2/15 悪人たちの再会
乗っている人間全員の思いを代弁するかのようなため息を吐いてドアが閉まる。箱が動く不快感とともに、限界まで詰め込まれた人間の体がぶつかり合い、中年の加齢臭や適量を越えた香水の匂いが混じり合う空気が嘔吐感をあおる。ここは地獄だろうか。いいや、ラッシュアワーの電車の中だ。これでも身じろぎする隙間もなかった朝よりはマシで、夕方の今は多少人間と人間の間に空間がある。うろな山下で乗り換えてうろな駅までたった二駅だというのに、体感時間で言えば永遠にも思えた長い旅だった。しかしうろな駅に到着する旨のアナウンスが流れたとき、体に違和感を覚えた。振り返ることすら困難な車内、常に隣の人間と肩がぶつかっているような状態なのだが、明らかに尻を撫でられている。別に触られたって減るもんじゃないが、ねちっこくべたべた撫であげるような触り方が気持ち悪い。ムカついたから摘発してやる。
「ご乗車ありがとうございました。うろな、うろなです。お忘れ物のないようご注意ください」
電車のドアが開いて、足早に帰路を急ぐ人の流れに押し出される。その前に手首を掴んでそいつをホームに引っ張り出す。後ろであがった慌てた声を無視し、人の邪魔にならない自販機の前まで連れていき、振り向いた。
「なんだお前か、万引きオヤジ。しばらく見ない間にセクハラオヤジに転向したのか」
「うるせえ、お前は相変わらず可愛げのない性格をしてやがるな」
犯罪がバレて引っ張り出されても飄々とそんなことを言う。この中年は横沢大地。スリや万引きを生業としており、見事な手際を持つ手癖の悪いオヤジだ。綺麗に撫でつけたシルバーグレイの髪や白のラインの入ったブラックスーツを着こなすこいつが紳士的な言葉遣いをすれば、まかり間違って犯罪の現場を捕まえられても、知らない人間であれば何かの間違いだったと思って解放してしまうかもしれない。
「で、何の用だ」
「ん?」
「とぼけるな。こんな恰好をした人間なんて私以外にはいない。私に何か用があるんだろう?」
「そのセンスの異常さは自分でわかってたんだな……まあいい。お前に声をかけたのは、ちょっとした保険だ」
「保険?」
「そんだけだ。じゃあな」
「……なんだあいつ?」
言いたいことだけ言うと、奴はタイミング良くホームに到着した電車に乗り込んでいった。いや、もちろんあいつは最初から電車が来るまで世間話で時間を稼ぎ、体よく逃げたのだ。あのオヤジは無駄に年を食っている分、やることが汚い。
あのオヤジを見ていたので、それとすれ違うように降りてきた二人組も目に入った。会話しながら歩いていた二人もこちらに気づいて、笑顔で近づいてくる。藍原夕奈と森田武光だ。
「こんにちは、葵井さん。本当に葵井さんにはお世話になりました」
「昨日のことなら私は何もしていない」
森田の素行調査に端を発した一連の事件の結果は今朝夕奈から届いたメールにすべて書かれていおり、報酬も無事振り込まれていた。事件は四日ほどで結末を迎えたのはよかったが、森田の尾行のために買った定期がまるで無駄になってしまったので、仕方ないから私は大学生の簡単な依頼を受けるために使っている。今日もその帰りだった。
「てっきり今日は大学を休んでいたと思ったが」
そう言って左の二の腕を指し示して見せる。その事件の過程で森田はその部分に大きな傷を刻みこまれていたはずだった。
「昨日のうちに病院に行きました。そんなに深い傷じゃなかったんで、包帯だけ巻いて帰してもらったんですよ」
「それは良かった。もう騒ぎになるようなことは勘弁してくれよ」
「はい。今では森田君の生活すべて見ることができますから!」
目の前の夕奈は満面の笑みを浮かべており、私は比喩でなく耳を疑った。
「は?」
「武光君の家にマイクロカメラとワイヤレスマイクを百個置いてもらって、外にいるときもわかるようにカバンにもつけてもらってるんです」
そういえば森田の背負っているリュックに前まではなかったストラップがついている。
「もう同棲しろよ」
「それは、まだ学生なので……」
「そこは普通なのか」
「あっ、すみません。映画の時間もうすぐなので」
「ああ、なんだか私はもうたくさんだ。構わないで行ってこい」
「はい! また今度三人でお話ししましょうね!」
揃って頭を下げて、彼女らは去っていった。夕奈も森田もこの世で一番幸せそうに、終始笑顔を絶やさなかった。
うまく言葉にはできないが、奇妙な感覚だ。普通じゃないのは私も同じなのかな。




