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 楽しげに揺れるカインの肩を後ろから見ながら、ひっそりとアルフレッドが涙を浮かべていたその頃、フローラは探索の誘惑に負け、荷解きを途中で放棄し部屋の外へ出た。

 この世界での厨房がどんな様子なのか、不安と期待が混ざり合いフローラの歩くスピードはどんどん加速する。




「……おじゃましまぁ〜す」



 フローラがほぼ駆け足になったぐらいでようやくお目当てのキッチンは見つかり、人の気配はなかったが逸る気持ちを落ち着かせるように誰に向けるともなく挨拶を呟き、その身体をキッチンの中へ滑り込ませた。



「!!」



 フローラが初めて目にしたこの世界のキッチンは思っていたよりも馴染みのある設備だった。

 フローラにはどうやって火をつけるのかはわからなかったがコンロらしき調理台があり、冷蔵庫のような食品を保存する冷たい棚もちゃんとあった。



「そっか、ルートによってはヒロインが料理するイベントもあったもんね。ファンタジーに大感謝!!」



 半ばしがみつくようにオーブンへかけよったフローラはこの世界に転生して初めてシナリオ設定に感謝した。



「コンセントは見あたらないな……魔石が埋め込まれてるし加護の力かな」



 一見スイッチに見える魔石を押してみるもののただ埋まってるだけのそれはビクともせず起動の仕方は全くわからない。



「ううう……パン……パン……ふこふこの柔らかいパン……」



 フローラは諦めきれず魔石をなでつけてうわ言のように繰り返した。

 すぐにでもパンを焼きたいが、そもそも材料も揃っていないことに気づいたフローラはようやく諦めがついてオーブンを離した。



「使い方もわからないし材料もないし……まずはアルフレッドさんだな」



 カインからいつも滞在中の食事は気楽に過ごしたいからと、アルフレッドが近くの市場で調理してある物を買ってきたり、簡単な食事をアルフレッドが作ったりして過ごしていると聞いていた。カインはそもそも少食で食に興味のないタイプだった。

 ベンハルトがフローラも行くならコックを手配しようかと提案したが料理するチャンスが減るかもと焦ったフローラがなんとか言いくるめて断っていたのでアルフレッドの協力は必要不可欠だろう。

 居ても立っても居られないフローラはキッチンを飛び出しアルフレッドの姿を探した。



 アルフレッドは書類を片手にカインと真剣な顔で話し込んでいた。急ぎの仕事でもあるのだろうかと思ったがあえて空気は読まなかった。



「アルフレッド! 今日は市場に行く予定ある!? ご飯の買い出しに行くのついていってもいい?」



「お嬢様、今ちょうどカイン様と話をしていたのですがやはりコックを頼みませんか? カイン様がここで食べているのはちゃんとした食事とは言えません」



「フローラが私と同じ物を食べてみたいって言うから……」



「カイン様! カイン様にでさえ心苦しかったのにお嬢様にあんな食事を出すなんて年寄りの心臓をどれだけ苦しめればよいのですか!」



「今カイン様でさえって言った!?」



(真剣な顔で何を話し込んでいるのかと思えば……)



 フローラが仕事の話を邪魔したのではなかったと胸を撫で下ろしつつも突然の訪問でアルフレッドを困らせることになったのが申し訳なくなった。



「ね、ねぇアルフレッド、私本当にお兄様と同じ物が食べたいの! 市場にどんな食べ物が売っているか見てみたいし!」



 フローラは仲裁に入りつつもさり気なく市場に行く方向へ持っていこうとしたが、アルフレッドは何かあってはいけないと全力で拒否をした。



「いいじゃないかアルフレッド。フローラは大きくなってからここに来たのは初めてだしいろいろ見たいんだろう」



 フローラが懇願する横でカインが後押ししたが、それでも首を縦にふらなかった。



「何かあったときに年寄り一人では対処できません。何かあったらベンハルト様に顔向けできません!」



「では私もついて行こう」



「……………………いいでしょう!」



 頑なだったアルフレッドはカインの申し出に『ベンハルトへの忠誠』と『十年ぶりの兄妹仲良くお買い物の姿』を天秤にかけてあっさりと折れ、光のような速さで出発の準備に消えた。



「水分タオル着替え応急処置セット小腹が空いた時のオヤツ! 防犯防災雨天対策余暇…………………………」



 アルフレッドの早口が遠ざかる中、残された二人は呆然とするしかなかった。




 二人が正気に戻る頃には屋敷の前には過剰な荷物を乗せた馬車が準備されていて、フローラとカインは気がつけば街に向かっていた。



「小さな街だからフローラが好きそうなお店はないと思うよ?」



 そうカインは言ったが食品市場はフローラにとってまさに宝の山だった。

 カインの言う『フローラの好きそうなお店』は宝飾店を指していたが、今のフローラにはダイヤモンドやサファイアよりも食材の方が価値がある。

 これはどんな味でどんな食感で!?とお店の人を質問攻めにして次々と購入していった。



(お兄様……何も言わないけれど無駄遣いだと呆れているのかな? でもここでどれだけ食材を買ったところで以前の私がクラウス様の気を引くために馬鹿みたいに買っていたドレスの一枚分にもなりそうにないよね)



 チラリと様子を見たが相変わらずの鉄壁スマイルが返ってくるだけだった。



(全部美味しく食べるんだから決して無駄ではないよね!)



 気を取り直してフローラはカインの存在を考えないように片っ端から食材を扱う店をはしごすることに決めた。

 フローラが一人で市場に来るのはアルフレッドの様子では無理そうなので、なるべく今日のうちに何があるか把握しておきたいと思ったからだ。



(次にお兄様が連れてきてくれるのはいつになるかわからないし!)



 フローラは必死にメモをとりながら買い物を続ける。

 アルフレッドは街に来るのはしぶったが食材を買うことには何も言わずニコニコと目尻を下げフローラを見守っていた。

 カインはと言うと最初は調理前の野菜が物珍しいだけかと思っていたが次の店も次の店も食材店でだんだんと困惑していた。



(いつもの買い物癖が出たのかと思っていたが……)



 チラリとフローラのメモを覗くと店名、食材名と見た目のスケッチ、味、一般的な調理法……などがびっしりとかかれていてカインはぎょっとした。

 フローラは普段からメモ魔だったのでメモをとる姿は珍しくなかったが、カインがフローラのメモを覗き込んでぎょっとしたのはこれで二度目だ。



(前はクラウス様のことでぎっしりだったのに……)



 生まれて初めての失恋。それは何不自由なく甘やかされて育った妹にとっては初めての挫折であっただろう。いつもと違うことをして気を紛らわせたくもなる。カインはここまでは容易に想像できた。



(だからといってここまで人が変わるものなのだろうか?)



 そんなカインの困惑を他所にフローラは次々と食材を購入していった。

 おかげで帰りの馬車は荷物でいっぱいになった。乗り切らなかった分は配達をお願いしてある。

 前世ぶりの料理が楽しみで仕方ないフローラは大量の食材に囲まれてご機嫌だった。

 そんなフローラを見ていたカインが思わずフ……と顔を緩めた。いつもの作られた笑顔じゃなく、目からくしゃりとする自然な笑顔。

 それを見逃さなかったフローラは思わず立ち上がってしまった。



「お兄様今……!」



「フローラ、突然立ち上がったら危ないよ」



 当然バランスを崩しそうになったフローラを咄嗟に支え元の席に座らせたカインはいつもの顔で微笑んだ。



「残念戻っちゃった……」



 フローラの小さなつぶやきは馬車の走り出す音でかき消えた。



(本当ならヒロインがお兄様の本当の笑顔を取り戻してくれるんだけどクラウス様のルートに入ってしまったからもうヒロインと恋に落ちるのは無理だよね…………)



 気分が落ち込んだフローラはそれ以上カインの顔を見られず、帰りの景色を見ながら他に何か方法はないかと考えを巡らせていた。



 そんな暗い気分になったフローラの思いを知る由もなく、カインはふるふると吹き出しそうになるのをこらえていた。

 妹と離れるために来るこの土地で妹と馬車で向き合い、妹のことばかり考えている。そんな状況にだんだんと可笑しくなってきたのだ。

 カインはつい数時間前に考えていた自分の言葉を思い出した。



『これでアルフレッドが上手く私と妹の距離を取ってくれるだろう。私はいつものように頼まれた仕事をしたり読書をしたり一人ゆっくり休暇を楽しむだけだ。妹が体調を崩せば心配をする程度には家族としての情はあるがここではワガママなお姫様と必要以上に馴れ合うつもりはない』



(やっぱり少しくらいフローラとの時間を持ってもいいかも)



 そう思い直したカインの目元はまたくしゃりとゆるんでいた。




 

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