第八話 『勇者が魔王に勝てるはずがない』
◇◇
これは千年以上前のことです。
世界の歴史は、魔神の現出とともに始まりました。
ディストピアの誕生です。
当時はまだ勇者と呼ばれるような存在はおらず、人間の代わりに神々が、魔神率いる魔王と戦っていたのです。神魔大戦の時代です。
一説には、魔神が神々の不可侵領域に踏み込み、何か重要な神具を奪ったことで始まったと言われていますが、本当のことは分かりません。
数多の神々と原初の魔王が鎬を削り、戦禍は世界を荒廃させました。
勝ったのは魔神の勢力でした。
魔神は支配を確立するために、あるシステムを導入しました。
人間の生命力を「レベル」や「ライフポイント」という概念で数値化し、魔力を用いた様々な技能を「スキル」として体系化しました。そして、人間の自由や権利を制限するために、「称号」というものを作りました。
この世界たらしめる「称号システム」運用の始まりです。
――しかし、その直前に最後の神が動きました。
名はボウンダル神。神々がもはや見放した世界に降り立ち、ただ一柱、魔神の幽霊居城『ハローポット』に乗り込んだのです。
彼は、自分では魔神に叶わないことを知っていました。だからこそ、彼は称号システム運用開始のタイミングを狙ったのです。
ボウンダル神は、ネットワークにウイルスを流し込みました。称号を模ったそのウイルスを得た人間は、魔神や魔王に対して有効な特別な魔力を扱えるようになります。普通の紫苑の魔力と違って、青い輝きを持つ魔力を。
俗に、聖属性の魔力と呼ばれるものですね。
ボウンダル神は賭けたのです。
いつか人間の中に『勇者』が現れんことを。
システムに潜り込んだウイルスを消去するには、システムごと破壊するしかありませんでした。しかし魔神にはそれをしません。
魔神は、魔王を使って、ウイルスに適合した因子――即ち称号『勇者』を得た人間を一人ずつ倒していく道を選んだのです。
こうして、今現在へと続いていくのです。
◇◇ 沙智
「――ですから『勇者』はなるべく素性を明かさない方が良いのです。所在が魔神にバレたら、すぐに魔王がやって来ますからね」
「なるほどなるほど」
メイリィの話の最後に、俺は腕を組んでコクコクと頷いた。
これでヤマトがユニークスキルを明かした時にメイリィが怒った理由もきちんと納得できた。ヤマトのような名の通った人物がユニークスキルを明かすと、ステラにそうされたように、正確に素性が暴かれる恐れがあるという訳だ。
大いに納得。しかし、それとは別に問いたいこともあった。
「ところで、その紙芝居どこから出した!?」
「これが勇者秘書の実力です」
「紙芝居のどこら辺が秘書なんだ!?」
俺の叫びに、メイリィさんは眼鏡の縁を持ち上げてドヤ顔の披露。
早業だった。俺が「何で勇者は素性を隠すんだ?」と尋ねるのを待っていたかのように虚空から紙芝居を取り出し、疑問に即した説明を披露。
そしてこのしてやったり顔。何だか釈然としない。
「しかし魔王までいるのか、この世界」
「――――」
体を後ろに傾けて草原に手を付き、俺は何気ない呟きを溢す。
何となく嫌な予感が芽生えた。わざわざ尋ねなくても、彼らがこそこそと行動しなければならない状況ということだけで推察できるような予感だ。
それでも俺は、心の中にある、手放せば空へと浮かんでいきそうな不安定なもやもやを、どうにか晴らさなければならなかったのだ。
元の世界の様々なメディアから受け取った憧れと、目の前に広がる現実との間に巣くう、この断層をどうにか――。
「で、どっちなんだ?」
「何がだ?」
「魔神と勇者、どっちが優勢なんだ?」
意を決して聞いてみる。
予想通り、二人の顔色は暗かった。
「魔神が支配して千年、数多の勇者が魔王に挑み、そして滅ぼされてきた。長い歴史の中で、魔王を倒した勇者はたったの三人だけ。最大の勇者と謳われる英雄ボルケですら、二体の魔王を倒すも、魔神には到達できなかった」
「――――」
「そう暗い顔すんなって。みんな知ってることだろ?」
ヤマトは気安く笑ってくれたが、俺の気分は浮上しなかった。
だって、憧れは憧れでしかないと知ってしまったから。
話をしていると丁度昼頃になったので、俺たちはヤマトと一緒に食事を取ることになった。とは言っても、一緒にレストランに向かうとか、彼らが持ってきた食料のお裾分けをしてもらうとか、そういう訳ではない様子。
じゃあどうするんだと首を傾げると、ステラが草原のある場所を指差して、ものすごく不思議そうな顔で言った。
「そこにあるじゃない」
人差し指が指し示す先に、白い肉塊が六つ。
俺の目が自然とどんよりした色合いになる。
「なあステラ、『白犀』って食えるの?」
「鶏肉と一緒だよ?」
「本当に? お腹の中で合体してモゾモゾ動き出したりしない?」
「あんた、あの魔獣にどんなイメージ持ってるの?」
――無論、トラウマ的なイメージです。
微妙な顔の俺にステラは冷めた視線を向ける。だが呆れているところ悪いが、そのイメージ形成に一役買ったのはステラである。
とりあえず彼女の「弱い」というのは信用しないことにした。
いや、多分俺が弱すぎるだけだが。
ステラは、当初は距離を測りかねていた様子のヤマトとも、今では仲良く薪の準備をしている。その様子に安堵した俺は、料理では役に立たないので、邪魔にならないようにメイリィの換金作業を隣に屈んで眺めることにした。
スキルを発動しているのだろう。瞳を紫苑色に光らせながら、魔獣の角に触れて検分するメイリィに、俺は尋ねてみる。
「それって何に使えるの?」
「角や蹄は回復ポーションの原料になるのですよ」
「へえ」
「鱗は防具の材料になります。肉も食用として売り出されることはありますが、大した値段にはならないでしょう。通常個体が一頭当たり三百トピア、『主』が八百トピアといったところでしょうね」
締めて二千三百トピア。元々の目標金額はクリアしたものの、安いなあというのが素直な感想だった。メイリィの鑑定眼に不満がある訳ではない。ただ苦労と対価の釣り合いが取れていないように感じてしまうだけだ。
ステラが「楽な仕事でしょ?」とウインクしてくるが、無視だ無視。
「どうぞ、無くさないようにして下さいね」
「ありがとう。それにしても『鑑定』スキルってメニューの覗き見以外にも使えるんだな。知らなかったよ」
「あらら、『鑑定』は持っていませんか?」
トピア硬貨がジャラジャラ入った麻袋を俺に渡したメイリィは、「あると便利ですよ」と穏やかな笑みを浮かべる。
「触れたものの価値や中身を一瞬で見極めることができますから、市場でヤマトが粗悪品を掴もうとしてるのを確実に止められます。――まあ私が『鑑定』を覚えたのは趣味の歴史探求のためであって、彼を世話するためじゃないんですけど」
「いつもすまんな!」
「そう思うなら、もう二度と変な壺は買ってこないでね」
あまり期待していなさそうなメイリィの溜息に、ヤマトは苦々しい顔で視線を逸らす。変な壺、買っちゃったのか。
メイリィの苦労はまだまだ続きそうである。
俺が同情を向けたのと、彼女が怪訝な色を浮かべたのは同時だった。
「――というか、七瀬さんは何というか」
「ん?」
「あまりものを知らないみたいですね」
ギクリと内心で笑みが固まる。
「最初にした『勇者』の話も、今の『鑑定』についての疑問も、誰もが知っている常識です。なのにあなたは知らなかった」
「えっと」
「レベルも1ですし、まるで大事に育てられてきた世間知らずのお坊ちゃまが、使用人から衣装を借りて飛び出て来たみたいです」
「おいメイリィ」
「分かってるわ」
学校指定のポロシャツが貧乏臭く見えるのかとか、レベルを上げておいた方が良いとはこういうことかとか、色々と思うところはあるが、それより問題は不思議がられている――というより怪しまれている現状だ。
ヤマトが窘めたことでメイリィの追及は止まったが、どうしたものか。
俺が異世界から来たということ。
ヤマトやメイリィに事情を話して協力してもらうというのは、思わず飛び付きたくなるほど魅力的な案ではあるのは確かだ。
ただ話を聞く限り勇者というのは大変らしい。彼らに俺の問題の一端を背負わせてもいいのかと戸惑う自分もいるのだ。
「――むむむ」
眉を寄せて、俺はじっくり考えようとする。
その時だ。脇腹につんと感触を得たのは。
「ねえ、沙智」
「何だよ?」
「話してみたら?」
いつの間にか隣に腰を下ろしていたステラが、赤い髪を押さえて朗らかに顔を傾けた。若葉と風の中で、その声は温かく。
複雑に考えていた心の柵が溶けていくのを感じた。
ステラの小豆色の瞳に慈愛が浮かぶ。
「ヤマトやメイリィがせっかく自分たちのことを話してくれたんだしさ、沙智も難しく考えないで乗っかればいいと思うよ。私を頼ってくれるのは嬉しいけど、私にできることには限度があるもん。それにさ」
「それに?」
「手を貸してくれる人は一人でも多い方がいいよ」
難しく考えるな。その言葉とは裏腹に、穏やかな少女の微笑には様々な感情が複雑に見え隠れしているように思えた。俺の未来を祝福する温かい感情の中に、寂しさとか、悲しさとか、そんなものが垣間見えた気がして。
それなのに言葉は驚くほど滑らかに心の中へ溶け込むのだ。
俺は自然と真剣な眼差しになって、件の二人を見た。今のやり取りを経てどんな選択をするのか、二人は静かに待っているようだ。
――よろしい。ならば語ってやろうじゃないか。
「あのさ、俺は実は――」
何か事態が変わるかもしれないという少しの期待と、やっぱり何も変わらないのではないかという大きな不安を抱えながら、言葉を紡いでいく。
その隣で、ネックレスの紐を指で弄るステラは少し寂しげだった。
§§§
「わざわざ送ってくれてありがと」
「気にしなくて良いのですよ」
昼食を済ませた俺たちは、ヤマトらに送られて、はずれの町西入り口まで戻ってきていた。因みに『白犀』の肉は完全に鶏肉と一緒だった。やや淡白とか、やや歯ごたえがあるとか、そういう違いすら分からないほど鶏肉だった。
まあ、肉の味がどうだったかはどうでもいいのだ。
問題の話だが――。
「お伽噺のような心躍る異世界の話を聞かせて頂いたのに、全くお役に立てなかったことに対するせめてもの補填ですから」
「元の世界へ帰る方法があるかは調べといてやるよ」
大した進展はなし。予想通りである。
俺が異世界転移したという話をすると、二人は最初こそ驚きのあまり惚けていたものの、すぐに親身になって聞いてくれた。
再び世界を越えるような方法を知っているかという問いについては、ゆるゆると首を横に振られてしまったが、充分である。
寧ろ「魔法を使わなくてもテレポートできたり!」とか「浮遊大陸とかあるかもしれないぞ!」とか期待を膨らませる二人に焦ったのは俺だ。
実際には、そんな夢のある世界ではないのだから。
「――――」
そう、この世界に夢なんてなかったのと一緒で。
「明日はメイリィ以外の仲間も連れて、またこの町に来るつもりだ。会うことがあったらそん時はよろしく頼むよ。じゃあな」
爽やかな笑顔で手を振って、踵を返すヤマト。その群青の肩マントに施された五芒星の刺繍を何となく眺めながら思い出す。
この世界はディストピア。世界の玉座に千年もの時を魔神が居座り、配下の魔王に対して勇者は劣勢。歴史上倒された魔王はたったの四体。最大の勇者と謳われた者でさえ、二体倒すのが限界というような世界だ。
ヘルプと叫べば一目散に駆けつけてくれて、異世界転移のことを調べておくとも言ってくれるほど、ヤマトは良い奴だ。
なのに、そんな勇者が目指す先は真っ暗で――。
「ああ、そうだ」
十メートルほど歩いて、不意にヤマトが足を止めた。何か言い忘れたことでもと首を傾げる俺に、彼は笑った。
「さっきはついこの世界の暗い側面ばかり語っちまったが、実際はそうでもないかもしれないぞ?」
「え?」
「何たって俺も、二週間前に魔王を倒したからな」
ヤマトが言ったことの意味を俺はすぐに理解できなかった。だが、口角の上がった彼を見ていると、じわじわと。
その衝撃が、じわじわと。
「は、はあ!?」
「嘘でしょ!?」
ステラの顔を窺うまでもなかった。
これは、まさしく快挙である。
硬直した歴史を動かし、彼は四人目の英雄となったのだ。
「今、この世界には『勇者』の称号を持った人間が五人もいる。魔王に淘汰されることなくこれだけの数が残ったことは過去にない。俺たち勇者五人は、それぞれ魔王を倒して、反撃の狼煙を上げることを約束したんだ」
自信に漲る力強い声。過去に三人しか成し得なかった成果を握り締め、空へと掲げる後ろ姿に、ドクンと胸が鳴るのを感じた。
そこにあるのは、いつか小説やアニメで見た姿。
「――――ぁ」
憧れた。ページを捲ればいつだって格好良い主人公の姿があった。
強大な敵を前に、何度も挫折を味わいながらも、最後には劇的に世界を救ってみせる英雄の後ろ姿。その雄姿に俺が一体何度心躍らせたことか。時代、媒体――そんなものは関係ない。彼らは文字と絵の世界から、つまらない日常に辟易としていた俺たちの心に眠る衝動を、幾度も呼び覚ましてきた。
「始まりは俺だ!」
ここにもいた。憧れたお伽の世界の勇者が。
魔神にはきっと届いていない。でも感動に震える俺には届いた。
それはヤマトから世界への、間違いなく宣戦布告だった。
【沙智の憧れ】
ステラ「あんたって何かなりたいものあるの?」
沙智「秘密だ」
ステラ「隠さなくてもいいのに。ヤマトのことずっと見てたもんね」
沙智「――――」
ステラ「壺買いたいんでしょ?」
沙智「違うわ!」
※加筆・修正しました(2021年5月21日)




