2/22 悪人たちの邂逅
朝起きると見慣れない部屋にいるというのは、私にとって日常茶飯事なことだ。前夜の記憶が無くなるくらい飲むというのはさほど珍しくないし、よく見てみるとたいがいは見知ったホテルの一室だったりする。しかし今朝目覚めたこの部屋はどうにも見覚えがない。清潔感のある白と落ちついた焦茶色のコントラストのシンプルなデザインで、こざっぱりとした感じの部屋だ。ベッドの左手に大きく空いた窓の外を見ても分からない。昨日のままの灰色のスウェットのまま、ベッドから這い出るとちょうどドアが開いた。そこから現れたのは幸か不幸か見覚えのある顔だった。
「なんだ、起きてたの。久しぶりぃ、青」
「お前……紅。なんでこんなところにいるんだ」
もちろん紅というのは本名ではなく、私がこいつに青と呼ばれるように私たちの間でのあだ名だ。爛漫な笑顔を振りまく様子は小柄な体型も相まって実際の年齢より幼く見える。
「あっ、とその前に。この町にはもう紅って名前の人間がいるでしょ。それだから、紛らわしいのもなんだし私のことは夕陽とでも呼んでよ」
紅、改め夕陽はベッドの端にちょこんと腰かけた。こいつは自己顕示欲が人一倍強い人間で、その他大勢に紛れることを激しく嫌う。私の知っている紅はその名の通り、目に痛いほど鮮やかな真紅のコートと同色のブーツを欠かさず身に着けていたのだが、今の格好は普通のメイド服姿だ。この町にはうろな高校に真っ赤な服を好む教師がいるから、それと被ることを避けたのだろう。もっとも、両の爪は真っ赤に塗られているし、赤いカラーコンタクトまで入れていて相変わらず人目を引く容姿であることに変わりはないが。
「それで、私がこんなところに拉致されている理由を聞かせてくれるか」
「そのことなんだけど……青に頼みたいことがあるんだ」
ぴょんとベッドから勢いをつけて飛び降りると、クローゼットを開けた。
「とりあえず着替えてよ。本人の口から聞いてもらった方が話が早いし」
この娘に細かい理屈は通じない。ため息を一つついて、なぜか運ばれていた私のシャツに袖を通すことにした。
着替え終わってリビングに案内されると、先客の対面の席を勧められた。脂っこく撫でつけられた髪やきっちり着こなした上品そうなスーツはよく合っているが、その人物の体型だけが驚くほど不釣り合いだった。椅子から尻の肉がはみ出しているといえばこのアンバランスさが現せるだろうか。テーブルの上に手の置き場もないほど乗せられたサンドイッチを次々に頬張っている。
「あー……私の勘違いであれば申し訳ないのだが。もしかして夕陽がメイドとして出張に向かった家というのは君の家で、私は今回君の身に起こった困ったことを解決するために夕陽に呼ばれたという認識でいいのかな」
「察しが良くて助かる」
男はそこでやっとサンドイッチから手を離し、こちらに顔を向けた。なかなか端正な顔立ちだが、惜しむらくはやはり輪郭が太いことだ。
「ボクは桜城斎という。単刀直入に言わせてもらうが、ボクが困っていることというのはこの食欲だ。このうろな町には療養に来たのだが、それと前後して自分の食欲が日に日に大きくなっていくのを感じていた。病気がほとんど治ったのはいいけれど、近頃は常に何かを食べていないと落ちつかなくて、ご覧の通りの有様さ」
両手を広げて体をアピールしてみせる。その動きに椅子が軋む音が聞こえた気がした。
「デブはみんな忍耐が足りないものだ」
「坊ちゃんはここに来る前まではスマートだったんだよ。病気になってからは食欲がなくなってむしろ痩せすぎてたくらいなんだ」
「じゃあそれだ。病気の時の反動が来て、体が栄養を欲しているんだ」
しかし夕陽は私の言葉に指を振って答えた。
「主治医の先生はそんなこと言ってなかったよ。未知の病気ってわけじゃなかったから、もしその病気にそんな症状があれば、事前にちゃんと言ってくれてたはずだよ」
「ボクが君に頼みたいのは、なぜボクがこのような体質になってしまったのかということだ」
「ちょっと待て。そんなこと分かるわけがないだろ。私は探偵の真似事をしているだけの普通の人間だぞ」
「それで構わない。今日一日ボクの行動を見て、何かおかしいところがあれば言ってほしい。生活習慣が悪いのか、姿勢や些細な癖が悪いのか、君の視点で見てボクの問題点を見つけてほしい」
「青はそういうの、得意じゃん?」
率直に言って、私はあまり乗り気ではない。この二月は不本意ながらせっせと働いたおかげで金銭的に困窮しているわけではないから、こんなややこしそうな依頼はパスしてもいいのだ。しかし、
「分かった。ただ、具体的な成果は期待するなよ。あくまで私はお前たちについていくだけと思っていてくれ」
結局は首を縦に振ることになった。今月に入ってから、私は選択の自由を手にしていながら実際は選択肢が一つしかないという状況に立たされることが多かったが、今回も例にもれずそのパターンだ。
「ん、私の顔に何かついてる?」
「……いや」
「そう? あ、坊ちゃん、いつものお薬です」
桜城の一日の過ごし方を聞くと、療養で来ているということもあって基本的に好きなように過ごしているとのことだった。ただ、家の中にいると気分が暗くなってきてしまうので、町を歩いているらしい。
「もうこの町はかなり見て回ったからね。この間なんかは山ほど食べ物を詰めたリュックサックを背負って西の山にも行ったよ」
今日はショッピングモールでウインドウショッピングをするということで、その傍ら今までの話を聞いていた。そこかしこの店に入っては何かを食べる桜城のおかげで、ショッピングモールを見て回るだけでもう日が沈むところだった。
「あ、悪いけど少し寄り道をさせてくれ」
「まだどこかに行くのか」
「散策ではなくて、ほら、今朝も飲んでいた薬を買いに行くんだ。なんでもその薬は有効期限がとても短いらしくて、二三日おきに毎回もらいに行かなければいけないんだ」
桜城が通っているという薬局は私も利用したことがある『カナメ薬局』だった。ショッピングモールからは少し離れるが、少々遠くても行きやすい地下鉄の中央公園駅の近くにある。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、電子音のメロディと店員の若くて元気な声が私たちを出迎えた。レジにいるのは細面に眼鏡をかけた、内気そうな青年だ。
「ああ、桜城さん。いつものお薬ですね」
「今日も頼むよ」
分かりました、と人のよさそうな笑顔を見せて、奥へと姿を消す。
「あの店員、客の名前を覚えているのか」
「ボクは頻繁に来るから覚えやすいと思うけど、彼は他にも結構な人数のお客さんの顔を覚えているみたいだ。熱心で気持ちのいい若者だよ」
その後、無事に薬を買い、私も一応桜城の家まで行くことになった。
「それで、何か気付いたことはあったかな」
リビングで再び向かい合った私に、桜城は若干期待のこもった声で聞いてきた。
「それなんだが、どうやら理由が分かったようだ。解決策を考えてくるから、結論は明日まで待ってくれないか」
いったい桜城の何が問題だったのかは、明白なことだ。




