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 祭壇を前に淡々と挨拶を述べるクラウスの動きを何ひとつ見逃さないように目を見開くフローラは、ふとよく知る感覚に小さく震え、思わず自分の肩をさすった。



「フローラ、寒いの?」



「この魔力……」



「魔力? あぁ、ほらあの天井の中央にある魔石だよ。人が多くなったら空調の温度が下がるように調整されているんだ。今日はこの人数だし少し強くなっちゃったのかな」



 そう説明するカインの胸元で、フローラが飾った薔薇の蕾が突然パッと花開いた。さっきまで蕾はまだ固く、咲くような状態ではなかったのでフローラは驚いて花をまじまじと見つめる。



「……これ……アルフレッド……さっきの花を見せて!」



 アルフレッドが懐から取り出しハンカチを広げると花弁がバラバラになったカーリタースの花はオレンジ色に変化して枯れている。フローラは天井の魔石をもう一度見上げた。



「この魔力……クラウス様の魔力です」



 カインとアッシュは眉を顰めクラウスを見たが、クラウスは普段と変わりない様子で儀式を進め、聖具の布を外している。装飾の装花の中の蕾が同じようにパッと開き、すでに咲いている花はハラリと散った。



「は? クラウス? 別に変わった様子はないぞ……なんのことだ? それにクラウスの加護は氷で……」



「……いいえ! これは間違いなくクラウス様の魔力です! いけない! 徐々に強くなってる!」



「お兄様! マティアス先生を連れて来てください!」



 フローラはカインにそう言うと同時に走り出した。



「えっおいっ! 何言ってんだ? 何かを通して個人の魔力なんてわかるわけ……」



 アッシュは怪訝な顔をしたが、カインだけはそれが可能な人物をよく知っていた。フローラの魔力をパン越しに感知していたベンハルトだ。カインは迷わずフローラに従いマティアスを探しに向かった。



 フローラが人混みをかき分けて会場の中央に近づくと、儀式の祭壇近くに立つクラウスと、聖具に魔力を込めるリナリーが目に飛び込む。ゲームでよく知る場面が見えたフローラは一瞬怯んだ。今あそこに飛び込めば完全にイベントの再現になる。運命の二人に割り込む悪役令嬢そのままだ。ここまで我慢して挽回しようとした評判も元通りだろう。しかしクラウスの魔力がさらに濃くなり、天井にある空調の魔石がクラウスの魔力に反応してピキピキと音を立てているのを見たフローラは足を踏み出した。リナリーが魔力を込め終わりクラウスに向き合った。



「評判? そんなのどうだっていい!! 悪役令嬢? 上等よ!!」



 魔石がクラウスの魔力にのまれ凍りつき出す中、フローラは勢いよく二人の間に割って入った。



「クラウス様!! 止まって!」



 フローラはクラウスの前に飛び込むと、ありったけの魔力を込めた。クラウスの動きを止められたのはわずか一秒。それでもクラウスをハッとさせるには充分な時間だった。空調の魔石から這うように広がっていた氷の動きが止まった。魔力切れでフローラの身体がぐらりと揺れるのをクラウスは抱き止めた。



「「フローラ!」」



 クラウスがフローラを呼ぶ声が重なった。マティアスを連れて戻って来たカインの声だった。カインは人を避けながら駆け寄った。



「侮れないな護身術……」



 マティアスは凍りついた天井を冷や汗をかきながら見上げ、思わず感心して呟いた。天井に埋められた魔石から四方八方に這った氷の柱はカーリタースの花を形取り美しいオブジェと化している。天井は氷の花やツタで埋め尽くされていた。



「すてき! 何かの演出かしら?」「きれーい!」「涼しくなったわねードレスが暑くって……」



 会場はあまりにも非現実的な光景に余興の一部だと思ったようで、ざわつきながらも非常事態には気がつかず、天井に咲いた氷の花々に見惚れている。



 その中でフラ……とリナリーがフローラに歩み寄る。



「フローラ様……さっきは好きにしてとおっしゃったのに……やっぱり反対なんですね……?」



「ちがうの……! これは……」



 リナリーの瞳が揺れる。否定をしようとしたフローラは、フローラを支えるクラウスの腕の感触でハッとする。公の場で魔力を暴走しかけたなんてクラウスの名誉に関わるからだ。



(今ならまだ誤魔化せる)



「そんなの当然でしょ!? どうして許されると思ったのかしら?」



 フローラは居丈高に大きく声をはり、冷たくリナリーを睨みつけながらリナリーと距離を詰めた。この手にワインがあれば完璧に再現できるのにと思い、さり気なく辺りを見たが近くにはないようだった。しかし充分に注目を集めていることが確認できた。「ほら、やっぱりまたいつものが始まる」という侮蔑と好奇の視線がフローラに向けられた。



「ごめんなさい……こんなのよくないって私もわかってるんです……何度も諦めようと……だけど私……」



 リナリーは震えながらも言葉を続けた。



「私……誰か、じゃなくて……この人に……この人に愛されたいって思ったのは初めてなんです……」



「……ずっといい子じゃないとって……この力に見合うような立派な人にって……だってこの加護の力がなかったら誰も私に興味なんて持たないでしょう……? 私にはこの力以外に何もないから……いい子の私じゃないと皆に愛されない……そう思ってたのに……生まれて初めてそんなのどうでもいい、この人に愛されたらいい子じゃなくてもいいって思えたくらいに……!」



 顔色ひとつ変えず冷たい表情のわかりやすく悪役のフローラ。リナリーの心からの叫びにその場の多くの人が胸を痛めた。フローラもその内の一人だったがここで引くわけにはいかない。ここでさらにキツイ言葉を投げてリナリーの同情を集めたら、その後の二人の関係も周囲に祝福されやすくなるだろうと考えた。フローラはクラウスのために心を鬼にすることを決めた。

 静かに流れ落ちる涙を拭いもせずに真っ直ぐフローラを見返すリナリーに、冷たい目線を返しまた一歩進む。二人の身長差でフローラはリナリーを見下ろす形となり、威圧的な態度に拍車がかかった。



「言いたいことはそれだけ?」



 リナリーはぐっと喉を詰まらせ絶望の表情を浮かべたが、フローラは冷たい声で言葉を続けた。



「貴方のお気持ちなんて私にはどうでもい……」



「やめるんだフローラ」



 聞き慣れた台詞にフローラはピタリと止まった。揉め事を起こすたびに何度となく聞いた台詞だったが、クラウスはフローラの前に背中を向けて立ち、フローラの視界には見慣れないクラウスの背中が広がった。



(いつもはこちらを向いているのに……)



 台詞は同じだがいつもとは身体の向きが逆だ。フローラは、いつも止めに入るクラウスの目を思い出して思わず顔を歪めた。しかしクラウスの幸せを願うフローラは、これでゲーム通り上手くストーリーが進むだろうと気持ちを抑えた。バッドエンドになってクラウスが国を出て放浪するのは、自分が断罪される以上に避けたかった。それでもクラウスの背中を見ていると様々な思いが浮かぶ。



(クラウス様。騒ぎを起こさない約束を守れなくてごめんなさい。愛が重くて……諦められなくてごめんなさい……)



 今からクラウスはリナリーを選ぶ。ゲームの中ではこの時点で好感度がそこまで高くなくても、クラウスは国のためだと必ずヒロインとダンスを踊る選択をする。

 こんな決定的な瞬間にまで大好きで、息もできないほど苦しい。本当にクラウスなしで自分は生きていけるのか、そんな未来が到底想像つかない。

 それでもフローラは逃げなかった。最後まで正々堂々とクラウスの婚約者として胸を張る。その決意とプライドだけがそうさせた。

 そして自分を引き裂くであろうクラウスの言葉を、死刑宣告を待つ思いで目を閉じ身構えた。しかしクラウスはフローラの予想と反する言葉を続けた。



「リナリー。君の気持ちはわかったが……受け入れることはできない。踊ることもできない」



「わかって……います……私には相応しくないって……」



「相応しくないとかではなく私が……」



「クラウス様もそう思っているってことですよね!?」



「いやそういう話ではなくて私が……」



「クラウス様は想う自由も否定なさるのですか!? たった一度のダンスすら私には許されないのですか!? あんまりです!」



 感情を高ぶらせたリナリーはクラウスの言葉をことごとく遮り、最早喧嘩腰と言ってもいいほどの口ぶりで、フローラは二人の不穏な雲行きにぎゅっと閉じていた目を開けた。



(え? え? 私の悪役ぶりが足りなかった? ここからどうやってダンスをする流れに?)



 フローラはクラウスとリナリーの顔を交互に見た。とてもじゃないがヒロインの健気な告白を受け入れる甘い雰囲気ではない。



「いつかはちゃんと諦めます……! でも私の気持ちを知って欲しいって……! いつかはチャンスがあるかもしれないってそう思うことすらいけないことですか!?」



「すまない……思うのは自由だがそのチャンスはこない。私にはフローラが……いや、私がフローラじゃないと駄……」



「やめてください!!」



 リナリーはこれ以上聞きたくないとばかりにクラウスの言葉を遮り、くるりと背を向けると大きな声で叫んだ。



「いくらクラウス様とフローラ様が反対したって自分でもどうにもできないんです!! お願いします!! 今日だけ……たった一度でいいんです!! 踊ってください!! ベンハルト様!!」



 リナリーの絶叫が会場中に響き渡った。











「「「「「は?」」」」」




 当事者及びその近親者だけではなく、固唾を呑んで行く末を見守っていた会場全体の時が止まった。

 空気を読まずリナリーは告白を続けた。視線は真っ直ぐ王の後ろで待機しているベンハルトに向けられている。王も思わず振り返ってベンハルトを見た。



「こんなことを言ったら困るかもしれませんが貴方のことが忘れられないのです……!! あの日からずっと……!!」



 静寂を破ったのはカインの怒号だった。



「あの日とはどういうことです父上!!!!」



 アルフレッドがすかさずカインに自分の剣を渡す。



「今日から私の主はカイン様です」



「おい! し、知らんぞ! カイン! パパは無実だ!!」



「言い訳は切った後に聞きます」



「待てカイン! 切る前に聞け! 剣をおろせ! そもそも一回しか会ったことない!! ほら! ドレスの! みんないたじゃん! ねぇ!! アルフレッド火をしまえぇぇぇ」



 突然の展開にフローラはパニックになりクラウスはフリーズしている。フローラはリナリーとの会話を懸命に思い出したがパニックで自分の記憶に自信がもてない。




「え? え? どういうこと? え? 何? なんで? さっきの話はなんだったの? 先に言っておきたいって……」



 フローラが狼狽えてリナリーを見るとリナリーは恥ずかしそうに頬に手をあてながら言った。



「だって……もし……もしですよ? 私の恋が叶ったら……フローラ様は私の娘ってことになりますよね……? 複雑だろうなって……エヘヘ……クラウス様が反対するのもわかります……同級生の義母なんて……嫌ですよね……」



「ベンハルトぉぉぉーー!!!! 貴様ぁぁぁぁーーーー!!!!」



 呆然としていたフェアドが正気になって顔を真っ赤にしてベンハルトに向かっていった。しかしたどり着く前に血圧が振切れてヘナヘナとその場に倒れ込んだ。



「お父様!!」



 リナリーが慌ててフェアドに駆け寄り癒やしの力を使う。

 アッシュは呆然とし、マティアスは堪えきれず腹を抱えて笑い出した。



「どうなってるの……? だってブルーのドレス……ブルー……クラウス様の目の……目の……色の……」



 フェアドを介抱するリナリーの奥に、揉み合う父と兄の姿を捉えたフローラのブルーの瞳が動揺で揺れる。カインとフローラの濃いブルーの瞳の色はベンハルトから譲り受けた色だ。



「えぇ……? 言われてみればあのドレスのブルー……ゲームより色が少し濃いような……? え? 光の加減じゃなく? 嘘でしょ……なんなの……」



 会場は渾沌と化し、魔力も使い果たし精神の限界がきたフローラは思考を放棄して目を閉じて意識が遠くなるのを待った。しかし一向にその時はやってこない。遠くなるどころかクラウスのさっきの台詞を思い出して意識はさらに覚醒していくばかり。



(……あぁなるほど……ちょうどいいところで意識を失えるのもヒロインの特権ってわけね……)



 フローラは諦めて目を開けるとクラウスに預けていた体重を起こしてしっかりと自分の足で立ち、クラウスに向き合った。



「あの……クラウス様……さっきのもう一回してくれません?」



「さっきのとは」



「私じゃなきゃ駄目って言ったところ……」



 凍りついた空調の魔石の氷がパシパシと音を立て、やがて弾けて小さな小さな氷の粒となりダイヤモンドダストのように輝きながらハラハラと会場に舞い落ちた。





 その年の星降祭は星ではなく季節外れの雪が降ったと長く人々の記憶に残ることとなる。

 一国の皇子が公衆の面前で、されてもいない告白に返事をするという恥ずかしい記憶と共に。



 

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