関係は犯人の想定をはるかに超えていたようだ。
「下地に使う塗料を事前に調べておけば、そんなに難しくはない」
「なんだって?」
「盗んだ上で安く売ればいい」
「なっ!?」
グロリアは驚きに目を見開いたかと思うと、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「ユートとか言ったね。若いのにやるじゃないか」
「人を陥れようとするバカとの付き合いがそれなりにあったのでね」
肩をすくめながら返事をするとグロリアは再び目を丸くさせた。
「アンタも苦労しているんだねえ」
その口ぶりは同情と共感が入り交じったようなしみじみしたものであった。
黒幕は元上司に近いタイプなのかもね。
「そいつは死んだから今は苦労してないよ」
「おや、そうかい。それは重畳さね」
「そっちはそんなこと言っていられないだろうに」
「なあに、報いは受けさせてやるよ」
そう言ったグロリアの顔は獰猛な肉食獣のそれになっていた。
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