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二人の勉強会は続いていた。
ルーカスが出した条件をベンハルトは見事クリアしたのだ。
ベンハルトは持ち前の集中力と愛の力(?)でルーカスが次々に課す膨大な課題を文句ひとつ言わず一日中黙々とこなした。
そしてルーカスはあの手この手でベンハルトに勉強を叩き込んだ。
そうして気がつけば勉強会を初めて一年たち、ベンハルトはめきめき学力をつけ最初は影で笑っていた人達を青くさせるほどに随分と順位をあげた。その中には若き日のフェアドの姿もあった。
最初は取り合わなかった教師達もついに折れ、ベンハルトは晴れて国務につく試験を受けさせてもらえることになった。
「無事進路の変更できてよかったな」
ルーカスは自分の努力も一緒に報われたような感覚で心底誇らしかった。
「試験が受けられるようになっただけでまだ叶ってないが」
「誰が教えたと思ってるんだ! 大丈夫だよ! そういえばご両親は反対してなかったのか?」
「ん? 両親は一度も反対したことはないな。ロズベルグ家の家訓は愛のままに生きるだからな。ラブイズジャスティス! 父の教えだ」
なんだそれ。と思いながらもなるほど、こいつの変人ぶりは父親譲りか、とルーカスは思った。英雄と名高い父親もきっと変人だとなぜか妙な確信があった。そして続けて「羨ましい」とも思った。
自分の両親だったらきっと反対し悲しむだろう。ルーカスが光の加護を持っていることをいつも誇らしげに語る父親の顔を思い出し、ルーカスは少し苦しくなった。
「それで、お前はどうするんだ?」
ベンハルトが真っ直ぐルーカスを見据えている。初めて会った日のように。
「え? どうするって何を……?」
質問の意図がまったくわからなかったルーカスは、初めて会った日のベンハルトの絶叫を思い出してふと笑った。あの時は怯えていたのに今では素直にベンハルトを尊敬していた。ルーカスはそんな自分の変化に驚きすら感じ、時折聞かされるローザへの惚気にうんざりしながらも続けた勉強会の日々を懐かしんだ。ベンハルトとの勉強の時間は、ルーカスが幼い日に諦めていた友人との時間でもあったが、今の気分は卒業生を送り出す先生のような気持ちだった。思い出に浸るルーカスを意に介さず、ベンハルトはカバンをがさごそと漁り紙の束を差し出した。ルーカスの脳裏にざっと、一年前のあの日、ベンハルトと初めて会った日の情景が蘇る。
「学園一の落ちこぼれをここまでにしたお前の能力はどうするんだ?」
98点100点96点……
たれさがった紙にもう×印はほとんどない。
「たまたまついてきたオマケに縛られてお前は自分の人生を無駄にするのか?」
自分でも思いもよらなかった選択肢を突然突き付けられたルーカスは息を呑んだ。
「ハ……この光の加護をオマケ呼ばわりするやつなんてお前だけだ……」
「オマケはオマケだ」
「…………」
「おい。鼻水でてるぞ」
「……うるさいな……ズッ」
ルーカスは幼い頃からほとんどの時間を司祭になるための勉強にかけてきた。その代償は子どもにとっては致命的で、遊び時間もなければ仲の良い友人もできなかった。その中で小さな弟が自分の教えた単語を初めて文字にした時、妹が初めて計算をした時、ベンハルトの点が上がった時、あのとき感じた感覚が一気に形となって胸にささる。
さっきまで、本当にさっきまでは自分は司祭になることを微塵も疑ってもいなかったのに、突然形を成し言葉になって溢れた。
「……っ、俺は、教師に、なりたい……」
ルーカスは静かにこぼれ落ちる涙をぬぐいながらはっきりと自覚した自分の思いをかみしめた。
それは苦々しく、だけど長年探し続けたピースがようやく見つかったような爽快感があり、しばらく涙を止めることができなかった。
学長の話をリナリーは呆然として聞いていた。
「……それで、どうなったのですか?」
「それからが大変だったよ! もちろん両親も教師も大反対。司祭達もやって来て毎日説得の日々だった。最終的には有事のときや疫病が流行ったときには優先的に協力するということで決着がついたんだ」
「だからリナリー、選択肢はひとつじゃない。自分の力を勉強するのは大切だけど、それに縛られて不安に思うことはない」
「……はい……」
リナリーのか細い返事は学長が姿勢を変えるわずかな音でかき消えた。
「昔話に付き合わせて悪かったねリナリー。いつでも遊びにおいで。またお話しよう」
学長室を出たリナリーはそっと息を吐き出す。その表情は晴れなかった。とてもいいお話が聞けた。そうは思っているのに何故かまた心にひとつ暗い影が落ちる。咄嗟に思い付いた質問は本当の悩みではなかったからだ。
(選択肢なんて与えられたところで私には先生みたいに何かを犠牲にしてまで叶えたい夢なんてない……趣味も……他に得意なことも、なにひとつ、ない……)
リナリーは教室までの距離を今日ばかりは感謝した。教室につくまでにはいつもの笑顔を取り戻さなければと自分を鼓舞する。
「いつも笑顔で……人に優しく……」
リナリーのつぶやきはむなしく生徒達の笑い声に溶けていくだけだった。
教室に戻ったリナリーはクラスメイト達にさり気なく将来のことについて尋ねた。
「私は実家が商家なのでそちらを手伝います」
「騎士団に入るのが夢です!」
皆がそれぞれの夢を生き生きと語るのでせっかく取り戻した笑顔がまた陰っていく。
「どうかしましたか……?」
「あ、いいえ、まだ入学したばかりなのにきちんと考えていてえらいのですね。ただ将来皆がそれぞれの道を行ったらなかなか会えなくなるのが少しさみしいなって思ってしまって……」
「なぁんだ。そんなことですか! 教会にはぜったいにお世話になりますからいつでも会えますよ!」
「こいつなんて怪我ばっかりしてるからうんざりするぐらい会えますよ!」
ハハハと皆が笑った。
「え、えぇ……そうですよね!」
そこで始業の時間をむかえ、各々の席に散り散りとなり、リナリーも自分の席についた。
教会は怪我や病気の治療は勿論だが戸籍や職業の契約関連の手続きなども行っているために民の生活とは切っても切れない。
(教会でいつでも会える……)
(じゃあもし教会にいなかったら?)
(教会にいない私に会いに来てくれる人がこの中に何人いるんだろう……)
無意識にそっと教室内を見回したリナリーは、熱心にメモをとっているフローラが視界に入ると先ほどの学長の話を思い出して目線を止めた。
学長の話には出てこなかったが、養父であるフェアドがよく家でベンハルトの愚痴をこぼしているのを聞いていたリナリーは、あの後無事に試験に合格して夢を叶えたんだろうと察した。
(オマケしかない私はどうすればいいんだろう)
リナリーは真っ暗闇の中に一人立たされたような孤独を感じた。
(いつも笑顔で……人に優しく……)
リナリーが心の中で呟いた言葉は、彼女が感じる孤独から救ってはくれない。




