2/24 悪人たちのセンチメンタル
記録的な大雪も昨夜のうちに去り、今朝は気持ちの良い朝日が窓から差し込んできていた。窓から差し込む朝日で目を覚ますなんていう健康的な目覚めは何日振りだろうか。雪が降っていたのが七日ほどだから、一週間以上は前ということになる。せっかく温かくなるのだから、こういう日は家に引きこもっているに限る。先日のような室内にまで浸食してくるような寒気にはなすすべがないが、雪が降らない程度なら布団をかぶっていれば快適な環境が保たれる。
が、そんな私の一日の予定を朝っぱらからぶち壊す音が聞こえてきてしまった。早朝という時間帯を考慮してか、インターホンを鳴らすのではなくドアがノックされている。第一候補としては大家さんが二か月も家賃を滞納している私にしびれを切らして殴り込んできた、ということだが大家さんはそのあたり慣れっこになっているから、こんな朝早くに乗り込んできたりしない。それにノックなんて穏やかな方法でなく、最初っから合鍵を使って乗り込んでくる。となると、考えられるのは隣のシスターコンプレックスだが、あいつにしても借りが溜まっているので見たい顔ではない。
「ふん、馬鹿め。ここにいる限りは私の安全は保障されている。どうしても入りたいのならば、力づくで入ってくるんだな。あっはっはっは」
「なんや、やっぱりおるやんけ。おら、ちゃっちゃと起きんかい」
「おっ、お前、どうやって入ってきた!? うわ、寒い寒い寒い!」
布団を引き剥がされて、私の灰色のスウェット姿がきんと冷えた外気に晒される。その前には茶髪の男が仁王立ちしていた。
「どうやって入ってきたて。普通にピッキングで」
悪びれる様子もなく、指にかかった細い金属の束をくるくる回しながらそんなことを言う。
「犯罪だろ!」
「どの口がそんなこと言うねん。この口か?」
「いひゃいいひゃい、くひをひっはるな!」
この香我見遥真は私の隣の部屋に住んでいて、町役場に勤めている男だ。企画課なんていう存在意義の怪しい課に属しているものの、相棒の馬鹿と一緒に肝試しや合コンなどを企画して実績は残しているようで、近頃はまた何やら新しいことを思いついたと言って東奔西走している。
「で、私に何か用か」
私の許可もなく勝手にローテーブルの対面に座りこんできたので、仕方なく話を聞いてやることにする。
「頼みたいことがあんねん。こないだ、山釣りに行ったんやけどな」
「山釣りってなんだよ。松茸でも釣るのか」
「そんなわけないやろ。山に流れてる川なんかで釣るんや」
「なら最初から川釣りと言え」
「ほんで、その時に見たモンの話や。うろな裾野のふっるい家にだれか住んでるみたいやねん」
「それがどうした」
どうやら話が長くなりそうなので、爪を切っている。私に爪をだらしなく伸ばす趣味はないし、日が出ている間しか爪を切らないので、こういう暇な時に切ることにしているのだ。
「こっからは俺の仕事に関わってくるんやけど、その家はちゃんと持ち主がおって今月の末には取り壊しも決まってんねん。やから、そこに人がおったら困る」
「それで?」
「今からそこに行ってきて、誰かおるか確かめてきてほしい。ほんで、誰かおったらそっから退くように言ってほしいんや」
「なんで私がそんなくだらない依頼をしてやらなきゃいけないんだよ。こないだの不良の依頼の方がまだ依頼の体裁をしていたぞ」
「お前、俺がスタンガンやったん忘れたんか。お前がどうしても、ゆうからちょっと中身いじって出力上げたったんやろ」
「だ、だってそういうのがあった方がそれっぽいだろ。というか、私は百万ボルトのが欲しかったのに、お前ときたらリミッターをつけたうえにたった十万ボルトしか出せないじゃないか」
「そんなもん、渚か大和の兄ちゃんやないとできひんわ。それにそれだけちゃうやろ。情報はお互いに釣り合うようにしてるけど、俺はお前に五万貸したままやんけ。その五万チャラにしたるから五万分は働いてもらうで」
何らかの理由で依頼を受けざるを得ない状況になることはこれが初めてではない。今月は厄月とでも割り切るしかないようだ。この分だと、あと一回ぐらいはこんなことがありそうな雰囲気だしな。
出勤の準備をするという香我見を帰した後、着替えを済ませて家を出た。このアパートの最寄り駅である南うろな駅からうろな裾野駅までは乗り換えを含めて四駅もある。うろな裾野に着いた頃には太陽がすっかり昇っていた。
うろな裾野というのはその名の通り、うろな町の西に位置する山の裾野で、山に近づくにつれて建物も少なくなっていき、この辺りはずいぶん寂しい景色になっている。そのおかげで山から下りてくる風が強く、冬に訪れるには厳しい地域だ。さっぱりした風景なので、香我見が言っていた問題の家はすぐに見つかった。日本昔話に出てきそうな日本家屋で、そんなに大きくはない、ちょっと品のある小屋といった感じだ。近づいてみると、香我見の言う通り人の気配が感じられた。パッと見には自然と変わらないように見えるが、踏まれて折れた草や歩くのに苦にならない雑草の高さなど、ところどころに人の手が入っている。硝子格子の戸を叩いてみても返事がないので、引いてみると開いていた。電気もついておらず、薄暗い室内がこの世ならぬ雰囲気を醸し出していた。玄関を入ってすぐに見えた部屋は畳が敷かれている和室のようなところだ。
「まさか死んでるんじゃないだろうな……」
「勝手に入ってきて、失礼なガキだ」
冗談半分の呟きに、奥の暗がりからしわがれた声が返ってきた。まだ目が慣れないが、そこには誰かが座っているようで、声から判断するにそこにいるのは老人らしい。
「突然の訪問、申し訳ない。私は町役場の人間からこの家の調査を依頼された葵井静という者だ。つかぬ事を聞くが、お前はここにずっと住んでいるのか」
「俺の勝手だろ」
「ところがそうもいかない。この家は無人というわけでなく、立派な所有物なんだ。露見しなければ犯罪にはならないが、こうして私が見つけてしまった以上は今すぐここを出て行ってもらわなければ犯罪者になってしまう」
「お前がそうやって俺を言葉巧みに追い出して、この家を騙し取ろうとしている詐欺師じゃないという証明はあるか」
「それは……」
そのようなものは持ってきていない。こんなことになるなら、登記簿の写しでも持ってくればよかった。
「それが無いなら、この家を離れるわけにはいかねえな」
第一の目標は果たせなくなってしまったが、それは明日改めて登記簿を持ってくれば済む話だ。
「なら、お前がここにいる理由を聞かせてくれないか。それくらいなら構わないだろう?」
しかし、暗がりからの声はそこで途切れた。話しているうちに目も慣れてきて、老人のいるあたりの様子のぼんやりとした輪郭が掴めてきた。老人はあぐらを掻いていて、その前には白い紙が広げられていた。
いや、あれは半紙だ。そうと思ってみればその横に硯と思しき黒い塊があるし、文鎮の放つ鈍い銀色の光を捉えることができた。
「おい、まさか寝たんじゃないだろうな」
「お前はいつになったら帰るのかと思っていただけだ。お前の質問に俺が答える必要はないし、その義理もない。とっとと帰れ」
「ところが、はいそうですかと帰るわけにもいかない。子供の使いで来てるんじゃないんだ」
「だったら好きなだけそこにいればいい」
「ほう。ではお言葉に甘えてそうさせてもらおうか」
ざらざらとした埃の感触を軽く足で払ってから、私もその場にあぐらを掻いた。老人は最初こそ物珍しそうな視線をこちらに向けてきていたが、しばらくすると目の前の半紙に目を落とした。
「家族はいないのか。こんなところにいて連絡なんてしているとは思わないが、場所を知っていたとしても心配されるだろう」
「俺みたいな死にぞこないなんざ、どこぞで野垂れ死んで、死んだ知らせさえ入りゃ満足だろうよ」
「嫁もか」
老人の呼吸が一瞬止まった。
「もう死んだ」
一言だけぶっきらぼうな言葉が返ってきた。
「……そうか」
もうしばらくは掃除されていないようなここは空気が悪い。今日は一旦帰ることにした。
「じゃあな。また明日、今度はちゃんと登記簿を持ってくるから」
当然、見送りの言葉はなかった。
再び電車に揺られて南うろな駅から出ると、ちょうど見知った顔が通りがかるところに出くわした。
「よう、果菜。何してるんだ」
小林果菜は五才の少女で、ちょっとしたきっかけから親交がある。いつも私を見つけると元気いっぱいな笑顔で走ってきてくれるのだが、今日は声をかけた途端背を向けて逃げ出した。
「おい、どうしたんだ」
走ったといっても五歳児の体力だから、追いついて捕まえることは容易だ。
「何か怒ってるのか?」
「なんでもない」
「じゃあなんで逃げるんだよ」
「なんでもない!」
じたばた暴れる果菜だが、何か不自然だ。ん、そういえば。
「こないだの髪留めじゃないんだな」
先日、果菜のおかげで探していた人物を見つけられたということがあった。そのときに約束していた通り、その翌日に一緒に駄菓子屋に行ったときに私は果菜にちょっとしたプレゼントをしたのだ。私が以前使っていたものだが、空色のリボンがついた髪ゴムだった。果菜はここのところずっとそれを使ってくれていたので、今日は違うんだなと思ってそう言っただけだったのだが、思いもよらぬ反応が返ってきた。
「うう……、ひっ、ぐすっ……ごめ、ひっ……」
「なんで泣く!? ああ、いや、そういうことか」
危なっかしく周りをきょろきょろ見まわしながら走っていた姿を考えれば、予想はできる。
「失くしてしまったのか?」
髪を撫でながら聞くと、目からぼろぼろと流れる涙をこぼしながら頷いた。
「まったく、ばかだなあ。あんなものはまた買えばいいのに」
「ちが……ひっく、しずかちゃ、んとひっ、いっしょに……うう」
「分かった分かった。とにかく落ち着け。私はここにいるからな」
こんなガラの悪い恰好で果菜を泣かしていると誘拐未遂で警察にしょっぴかれかねないので、端にあるベンチまで運んで行った。そのあとはしばらく膝の上で抱いて、通行人を眺めていると泣き止んだ。ぼんやりしているうちに空はもう赤紫に染まっている。
「寒いな。もう帰ろう」
「や。あったかいもん」
YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』から、小林果菜ちゃん。
小藍さんの『キラキラを探して〜うろな町散歩〜』から、青空渚ちゃんのお名前だけ。
綺羅ケンイチさんの『ユーザーネームを入力して下さい。』から、大和巧さんお名前だけ。
以上の方々をお借りしました。




