第59話 オイルリグ
ログイン214日目──十五層ボス部屋にて。
「この蚊トンボがぁぁぁあああ!!!」
カオリの怒号が、広大なボス部屋に響き渡る。
目の前にそびえるのは、巨大な翅を持つ魔物――ブラッドスティンガー。
その羽搏きは、耳障りなほど不快な音を奏でる。
鋭利な針のような口吻、大きな眼がこちらを睨みつけるが――
すでに外殻はボロボロだった。
カオリの拳が唸りを上げ、強烈な一撃がブラッドスティンガーの甲殻を狙う。
魔物は躱そうと翅を動かすが――遅い。
バギィッ!!
拳がかすめた瞬間、ブラッドスティンガーの翅が豪快にもげ、地面に落下。
その隙を逃すはずもなく、カオリはさらに踏み込む。
全身の力を拳に込め、振りかぶる。
「チェストぉぉぉおおお!!!」
怒涛の鉄拳が、魔物の頭部を捉えると、ひしゃげて鮮やかなエフェクトを残した。
「……ナイスだ、カオリ」
一呼吸置き、落ち着いた声でカオリを称える。
アリサも俺に続くが――
その声には、いつものような張りがなかった。
「うん。いい動きだったよ」
表情は穏やかだが、その奥にわずかな違和感が滲む。
まるで何か言いたいことがあるのに、言葉にできないかのように――。
しかし、カオリはそんな空気を気にする様子もなく、いつも通りの笑顔を浮かべる。
「ありがと。ユウ君たちとはこれで最後かぁ……」
その声は明るいが、どこか名残惜しげだった。
「まぁ正確には明日までだけど、迷宮に潜るのは今日までだな。それにこれが最後ってわけじゃない。この前の借りがあるからな。ストレス発散したくなったら呼んでくれ」
この前の借り――それは、アリサとの仲直りの件。
このことはアリサとシルバにも共有済みだ。
ただし、もう一つの約束については、二人には話していない。
話す必要がないと判断したからだ。
「ユウ君……」
カオリは何かを言いかけて、言葉を飲み込んだ。
だが、すぐに思い出したように、別の話題を口にする。
「そうだ。ユウ君たちも私と会いたかったらいつでも呼んでくれていいのよ?」
カオリは、手首のスナップを利かせてメニュー画面を開く。
どこかおぼつかない手つきで目的の項目を探し、タップすると――フレンド認証の通知が届いた。
迷わず『Yes』を選択すると、アリサとシルバも同時に承認する。
これでいつでもチャットができるということだ。
「じゃあ、私はこれで」
カオリはそう言い残し、カタミ村の夜へと溶けるように姿を消していった。
翌日――
俺たちは、レイクタウンへと向かっていた。
今日はキョウヤとユッカも加わり、総勢五人での移動となる。
転移した先には、カオリとあっくん、そして夢咲香織のファンたちの姿があった。
「お久しぶりっす! ユウ君さんとアリサちゃん! それにシルバさん!」
相変わらず、あっくんの視線はアリサに釘付け。
アリサは笑顔で応えながらも、さりげなく俺の側に身を寄せる。
「ああ、久しぶり。どうだ? 船は完成したのか?」
俺の問いに、あっくんは力こぶを作り、豪快にうなずいた。
「もちろんっすよ! ……とはいえ、湖の畔にある小さな小屋で、ずーっとワニワニパニックみたいなゲームをやってただけですけどね!」
まぁ、造船について詳しいプレイヤーがそう都合よくいるわけもない。
スキルチェック《タイミングゲーム》を何度も繰り返す羽目になるのは想像していた。
「じゃあ、さっそく案内してくれ」
あっくんとカオリを先頭に、俺たちはレイクタウンを抜け、ベリグランド湖へと向かう。
湖に浮かんでいるのは、見慣れた小さなボートだけ。
肝心の船はどこにあるのか――と訝しんでいると、あっくんがメニュー画面を開き、迷いなくタップした。
すると、まるで霧の中から姿を現すように、巨大な船が湖面に浮かび上がる。
「これで……オイルリグに?」
目の前に現れたのは、全長30メートルほどの船。
巡視艇ほどの大きさはあるものの、高さがほとんどなく、甲板も平坦で、とうていオイルリグへの上陸が可能な造りには見えなかった。
「もしかして、間違えた船を造ったってことはないか?」
シルバが皆の不安を代弁するように問いかけると、あっくんが不安げな表情を浮かべる。
「実は俺もそう思って、造船のメニューを再度確認したっす。でも、これがイベント用の船って記載があったので、間違いないとは思うっすけど……」
まぁ、全員が初めてのことだ。不安になるのも仕方ない。
「とりあえず、これに乗ってオイルリグに行ってみるか……って、これ、誰が舵を取るんだ?」
「「「あ……」」」
俺の問いかけに、全員が揃って硬直する。
当然ながら、誰も船を運転したことがない。
「じゃあ、俺にやらせてもらえないか? 友人が大型クルーザーを運転しているのを見たことがある」
反論する者は誰もおらず、自然とシルバに舵を任せる流れになる。
「カオリ、あっくん。お前たちはここまでだ。ここから先の魔物は、現在迷宮の最前線で戦っている魔物よりも強いはずだ。俺たちも自分の身を守ることすら危うい。だから――」
俺の言葉を遮るように、カオリが勢いよく口を開いた。
「ユウ君、アリサ、おじ様……」
だが、その先の言葉は続かない。
迷いが滲む瞳。唇がわずかに震え、何かを必死に飲み込もうとしているのが分かった。
俺たちは黙って待つ。
やがて、カオリは大きく息を吸い込み、そして吐き出した。
「絶対に死なないでくださいね……」
アイドル・夢咲香織としてではなく、カオリとしての、まっすぐな言葉。
俺たち三人は、それをしっかりと受け止め、無言でうなずいた。
「じゃあ、行くか」
キョウヤの一言が、緊張に包まれた空気を切り裂く。
俺たちは最後にカオリを一瞥し、そして迷いなくブリッジへと足を踏み入れた。




