表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/193

第二十五話 『自分で限界を決めている』

Red-country's Festival

Day 5 ; It Turns Final Day


 もはや、その目には何も映っていなかった。激しく募る気怠さで、人差し指の先を震わせることすら不可能となり、胸の痛みを正確に感じることも叶わない。いつしか悪意も聞こえなくなり、何かが焼けるような音だけがジリジリ鳴り続ける。

 脳裏に、緩やかに死という文字が浮かび上がった。


 俺は『  』だった。

 何の役目もないから、壁に抗うのは自由で。

 抗うことに、俺の場合だけ責任が伴わない。

 身勝手に抗わせて、死なせた。


 何で、伝えてしまったんだろう。


『――――』


 誰かが耳元で、突然語り掛けた。

 脳は、もう正しく咀嚼できないのに。


『――――』


 敵か味方か、男か女かも分からない。

 それなのに、鼓膜は音を拾い続ける。


『――――』


 誰なんだ?

 何を言ってるんだ?


『――――』


 分からない。

 分からないけど。


『――――』


 なんて嬉しそうに話すんだろう。


 意識がその宿主から浮上する。

 ああ、旅が始まる――。





※※※





 意識は、随分と息苦しい世界に生まれ落ちた。

 自分が何から生まれたのかも意識は覚えていなかった。目も、鼻も、口もなく、ただ神様が不憫に思ってくれたのか視覚と聴覚だけはあった。

 見えた世界は、限りなく暗く沈んだ灰色だった。


 街中を、意識は何かに乗って揺れている。

 その揺り籠の手前に、誰かはいた。


『そりゃあ、私が『御者』だったからですよ』


『――――』


『ま、今ではそれで良かったと思ってるんですがね!』


 人の気配がまるで感じられない世界に一人、『御者』を名乗る老けた男は、独り言のようにそう語る。意識は、それを明るい音色だと錯覚した。

 そしてその錯覚は、直ちに解かれた。


 意識の存在に、『御者』は気づかない。

 気づかないから、語らなかった本音を漏らす。


『それなりの稼ぎがあって、ちゃんと妻子を養える。他にやりたいことが何もなかったわけじゃないですよ。ただねえ、きっと画家になっても売れませんから』


 突然見せた『御者』の哀愁漂う表情に、意識は何を言えば良いか分からない。馬に繋がっていない手綱を握り締めて、『御者』は空を仰ぐ。今では当たり前のように灰色を映している空に、無意識に、彼は探していた。

 遠い日に見た、忘れられない青い輝きを。





§§§





 街に見える全てが、灰色に染まっていた。

 建物と建物の間を走る連続旗も、何かの祭りを賑わせる幟も、空っぽの屋台も、野晒しで錆びついたポストも、小さな噴水も、全てが灰色。


『メルポイは人生です!』


『火薬容量は脅威の何と三十トンだべ!』

『最高で最大の花火だな、親父!』


『今日も自治会、残業かあ』


 乗り物から降りた意識は、死んだように静かな街で、次々に人と遭遇する。『農夫』に『花火職人』に『旅館経営者』。

 彼らは意識の視線を感じた直後は見栄を張って笑みを浮かべ、だが目を彷徨わせて意識がいないと認識すると――。


『今育ててるメルポイが全部ダメになったら、また私は泣くんだろうな。……好きでもない『農夫』の仕事に、これだけ人生賭けたのにって』


『親父、何で俺たち、こんなでかい花火に執着してたんだっけ?』

『自由な奴らが羨ましくて、イライラを花火と一緒に打ち上げてたんだべ』


『好きで自治会員に立候補したけど、限界かな。両立してやるって昔は息巻いていたけど、そろそろ『旅館経営者』の仕事に一本化しなきゃ駄目だよなあ』


 ――揃って、笑顔に影を落とした。

 誰にも、見られていないと思って。





§§§





 街を彷徨い続けた意識は喉が渇いたので、小さな店のドアを開けた。ベルが灰色の音色を鳴らしたが、カウンターにいた『店員』が意識に気づくことはなかった。仕方なくカウンター席に座り、メニューを眺めていると、洗ったばかりのタオルを手に持ったまま『店員』は小さな声で呟く。


『どうして、私はまだここにいるんだろう』


『――――』


 ここもかと、意識は思わず溜息を溢した。

 客がいないと思って、『店員』は素顔を見せた。


『自分も『店員』になって、称号で苦しんでいた兄の気持ちをやっと理解できるようになった。なのに、私はこの店から離れられないんだって言い訳して』


『――――』


『兄を、追いかけようとしなかった』


 意識は、どれだけ表層に溺れていたのだろうと自分を恨んだ。

 世界の裏側には、こんなに灰色が広がっている。使命称号に翻弄されて、目の前に立ち塞がる壁を越えられないでいる、たくさんの人たち。

 その限界を前に、立ち止まってしまった、たくさんの人たち。


『――――』


 ふと突然、背後のテーブル席に一人の青年が座っていたことに意識は驚いた。その明るい茶髪の青年は椅子から立ち上がると、徐に俺の隣へやって来て、沈んだ色を浮かべている『店員』の頭にカウンター越しに右手を置こうとした。

 だが、青年はそれを躊躇し、手を引っ込める。


『どうして、私はまだここにいるんだろう』


 瞬きの後、青年はもう店内には見つからなかった。

 カランと虚しく、ベルが鳴っていた。





§§§





 意識は、その青年がなぜか無性に気になった。

 後を追ってカフェを出て、数十歩歩いたが、もう視界のどこにも青年は見当たらなかった。代わりに、広い階段の手前で、誰かが肩を震わせている。

 街灯の光を浴びた灰色の背中を意識に見せて、泣いている。


『私だって叶うなら、絵本に出てきたような全部を救う格好良い『勇者』になりたかった! でもいざ戦ってみると、大切な仲間が次々死んでいく!』


『――――』


『だから、救えないって割り切ったのに――!』


 階下に誰かいるのだろうか。

 この沈んだ世界で出会ったきた人々は、今まで様々な想いを乗せた独り言を呟いて来た。意識という存在の認識を諦める、前も、後も。

 だが、目の前の『勇者』は明らかに――。


『ねえ、何でなの?』


『――ありがとう』


『何で、そんなこと言ったのよっ!!』


 その絶叫は、虚しくて、悲しくて。

 意識は、もう見てられなかった。


 世界が、暗転する。





§§§





 人間には、限界というモノがあった。

 限界は、時に壁として例えられて、時に線として例えられ、時に山として例えられ、時に溝として例えられる。人間には、存外身近なモノだ。

 それは当然、この異世界においても存在する。


 称号という形で、人間の前に鋭く引かれた限界。

 無理に踏み越えれば、不幸が訪れるのは自明の理だ。


 あるいは、彼女は賢かった。

 称号に抗ったらどうなるのかを、運命と戦ったらどうなるのかを、彼女らは正しく認識していた。利口で、理詰めで、無謀な真似は決していない。

 限界の線の内側で、一生懸命生きていた。


 それを、意識の言葉が揺るがした。

 彼女に、限界を越えさせた。


 意識が世界の深層にまで目を向けて来なかった。だから、彼女が背負っている業を理解できず、まだ戦えると独り善がりに訴えた。

 それが無責任で傲慢と言わずして、何と言うのか。


 意識は、思う。


 もしも意識が『御者』だったなら。

 もしも意識が『花火職人』だったなら。

 もしも意識が『農夫』だったなら。

 もしも意識が『旅館経営者』だったなら。

 もしも意識が『店員』だったなら。


 でも、駄目だった。

 意識は、この異世界にとって赤の他人だった。

 意識は、称号という限界を分かってやれない。

 どこまでも『  』だった。


 嫌いだ。

 嫌いだ。


 消えてしまえ。

 こんな世界、もう嫌い――。


『――君は、この世界で何を見た?』


 世界が、明転する。


 知らぬ間に、意識の隣には、先ほどの明るい茶髪の青年が静観な顔立ちで立っていた。意識の横に並び立って、灰色の世界で唯一眩しく色づいている世界樹を仰いで、その美しさに鋭い視線を向けていた。


 意識が結論付けようとした、意識の罪。

 それを、青年は迷わず一刀両断する。


『君の記憶の世界と、目の前の世界。目に見えない挫折で限界を決める世界と、目に見える称号で限界を決める世界。一体、二つの世界は何が違う?』


『――――』


『君の世界にだって限界はあったはずだ。お金か、生まれか、時間か、目には見えない不明瞭な形でも、限界はあったはずだ。君の世界は、死を罰則として与えるこの世界よりも、時にはより残酷な形で限界を違えた者を罰したはずだ』


 そう言われると、意識は二の句を継げない。

 彼女らを不幸にしたのは、意識が彼女らが抱える限界に対して無頓着で、称号のない別世界の無責任な考えを押し付けたからだと思っていた。

 だがもしも青年の言う通り、二つの世界の本質は同じで、目の前の限界に対して抱えている事情や心情が互換可能なモノだとするならば。


 意識は、何を間違えたのだろう。

 何を間違えて、あの子を――。


『趣向を変えようか』


 声なき意識は、声なき反論もできない。

 ただ、それでも称号世界への憎悪はあって。

 その世界への嫌悪を、青年は問うた。


『称号のある世界と、ない世界』


『――――』


『君は、どちらの世界なら好きになれる?』


『――――ッ』


 瞬間、意識に電撃が走った。

 散々他人に傲慢な考えを押し付け続けた意識だが、自分の言葉に正しいかどうかはともかく、誇れる言葉が確かにあったことを思い出したからだ。

 意識は本気で、この世界を好きになりたかった。


 世界への憎悪が消えていく。

 同時に、意識は、目を、鼻を、口を、取り戻した。

 意識の器たる名を、思い出した。


 意識が、俺であると思い出した。


『やれやれ、どうして君のカウンセリングになったんだろうね』


『あんたは?』


『直に消えゆく、肉体から離れた意識の欠片さ。僕の心優しき恩人が心の中に作ってしまった檻を、壊してくれる誰かを探して旅をしていた』


 やっと発せるようになった声で問い返すと、帰って来たのは何とも言えぬ不思議な返答だった。それに、不思議な男だった。

 俺は意識として、この灰色の夢で何人かの知り合いと遭遇した。しかし、この明るい茶髪の青年は、確かに記憶にはない。

 恐らく、この摩訶不思議な夢を、俺に見せているのは彼だ。


 俺は彼をもっと知りたいと思って、声を続ける。


『旅って、夢の中を?』


『悪いが、多くを答えてやれるほど時間は残されていない。本当は話さなくてはならない事が山ほどあった。この国にいる妹への伝言も頼みたかったし、この国に迫る危険についても伝えたかった。――あの白髪の少女の事だってそうだ』


 白髪の少女と聞いて、俺は表情を歪める。

 透けた拳に、血を滲ませて。


『俺はネミィを――』


『止めておけ、死者に懺悔したところで意味はない』


 しかし青年は、俺の後悔を取り合ってはくれなかった。

 代わりに、世界樹を見る目を細めて。


『君が目覚めてしまえば、私のユニークスキル『夢幻の旅』も終わってしまう。だから、残りの時間は君のためだけに使おう。他でもない、僕の恩人の心の檻を砕いてくれた君のために、君が抱える悩みを解決する一助になると願って』


『聞きます』


『――考えるんだ』


『え?』


 青年は、ようやく俺を見た。

 鋭く、厳しく、逃さない。


『今はまだ、壁は高く思えるかもしれない。この称号の世界を理不尽に思えるかもしれない。だから、考えて、考えて、考え尽くせ。もしも空っぽの心の中に、比喩でも何でもなくヒャクの選択肢が生まれたならば――』


『――――』


『今とは、違う答えを出せるかもしれない』


 何が正しかったのか、間違っていたのか。

 迷子の俺に、しかし青年は答えはくれなかった。

 相変わらず、心の中は真っ暗で。


 でも、何かが響いた。


『それは、俺が出したい、答え?』


『だと良いな』


 青年は、小さく笑みを作る。

 同刻、『そろそろ時間か』と呟いて、背を向けた。


『サヨナラだ、七瀬君』


『はい』


『ああ、それと』


 歩き出そうとした青年は、不意に足を止めて。

 こちらに、片手を立てて。


『君の胃を泣かせて悪かったね』


 そう謝ったと思った瞬間、強い光が灰色の世界を崩し始める。

 ああ、旅が終わる――。





※※※





『赤の大魔王はまだ復活していません』


『落ち着いて避難準備をしてください』


『赤の大魔王はまだ復活していません』


『落ち着いて避難準備をしてください』


『赤の大魔王はまだ復活――』


 警報が、鋭く鳴り響いていた。

 雑然とした騒ぎを、耳にした。


 目を覚まして、そこが自治会庁舎の医務室だということは割かしすぐに理解できた。胃痛騒動で何時間も世話になったからか、体の感覚が覚えていた。

 徐に上体を起こし、周囲を見渡すと、隣のベッドにセシリーさんが寝込んでいるのを発見した。記憶の最後が血を吐いて痙攣する彼女だったので、一瞬顔面蒼白となったが、彼女のライフゲージが満タンまで回復しているのが見えて、ホッと安堵の溜息。起こさないよう、静かに胸を撫で下ろす。


「――――」


 何だか、長い夢を見ているような気分だった。

 知っていた景色を見て、知らなかった景色を見て、それがちゃんと、夢なのに起きても消えずに、自分の胸の中に残っている。

 吹っ切れた訳ではないけれど、大事な。


 胸に手を当てて、不意にハッと思い出す。


「そうだ怪我が……っ。あれ?」


 慌てて服を捲し上げたところ、驚くことに胸にはそれらしき傷跡が見当たらなかった。意識が飛んでいたので、相当な一撃を浴びたと思っていたのだが。

 ふと隣の机に視線を遣ると、『少し出ています』という可愛らしいメモ書きと一緒に、穴の開いた俺のお守りが転がっていた。


 まさかと思って、中身を卓上に転がる。

 折り畳まれた手紙と、聖剣の破片のレジン。

 そのレジンの樹脂の表面には――。


「おい、刑事ドラマか!」


 これが叫ばずにいられようか。

 シアンとのデート直前にステラがくれた聖剣石のレジンに、魔法で穿ったような傷跡が浮かび上がっていたのである。つまり、敵の奇襲による一撃を、危ない時に持ち主の命を守ってくれるとご利益のある石は、見事に防いでくれたのだ。

 こんなご都合な展開は、往年の刑事ドラマでしか見たことがない。


 と、納得すると同時に疑問も浮かぶ。

 なら、なぜ俺は気を失っていたのか。


 それに、疑問はもう一つ。


「一体、誰が自治会庁舎まで運んでくれたんだ?」


 有力候補はステラたちだが、俺たちが倒れていたのは墓地の地下である。発見したのであれば、近くに休める小屋があると知っているのに、わざわざ遠い自治会庁舎を彼女らが選ぶだろうか。

 釈然としないまま、俺は部屋のドアを開けて。


「あ」


「ほえ?」


 飴を咥えて廊下を歩くアルフといきなり遭遇した。

 状況を説明してくれる人が欲しいとは思っていたところだが、出くわすのが兎とは。中々にこちらの理解力が問われそうだ。


 そんな無礼なことが俺の脳内に過ったとも知らずに、兎はパアっと顔を明るくして、嬉しそうに両耳をぴょこぴょこ動かした。


「さっちーっ! 頭大丈夫ー!?」


「あれ、もしかして出会い頭に馬鹿にされた?」


「怒っちゃうよー!?」


 詳しく話を聞けば、俺はどうも脳震盪で倒れていたらしい。

 魔法の一撃は聖剣石のレジンが守ってくれても、その衝撃までは防ぎきれず、背後に倒れ込んで後頭部を強打。それが、俺の気絶の真実だそうだ。

 道理で、目に見える怪我は見当たらない訳である。


 他にも擦り合わせしたいことは山のようにあった。

 だが、なぜだろう。


「で、お前が俺たちを庁舎の医務室まで運んでくれたのか?」


 気になってならない。

 一体、誰が見つけてくれたんだ?


「会いたいー?」


「ああ」


 俺は素直に頷き、返答なく歩き始めた兎に続く。

 その勿体ぶった雰囲気を、兎らしくなくて奇妙に思ったが、敢えて指摘はしなかった。何となく、今は多くを必要とされる場面でないように感じた。

 だから、俺は無言で兎の背中を追う。


 西棟一階の廊下を歩いて、角を曲がる。

 中庭へ続く、曇りガラスの戸を開けて。


 声を、失う。


「――は?」


 目の前に広がったのは、一つの景色。

 正しく、地獄絵図と呼べる景色だった。


『おい、こっちに水をくれ』『こっちは止血剤を!』『治療魔法を使える方をお連れしました』『副リーダーが目を覚ましたぞ』『クソ、人手が足りない!』『早くこっちへ、傷口が!』『目を覚ました奴から順番に東棟へ運べ』『悪いが我慢してくれ』『申し訳ありませんが、自治会代表殿はどちらに』『麻酔がないんだ!』


 怒号が、至る場所から飛び交う。


 数日前まで宴会で賑わっていた自治会庁舎の中庭には、白い大きな布が隅から隅まで広げられ、傷だらけで意識のない人々が並んで横たわっていた。その合間を軽傷の人々が、水やら包帯やらを持って、忙しなく行き来している。

 慌てて南棟の壁の時計を見ると、午前九時を回っていた。


 知らぬ間に、日を跨いでいた。

 混乱する中、警報がまた鳴り響く。


『赤の大魔王はまだ復活していません』


『落ち着いて避難準備をしてください』


『赤の大魔王はまだ復活していません』


『落ち着いて避難準備をしてください』


 目の前の状況と、この警報。

 そして、経過した時間。


 思い当たったのは、信じられない可能性だった。この野戦病院のような状況を見るに、恐らく正しく、最も受け入れ難い推測。

 まさかと息を呑んで、俺は叫ぶ。


「――赤の大魔王と戦ったのか!?」


「もう封印が解けちゃいそうだったんだよー。復活して力を完全に取り戻す前に倒すしかないって、五人の勇者揃って挑んだんだけど、ダメだったんだー」


 呆気らかんと返答する兎に、俺はまた言葉を失う。

 アルフが迷わずに大魔王の情報を伝えられたことを安堵する余裕はない。五人の勇者が力を合わせて挑んだ結末が、目の前に広がっている地獄絵図だと言うのであれば、あまりにも救いがないではないか。それに警報を信じるなら、赤の大魔王は未だ復活していないという。

 ディストピアが始まって千年の歴史上、一度も倒されたことのない『大魔王』という化け物の壁が、どれだけ絶対的かを肌で感じさせられた。


 俺が腰を抜かす中、アルフは布の上を歩いて行った。

 そして、一人の女性の前で、足を止めて。


「何で」


 彼女は、他の患者たちと変わらず、瞑目して横たわっていた。

 身体の節々に巻かれた包帯には、痛々しく血が滲む。


 そうだ、確かにあの時。

 薄れゆく意識の中で、俺はその言葉を。


『ねえ、聞いて』


 咀嚼されずに、鼓膜が拾い続けた言葉の数々。

 それが再起動された脳によって、急速に処理され始める。


『今更、何も言えた義理じゃないのは分かってる』


 恨み言でも言ってやろうと思ってた。

 なのに、生じたのは音にならない叫びだけ。


『だからこれは、私のワガママな誓い』


 お前は言ったじゃないか。

 大魔王は越えられない壁だと。


『私ね、今度こそ』


 何でなんだよ。

 どうしてお前が、そんな嬉しそうに。

 その衝動を語るんだよ。


『守りたいもののために、この聖剣を振るうわ』


 なあ、シアン。


 ボロボロの包帯姿になって目を開かない猫と、その脇に添えられていた聖剣を交互に眺めて、俺は必死に掛ける声を探す。

 でも、そんなものが見つかるはずがないのだ。


 言葉は迷子。

 競赤祭は、最終日――。


【『夢幻の旅』】

 そのユニークスキルは、自分の意識を魔力に変えて、人の夢の中を渡り歩かせることができるんだって。肉体が死んでも魔力が消えない限りスキルは継続するらしいよ。ただ新しい人の夢の中に移ると、その人に反動も与えちゃうみたい。もしかしたらシアンもお腹が痛かったかもしれないね。でも沙智、一体誰のスキルだったか分かる?



※加筆・修正しました

2020年6月3日  加筆・修正

        表記の変更

        ストーリーの一部削除・変更

        新規ストーリー「夢幻の旅」を追加


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ