プロローグ 悪人たちの夜
このお話について少し説明です。
この作品は『うろな町計画』参加作品です。
この計画の特徴の一つに「参加者内の登場人物の貸し借り」があり、私の場合は人物をお借りした回のあとがきにその旨を書いています。
興味を持たれた方は下にあるリンクから、うろな町のホームページをご覧になってみてください。
この世に神はいるか。答えは、いない。我々が苦難に喘いでいるとき、助けはあったか。我々がどうしようもない自然の脅威に晒されたとき、救いの手はあったか。それが答えである。神は人を救わず、この世にはただ人を陥れる悪魔がいるだけである。しかし我々は決して一人ではない。我々のそばにはいつも心強い仲間がいる。苦しいときには共に励まし合い、楽しいときには喜びを分かち合ってきた素晴らしき友たちがいる。我々は互いを助け、互いを救う。我々こそが神なのだ。
目の前の男は続いて、神たる自分たちがいかにして他の人間を目覚めさせ、救うかということに対して語り始めた。ここはうろな町の北東にある貸しビルの三階。普段は企業が説明会を行う際に借りられることが多いらしいが、今夜は彼が率いる団体が貸借していた。この会の参加者はみなフードの付いた白いマントを着ていたり、周囲の壁はすべて白い垂れ幕に覆われていたり、やたらと白が目につく。目に痛いほどの白は僕に否応なくフラッシュバックの感覚を想起させた。半年前の事故以来記憶をなくした僕は断続的に襲い来るそれに恐怖に近い感情を抱いている。だというのにそれを相談しても、周りは記憶が戻り始めている兆候だと言って、僕のことはまるで目に入っていないような答えをする。そのとき、気づいてしまったのだ。家族や友人にとって僕は赤の他人でしかなく、今僕のいる場所は他の誰かから借りているだけだったのだと。そんなとき、ここの人から話しかけられた。彼らは僕のことをそんな目で見ない。僕のことをあるがまま受け入れてくれる。胡散臭い新興宗教だなんて言って罵倒したことが今となってはとても悔やまれる。ああ、今日僕が彼らと出会ったのは確かに前世で強く結ばれた同志であったからなんだ。
「ではみなさん、最後にお渡ししたものをお持ちください」
前方で高く掲げられているのはこの白いマントと一緒にもらったもので、テレビのリモコンくらいの大きさの棒の先にスイッチがついているだけのシンプルなものだ。
「これを一斉に押すことで、この町の救いが始まります。では、私の合図と同時にみなさん押してください」
彼が両手を上げると同時に、カチッという音が部屋を満たした。その瞬間に言いようのない感覚が体を満たしてゆく気がした。今から始まる壮大な使命に自分が関わることができるという実感だ。前方にいる彼も感無量といった様子で目を閉じて満足そうな表情を浮かべている。僕らは隣と言わず、前後と言わず、とにかく周りにいた人たちと強く抱擁した。誰も彼もがこれからの希望にじっとしていられなかった。
しばらくしても何も起こらない。そのときになってようやく私は窓から外を確認することを思いついた。カーテンのように窓を覆う白い垂れ幕の向こうはまるで労働の限界が来るまでは眠らせまいとするような人口の光がぎらぎらと照らしているおかげで、町の様子はよく分かる。うろなの中央への道を示す青い標識、足早に家路を急ぐサラリーマンとおぼしきスーツ姿の男、高校生くらいの女の子もいる。何も変わったところのない、そこにはありふれた町の景色があった。
「どういうことだ、とでも言いたげだな。昭山幸三」
後ろから面白がるような声が聞こえた。振り返ると、他の連中と変わらない白い衣装に身を包んだ背の高い女がいた。しかし彼女の場合はその下の服装が周囲に溶け込むことを許さない。薄い黒のシャツに真黒なジャケットを合わせているのだが、ネクタイは当然のように緩められていて、シャツの一番の上のボタンまではずしている。そのうえ十字架に蛇の絡みついている趣味の悪いネックレスをしているし、黒髪のショートカットから覗く左耳には金属でできた牙のような意匠のピアスをぶら下げている。しかし何よりも目を引いたのは彼女が手のひらで弄んでいるそれだ。
「探しものは見つかったか?」
顔中の血がすっと引いていくのを自覚した。そうして女のくくっと漏らしたその息すら不快感を催す。目の前にいる出来損ないのロックンローラーのような格好の人間のカテゴリーが分からない。何者であるのか、見当もつかない。
「なるほど、察するにこれはこの町のどこかに仕掛けてある爆弾か、もしくはそれに準ずる危険物の起動装置というわけだな? それを大量の模造品とともに押させることで犯人の行方をくらまそうとした。確かにこの方法であれば実行犯が誰かはそれを謀ったお前にすら分からないわけだからな。それとも、その事実をネタにちょっとした銀行口座を作ろうとしたのかな?」
くるくると宙に回転するそのスイッチの動きは彼女の口ぶりとは全然一致しないで幼稚だ。
「まあとにかく、暇を持て余していやがった給料泥棒を何人かここに呼んでおいたから、カツ丼でも食いながらゆっくりしてきたらいい。私はこの後レストランで大事な約束があるから。ビストロ『流星』を知っているか? あんないいところでのおごりは久しぶりだからな」
「お前は……」
「ん?」
思わず口が動いた。得体のしれない疑念だけは拭ってしまいたかった。
「お前は何者だ」
「私か」
少し考えるようなそぶりを見せたが、彼女はゆっくりと応えてくれた。
「私は葵井静。こういうときには一応探偵と答えることにしているんだが、正確とはいえない。そうだな……あんたと同じだ」
よほどその店の食事が楽しみなのか、鼻歌など歌いながら彼女はふらりと去っていった。その後見慣れない気難しそうな男に話しかけられるまで、私の脳裏にはぼんやりと彼女の最後の言葉が残っていた。
「ワルい奴だ」
綺羅ケンイチさんの『うろな町、六等星のビストロ』から、ビストロ流星のお名前をお借りしました。




