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 ミミリア内親王殿下が、公式にプリンシア・サクラのもとを訪問した。宮廷中に知れ渡っているその事実が何を意味するのか、ジンを先頭にしてミミリア、さくら、リンナと続く一行が騎士団塔を出たあたりで内親王殿下直々に教えてくれた。前方後方の騎士には聞こえないほどの小声だ。


「宮廷の皆様は、私があなたに何かしらのお話をしたと思っていらっしゃるでしょう。説得か説教か、あるいは単におもねるためか、それは彼らの想像によりますが」


 彼女は密やかに笑む。

 彼らのその想像に答えを教えるのはさくらだ、と直感した。


「あなたには皆様の前で、プリンシアの名を返上し、天上ではなく市井の人となる宣言をしていただきます」

「……はい」


 一瞬の躊躇いは、名への未練ではない。衆目にさらされる恐怖と緊張に耐えられるかどうかを自分に訊いたのだ。色好い返事はなかったが、断ることのほうが恐ろしいという消去法で渋々うなずいた感じだった。我ながらここまできて勇気が振り絞れないとは情けなくて泣きたくなる。

 呼応したように見上げた空は薄曇りで、太陽の光はまばらに大地を染めている。肌寒いどころではなく、防寒着があってもまだ鳥肌が立つような冷気が首にからみついてきた。


 ミミリアはさくらの葛藤を知ってか知らずか、顔色を変えずに先を続ける。


「すると、おそらく宮廷中でこんな声があがるでしょう。内親王がプリンシアを説得せしめた! と」


 つまりどういうことかというと。


「内親王の言葉には耳を貸す、と皆様は思われるでしょう」

「え、えっと、では、わたしに何かをさせたいとき、宮廷の人たちは殿下を通して依頼するようになるということですか」

「端的に言えばそうなりますね。そのほうが成功確率が高くなりますから。なのであなたに直接声をかける者は減るはずです。名を返し、ミュゼガルズを離れればなおのこと。私は遠く離れた地にいても、ここで防波堤となってあなたをお守りできるということです」


 彼女がにこりと頬笑む。心安く、と言ってくれているのがよく伝わってきた。申し訳なくも、その心遣いと厚意が涙の滲むほど嬉しかった。さくらが報いるべき人は、ここにもまた一人いる。


「でも、そ、それだと殿下が厄介事に巻き込まれてしまいませんか?」

「厄介事なら舞踏やマナーのお勉強のほうがよほど私を苦しめます。最近では婚約者候補がわんさと現れて辟易しているところなのです」

「そ、その婚約者の人たちの中に、えっと、その、」

「もちろんプリンシアを手中におさめたい輩が今後混じる可能性はあります。とはいえそれも今さらです。王族の婚姻云々はもともと騒がしく、思惑飛び交う異形の舞踏会で行われるので百人や二百人バケモノが増えようと増えまいと大差ありません」


 怖い話をするように話すミミリアが、茶目っ気のある口ぶりで最後にこう言った。


「ですが愚痴くらいは聞いてほしいので、あちらにお着きになられましたらお手紙をくださいませね。あなたの名の返上が正しく行われたことを私が保証する、その代償です」

「あ、よ、喜んで、筆を執ります」

「ありがとうございます」


 彼女が嬉しそうにさくらの右手をとったとき、一行は王宮の玄関口、国内最大級の絢爛豪華な大広間にたどりついた。

 広間にはすでに、物見高い使用人や各部所の人間が何事かと集まってきていて、さくらたちが現れるとその大半がどこかへと駆けていった。


「大広間へ召集をかけたのですが、半信半疑の者も多かったようですね」


 ジンがミミリアに耳打ちする。どうやら彼は宮廷中の人を集めようとしたらしいが、何しろ急なことで召集要請から間がなく、そもそも応じない者もいるようだった。だが、大広間から姿を消した従者然とした人々が相当数いたので、おそらく自らの上役を呼びにいったものと思われた。

 しばし待てば、次第に人は増え、そしてとどめを刺すかのように国主ギディオン陛下まで現れるのだから宮廷中の人間が大慌てで大広間へ駆けつけた。国王の控えめなウインクがさくらに向けられたときは、この器用な片目つぶりは遺伝かなどとさくらに現実逃避させたが、目の前にひしめく人々はお菓子に変身したりはしないし消えたりも当然しない。


 これ以上待っても、という頃合いで、国王が手を叩いた。そこまで響いたようにも思えなかったが、誰しもが黙り、膝をつき、最大限の敬意を払っておびとの前に頭を垂れた。


「みな忙しいところに突然召集をかけてすまぬ、とまず私から言おう。だが重要な案件を王の執務室だけで片付けてはみなが納得すまいと思い、こうして席を設けた。重ねて言うが、急なことで参加できない者もいるだろう。だが私を常日頃から助けてくれるみなの大半がここへ集ってくれた。であれば、この場を正式な会見と判断してもよかろうと思うのだが、異論ある者はいるだろうか?」


 もちろん、誰も声をあげない。


「ありがとう。みなの献身に感謝する。して、話とはみなも薄々感づいてはいるだろう、【祈りの姫君ティフェイクス・プリンシア】の進退についてだ」


 これを受けてさすがに広間はざわつく。王に言葉を投げ掛けても許される位の高い者たちが、眉を寄せて話の続きを待っていた。


「現在、プリンシアは役目を終え、約一年宮廷に留まっていただいている。中には、故郷へお帰りいただくのがよいと言う者もいる。プリンシアにかかる財源の確保に憂慮する者もいるだろう。私はそれを否定しない」


 ざわ、ざわざわ、と喧騒じみてきた大広間で、しかし王の声だけは明瞭に響く。彼に物申すために待機していた高官たちは、王が予想に反してプリンシアを擁護しないことに毒気を抜かれたようだった。


「だからこそ、彼女の提案に私は乗ろうと思うのだ」


 さくらの周りにいた騎士が全員、離れる。そばにいるのはミミリアだけだ。とたんにがたがたと震えだした身体は、やはり声を出すことを許さない。だがさくらが言わなければ、誰も代わりには言ってくれない。


「はまべ、さくら殿」


 さくらの氏名を正しく覚えていてくれた王が促す。もうさくらがプリンシアでないことを、彼は受け入れている。

 今生最後の大舞台かもしれない。おめでたい席でないところが自分らしく、震えてまともに直立もできないのがさくらがさくらたるゆえん。意を決して口を開くまで、王は他者に声をあげさせなかった。最後まで気を使わせてしまった。


「わ、わたし、は」


 かすれた声だ。蚊の鳴くような声だ。広間の喧騒に負ける。


「もっとです」


 ミミリアがこちらを見ずに毅然と言う。


「わ、わたしはっ」

「もっと」

「プリンシアの名をっ、」

「もっと!」

「プリンシアの名をお返し致しますっ」

「もっとです!」

「わたしは【祈りの姫君ティフェイクス・プリンシア】の名を神に御返し致します!」


 ほとんど怒鳴ったようなものだったが、大多数にその声は届いたようだった。ざわめきは最高潮に達し、王が二度手を叩いても人の口に戸は立てられなかった。

 傍らで、ミミリアが王族らしからぬ不格好な笑みを作った。


「上出来です」


 天使が堕天したら彼女のように微笑むのだろうかとさくらは身震いした。





 さくらの宣言のあと、収拾のつかない大広間に胴間声が響いた。その声はさくらの真後ろから唐突に発されたので、大きく飛び上がったところをリンナに捕まえられて脇に寄せられた。


「一つ問題が解決したようで何よりです。なので、あー、私たちが抱える案件について、ついでにここでお話させていただきたく参った次第であります」

「セヴランか。よい、話せ」

「ありがたく存じます」


 彼が豪胆な男であるのは教えられずともわかった。自警団の団長だ。筋骨たくましく、ジンでも勝てそうにないほど他人を威圧する厳めしい顔つきだった。彼がちらりとさくらを見やったとき、無意識に逃げを打とうとしてリンナにぶつかった。申し訳ない。

 彼はにやりと笑い、視線を広間のほうへ戻した。


「プリンシア誘拐事件についてですが、えー、容疑者はすでに我々が捕縛しております。商人とその手下の二人、計三人ですね。彼らの話によると、協力者というやつがどうも宮廷に紛れ込んでいるってんで陛下に逮捕状の請求をさせていただいたんですが、皆様はご存知で?」


 軽い口調でセヴランが語ると、野次るような、叱りつけるような声があちこちからあがった。噂は本当だったと顔色を無くす者も、さくらが見つけられただけでもかなりいたように思う。


「一人や二人じゃないかもしれませんねぇ。ただ、プリンシアはもうプリンシアじゃなくなるってんで、真犯人を泳がせようにも餌がないんじゃしょうがない」


 普段であれば不敬だが、そのことについて論じる者はいない。論じる余裕がないからだ。


「無罪か有罪か、証拠が出るまで調べるしかないでしょうな。それともプリンシアにはまだプリンシアでいてもらって、さっさと逮捕しますかね?」


 セヴランが目を向けるのは、どこかの部所の責任者らしき壮年の男たちだ。王からの視線も受け、彼らは取り繕ったふうな無表情で「真の犯人がいるのなら、取り逃がすのは遺憾だが、プリンシアさまのご意向を妨げるのはよしとしない」などとしかつめらしく述べた。

 これに対してセヴランは満足そうに首肯し、地道に捜査を続けることを王に誓った。


「ただ我々も暇ではないのでね、いもしない犯人を追いかける余裕はありません。容疑者三人の証言をよーく聞いて本当に真犯人がいるかは常に追及していくつもりです」


 去り際、セヴランまでもがさくらにウインクしていった。ただし彼の場合は閉じないほうの目まで半分閉じていたから、少し不器用な部類に入ると思う。リンナならたぶん器用にやってみせるのだろうなと考え、背後にいる彼を振り返りそうになって慌てて我慢した。うっかり目が合ったらどんな反応をすればいいのかさくらにはわからない。


「じゃあな、お嬢ちゃん。あの商人は俺らがこらしめとくから元気出せ」


 セヴランが去ると、今度はさくらたちも移動することになった。正式に名を返上するにあたり、礼拝堂で神に宣言しなければならないらしい。

 名だたる高官を引き連れ、入れるだけの人々が礼拝堂まで押し寄せる中でさくらは祈りの体勢に入った。


 静謐な空間は大勢の人の気配で少々害されている気もするが、誰かがたたらを踏めばその音はいつものように高く響き渡る。内緒話もできない、神と自分だけの異世界。さくらは神に、己の未熟さを謝罪し、ここに留まる許可を請い、世界と世界を繋いでくれたことを感謝した。

 そして最後に、口に出して宣言する。


「私の賜りました【祈りの姫君ティフェイクス・プリンシア】の名とお役目を我らが神の身元へ返上しつかまつります」


 全員に聞こえただろうか。

 人々が我知らず嘆息し、大きなうねりとなって礼拝堂に満ちていく。そのとき、なんの偶然か天窓から日差しが降り、さくらを光の柱の中へ閉じ込めた。


 プリンシアを照らす後光は、もしかしたらこの礼拝堂でたまたま光が当たっただけのことなのかもしれない。それでもそこに人々は神の意向を感じ、偉容を感じた。とはいえそれもその時代のプリンシアが人に慕われていればこそ。さくらには当てはまらないが、立ち上がって振り返ればなんと、全員が両手を組んで膝を折っていた。


 宮廷の人たちは、さくらがプリンシアだったばかりにプリンシアという存在を疎んじることになってしまった。

 だが本来プリンシアとは、彼らにとって何にも代えがたい救世主なのだ。たとえ本人に欠点があろうと、彼らの見知らぬ異世界から召喚された、神の選んだ救世主。不思議なもの、科学で説明のつかないものに対して畏怖を感じるのは、さくらの世界の人々と変わらない。科学の発展していないこの世界において、実際に異世界との繋がりであるプリンシアは、神とコンタクトをとれる唯一の存在だ。さくらが何をしてもしなくても、神が選んで世界の枠を越えてきたことは動かしようのない事実。それを、彼らは久々に思い出したようだった。





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