2/18 悪人たちの災難
昨日から降りだした雪は一夜明けた今朝も降りやむことなく、むしろ勢いを増して大雪となっていた。通学通勤ラッシュの過ぎた午前九時過ぎ、うろな町のいつもの活気は雪風の音にかき消されるように衰えてしまったようだ。コートを着ていても滲みてくる寒さを感じるこんな悪天候の下、『嗚呼、海馬』の温かいコーヒーを飲まずに私は町をふらふらとさまよっている。先日、取引をした組織の奴が重要な鍵を落としたと言ってきたのだ。柄の部分にはルビーを模した赤い石がはめ込んであり、その周りには炎を思わせる装飾が施されている金色の鍵らしい。散々探したというのに見つからないまま時間は過ぎ、長靴など持っていなかった私は一足しか持っていない靴をぐしょぐしょにする羽目になってしまった。おまけに靴がそんな状態だから、足の部分において吹きすさぶ雪はもはや肌よりも痛覚に訴えてきている。このままではもう十分としないうちに、左の小指とさよならグッバイしてしまう。
「あっ、見つけたぞ」
「あん?」
雪が真っ白に染めた町にぽつんと浮いた染みのような『嗚呼、海馬』の外観が見えたところで、後ろから声が聞こえた気がした。果たしてその声は聞き間違いでなく、間をおかずに私の前を二人のガキが立ち塞がった。どちらもうろな中学の制服を着ているが、わかりやすく着崩している。おまけに髪の毛は金髪と茶色で、区別がつけやすい。このうろな町というところは割合に穏やかな土地で、最近は天狗仮面も見回りをしているとはいえ、どこにでも不良という奴はいる。
「そこをどけ、クソガキ。強がっているから傍目には分からないかもしれないが、私は今かなりの生命の危機に晒されている」
「おちょくってんのかお前」
下手に出たのが裏目に出て、彼らを逆上させる結果となってしまった。白昼堂々、生意気にナイフなんて構えやがって、銃刀法違反だぞ。たぶん。
こんなところで悠長にしていると本当に凍傷になってしまうかも知れない。さほど躊躇うこともなくスタンガンのある内ポケットを探っていたが、続いた彼らの言葉に手を止めた。
「殺されそうになってんのはこっちだろうが」
言われてよく見れば、金髪のガキはナイフを持つ手が震えている。それは寒さからかもしれないが、茶髪の方は視線がどうにも定まらない。話が見えないが、こいつらは私のことを殺人鬼かなにかだと思っているのか。ええい、面倒くさい。
「お前たちの思うところは分かった。しかし今ここには人気がない。そんなところで話していて私にハムにされても面白くないだろう。ここはひとまず人がいる安全なところ、そうだな、例えばそこの喫茶店に入ってコーヒーでも飲みながら話をしようじゃないか」
『嗚呼、海馬』のマスターは気が利かないが、頼めば本以外ならおおよそなんでも貸してくれる。不良二人は席に行かせ、カウンターでコーヒーを頼むついでにタオルと洗濯バサミを借りた。空調のよく効いた温かい室内とはいえ、濡れた靴を履いたままではいつまでも足の感覚が戻らない。足を拭ったり、靴下を椅子に吊るしたりしていると、マスターがコーヒーを持ってくる頃には、話をする準備が整っていた。
「さて、待たせて悪かったな」
不良二人は見慣れない場所に連れてこられたうえ、最初の勢いをくじかれてしまったせいで借りてきた猫のようにおとなしくなってしまっていた。
「まずはなぜ私を襲おうとしたのか、聞かせてもらおうか」
お互いの顔を少し見合わせると、金髪の方が話し出した。
「あんた、俺たちを襲ってる奴じゃねえのかよ」
「質問をしているのは私だ。それにその質問に答えようにも、私はお前たちが襲われているということを知らないから答えようがない」
自分の思うように話が進まないことがもどかしいのか、金髪は頭をがりがりと掻いてから、再び話し出した。
「最近、不良が襲われてんだよ」
やはり知らない話だ。肩をすくめて続きを促し、煙草を取り出した。
「俺も詳しくは知らねえよ。ハナシで聞いただけだから、昨日まで喧嘩に負けた奴らの負け惜しみだって思ってた。けどコースケが」
ちらりと隣の茶髪を見やる。
「昨日の夜、黒い服着た奴に殴られてる奴を見たって。今日確認したらマジでやられてたし、俺らでやられる前にやろうって、今日はずっとそいつを探してたんだ」
「それでさっきのところに話が繋がるということか。まったく、迷惑な話だ。黒い服を着ているというだけで殺されたのでは死んでも死にきれない。しかし、不良が狙われてるというなら、犯人は先公屋じゃないのか。ちょうどこの町には、おあつらえ向きにやたら熱血で、剣道が鬼のように強い奴がいるだろう」
「ああ、鬼小梅とマゾ清水」
鬼小梅とマゾ清水というのはうろな中学の教師のあだ名だ。鬼小梅の方は梅原司、マゾ清水は清水渉といって、どちらも剣道の腕は覚えがあり、熊と戦っても死ななそうなくらい強い。それに、これは二人に限ったことではないが一般にイメージされる教師像より生徒思いである。この二人であれば不良どもに鉄拳制裁を加えることは可能だ。ちなみに二人は結婚したのだが、あだ名の方はまだそのまま呼ぶ生徒もいるらしい。
「違う。梅の方に決まってるだろ。水の方なら半殺しでは済まなさそうだ」
「は? マゾ清水なんて鬼小梅にしばかれまくってるだけの雑魚じゃん」
去年の十月に結婚に関して問題が持ち上がり、清水と梅原の父が決闘したことがあった。こいつらはそのときの様子を知らないようだが、あのときの清水の戦いぶりはすさまじかった。誤解を恐れずに言えば、とても人間とは思えなかった。
「まあそれはいい。お前たちのいう襲撃事件は教師の仕業じゃないか、ということだよ」
「それが一番ありそうだけど、今さらこんなことするなんておかしいだろ。今までほったらかしにしてたのに」
「腹に据え兼ねたんだろうな。お前たちのあまりのダメっぷりに。まあ、私の潔白は証明されたわけだし、あとは好きなようにするといい。ああ、学校のガラスなんか割ったらしっかり請求されるから、壊すなら後腐れのないものにしておけよ」
靴下はまだ乾いていないようだが、足は温まった。あとは長靴でも借りれば家に帰れるだろう。
私はもうすっかり家に帰る算段を立てていたが、ここにきて今まで黙っていた茶髪の方、コースケが声をあげた。
「ちょっと待った。あんた、探偵かなんかなんだろ。犯人を見つけて捕まえてくれよ」
「勘違いされることが多いが、私は探偵ではない。それに慈善事業をしているわけでもない。頼まれれば依頼として引き受けないこともないが、金がなければお話にならない」
もちろん私は諦めさせようとして言ったのだが、コースケはそれを聞くと目を輝かせてポケットから取り出したものを差し出してきた。
「オレ、金なんて持ってねえけど、コレ。もしかしたら価値があるモンかも知れない」
それは見たことはないが、聞いたことのあるような鍵の形をしていた。柄の部分にはルビーを模した赤い石がはめ込んであり、その周りには炎を思わせる装飾が施されている金色の鍵だ。
「……今回はコレで勘弁しよう。この町にそんな危険人物がうろついているとなれば、私も他人ごとではないしな」
こうして私は黙って鍵を受け取り、声しか知らない組織の人間を呪いながら、タダ同然の依頼を受けたのだった。
一旦家に帰り、シャワーを浴びたり、一服したり、帰り道で買った新しい長靴を箱から出したりしているうちに諦めがついた。兎にも角にも聞き込みが必要だ。この大雪では通行人が少ないので、店の人間に聞くしかない。店が密集しているところといえば、ショッピングモールと商店街だが、ショッピングモールのようなところに不良は近寄らないし、やはり地元の情報が集まりにくい。ということで商店街の方にやってきた。
「さて、どこから聞いたものか。あそこでいいか」
布団などの寝具からクッション、座布団も置いている『羽布屋』の店主は蒙碌したじいさんだから、情報を持っている可能性は低いが、この際、質より量だ。
「じいさん、起きてるか」
「んん。葵の嬢ちゃんかあ」
毛玉のくっついた茶色いセーターを着たしわくちゃのじいさんはいつも奥の座敷にいて、呼ばれたときにこうやって出てくる。じいさんの顔が私の腰辺りにくるほど背骨がひん曲がっていて、耳も遠いし、いつ死んでもおかしくないミイラみたいなじいさんだ。その割に年寄り特有の臭さはなく、妙に小奇麗なところに何か変なこだわりを感じる。
「じいさん、最近夜出歩いたか」
「あんだってえ?」
案の定、聞き返された。このじいさんは聞き返すときにわざわざ耳に手をあてるから、胡散臭く見える。
「最近夜出歩いたかっつってんだよ」
「寝とるわあ」
うろなの山と海に立って話しているみたいに、お互い叫びあいになる。今日は雪だからまだマシだが、これを他の客の前でするのは少し恥ずかしいものだ。
「ちっ、相変わらず使えないじいさんだな。もう帰る」
「葵の嬢ちゃんも相変わらず狂ったセンスの服だなあ」
「ジジイ、やっぱ聞こえんてんだろ」
埒が明かないので、さっさと次に行く。去年の八月に開店した古本屋『夢幻』だが、何度か足を運んで店主とも顔なじみだ。
「邪魔するぞ」
「邪魔するなら帰ってください」
「はいよ……ってなんでだよ。こういうノリは企画課のアホとバカにやれ」
奥でくすくすと笑う老人がこの店の店主である皇悠夜だ。羽布のじいさんとは違って、どこか品のある老翁といった雰囲気で、それでありながら茶目っけもある、よく分からないじいさんというのが私の印象だ。
「また、何か調べものですか」
「今日は古本屋に聞きたいことがあって来たんだ。古本屋、あんた最近夜に出歩くか」
「そうですね。月の綺麗な晩なんかは、たまに」
「そのときに、誰か怪しい人間を見なかったか」
皇は探偵業を営んでいる私のことを知っているので、この質問で私がまた何かの依頼で動いていることを察したらしかった。しかし答えは芳しくなく、
「いえ、特にそのような人影は見ていませんね」
という返事が返ってきた。
「そうか。ありがとう。邪魔したな」
やはり襲われたのが夜ということもあって、なかなか目撃証言を得られない。こうなれば、地道に聞き込みを続けるよりも手っ取り早い方法がある。
「それで、オレのとこに来たのかよ」
不満そうな顔をしているのは不良の金髪の方だ。不良が襲われるのは夜。それも深夜だと思われる。あるかどうかも分からない目撃証言を探すよりは、こうして誰かにヤマを張って現場を押さえる方がまだしも確率が高い。
「私はお前にも気付かれないように尾行するからな。過剰に意識することはないだろうが、お前は普段通りにふるまっていればいい」
「心配しなくても、ここいらに不良はもうほとんどいねえよ」
「ほう」
この町の不良はこいつだけではない。一週間くらいは覚悟していた私は、若干拍子抜けした。
「ハナシが全部本当だとしたらもう三人はやられてるからな。みんな怖気づいちまって、夜になったらカラオケとかに行ってる」
夜のうろな町から不良が消えた今のこの状況は、まさに犯人の思うつぼなのかも知れなかった。
それから時間が過ぎることしばらく、時刻は午前三時。町は静まり返り、雪風が家々を叩く音だけが聞こえていた。嫌な時間だ。そのとき、金髪の前に黒い人影が立ち塞がるのが見えた。いつか彼らが私の前に立ち塞がったときのように、何か話をしているのも似ている。こちらからでは影の後ろにある電灯の明かりが逆光になってよく見えない。せっかくデジタルカメラを持ってきたが、今はみているしかない。そのうちに、金髪が逆上して何かを叫んだ。瞬間、人影の左腕が振りあげられる。持っていた凶器を振りあげる段階で金髪の首か顎に当てたらしく、金髪はその場に倒れる。こうなったら一か八か。人影が金髪を蹴ろうと足をあげたタイミングで駆け込む。
「っ……」
小さく声を発したが、男か女かも分からない。動きは相当に早かったが、なんとかカメラを突き出してシャッターを切った。今しがた撮った画像が表示されるカメラのディスプレイには、整った眉と右目の泣きぼくろが特徴的な女が鷹のような鋭い目つきでこちらを睨んでいた。
三衣 千月さんの『うろな天狗の仮面の秘密』から、二話にて天狗仮面に一喝されるコースケ君と名もなき不良君。そして天狗仮面のお名前だけ。
YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』から、主人公の清水渉さんと梅原司さんの先生夫妻。梅原先生のお父さん、梅原克也さんとの決闘の話も出しております。
蓮城さんの『悠久の欠片』から、主人公の皇悠夜さんと古本屋夢幻。
以上の方々をお借りしました。
いっぱいお借りできてちょっと嬉しかったです。




