113 混沌に堕ちた愚者
頃合いを見計らって釣り上げてから討伐するのが今回の任務って訳だ。
最初にタイミングの見極めさえ間違えなければ何とかなると思っていたのだけど。
『そう単純ではないぞ』
バカ三男坊の釣り上げげが簡単ではないとイスカ爺ちゃんが釘を刺してきたのが謎だ。
奴の姿が人でなくなったら釣り上げれば良いだけでは?
『間が悪いというかのう』
「何でしょう?」
『ああ、ほら、ちょうど下りてきたぞ』
「はい?」
イスカ爺ちゃんの言葉に意識を再び地下牢の方へと向けると……
「うわちゃー」
思わず頭を抱えたくなるような状況になっていた。
身なりの良い白髪交じりの生真面目そうな壮年男性と同じような雰囲気のある青年が衛兵を連れて地下牢へと下りてきたのだ。
「もしかして三男坊の身内ですか?」
『もしかしなくても父親と長男じゃよ』
「悪事が露見したから捕縛に来たというところですか」
『その通りじゃ』
バカ三男坊は手ぶらで衛兵たちは長剣を帯剣している。
普通に考えれば捕縛は難しくないだろう。
だが、奴が人間をやめることを知っている俺からすると楽観視などできるはずもない。
「すごくマズいですよね」
辺境伯一行はバカ三男坊を容易に取り押さえることができると思い込んでいるはず。
緊張感のある表情からすると油断はしていないようだが、それは常識的な範囲に留まるだろう。
奴が並外れた化け物になるなど夢にも思うまい。
パニックに陥れば全滅は免れず、動揺を最小限に抑え込んで対処できたとして辺境伯と長男が地下牢から脱することができるかどうか。
『言ったじゃろう。安易ではないと』
ようやく言われた意味が理解できた訳だが情けなく思っている暇はない。
今はバカ三男坊が長男から問い詰められているような状況だ。
奴は長男に苦手意識でもあるのか受け身に回っている。
それとも有無を言わせぬような証拠でも突き付けられて、ぐうの音も出ないのか。
いずれにせよ動揺しているのは間違いなかった。
音声は無効なままなので声は聞こえないが、奴の焦りようは手に取るようにわかる。
『ユートくん、気をつけるのじゃ』
イスカ爺ちゃんが注意を促してきた。
「はい」
俺は集中を高めながら返事をした。
何に気をつけるべきなのかは聞くまでもない。
「奴が人でなくなるタイミングが早まるのですね」
クズ三男坊の表情に怒りと憎しみが表出し始めていたからだ。
『左様。あの者が人の姿を崩したら、こちらへ引き込むのじゃ』
「了解です」
当初の気の緩みは既にない。
俺がタイミングをミスれば確実に犠牲者が出る状況になってしまったからね。
囚われていた人たちを待避させたのが骨折り損だとは言わない。
グロリア婆さんの話では辺境伯も長男も真っ当な人物だというし。
親子が連れて来た衛兵たちも信頼の置ける部下だから連れて来られたはず。
ワンミスで死なせてしまう恐れがあるのが嫌なところだ。
だというのにあまり重圧を感じていない。
龍のメンタリティーを引き継いでいるからか。
ますます人間離れしていくような気がしてならないんですが?
この調子だとミスって人死にが出ても心に爪痕が残らなさそうだし。
そのことが不快に思えるのは救いかもね。
『あー、いかんのう』
イスカ爺ちゃんの言葉で俺は我に返った。
『あの若者は余裕がなさ過ぎじゃ』
「え?」
どういうことかと俺は今まで以上に目をこらして向こうの状況を見る。
長男が足を踏み出してクズ三男坊に詰め寄っている最中であった。
対して奴はじりじりと後ずさりしていく。
兄の気迫に気圧されているといったところか。
どうやら奴はトラウマに近いレベルで長男に対して苦手意識があるみたいだな。
そのせいで見た目以上に精神は追い込まれているようだ。
立っていられるのが不思議なくらい奴は弱々しく小刻みに体を震わせていた。
よく見れば、引きつった表情からは血の気が失われている。
あれは何をやっても兄には勝てないという劣等感の表れなのかもしれない。
事実、そうなのだろう。
あそこまで奴の性根が歪んでしまう理由が他に見当たらないからだ。
たとえ、そこへ誘導した黒幕がいるのだとしてもね。
親はまともで長男を見る限り教育もきちんとされている。
両者ともに勘違いした特権階級にありがちな傲慢な態度は微塵も感じられない。
ならばバカ三男坊の心が折れて性根が歪んでしまったと考えるのが妥当ではなかろうか。
おそらくは長男や次男と同じ教育を受けても結果を残せなかったのだろう。
グロリアに対する嫌がらせを鑑みれば分かる。
肝心なところで詰めの甘さが出てしまうんじゃ兄たちとの差が開いてしまうのも道理。
幼い頃からずっと見続けていれば越えられない壁だと感じるようになってもおかしくはない。
諦めずに努力を続けていれば差も縮まったかもしれないが、そうはならなかった。
最低最悪の今を選んだのは奴自身だ。
長男に詰め寄られ精神的に追い詰められてなお反発する意思が奴の原動力か。
歯を食いしばって何とか踏み止まろうとする素振りを見れば、大人しく捕まろうという意思がないのは誰の目にも明らかだろう。
であれば逃げるか反撃するかだが、こんな場所では逃げようもない。
ならば窮鼠猫を噛む。
必ずその瞬間が来るはず。
『そろそろ始まるぞい』
「はい」
大きく仰け反ったクズ三男坊が今まで以上の怒りを顔面に浮かび上がらせた次の瞬間!
奴の上半身が弾けるように膨張した。
読んでくれてありがとう。




