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ワルい奴ら  作者: 弥塚泉
2/21

2/1 京庵にて。

 結論から言えば、目覚めはあまりよろしくなかった。ソファーで寝たから体の節々が痛いし、目覚めの瞬間にカーテンの隙間から刺してきた日差しに眼球を射抜かれたから目も痛い。おまけに昨日摂取しすぎたアルコールが視界を揺らすもんだから頭も痛い。とりあえず一服して落ち着きたいが、胸ポケットにはあるはずのタバコがなく、周りにはただビールやらチューハイの空き缶が散乱するばかりだ。身を起こしてソファーにしがみついたまま捜索範囲を広げてみると、見慣れた白い長方形のケースはなぜかキッチンに置いてあった。まだ足が覚束なかったので壁を伝って歩くが、一歩踏み出すだけで何かがせり上がってくるような気がする。これまでに体験したことのないくらい長い八歩の歩みを乗り越え、キッチンにたどり着いてタバコをくわえてまた周りを見回してみると、ライターはさっきまで寝ていたソファーのそばのテーブルに放り出してある。とりあえず近くにあったゴミ箱にせり上がってくるものを吐き出した。

「ったく、大変な目にあったぜ」

 一度吐いてしまって、一服すると少し頭がすっきりした。シャワーを浴びてグレーのスウェットに着替えた後、手元にある中で一番もこもこしたジャンパーを選んでうちの鍵だけポケットに入れると、意を決して身を切る寒さの外に出る。鋭い冷気に足を急かされていると、徒歩十分のはずが五分で目的地に着いた。白い一軒家が多いこのあたりの住宅街において、いかにも年季の入った木造で暗茶色のその店構えは白いシャツにこぼした染みのように浮いている。にもかかわらず、古さではなく伝統を感じさせる品の良さは流石の一言だ。建築のことはよく知らないが。

「いらっしゃいませ」

 格子硝子の扉を引くと、店の外観の印象よりも少しだけ威勢のいい挨拶が聞こえてくる。この店で唯一の高校生のアルバイトだ。制服は店の雰囲気を崩さないためか、作務衣に近いデザインでその上にフリルのついた白いエプロンをつけている。

「お好きなところへどうぞ」

 テーブルの端に立ててあるメニューを取って眺めていると、ぱたぱたと足音をさせながらお茶を持ってくる。

「ご注文がお決まりになりましたらお呼びくださいませ」

「きな粉みたらし団子とこしあんのぜんざい。あとメロン大福」

「あの、前からお聞きしようと思っていたんですけど、どうしてメニューに無いものばかりご注文なさるんですか?」

「時間をくれたら何でも作る、なんて言って実際に作りやがるからだ」

 そう言ってやると彼女はちょっと眉をひそめてから注文を伝えに行った。いくつかやりとりがあって、彼女はまたこちらに戻ってくる。

「どうぞ。こしあんのぜんざいです。葵井さんは相変わらず変わってますね」

「らっこ。私は客だぞ。お客様は神様だ」

 ツインテールが印象的な彼女は長ったらしい格式張った名前をしているため、私と店主は名前の最後をとって「らっこ」と呼んでいる。

「『お客様は神様だ、なんていう客はたいてい疫病神』、ですよ」

「なんだそりゃ。ひねくれたことを言う奴がいるもんだな」

「葵井さんが教えてくれたんです」

 自業自得だった。これ以上追及したら墓穴を掘りそうな気がするし、おとなしくぜんざいを食べよう。メニューを戻して、割り箸を割る。

「最近、店の景気はどうだ? 相変わらずこの時間は私しか客がいないようだが」

「変わりませんよ。新しいお客様はみなさん、お知りあいから聞いて来てくださるみたいで、まるで祇園の一見さんお断りみたいです」

「知らない奴には見えない結界でもあるんじゃないの」

 この店、『京庵みやこあん』は北うろなの住宅街にある普通の和菓子屋だが立地に問題があり、駅から十五分と謳いながらどう頑張っても三十分はかかり、客商売のくせに場所を知らない人には一口で説明できないような辺鄙なところときている。そんなだからいつ店に来ても、席が埋まっているということはない。入口からつながる中央は通路として間隔があり、正方形の四隅に四人掛けのテーブル席という配置の店内だが、たいてい自分の他の客は一組か二組。土曜の朝十時から十二時の間は私以外の客を見たことがない。

「きな粉みたらし団子とメロン大福です。ご注文は以上でよろしいですか」

「サンキュー」

 ただ困らせてやろうと無理難題をふっかけただけなので、まさか本当に出てくるとは思わなかった。きな粉みたらし団子はともかく、メロン大福は外見から判断するにイチゴ大福のイチゴの代わりにメロンが入っているのだろう。ご丁寧に大福も薄い緑色をしていて、口を近づけると少しメロンの甘い香りがした。口に放り込んで咀嚼し、飲み込むと思わずため息が出た。

「おいしくなかったですか?」

「いや。いつも通りおいしかった」

「その割に残念そうな反応でしたけど」

 悔しい。一か月前にメニューを伝えておいたとはいえ、絶対無理だと思ってたのに。

「じゃあ勘定頼むわ」

「はい。ちょっと待ってくださいね」

 らっこがレジで計算するうちにジャンパーのポケットを探り、違和感に気がつく。いつも財布を入れているはずの右ポケットには何もない。左のポケットの虚しい感触に触れたとき、思わずあっと声が出た。

「どうしたんですか。変な声を出して」

 そんなことをしている間にらっこが計算を終えて領収書片手に戻ってきていた。

「その……財布、忘れちった」

 あはは、と半笑いで言ってみたが、そんなことでごまかされてくれるわけもない。さらに悪いことに、次回での支払を頼もうにも私は既に二回ほどツケを溜めている。

「いいですよ」

「え?」

 耳を疑った。今、確かにらっこはいいですよと言った。でも三回目だぞ。

「でも、今度ツケを認めるときにはこうしろ、と一つ条件をつけられてるんです」

「なんだ? 私とらっこの仲だ、なんでもしようじゃないか」

 嬉しくなって私は自分の失言にも気がつかなかった。「何でもする」なんて、簡単に口にしてはいけないのに。らっこはにこにこして、手を差し出した。

「じゃあ、担保として葵井さんのライターを預からせていただきます」

「…………え?」

 一日に一箱は消費するヘビースモーカーにとって、その発言は自分の片腕をもがれるより辛いものだ。

弥塚泉の『ばかばっかり!』から、『京庵』、「らっこ」こと霞橋神楽子を持ってきました。

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