第二十二話 『一歩進めば時化ている』
七色の魔力が、世界を激しい光の海に包み込んだ。
この世界の根源たるアルケーは魔力だと誰かが言ったそうだが、だとするなら、レイファの放った一撃はまさしく宇宙の始まりを告げる爆発と同義だった。特殊を除く七属性の魔力を合成して解き放った最上級魔法『エクスプロージョン』は、全ての魔法の適性を持つ『賢者』にだけ許された至高の一撃だ。
尤も、彼女は『賢者』と呼ぶより『悪魔』と呼ぶ方が似合うが。
さて、光が消えるとそこは渓谷墓地だった。
未だ爆発の恐怖が冷めないのか、セシリーさんは身震いし、兎はダンダンと無心で地面を蹴っていた。肩の埃を払って、それを不憫に眺める最中――。
馴染みのある大人びた声が、突然響いた。
「あ、来ましたよ!」
「あれ、何でアルフとセシリーも一緒にいるの?」
「へ?」
一つだけ目立つ黒い墓石から現れたのは、ステラとトオルだった。
ボロ雑巾のように傷だらけの俺たちに心配そうに駆け寄る二人を見て、俺は無事に合流できたことに安堵の吐息を漏らす。
と同時に抱いたのは、小さな疑問。
――二人は、なぜ墓地で待っていたのだろう。
集合場所は、何かあった時にロブ島へ急行できるよう、墓地の更に奥森を下った先にある『渚の岬』と決めていたはずだ。だが二人のセリフや状況を鑑みるに、彼女らは直に正午に差し掛かる危険な墓地で待っていたようである。魔神信仰会に通じる勇者が聖剣の引き渡しに指定した、正午近くの墓地で。
そんな疑問が、どうやら表情に出ていたようだ。
トオルが困った目の色で首を横に振る。
「時化で船が出せないんですよ」
「な、え?」
「とりあえず近くに小屋があるから移動しよ」
俺はセシリーさんやアルフと顔を見合わせたが、トントン進む事態について行ける者はそうそういなかった。結局、正午に現れる敵をやり過ごすには二人の言う小屋が一番と即座に理解したレイファに背中を押されて、俺たちも歩き出す。
墓地の石畳に、染み付いた泥の足跡は少し湿っぽく。
数分後、北の空からどんより厚い雲が張り出して。
渓谷にも、雨がポツリポツリ。
§§§
それから雨脚が激しくなるのに、そう時間は掛からなかった。山の天気は変わりやすいと言うが、如何せんタイミングが悪い。
ステラたちの案内で辿り着いた小屋は、そんな遣らずの雨を避けるには打ってつけだった。元々迷子になった人や立往生を食らった人を考えて建てられた小屋だけに、非常食や寝袋も完備されていたので苦労はなかった。
ステラはセシリーさんと調理場で紅茶を人数分用意している最中で、子供っぽいアルフは世話焼きなレイファにテーブルで遊んでもらっている。
一方、トオルは窓台に腕を乗せ、物憂げに外を眺めて――。
「雨の調子、悪くなる一方ですね」
「晴れの神様が拗ねてんだ」
「胃の調子、良くなりそうですか?」
「お腹の神様も拗ねてんだ」
若干トーンの下がった減らず口に、トオルが呆れた視線を向ける。
無論その先には、寝袋の上でお腹を押さえる俺の姿。
ゲリラ豪雨というのは、一頻り激しく雨が降って急速に止む。一方で俺の胃痛の方は、改善傾向にはあるものの、緩やかに弱い痛みが続いている状況。晴れの神様とお腹の神様のレースは、ハナ差の勝負になりそうという所感である。
思えば、シアンに近づく度に、胃痛がぶり返しているように思う。最初の勇者会議に始まり、二日目、そして今日のデート。
あの猫は危険だと、身体がアラートを鳴らしていたのかも。
という所まで考えて、俺は落胆の色を浮かべる。
理由は勿論、件の猫だ。
「シアン、敵だったけど敵じゃなかったな」
魔神信仰会と結託して、聖剣エクスカリバーを狙う勇者。
ジュエリーが赤の大魔王の復活を画策している現段階で、最悪の場合に対抗できる存在は『勇者』をおいて他にいない。ところが事情を話そうにも、その『勇者』の中に敵と通じる裏切り者がいるというジレンマがある。
仮に脅迫状の件をロブ島へ逃げ込むことで回避できても、魔神信仰会の目論見に関しては、反撃の勇者に預けざるを得ない。
故に、信頼して事情を話すために、できる限り多くの『勇者』を容疑者リストから外しておく必要があった。
そういう観点から見れば、シアンが魔神信仰会と結託する裏切りの勇者でないと分かったのは、上々の結果だろう。
尤も、彼女のメッキが剥がれた過程に失望があったからこそ、天井に向けて放った独り言が、そのまま頭上で重く澱んだのだが。
「おや、小鳥も雨宿りしに来たようですよ」
「ええー、飴があるのー!?」
「はいはい、美味しいですね美味しいですね」
窓辺に留まった二羽の岩雲雀を見つけたトオルが、急に聞き間違えて興奮した兎を酷く雑にあしらった。
そんな様子を寝そべりながら眺めて。
「――『鳥の目』か」
と、小さく呟いた。
俺サイドは思いがけずシアンが白だという成果を拾ってきたが、ステラトオルサイドもさすがと言うべきか、堅実に欲しかった成果を拾ってきた。
そう、勇者セリーヌが白だという証明である。
「トオル、セリーヌさんの話は信用しても良いんだな?」
「ええ、実際ヤマトの折紙付きですよ」
「本当に驚いたよね、鳥たちと視覚を共有するユニークスキルで、セリーヌさんってば、私たちが詳しい事情を話す前に全部知ってたんだもん」
お盆を探しながら、ステラが調理場から声を割り込ませる。
その声にトオルは頷き、俺は腕を組んだ。
ユニークスキル『鳥の目』。
世界各地に設置された特殊金属プレートにユニークスキル『電子モニター』を使って魔力を流し、ニュースを報道するセリーヌさんが持つ、取材の目。契約を交わした鳥と視覚を共有できるユニークスキルであり、彼女は鳥たちの目を介して世界各地から深い知見や情報を探っていた。
ステラたちが詳細を話すまでもなく、ここ数日の間に俺たちの周囲に起きていたゴタゴタは全部、筒抜けだったらしい。
なるほど、『千の瞳の魔法使い』と謳われる訳である。
実際、彼女のスキルの効力については疑っていない。
レイファが自身の秘密基地に結界を張った際に落下した鳶についても、セリーヌさんとの魔力の繋がりが結界で断絶された結果だったのだろう。
そも、思い返せば彼女の目は至る場所にあった。
「雀も鳩もカケスも梟も、全部セリーヌさんの目だった訳だ」
「フクロウって何?」
「夜中にホーホー鳴く鳥だけど、知らない?」
自治会庁舎の中庭にいた焦げ茶色の梟について説明すると、ステラが遠くで静かに首を横に振った。物知りな彼女にしては珍しい反応だ。
それにしても、セリーヌさんのスキルは恐ろしい。
話を聞けば、契約を交わせる鳥の数にも制限がないらしく、鳥から相当距離が離れていても、視覚共有は続くらしい。もはやプライバシーのへったくれもない。
どころか、簡単な指示まで出せるようで――。
と考えて、ふと気づく。
「あれ、じゃあステラの正体も!?」
「ええ、バレてました」
バタリと起き上がって叫ぶ俺に、トオルが首肯する。
やはり、セリーヌさんは『鳥の目』の能力で、ジェムニ神国の一件も把握している。ステラが『魔王』であると看破していたのだ。
この事実に、反撃の代表者たる『勇者』がどう動くか。
抱いた疑念を、トオルが解消してくれる。
「セリーヌさんも本来は『魔王』は倒すべきというスタンスらしいです。ただステラに関しては、お兄さんに任せてくれるそうですよ。その結果が暴走だったとしても責任を問うだけと、イタズラ顔で笑っていました」
「また、何で?」
「素敵な演説だったからですよ。――『叫び続けてやる』って」
揶揄い混じりにニヤリと微笑む少女に、みるみる赤くなる。
それは、ジェムニ神国の南門前広場で、立ち去ろうとするステラを何とか繋ぎ止めようと、俺が必死に放った言葉ではないか。
セリーヌさんも、結局、敵じゃないけど敵だった!
クスリと微笑むトオルから目を逸らして、体を転がす。
丁度寝袋の口に頭を埋めて、俺は静かに悶えた。
「――――」
ともかく、ここまでの成果を整理しよう。
今回の衝突で、シアンは容疑者リストから外れた。あれだけ『魔王』を悪と忌み嫌っていた猫が、魔神信仰会と結託しているとは、到底考えられない。
これまでの付き合いを思い出すとヤマトは信に値し、セリーヌさんもステラらが実際に接触した結果リストから外せると判断。
これで、残る容疑者は二人。
ギーズとパジェムを残すのみとなった。
「なあ、トオル」
「何です?」
「ギーズってどんな奴だった?」
寝袋に顔を埋めたまま、俺はモゴモゴと声を籠らせる。
この声にトオルが呆れた表情を浮かべたのは、見なくても分かった。
――容疑者は目標の二人まで絞り、ここらが潮時。
そう自分でも理解していたはずなのに、自分でも不思議なくらい、現状に対する負けん気があった。それは、ネミィと拳を交わし合って、戦うことを誓った時に生まれた、格好つけで見栄っ張りな負けん気だった。
その負けん気が、俺に思考を続けるようピシャリと命令した。
トオルは勇者ギーズと同郷であり、顔見知りでもある。
自治会庁舎で彼と初めて顔を合わせた時、あの黒い男はトオルのことを大層気に掛けてくれた。一部の業はさて置き、良い奴だと感じた。
ところが先日、トオルを自治会庁舎まで付け回したことが明るみになり、現状では最も疑わしい勇者として名が急浮上している状況にある。
そこで、トオルに尋ねてみたのだが――。
「人間のクズでした」
「ええ、辛辣!?」
「他人が大事に育てていたアサガオの花を一輪も残さずに毟り取るは、余所の窓ガラスを割った罪を被せようとするは、それはもうクズでしたよ」
寝袋の隣の壁沿いに腰掛けたトオルは、随分とやさぐれた表情で毒を吐いた。この少女にギーズの話はやめておいた方が良さそうだ。
トオルの評価は私怨とうっちゃって、ギーズの白黒は保留。
もう一人の容疑者たるパジェムは素行不良の勇者として有名だが、それ以上を調べられるほど深い付き合いでもなければ、彼の関係者も当たれない。
このまま、あやふやな状態で終わってしまうのだろうか。
「――――」
それは嫌だと、小さな負けん気が内側で騒いだ。
ネミィに戦ってやると宣っておいて、途中で投げ出すのは格好悪い。そう感じたから、体勢を仰向けに戻して腹の上で小指を抓り、また頭を回す。
脳細胞が全て枯れるまで思考を回し続けろ。全て枯れても息があるなら考え続けろ。ヒャクある可能性を卓上に並べて、それがゼロになるまで抗い続けろ。戦い続けろ。少女に格好悪い背中を見せたくないなら、最後まで足掻く愚者であれ。この世界の理不尽に白旗を振りたくないなら、考えて、考えて、考え尽くせ。
それが、アキレアへの誓いだったのだろう?
考えろ。
考えて、考えて。
考え――。
「はい、お兄さん」
不意に額に押し付けられた冷たい何かが、俺を現実に連れ戻す。
感じたのは、甘い匂いだ。
「チョコ?」
「今は別に気負わなくたっていいんですよ?」
額に置かれた小粒の銀紙を指に取って、ふと視線を斜め横に伸ばすと、温かい眼差しで俺を見下ろすトオルがいた。
声は甘く、それこそチョコのようで。
「どうしてお兄さんが急に向上心に目覚めたのかは、私たちには分かりません。でも今は、小難しいことを考えるのはお互いに止めましょう? 一杯一杯頑張ったんですから、その分の対価はしっかり貰うべきです」
小さな少女の偉大な包容力に触れて、俺は一瞬呆気に取られた。
上体を起こしてテーブルの方へ目を遣ると、出来上がった紅茶をお盆に乗せて運んでいたステラが気づいて、俺にあざとくウインクする。
そのお盆にも、銀色の紙切れが幾つか光って見えた。
今の俺は、そんなに余裕がないように見えたのだろうか。
心が甘く溶けていくのを感じて、ふっと溜息。
つい数日前まで『向上心のない馬鹿』という評価だったのに、随分と改善されていたようだ。充足感に似た熱が、静かに全身に広がって。
ああ、こんな報酬が貰えるなら――。
「ったく、頑張り甲斐があるよ」
「今は頑張っちゃダメなんだってばー!」
「ははっ」
アルフのツッコミに、どっと噴き出して緊張が崩れ去る。
こうして、俺たちは束の間の平穏を享受した。
和気藹々と過ごして、気づけば午後五時。脅迫状に指定された正午から五時間も超過して、しかし未だに敵に動きは見られなかった。定期的にレイファが墓地の様子を探ってくれているが、際立った変化はないと言う。俺たちを探す敵の姿が見当たらない点には思う点はあるが、敵も諦めたということだろう。
淑やかになったものの、雨も止むことなく振り続けた。
晴れの神様とお腹の神様のレースは、どうやら後者に軍配が上がったらしい。ようやく動けるようになった俺は、徐に荷物の整理を始める。
そんな様子を眺めて、ふとセシリーさんが寂しそうに呟いた。
「皆さんは、雨が止んだらロブ島に行っちゃうんですよね?」
「船が借りられたらね」
「わしは用事があるから行かんがのう」
「私はついてくけどねー!」
「渚の岬までお見送りできないのが残念です」
人の荷物のゴチャゴチャを注意しながらだったり、悠然と紅茶を飲みながらだったり、両腕を上げながらだったり、各々が今後の方針を明らかにする。
そんな中、俺も小さく吐息して。
「そっか、セシリーさんも『イズランドの決まり』のせいで競赤祭の間は国境を越えられないから――ちょっと待て、アルフ、リピート」
「私はついてくけどねー!」
一挙手一投足、声の弾ませ方まで変えずに、兎は満面の笑みで。
その元気な表明に、俺の頬がピタリと強張る。
アルフを一緒に連れて行くだと?
無理だ、物理的に考えて不可能だ。物覚えも悪く、言いつけも守らない。加えて獣人元来の無駄に高い身体能力で、迷子になったらサヨウナラ。
そんな出鱈目を凝縮したような厄介な兎を連れて行くなど、今の世の中で天動説を証明する方が簡単と錯覚するほど、非現実的。
まあ、端的に言うと――。
「お前何言ってんのっ!? シアンの所に帰れよっ!」
「縁切らせたんじゃん、責任取ってねー!」
「嫌だ、帰れ!」
「うわーん! ネミィ裁判長に訴えてやるー!」
「何でネミィが裁判長!?」
兎のそれは戯言の類だろうが、確かにあの白髪の少女には似合う役どころではあると感じた。随分と俯瞰的な観点から冷静に物事を推し量る、後もう少しだけ威厳のある顔つきになれば、完璧と言って過言でない。
それはともかく、問題はこの乱痴気騒ぎである。
椅子の上でじたばた駄々をこねる面倒な兎を、俺も何とか説得しようとするのだが聞くはずがない。この長い耳はお飾りなのだ。
ステラやトオルは俺に判断を一任するつもりなのか外野に徹するだけで、レイファに至っては微笑ましい表情で眺め出す始末。
ただ、一人だけ反応が違った。
「――ネミィ」
小さく震えて、セシリーさんの口から出た音は掠れて消えた。暗く、落ち込んだ声色は、この騒がしいやり取りの中で酷く浮ついて、あっという間に静寂を生み出して、全員の注目をメイド服の女性に引き付けた。
途端に委縮して、顔色が悪い。
空気が、変わった。
誰もが肌で感じた。
「あの子がどうしたの?」
「そう、そうです、そうでした」
「セシリー?」
「私はそれを伝えなきゃいけなかったんです」
ステラの心配そうな声にも気づかず、セシリーさんは胸の黒いエプロンに震える拳を押し付けて、茫然自失とうわ言のように繰り返す。
それが祝福の中で語られるような明るい話ではないことくらい、彼女の反応を見れば一目瞭然だった。だが、事が共に誓いを立て合った戦友の話となると、どうしても舌が乾いて、心が騒ぎ立てて。
思わず、聞き返してしまった。
一言だけ、「何を?」と。
セシリーさんが神妙な面持ちで顔を上げ、唇を動かす。発せられた音の意味を頭が理解するにつれて、平静は壊れ、散ってゆく。外で窓を猛烈な勢いで叩きつけていた雨脚はいつしか途絶え、墓石に寄り掛かる白いアキレアは虚しく揺れる。
雨は、ようやく止んだ。
なのに。
「――ネミィが自殺しました」
頬を、冷たい何かが流れ落ちた。
【『鳥の目』】
セリーヌさんのユニークスキルだよ。魔力で契約を交わした鳥と視覚を共有できる能力で、鳥が見た光景を自分も見ることができるんだって。彼女のユニークスキル『電子モニター』で各地のプレートに投影するニュースのネタ集めに一役買ってるみたい。ホント、プライバシーのへったくれもないよね。
※加筆・修正しました
2020年5月24日 加筆・修正
表記の変更
ストーリーの一部削除
ストーリーの順序変更




