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ワルい奴ら  作者: 弥塚泉
3/21

2/3 アイ

 南うろなの駅前にある喫茶店『嗚呼、海馬』の客層はちょっと変わっている。「知識の蔵でありたい」というこの店の方針から、円形の面積の店の半分はマスターが集めた蔵書の棚で埋まっている。入店した客はまず円の直径に位置するカウンターでコーヒーを注文し、入口から見て手前から半分に七席あるこれまた丸いテーブル席に座って持参した本を読む。またはカウンターの左端を抜けて、お目当ての本を本棚から借りてくる。貸し出しはやっていないが、図書館にはないような本が多いから常連はそれなりにいる。私もたまに蔵書やマスターの知恵を借りに来る常連の一人だが、今日の目的はそれではない。

 先日、ライター没収と天秤に掛けられた条件というのが、らっこの知り合いのある人物が困っているのでそれを解決してほしいというものだったのだ。ライターを人質に取られた私に選択の余地はなく、今日その依頼人と会うことになっている。らっこが好きだと言っていたミステリ小説、『心視探偵・宮本さん』を流し読みしながらコーヒーを二杯空にした頃、目の前に誰かの立ち止まる気配がした。

「あの……あおいいしずかさんですか」

 視線をあげると、そこにいたのはこの店に似つかわしくない女の子で、年齢は五歳くらいだろうか。周りにいるのが難しい顔をしたオッサンばかりということもあって、少し緊張した面持ちだ。

「あん? なんだお前は」

「ら、らっこおねえちゃんにきいてきて……」

 うっ。目が充血して涙が溜まってきている。これだから子どもの相手は苦手なんだ。

「何か困ったことがあるんだろう。まあ兎に角も私の膝に座るといい。急がなければ時間はいくらでもある」

 ぽんと膝をたたいて近くにきた彼女を抱きあげて膝の上に乗せた。少しミルクの甘い匂いがした。

 彼女の話を要約すると、こうだ。名前を小林果菜という彼女には、最近どこに行くにも一緒の友達がいた。名前をパイという、クマのぬいぐるみだ。先日母親と妹とショッピングモールに出かけたときもいつもと同じようにパイを抱いていたのだが、その途中、バーゲンという戦場に向かった母親がしばし彼女たちから離れたときに事件は起こった。離れたと言っても母親の目の届くところにいたから、バーゲンに向かう人の流れもそれなりにある。その中の一人がすれちがいざまにパイを連れ去ってしまったという。母親が帰ってきたのち館内放送をかけてもらったのだが見つからず、事件は終わってしまった。しかしどうしても諦めきれなかった彼女は、偶然高校の行事である職業体験のために保育所を訪れていたらっこにその話をし、そのお鉢が今私の手元まで回ってきた、というのが事の次第だ。

 普段ならば一円も入らないこんな仕事は蹴ったのちに後ろ足で砂をかけて埋めてしまうのだが、ライターを失うリスクは冒せない。

「仕方ないな、気軽にパイを探すとするか」

「あおいいいおねえさん……」

「いが一つ多いぞ」

 まずは問題のショッピングモールに向かった。喫茶店を出て南うろな駅からうろなに向かい、うろな本線に乗り換えて東うろな駅で下車。そうすると目の前がショッピングモールだ。とりあえず現場の売り場にいた店員に聞いてみたが、目撃どころかそんなことが起こっていたことすら知らず、館内放送を行った職員からも有力な情報は得られなかった。

「さて、もうわからなくなったな……」

「えぇ!?」

 手がかりもなければ目撃証言もない。もうめんどくさい。気がかりなのはライターの処遇で、こういうことに対してらっこは厳しいが、なんとでも言いくるめられるだろう。

「ああっ!」

 さて、ついでに依頼されていた買い物を済ませてしまうか。ったく、どいつもこいつも便利屋扱いしやがって……。

「おねえさん、いた!」

「なんだよ、私がいるのは当たり前だろ」

「ちがうの!」

 さっきまでのおとなしい様子とは打って変わって、私のズボンをぐいぐいと引っ張る果菜の方を見た。指を指したその先にいるのは足元まである長い白いコートの女の後姿だけ。長い茶髪は若干距離があるここからでもよく手入れされていることが窺え、周りの人間の中でも特に男の視線を集めているところから彼女が相応の美しさを備えているのがわかる。ただ、その主な要因は恐らく、背中を覆う馬鹿でかいぬいぐるみだ。

「パイってアレか!?」

 五歳の果菜が抱えて歩いてたって言うから三十センチくらいだと思ってたのに、果菜と同じぐらいでかいぞ。ぬいぐるみを背負った女はそのまますたすた歩いていき、ショッピングモールを出ていく。

「おい、そこのあんた」

 後を追いながら繰り返し呼びかけるも、女は無視して駐車場まで来てしまった。そうしてどんどん進んでいき、女のものとおぼしき白い車のそばで立ち止まる。別に変った所のないごく普通の軽自動車だ。

「おい」

 そこで私は肩をつかんで無理やり振り向かせた。近くで見た女はやはり整った顔立ちをしていて、視線を集めていたのはぬいぐるみのせいだけではなかったのだとわかる。愛らしい垂れ目や拗ねたように三日月を描く唇といい、フードの付いたワンピースのデザインを歪めるほどに大きく発達した胸といい、いかにも男に好かれそうな女だ。それはすなわち私の嫌いなタイプということでもある。

「何の目的があってそいつを奪ったのか知らねえが、パイは返してもらうぞ」

 息がかかるくらいの近距離でドスをきかせてやると、なぜか女は視線をちょっと下に向けてから自分の胸を両手で覆った。

「あたしのは天然モノだからあげられないわよ」

「胸の話じゃねえよ!」

 襟首を離して適切な距離で会話を続けることにする。

「パイというのはそのクマの名前だ。元の持ち主が困ってるんだよ」

 こいつだ、と果菜の頭に手を置いて見せる。

「お黙りなさい貧乳」

 しかし女はこちらの話に聞く耳を持たず、視線の質をより冷ややかなものへと、より敵対的なとげとげしい口調へと変わった。

「あたしのダルムを勝手な名前で呼ばないで頂戴」

「ダルムぅ?」

 そもそもぬいぐるみを盗む動機など見当もつかないものだと思っていたが、話の流れがおかしな方向に流れてきた。

「ええそうよ。彼と出会ったのは二週間前のちょうど今くらいの時間だったわ」

 女はそのときのことを思い出しているようで、うっとりと手を組んで語り始めた。

「心ない男に酷い傷を負わされたあたしは虚ろに町をさまよっていて」

 陶酔しきった女の動きに不自然なところは見受けられなかったから、心の傷をさしているのだろう。

「ちょうどあすこで声が聞こえたのよ。『やっと見つけた』って。あたしは最初、彼のことが分からなかったわ。振り返ってもバーゲンに目を血走らせたオバサンばっかり。でも声のする方へ歩くうち、気がついたの。あたしを呼んでいたのは彼だって。彼を見つけるのに時間がかかってしまったけれど、彼は笑って許してくれた。そうして二人、手をつないでうちに帰ったのよ。あたしたちの愛の巣へ」

 話し終えた彼女は笑っていた。さっきまで私に対して向けていた敵意などすっかり忘れてしまったような、本当に幸せそうな表情だ。

「吐き気がする」

「なんですって?」

「私はな。うるさいガキと女々しい男と現実逃避が大好きなチチウシが大嫌いなんだよ。要するに自分の男とうまくいかなかったから都合のいいお花畑に逃げただけだろうが。可哀想なヒロインを演じて、誰も干渉しない家に籠って、口答えしない王子様を作り上げて。そこまではお前の勝手だ。だけどそいつは」

 突きつけた私の人差し指からかばうようにぬいぐるみを背中に隠す。

「いなくなったら困る奴がいるんだよ。王子様は代わりを探しな」

 ゆっくりと近づいていき目の前に立つと女は私を見上げる形になる。それでもなお睨み続ける女の無防備な腹に拳を叩きつける。くず折れる女の背中からぬいぐるみを回収する。

「所詮人間なんてどいつもこいつも醜い奴ばっかなんだから、男なんかどれでも一緒だろうが」

 私の後ろでは泣いているのか、息が苦しいのか、奴の嗚咽が響いていた。

「ああ、クソッ。意外と重いなコレ。おい果菜……」

 振り向くと、果菜はあの女に近づくところだった。

「おいやめとけって」

 コンクリートの上にへたり込んだ女に、果菜は抱きついた。自分から大切なものを奪った女を抱きしめた。

どうも、弥塚泉です。

葵井静というキャラクターを書きたいがためにこのお話を書いたのですが、いざ書いてみると、やっぱり思っていたのと違いますね。

お話の中の彼女とともに連載を重ねて自分自身も成長していきたいです。



YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』から、小林夫妻の長女、小林果菜ちゃん。

アッキさんの『うろな高校駄弁り部』から、ベストセラー作家である大神文豪の作品の一つ『心視こころみ探偵・宮本さん』。


以上をお借りしました。

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