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最終話

 事態はクラウスの父である国王の一言で収まった。

 倒れたフェアドの付き添いのため、リナリーのファーストダンスはなくなったが王の合図で音楽が始まり、行事はなんとか仕切り直された。

 王はその後、別室でフローラにクラウスの父親として謝罪した。しかしベンハルトが断固として拒否したので、クラウスとフローラは表向きには婚約をしたままだが、婚約見直しの期間を設けることになった。

 ベンハルトの許しを得るまでは学園を卒業しても二人の結婚の話は進まない。クラウスは今までフローラがしてきたことを次は自分が返していくとフローラに約束した。






 ――早朝、ロズベルグ邸にて。




「誰だお前は!」



「私は……」



「そんなやつ知らん!」



「ベンハ……」



「知らん! 帰れ!」



「話を聞……」



「知らん! 知らん!」



 ロズベルグ邸の門前でベンハルトが仁王立ちして叫んでいる。その後ろからカインが慌てて声をかけた。



「おはようございますクラウス様。父上が失礼しました」



「いやいいんだ。フロ……」



「いません」



「まだ()……」



「いません」



「………………」



「ちょっと!! お父様!! お兄様!! 何をしているのですか!!」



 慌てて駆けつけたフローラが二人を追い払った。

 クラウスは毎日フローラの元へ来ると決めたが、それを守るのには多大な労力が必要そうだ。







「くそ……私はぜったい許さんぞ……」



 フローラに家を追い出されたベンハルトはブツブツと呟きながら職場に向かった。フローラが婚約解消をしたら、早期に引退して子ども達と田舎で一生仲良く暮らす。そんな甘い夢が叶いそうだったベンハルトはどうしてもまだ諦めきれない。

 職場につくと待ち構えていたかのようにフェアドが追ってきた。



「ベンハルトぉ!!」



「私は知らんぞ!」



「お前のせいでリナリーは卒業したら教会で働くのはやめてお前の秘書になると言ってるんだぞ!! うぅっこんな奴に誑かされてかわいそうに……こんな髭面のむさ苦しい奴に……」



「だから知らんと言ってるだろ! 教会のじじぃにさらに睨まれた私の方がかわいそうだ!!」



 ベンハルトの机には、学園長に続き優秀な人材をまたしても失いそうな大司教から殴り書きの抗議の手紙がベンハルトへと届いていた。

『またお前か』と、大きく乱雑に書かれた手紙をグシャリと握りしめ投げ捨てると、前を遮るフェアドを手で避けて席についた。しかしフェアドは離れようとせず怨言を止めない。

 ベンハルトは呆れ返ってフェアドに向き合った。



「あのなぁお前、本当に私のせいだと思ってるのか?」



「お前のせいじゃなかったら誰だと言うんだ!」



「お前だ! お前の父親の自覚が足りんからだ!」



「なんだと!?」



「かわいらしいだけのお人形さんを貰ったんじゃないんだぞ」



「なにぃ!?」



「いいものをやろう」



 ベンハルトは椅子から立ち上がり後ろの棚をごそごそと漁ると一冊の本をフェアドに渡した。



「なんだこれは……」



「これは我が天使フローラが子どもの頃にお気に入りだった本だ。これを毎日読んでやれ」



「何を言ってるんだ! こんな子ども向けの! 絵も下手……ん……?」



 フェアドはもう一度本の表紙を見直し自分の目を疑った。しっかりとした装丁にアンバランスな抽象的な絵。



『すてきなてんとうむし 作ベンハルト・ロズベルグ』



「なんだこれは!? 作者お前じゃないか! ふざけやがって!!」


 

 フェアドは怒りを露わにして怒鳴ると本を乱暴に突き返しベンハルトに背を向け部屋を出ようとした。



「お前の娘とやらは私には抱っこをせがむ幼子にしか見えん。これぐらいからやり直せ。今までの人生全部と向き合う覚悟がないなら父親だなんて二度と名乗るな」



「…………」



 フェアドは無言で振り返りズカズカとベンハルトの前まで戻ると、本を乱暴に奪って睨みつけた後、再び扉に向かった。



「態度の悪いやつだな。倍額で請求するか」



「なに!? 金を取る気か!?」



 扉が閉まる瞬間に言い捨てたベンハルトの呟きに、フェアドはまた頭に血が登ったが、すでに閉じられた扉を前にすぐに諦めて歩き出した。



「ぐぬぅぅ……! アイツはいちいちっ! 腹が立つ野郎だ! あのときのベリーも結局支払いはうちのまま自分が持ち帰ったくせに……! くそ……アイツが描いたと思うとなんか腹立つ絵だな……これ何部刷ったんだ……こんな下手な絵で自費出版て正気か……」



 ベンハルトの本をパラパラとめくりながらブツブツと独り言をこぼすフェアドの背中が廊下の奥に消えていった。





 その頃ロズベルグ邸では、フローラとクラウスがキッチンでパンを捏ねていた。



「クラウス様の手は冷たいからクロワッサンとかパイを作るのに向いてるかもしれませんね!」



「そうなのか」



 フローラが明るく笑いながら、パンを捏ねているクラウスを見つめる。実直なクラウスはパン職人に向いてるかもしれないと思ったフローラは、あれこれと妄想を膨らませた。



「フフフ……クラウス様とベーカリー……焼き菓子も置いて……」



 ふりふりのエプロンのクラウスはパンを捏ねながら短い返事を返し、作業する音だけが響く静かな時間が流れる。



「私の力はアッシュと違って調理には役に立たなさそうだが」



「いいえ! アイスクリームにフリーズドライ! 美味しいものがたくさん作れますよ!」



「…………そうか」



「クラウス様のベイカーのユニフォーム姿! きっと似合うんだろうな~ギャルソン姿も捨てがたいからカフェもいいな……あーーーーーーどのクラウス様も大好き最高」



 フローラはいろいろな制服姿のクラウスの妄想を広げて楽しそうにしている。



「………………」



 楽しそうなフローラにクラウスは無言になり急に手を止めた。



「………………すまないフローラ、魔導具は鎮静効果のないものに変えたのだが気の利いた返しが思いつかない」



 突然の謝罪にフローラは驚いて目を丸くした。



「ええ!? 当たり前ですそんなの! 気の利いた返しができたらそんなのクラウス様じゃないです!」



「………………」



「え、もしかして魔導具がなくなったら饒舌になるのを期待して……?」



「……いや、せめてもっとこう……フローラみたいに」



「私みたいに? 全力で愛を囁くと?」



「………………」



 フローラは饒舌に愛を語るクラウスを想像しようとしたがまったくできなかった。



「私が愛したのはかっこいいのに不器用で鈍感で……気の利かない真面目なクラウス様です! フフフ、急に甘々になったら困ります」



「それ、褒めているのか?」



「褒めてますよ! 前世からずっとあなたに恋してますからね」



「前世ってなんだ。初めて聞く言葉だが」



「前世っていうのは…………とにかく私の愛がものすごーーーーく重たいってことですよ」



 フローラは言葉の意味を説明しようとしたが、前世の概念がない人にどう説明すればよいのかわからず、面倒になって話をごまかすとパン生地をまとめた。



「よし、こんなもんかな! さて……」



 フローラは濡れた布巾を生地に被せて、スツールを二脚並べるとその片方に腰かけた。



「今日は発酵に力を使いませんよ! その間にお話しましょうクラウス様!」



 隣の空いたスツールをポンポンとするフローラに、クラウスは黙って頷くと、フローラの隣に座った。



「天然酵母の発酵はゆっくりで……すっごく時間がかかるのです。丸一日かかるときだってあるんですよ」



「そうなのか」



「だからたくさんお話できますね! クラウス様、一行でもいいからたまには手紙を書いてほしいです」



「わかった」



「プレゼントはクラウス様が悩んで選んだ物がいいです!」



「わかった」



「アッシュ様に頼っちゃだめですよ! どうしても誰かに相談したい場合はお兄様だけ! お兄様だけは許可します」



「わかった。そうしよう」



 フローラは次々と要望を言い、クラウスは簡潔に返事をしていく。




「お兄様とお父様が結婚はぜったいに許さないって言ってますけどどうやって許して貰いますか?」



「………………そうだな…………」



 クラウスは目線を外ししばらく考えた。



「ここに住もうかな」



「えっ!? なんでそうなるのフフっ」



「結婚してもあの二人が寂しくないように……」



「王になっても?」



「なっても」



「なんでっ…………フフフフフ、お父様とお兄様を城に住まわせるとかじゃなくクラウス様がここに……フフフフフ!」



 通いの王なんて聞いたこともない。フローラは笑いが抑えきれない。しかもロズベルグ邸はベンハルトが家族との時間が減るからと通勤の時間を惜しみ、距離だけに拘ったので貴族の家にしては小さい。そんな小さな家に住んでベンハルトとカインに睨まれながら生活をし、毎朝真面目に出勤するクラウスが、現実的ではないのに簡単に想像できてしまいフローラは笑いが止まらなくなった。

 フローラの脳内では想像がどんどん進み、現代でスーツを着てネクタイを絞めたクラウスが、肩身の狭い妻の実家から出勤して満員電車に揺られ始めた。そんなありえない姿が、跪いて愛を囁くクラウスよりもずっとリアルで、ずっと愛おしかった。



「それじゃあたぶんお父様とお兄様の許しはもらえませんよフフフフフ。それに警備も大変ですね! フフフ……」



 やっぱりズレているクラウスに、フローラは結婚の許可はまだまだ先が長そうだなと思ったが、答えもヒントも言わないことにした。発酵を待つみたいに楽しめそうだったから。



「…………そうか、難しいな……時間をもらってもいいか? ……フローラも住み慣れた環境の方がいいだろうと思ったんだが……駄目か……」



 真剣に考え込むクラウスの横顔を見ながら、あぁやっぱりこの人が好きだなとフローラは胸がぎゅっとなると同時に不安が襲う。



「クラウス様、本当に私でいいんですか? もう喧嘩はしないけど……嫉妬はしてしまうかもしれません。ちょっと……うーん、いやかなり? クラウス様が他の女の子と話してるだけですぐモヤっとしちゃうんです。私の愛がすごく重いから……嫌になるかも……」



「それが嫉妬なら私もした」



「え!? いつ!? ほんとに?」



「昨日」



「ええっ!?」



「アッシュに花を貰ってただろう。それなら昨日だけじゃないな。アッシュが先に薬草を手配していたと聞いたときもアルフレッドという名前を聞いたときもそうだな……」



 クラウスは違う万年筆を見たときも……と思い返しながらあれが嫉妬と言うならしっくりくるなと感心していた。



「今のを聞いて嫌になったか?」



「…………いいえ………………大好き過ぎて……死にそうです………………息が…………」



 フローラは嬉しさのあまり、呼吸するのが精一杯だった。



「私も嫌じゃない。フローラの方こそ…………これからはちゃんと言葉にする努力はするが……私は会話も下手でつまらない人間だ」



「つまらなくなんかないって昔から言ってるじゃないですか! クラウス様、言葉にするのが難しい時はギュッってすればいいんですよ! ギュッて! ハグをすれば全て解決です!」



「なるほど。わかった」



 あっさりと了承したクラウスにフローラは閃いた。



「じゃあクラウス様…………! 私のどこが好きですか?」



 ギュッってして欲しいフローラは、わざと答えにくい質問をした。抱きしめてもらえなくてもクラウスのことだ、きっと想像もつかないズレたところを褒めるだろうとワクワクしながら待った。



(どこにいてもクラウス様をすぐ見つける視力とか!? それとも素早くクラウス様の情報をメモる速記能力…………)



「そうだな………………」



 クラウスはしばらく考えてから、フローラの目を見ると少し目を細めてフッと口元を緩めて言った。





「愛が重たいところかな」





 初めて見たクラウスの笑顔に、言葉にならなかったのはフローラの方だった。また愛の上限が突破したフローラは勢いよく立ち上がった。

 フローラの勢いに倒れた小麦袋から粉が舞い上がる中、フローラはクラウスをギュッと強く抱きしめた。クラウスは今日もフリルのついたエプロンで、抱きしめているのはクラウスではなくフローラの方で……やっぱりフローラが思い描くスチルにはほど遠かったけれど、フローラは苦しいぐらい幸せな気持ちで呟いた。



「やっぱり少しぐらいクラウス様を諦めないともたないかも……心臓が止まりそう……」



 フローラはクラウスを諦めたいと切実に思う。じゃないと二人並んだ肖像画にたどり着くまでにいくつ心臓があっても足りなさそうだ。



 粉まみれで微笑み合う二人。その傍らでさっき捏ねた生地が目に見えないぐらいの小さな気泡を作り出し、ゆっくり、ゆっくりと膨らんでいた。







 おしまい!



 

 最後までお付き合いいただきありがとうございました!

 クラウスの見せ場をもう少し作ろうかと悩みましたが駄目なヒーローをヒロインが大きな愛で押し切るお話が書きたかったので私は満足です!

 重いけど重くないハッピーなお話を目指したのでこのお話を読んでちょっとでもクスッとしてもらえたら嬉しいです。

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