2/27 バッド・ジョーク
日付が変わって午前二時半。私は予定通り取引を行うため、南うろなの工場の敷地内にいた。敷地を囲む道路から差し込む街灯の光が数少ない光源だ。
三本目の煙草を半分ほど吸い終わったころ、闇が人型をとったようなシルエットが浮き出るように現れた。
「昨日は君のことを相変わらずだと評したが、やはりこの町に来て変わったようだ。集合時間は三時間前の時刻を伝えろと言われていた君が約束の時間の三十分前に来るとは、実際にこの目で見なければカレンダーを確認しただろうよ」
私のジャケットよりもさらに黒いスーツで身を包んだ男。その名は『黒』としか知られていない陰気くさい人間だ。
「しかし、先ほどの電話では写真の人間を見つけたから連れてきてもらえるという話ではなかったかな。彼の姿が見えないようだが」
「その話をする前に、何か私に言うことがあるんじゃないか?」
「……何の話かな」
「お前がこの町でやろうとしていることだよ。奴を見つけた私が知らないとは、まさか思っていないだろうな」
「私に何をしろと?」
「難しいことは言わない。一口噛ませてくれればいいんだ。この町は誰にも手が付けられていない、選り取り見取りだろう。強いて言うなら面倒な連中を引っ張ってくる『巫女』とかいうのが煩わしいが、関わらなければこちらには関係のないことだ」
「それで私にどんなメリットがある。君が男を引き渡さないとしても、他にいくらでも手はある」
「交渉決裂、か」
「残念ながら」
黒が踵を返した瞬間、右手を上げた。
「最初からこうしていれば良かったよ」
それは映画で見るような、突撃の合図だ。深閑とした周囲を足音が埋め尽くしていく。二人三人ではない、全部で十四人だ。そしてその全員がサングラスをして、黒いスーツを着ているという、傍から見ればずいぶん滑稽な光景が広がった。
「これはどういうことかな」
「ご覧の通りだよ。交渉が決裂した以上、私の一番の利はお前と手を切ることだ」
黒はざっと周囲の人間を眺めて、カバンを持ち直した。
「私を裏切るというのがどういうことか、本当に分かっているのか。この場は確かに私に打つ手がないが、いずれ」
「随分と呑気なことを言うんだな」
「何?」
「なあ、不思議なんだが、どうしてお前が戻ってこれる前提なんだ? 随分と素敵な勘違いをしているようだが、そいつらは警察じゃないんだぞ。私たちと同じ類の人間だと言えばわかるかな」
「金はどうする。私がいなければ金は手に入らない」
「私の心配をしてくれるのは嬉しいが、金ならそいつらからもらった。お前を何に使うのか知らないが、知りたくもないが、相当嬉しかったようだな。人間を一人つけると言ったら気前よくお前からの報酬を倍にして前払いしてくれたよ」
「……しかし、君は本当にこの私を罠にかけられると思ったのかな」
「何?」
「この世界で一匹狼なんて気取れば十七日で死亡するのに。私が今日まで生きていることを見ればわかると思うが、私は何をするにも用意周到な人間なんだ。学生の頃は毎日の予習復習に加えてテストの二週間前には教師ごとの出題傾向を分析して学習を進めたし、デートの際には下調べはもちろん一週間前に一人で下見に行って会話のシミュレーションを最低十パターンは行う」
「お前の気持ち悪さは十分分かったよ。結局何が言いたいんだ?」
「これが何か分かるかな」
そう言って手を懐にやる。
「待て。おい」
そばにいた男に取り出そうとしていたものを取りにいかせる。それは写真だった。
「小林果菜といったな」
「こいつがどうした」
「私は別に。ただ、君は困るんじゃないか。そう、例えばこの南うろなのどこかで爆発が起こったら?」
「ハッタリだ」
「それを決めるのは私ではないな。私を逃がすことと、万が一の確率で彼女が死亡するリスク。どちらが君にとって重いのかだよ」
「っち。そいつを離せ」
黒服たちは渋っていたが、一週間後に適当な人間を一人送ると言ったら大人しく闇に消えていった。面倒だから、縁を送っておけば勝手に潰しといてくれるだろう。運悪く死んでも、それはそれでいいや。
カバンの中から取り出したリモコンが私の手に握られても、黒はそれを離さなかった。
「おいお前……」
「最後に一つ、聞かせてくれないか」
黒にしては珍しい、それは私という他人に興味を抱いた言葉だった。
「今回お前が私を裏切ったのは、何故なんだ? 私はお前の機嫌を損ねるようなことをしていないし、私の仕事を黙認したとしてお前に得は有れど、損することはなかった筈だ」
そもそも、こいつは前提からして間違っている。
「私は犬よりも、猫の方が好きなんだ」
YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』から、小林果菜ちゃんをお借りしました。




