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 いつものように遅めの登校をしたフローラは、予想外のしかめっ面の待ち人にたじろいだ。



「お、おはようございます。アッシュ様」



 フローラは動揺したが、腕を組んで憮然と立ちはだかっているアッシュに精一杯の挨拶をした。



「おせー……いや、うん。おはよう……」



 アッシュは思わず挨拶より不満を先に出してしまった気まずさか、少しうつむいて謝罪と挨拶を口にしてフローラに本を差し出した。



「この本はだいたい読めた。全部頭に入ってるかと聞かれると自信はないが……こないだよりはましだと思う。リストにあった薬草もいくつかは手に入るはずだ。俺の国に特化した薬草の本と可能な限りの現物を送ってもらう手配をしたから届いたら確認してもらっていいか?」



 フローラはかなり時間がかかるだろうと思っていたので目を丸くして驚いた。



「もう読まれたんですか! ありがとうございます!」



 アッシュの思いがけない対応の早さに感激したフローラは、アッシュの目の下の隈にも気づかずにさらに欲が出てしまった。



「あの、相談なんですけどアッシュ様の国で染料として使われている植物についても調べて貰えませんか? 限られた場所だけに分布してるような……」



「染料?」



「ええ! 鮮やかな黄色で……根っこで! あ、根っことは限らないかも……そうなると黄色って限定するのも早いかな……」



 フローラはアッシュに説明しながらこちらでは形が違うのかもしれないと迷いが出て最後は独り言のようになってしまった。



「染料か……」



 アッシュの顔が険しくなりさすがに遠慮がなかったかとフローラは焦った。



「あの! 立て続けに申し訳ございません! 急ぎませんので空いた時間にでも……」



 アッシュの様子にフローラは慌てて補足したが、アッシュは難しい顔のままだ。腕を組んだまま眉間に深い皺がよっている。



「うーん……いや、黄色じゃないが黄色よりのオレンジっぽい色が出る思い当たる花はあるな……でもあれか……ちょっと……うん…………あー……でもな……」



 もしかして持ち出し厳禁の貴重な花なのか、それとも毒のある危険な花なのかフローラはあまりに苦悩するアッシュに申し訳なくなり、さすがに引き下がろうと思った。



「あの……難しいようでしたら断ってくださって大丈夫です」



「いや…………大丈夫……なんとかする……少し待ってもらっていいか?」



 フローラは無理を言った罪悪感よりもカレーに一歩近づいた喜びが勝ってしまい声を上げた。



「アッシュ様! ありがとうございます! このご恩は忘れません!」



(ターメリックなくても作れるけどやっぱり欲しいもん!)



 思わずアッシュの手をとり握りしめる。



「おまっ、何! ちょっ近い!!」



 アッシュは思いきり仰け反って距離をとろうとしたがフローラはずいずいと、前のめりになって距離をつめたので二人の距離はそこまで変わらなかった。



「いいって! 俺は自分の罪悪感を減らしたいだけでやってるだけだからっ!! 自分のためだ!」



「奇遇ですね! 私も今からなんとか好感度を上げて友好国の王族を脅迫した罪が薄まればいいなと思っております!」



「なんだそれっ! それは口にしちゃダメなやつだろっ!」



「こんな心強い協力はありません! 期待しています!」



「わ、わかったから! ほら! 始業! はじまる! はじまるから!!」



 フローラはアッシュに遅刻をさせてはいけないと手を離した。



「失礼しました。では教室に急ぎましょうか」



 アッシュはバクバクとする心臓をなだめながらやっぱりフローラは苦手だ。と額に滲んだ汗を拭って振り向きもせず教室に向かった。その後ろを距離をとってフローラは上機嫌でついていった。

 少し息を上げながらアッシュが教室に入るとリナリーが可愛らしい笑顔で挨拶をした。



「アッシュ様おはようございます! ウフフ、ぎりぎり間に合いましたね」



「あぁ、おはよう。クラウスも、おはよう……」



 アッシュは二人に声をかけ、シャツの首元を緩めながら席についた。



「……珍しいな。どうしたんだ?」



「あーちょっと、寝坊してさ」



「いいや、それのことだ」



 クラウスの目線はアッシュにしっかり握られた本を示していた。

 ようやく静まりかけたアッシュの心臓がドクリ、とぶり返す。

 アッシュは動揺のあまり薬草の本を鞄にしまい忘れて手にしたまま教室へ入ってしまっていた。表紙には思いきり「薬草分布読本」と書いてある。フローラから特に口止めはされていないが、フローラが婚約破棄を受け入れるつもりだとクラウスにまだ伝えていない以上簡単に説明できるほど単純な話でもない。



「いや、その! 兄に良い薬草がないか調べていたんだ! 数ページで断念したけど! 俺が本なんてなー! ハハハ……」



「アッシュ様はお兄様思いなのですね」



 アッシュが笑って誤魔化すとリナリーは笑って応えたが、クラウスは口を開かずじっとアッシュの手元の本を見ていた。表情こそ変わらないが長年の付き合いでクラウスが納得いってない雰囲気を感じとったが、気づかないふりを押し通すことにした。嘘に慣れていないアッシュは嫌な汗が止まらなかった。



(カレー♪カレー♪カレーパンもいいけどナンもいいなっ♪まてよ、タンドール窯って作れるんじゃない!?)



 その頃遅れて教室に入ったフローラはタンドール釜でナンを焼くことを思いつき、アッシュの修羅場にまったく気づかず、ちらっとクラウスを盗み見して席についた。



(あれ? クラウス様目元が……寝不足かしら? 寝不足でも格好良いなんてほんとどうなってるの?)



 ストーキング力を発揮しているフローラを他所にアッシュの修羅場は続く。



「薬草と言えばマティアス先生の研究を手伝っていると仰っていたし、フローラ様に聞いてみればいいのではないでしょうか?」



「えっ!? は!? 誰それ? あっそうだな! おっさんに聞いてみようかな! ハハッ」



 ふいにフローラの名前を出されてさらに様子のおかしくなったアッシュを、教室の扉を開ける音が助けた。教員が入って来て教室の空気が引き締まる。



「アッシュ、その本少し借りていいか?」



「ああ」



 これで会話を終えられると胸を撫で下ろしたアッシュは少し気を緩めたのかクラウスの呼びかけに深く考えず本をすんなり渡してしまった。

 クラウスはアッシュから受け取った本を何気なくパラパラと捲ったがすぐにクラウスの手は止まった。栞のように挟まれたメモが一枚。そこにはクラウスが見慣れている書き癖の文字がびっしりと並んでいた。





 

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