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ワルい奴ら  作者: 弥塚泉
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2/10 悪人たちの雑談

 何かを得るためには、努力が必要不可欠だ。天賦の才と呼ばれるものを持っていたとしてもそれは花の種のようなもので、努力をしなければ花は開かず宝の持ち腐れとなってしまう。そうして必死に努力をしたとしてもその努力が報われるとは限らないが、努力をしなければ報われることはあり得ない。誰であろうと、何かを得るためには努力しなければならない。それは全人類に共通する基本的なルールなのだ。

「おい人形屋、確かてめえには貸しがあったな。私にはどれだけ感謝してもし足りないだろうが、ひとまずその気持ちとして一万出せコラ」

 人の助けを借りるというのも立派な努力の一つ。そして借りるのももらうのもさほど変わるものではない。

「あらあら。どうやら胸だけでなく頭も貧しいようね。この店をいっぱいに満たすかぐわしい香りと美しく咲き誇る花を見ればお猿さんにだってわかると思うけれど、あたしは人形屋でなく花屋よ」

 商店街の東の入口にある花屋、ピグミーの店主はそう言って花の水を替える作業に戻った。こいつは名前を綿野日代わたのひよという、先日ちょっとした事件を起こした女だ。事件と言っても警察沙汰になるようなものではなく、少女のぬいぐるみを恋人代わりにしていたというだけだが、ともかく。

「鼻屋でも耳屋でもいいから、金だ金。金出さねえってんなら警察にタレこむぞ」

「この間のことなら、果菜は許してくれたじゃない。いやだわ、おほほほ」

 今日も今日とて白いふわふわしたコートを着た日代はとぼけた返事をする。

「しらばっくれてんじゃねえ。こないだから果菜のことをつけまわしてんのは知ってんだぞ」

 先の事件は当事者の少女、小林果菜の温情で表沙汰にはならずに終結した。しかし二人の関係はそこでは終わらず、何を思ったのか、この女は果菜をストーキングし始めた。朝の登校時に偶然出会う、家族と訪れたショッピングモールで偶然出会う、一昨日なんか公園で遊ぶ果菜の写真を撮っている現場に出くわした。

「どういうつもりだ?」

「……あたしね、ようやく気付いたの」

 急にしおらしくなって、両手を組んで宙の一点を見つめる。こいつお得意の自己陶酔お花畑モードに入ってしまったようだ。いっそ客に目撃されて店の評判が落ちればいいのに、ちょうど店内には私たちしかいない。

「あの子に抱きしめられたとき、温かくて、自分の中が満たされていくような気持ちになったわ。あんな感覚は今まで感じたことがなくて、あたしは茫然としたままでお別れになってしまったけど、おうちに帰ってから気づいたの。あれこそあたしが欲しかったもの。愛なんだって」

「なんでだよ」

「同性愛は許されないことで、異性愛こそが唯一正しい愛の形。そんな狭隘な視野があたしの目を狂わせていたのよ」

「まだちょっと狂ってるけどな」

 妄想から戻った日代が手をほどくのと、入店のメロディーが流れたのは同時だった。お決まりの挨拶をする日代に釣られて入口の方を見るとベージュのセーターの上にファーコートを着こんだワインレッドのスカートの女が入口の花から順番に眺めながら店に入ってくるところだった。平日の昼間にこんなところにいるということは大学生だろうか。

「それにつけまわすだなんて、人聞きが悪いわ。今ではお母様とも夕食のお買いものでお喋りする仲なのよ」

「着実に外堀を埋めてんじゃねえか」

 第三者が来てしまったので、話し声を低くするとともに日代の隣へ行く。金をもらう前に店を出るという選択肢はない。

「そういえばあなた、探偵なら人探しとかやればいいじゃない」

「よく勘違いされるからそう自称することもあるが、私は厳密な意味での探偵じゃないんだ。それにな、今となっては人はおろか、猫探しだって私のところには来ない」

 そこまで言うと日代はああ、と察したように声をあげた。

「この町には天狗仮面がいるものね」

 その通り。このうろな町には天狗仮面と名乗る、お節介な野郎がいる。いつも町をパトロールしていて、何かトラブルがあると解決のために全力で奔走する熱血漢だ。そのおかげか、ラインの入ったジャージの上から唐草模様のマントを羽織り、常に天狗の面をかぶっているというとち狂った格好をしているくせに、今では多くの町民から親しまれる存在となった。そうやってこの町の治安が良くなるのは大いに結構だが、問題はそこではなく、たいていのトラブルは天狗が解決してしまうということだ。そのあおりを食らってこの町で探偵業を営んでいた人間は飼い猫捜索や物探しなどといった仕事を失い、大口の依頼を取れない小さな事務所は次々と潰れている。

「今私になにか探偵的な依頼をするとしたら、素行調査くらいだ。大きな声で言えるようなことではないから、私のような日蔭者に頼むんだよ」

「そこらの電柱に電話番号を書いたポスターを貼るような人間を日蔭者とは言わないと思うけれど……」

「あの!」

「うわっ、な、なんだ?」

 いきなり耳元で大きな声を出されたので、少し耳鳴りが尾を引いている。顔をそちらに向けると、先ほど入店してきた大学生とおぼしき女がそばまで近寄ってきていた。

「私、素行調査をお願いしたいのですが!」

 顔の前でぐっと手のひらを握りしめた彼女はずずいと乗り出してきて、物理的に目と鼻の先まで近寄ってくる。

「あら、とても元気で大きな声ね。合唱部かしら?」

「やかましい、この乳牛め。これ以上余計なことを言いやがったら吉野農場に売り飛ばすぞ」

 多少の非難を込めて睨みをきかせてやったが、こいつがそんなものを気にかけるような可愛らしい神経をしていないことはわかっていた。手のひらをひらひらさせた後、汚れた水でいっぱいになったバケツを抱えた。

「秘密のお話なら裏が空いていてよ。このまま閉店までいられるとあたしも迷惑だし、お仕事してきなさいな」

 ここ、ピグミーの裏には六畳ほどの和室がある。繁忙な時期に日代が店に泊まるときに使う生活空間なのでテレビやちゃぶ台、ポットに調理道具といった最低限のものは置いてあり、そのそばには小さいが台所まである。藍原夕奈あいはらゆうなと名乗った大きな声の女から詳しい話を聞くため、ちゃぶ台を挟んで向かい合った。

「じゃあ依頼内容を聞かせてもらおう」

「ええっと、何から話せばいいのか……」

 私はいつも通りの格好なのであぐらをかいているが、夕奈は正座を崩したいわゆる女の子座りをしている。初対面の気恥ずかしさからか、少しうつむき気味だ。

「そうだな。彼氏との関係と、浮気を疑う根拠を聞かせてくれ」

「わかりました。彼は私と同い年で、大学の語学のクラスで一緒になったのがきっかけで知り合いました。彼は初対面の時から私のことが気になってたらしくて、初めて二人で出掛けた時に告白されて付き合い始めたんです」

 あ、もうライターの油が少ないな。確かこないだ買ったのが家にまだあったはずだ。いや、魚屋のオヤジにやったかもしれない。

「初めておかしいと思い始めたのは一週間前くらいでした。だんだんメールや電話が無視されるようになってきて、一昨日は風邪をひいた彼の看病のために家に行ってみたんですが、家に入れてくれなかったんです」

 なんか耳がかゆい気がする。昨日耳掃除したのにな。あ、夕方のドラマの再放送はちゃんと録画したか。

「それで、いけないとは思ったんですが、彼の携帯のメールを見てみたんです。そうしたら、女友達だと聞いていた人から恋人に送るようなメールが届いていて。他にも、彼が私の誘いを断った日にこっそりついていってみたらその女の子と二人きりで、その、いかがわしいところに入るところを見ましたし……」

 ふと夕奈の方を見ると、思いつめたような顔をあげた夕奈とちょうど目線がぶつかった。

「私、不安なんです。だから、お願いします!」

 今にもこぼれおちてしまいそうなくらいに涙をためて迫ってくる。しかし実はこのとき、私はあまり真剣になれなかったというのが正直なところだった。他の奴は知らないが、私の行う素行調査というのはできるだけ調査期間を引き延ばして依頼人から報酬をもらえるだけもらう手法をとっているため、その性質上、代償となる私の苦労と対価が見合うかどうかは依頼人の懐具合にかかっている。ところが、相手が大学生となるとその期待値はぐっと下がる。単純に金を持っていないし、結婚という法的な契約を果たした旦那と簡単に別れられる彼氏とでは事の重大さが違うからだ。

「なるほど。君の言いたいことは分かった。同じ女であることだし、その感じているだろう不安も少しはわかるつもりだ。……しかし所詮一般人にすぎない私にはできることに限りがある。今回の依頼は本当に申し訳ないが」

「前金は五万円で足りるでしょうか?」

「出来る限り全力で力になる」

 金があるなら話は別だ。

「本当ですか。ありがとうございます!」

 立ちあがっていつまでも感謝を述べ続けかねない勢いの夕奈を押しとどめ、これからの段取りについてさっそく打ち合わせを行う。依頼人とはいえ、一方からの情報だけを前提として動くと後々致命的な誤解につながることもあるため、まずは調査を始める前に彼氏に会ってみたい旨を伝えると、これから彼氏に会えないかメールしてみるという。最近無視されることが多いと聞いたので大丈夫かと思ったが、幸い返信はすぐに来て、今日は授業が午前中で終わり、バイトも休みなので昼過ぎに会えるとのことだった。

「待ち合わせは一時半か、といってもここからなら向かっているうちに時間だな」

「はい。行きましょう」

 待ち合わせ場所はうろな駅のファーストフード店で、昼食を取りながら話をする形だ。商店街からうろな駅に行くには、最寄りの地下鉄大曲駅から二つ行ったところにある。目的の店は駅の目の前にあり、駅のホームから見えるほどすぐ近くにある。行ってみるとやはり店内に彼の姿はなく、彼が現れたのは私たちがそれぞれ紙コップの中身を半分まで減らした頃だった。

「お待たせ」

 彼氏は今どきのどこにでもいる大学生といった風で、クリーム色のカーディガンにジーンズというラフな格好のありふれた青年だった。人のよさそうなころころとした笑顔が印象的だ。

「えっと、課題の話って言ってたけど、その人は……?」

「ちょっと前に行政法の授業で知り合って友達になったんだ。やっぱり刑法の課題で困ってるって言うから一緒に勉強することになったの」

 夕奈とはここに来るまでに口裏を合わせ、私は同じ大学で同じ学部の学生ということになっている。

「葵井静という。邪魔をしてしまう形になってすまないな」

「いや、そんなことないよ。驚いただけで。僕は森田武光もりたたけみつっていうんだ。よろしく」

 私の格好に面食らっていたが、自己紹介をしつつ、スマートに手を差し出してくる。アメリカ人並みに社交的な奴だ。アメリカ人と会ったことないけど。

 当然私に法学の知識は皆無で刑法などちんぷんかんぷんだったが、森田は嫌な顔一つせずにわかりやすく解説してくれ、午後四時に別れた後の私は事例を読んで一通り犯罪の構成要件を述べられるまでになっていた。そうして彼と話してみてわかったことは今どき珍しい、掛け値なしの好青年だということだ。初対面の私がいたから多少気を張っていたところはあるにしても、嫌みのない対応は好感が持てた。

「ちくしょう、帰りに男引っかけよ」

YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』から、小林果菜ちゃん。

三衣 千月さんの『うろな天狗の仮面の秘密』から、天狗仮面。

菊夜さんの『うろラジ!』から、主人公の東野夏香さんのご実家、吉野農場。


以上を名前だけお借りしました。

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