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55 リーファン、取り乱す?

 危機感のなさというのは魂に染みついたものなのだろうか。

 スタンピードを食い止めたことで安心してしまい最悪のケースというものを無意識に除外していた。

 これ以上は何も起きないと思い込んでいたのだから平和ボケしすぎだ。

 日本人だった頃、元上司に瀕死の重傷を負わされても学習できていなかったことになる。


「む?」


 不意に周囲のの空気が重苦しいものに転じたかと思うと周囲の景色が奇妙な変化を見せ始めた。

 空が森が地面が見る見るうちに極彩色に塗り替えられていく。

 油絵のような重厚さをCGで再現したような滑らかさで変化していくのは異様としか言い様がなかった。

 その上、周囲におどろおどろしい瘴気が渦巻き始めている。


 未知なる異常現象だな。

 エルフたちも老若男女を問わず次々にパニックを起こしている。

 リケーネの里のあちこちで悲鳴が上がっており混乱を加速させていくのが見て取れた。


「こんなの初めてニャ」


「当たり前でしょ。こんな異常事態が頻繁に起きてたら怖いわよ」


「慣れれば普通になる」


 3人娘は驚いてはいるが慌ててはいない。

 周囲一帯の空間が瘴気の発生源となっていることには気付いているようだ。

 なんにせよ嫌な予感は的中してしまったことだけは確かだと思う。

 今のところ直接の害になることはなさそうだが、このまま放置して好転するとは到底思えない。


「これはっ!?」


 最初は変化に言葉を失い唖然としていたリーファンが我に返った。

 狼狽えつつも周囲を忙しなく見渡しているのは、どうにか対応しようとしているのか。

 決死隊の中で最も落ち着きを見せていたリーファンをしてこの状態である。

 彼女よりマシな精神状態をした里の者など、おそらく長のデナイヒくらいだろう。


「どうやら最も起きてほしくない最悪のケースが発生したようだな」


「わかるのですか!?」


 俺の呟きを長い耳で捉えたリーファンが身を乗り出すような勢いで聞いてくる。


「顔、近いよ」


「すすすすみません」


 指摘すると瞬時に顔を真っ赤にさせて引っ込んだ。


「とにかく対応しないとな」


 とはいえ、今できることなんて限られている。

 それだけエルフたちの混乱ぶりは酷い。

 見慣れた景色が見慣れぬ光景へと塗り替えられている真っ最中に言葉で落ち着かせるのは不可能に近いだろう。


「皆っ、落ち着け!」


 リーファンの兄であるリーアンが叫んでいるが、里の者たちには届いていない。

 何とか対処しようと動けているだけマシか。


「大丈夫だ! 魔物に襲われたわけじゃない!」


 角刈りくんことグーガーもパニック状態には陥っていない。

 が、皆を落ち着かせようと奮闘はしているものの空回りしているような状況である。


「ダメだな。ほとんどの者がパニックになっている」


「どうしますか?」


 リーファンが聞いてきた。


「そうだな」


 念のためエルフたちの気配を探って把握しておこう。

 ……走っている者同士で衝突したりしているな。

 この調子だと惑乱した状態で集落から離れてしまう恐れもありそうだ。

 いま下手に止めようとすると混乱に拍車をかけかねないので気配の把握にとどめておく。


「このサイケな変化が終わるのを待ってから動いた方が良さそうだ」


「大丈夫なんですか」


 不安そうな面持ちでリーファンが聞いてくる。

 この異常事態がいつ自分たちに害をなすかと懸念しているのか。


「この変化はいずれ終わる。そこからが勝負だな」


 地震だって揺れているときに避難することは得策ではない。

 これはそういう類いのものだ。


「この地はフィールドダンジョン化しつつあるんだと思う」


 これはどうやら目撃経験もあるらしい龍の知識が教えてくれたことである。

 ただ、対抗手段のようなものまでは不明だ。

 龍にはダンジョンなど雑魚の巣窟でしかないので対処する必要性がないからね。

 霧雨が降ってきてわずかに濡れるのを鬱陶しく感じるのに等しい。

 一方でそうはいかないのが人である我々だ。


「なっ!? 止めることはできないのですかっ」


 驚きの表情そのままに聞いてくるが無茶振りもいいところだ。

 吹き出す混沌を無理やり封じ込めようものなら、その反動により何が起きるか分かったものじゃない。

 リケーネの民たちには悪いが、このダンジョン化は止めるべきではないだろう。

 もっと悲惨なことになっても不思議ではないからだ。


「それこそ、この地でスタンピードが起きかねないぞ」


「くっ」


 俺がそう説明するとリーファンは唇を強く噛みしめた。

 生まれ育った里がダンジョンに飲み込まれるのは耐えがたい苦痛のはず。


 これが地下ダンジョンであるなら状況も少しは違ったのだが。

 スタンピードのような例外を除けば、魔物がダンジョンから出てくることは、そうあることではないようだし。

 出てくる魔物はダンジョンに見捨てられるような弱い魔物だけ。

 一般人には脅威になってもリケーネの民たちならば対抗することは難しくないと思う。

 ダンジョンの出入り口を監視しつつ高い塀などで里の防備を固めて襲撃に備えれば、そうそう被害は出ないはず。


 しかしながら今回形成されようとしているのはフィールドタイプである。

 出入り口のようなものがなく外界との境界は曖昧だ。

 その上、至る所で魔物がポップする。

 里がダンジョンの中に含まれているなら守りようがない。


「それでも何とかしなければ!」


 食い下がるリーファン。

 身を引き裂かれるよりもつらいのだろう。

 せっかくスタンピードを食い止められたのに生まれ育った里を捨てねばならないのだから。


 だが、命をないがしろにすることもできない。

 俺は頭を振った。

 悲痛な面持ちを前にして言葉で否定することはできなかったのだ。

 己の言葉が鋭い刃物と化してしまいそうな気がしたせいで。


 結局、彼女の心を抉ってしまうことになったけれど。

 女の子は泣かせるもんじゃない。

 俺はせめて自分にできることに全力を出そうと己の心に誓った。


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