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第十九話  『すでに桜は散っている』

Red-country's Festival

Day 4


「じゃあ、行ってくるよ」


 競赤祭四日目、あの脅迫状に指定された正午まで残り四時間強。

 もし敵が、聖剣の引き渡しに応じない構えの俺たちの動向を察知していた場合、何か仕掛けてくる可能性が最も高い頃合い。そういう意味で、シアンさんに誘われた絶妙なタイミングの「デート」に乗るのは危険だった。


 それでも俺は、宿の玄関に屈み込んで靴紐を結ぶ。

 背後では、ステラが心配そうな表情で俺を眺めていた。


「おいおい、言いっこなしだろ? 俺はシアンさん、ステラたちはセリーヌさんと接触して、白か黒か確かめるって昨晩決めたんだから。――それで容疑者を二人まで絞れるんだ。犯人の特定まで頑張るかはともかくな」


 デートに大挙して押しかける訳にはいかないので、シアンさんサイドは基本的には俺一人で対応する。万が一の際にはレイファを呼ぶが、あの悪魔がいれば正直それ以上の戦力は必要ない。そのため、余った人員の有効活用ということで、ステラたちには極めて白と考えられるセリーヌさんの確定を任せることとした。


 尤も、本命の敵とかち合う可能性も否定できない。

 その場合も考慮して、集合場所は渓谷奥の『渚の岬』とした。

 直接、ロブ島へ逃げられるように。


 ステラはまだ不安な様子だったが、俺の決心が変わらないと分かったのか肩をすくめた。そして、何やらポケットから取り出して渡してくる。


「沙智、これ」


「何?」


「前に借りた聖剣の欠片だよ」


 掌に乗せて、赤の国すごろく探検に向かう直前に渡したなと思い出す。

 聖剣の一破片は、誤って刃先で怪我しないように透明な樹脂でコーティングされ、ついでに綺麗な赤い紅葉が飾りとして添えられていた。

 不思議に思って顔を上げると、ステラはほのかに頬を赤らめる。


「セシリーに教えてもらったの。思いを込めて削った石を持ってると、危ない時に持ち主の命を救ってくれるんだって。まあ硬くて削れなかったからこういう形したんだけど。聖剣で作ったらご利益がありそうでしょ?」


 また余所から面白い知識を仕入れていたようである。

 ジェムニ教会で雷鬼王への反撃の手段を失った俺を守ってくれた聖剣エクスカリバーの破片ともなれば、ご利益は期待できそうなのは確かだった。

 俺はお礼を言って、それを胸のお守りに仕舞うことにした。


 準備が完了し、リュックを片手に立ち上がる。

 そんな俺に、ステラは笑顔を作って。


「白か黒か確定しない内に墓穴掘るなよ!」


「精々気をつけるよ!」


 パチンと、掌を重ね合った。





§§§





 待ち合わせは、明日の午前八時、赤の国西部の星見公園で。

 星見公園は丁度宿から目と鼻の距離にあったので、俺も迷わずに行けそうだった。ただ実際に着いてみると、燦燦と照る太陽の熱を明るい砂地が反射する、星を拝むには息苦しい灼熱の公園だった。

 その公園のジャングルジムに、彼女は背中を預けて待っていた。


「おはようございます」


「――お時間頂いてありがとうございます、七瀬さん」


「いえ、俺も楽しみでしたし」


 俺がそう言うと、シアンさんは和やかに笑みを浮かべた。

 彼女は麦色のつば広帽子を被り、愛らしい桃色のシャツに、ベージュのレーススカートという涼しそうな夏衣装だった。当然腰には銀色の細い聖剣、スカートの裾には五芒星のマークと、勇者らしさも忘れていない。

 灰色の尻尾は、背中に沿わせているのか今は見えなかった。


 俺は、なるべく自然体を意識して彼女に近づく。

 これが、普通のデートで終わる可能性だってあるのだ。


「今日は特段暑いですね」


「ええ、少し落ち着ける場所に移動しましょう」


 シアンさんはそう微笑んで公園から歩き出す。

 俺もそのまま続こうとして。


「――――」


 瞬間、腹の奥底で何かが喚いた気がした。

 一昨日の勇者会議の場と、実を言えば昨夜の勇者会議の場。これらに続いて、三度目ともなれば、この違和感が何か嫌でも理解できた。――胃痛の前兆だ。

 それが爆発しないことを切に願って、俺は歩き出した。





 さて、俺の芳しくない体調面はさて置き、シアンさんに連れられて辿り着いたのは、俺も良く知る場所だった。ガラス窓が目立つお洒落な白い建物。玄関先にはモミノキが目立ち、ドアを開けると涼やかなベルの音が来客を歓迎する。思えば、彼女と初めて出会ったのも、カフェ前の広い階段だった。


「落ち着ける場所ってフィンチズカフェだったんですね」


「おや、ご存知でしたか?」


 俺が店内を見渡しながら呟くと、シアンさんは少し残念がる。

 普段は午前九時からの営業らしいが、今日は予約していたのだろう。開店一時間前でも綺麗に清掃され、店内は落ち着いた雰囲気に仕上がっていた。

 昨夜振りのセシリーさんに一礼し、軽く挨拶して奥へと進む。


 シアンさんは帽子を取って、窓際に三つ並ぶテーブル席の一番奥を選ぶ。

 俺も彼女の向かいに腰掛け、リュックを隣の窓側の席に置いた。


「ご注文をお伺いします」


「桜饅頭とコーヒーをお願いします。砂糖はなしで」


「俺も同じのを、砂糖ありで」


 セシリーさんは会計票にさらっと記入して、お辞儀して離れていく。

 その淡々とした様子に、俺は違和感を覚えた。


 彼女と言えば、世間話が好きで、油水の如く話題を提供してくれる、お喋り好きな人という印象があった。それが今日は妙に言葉数が少なく顔色も悪いように思える。特に、シアンさんとは、注文時もお互いに目線さえ合わせなかった。まるで、二人の間には目に見えない溝があるような、そんな違和感。


 ――ミシェルのことか。

 気づいたが、敢えて口には出さなかった。


 さて、当のシアンさんは本当に誠実な人だった。

 他の四人の勇者に対してはズバズバと切り込み、アルフに対しては敬語すら外れる。そんな彼女も、初対面の相手や、あまり接点がない相手に対しては、驚くほどに物腰が柔らかい。居丈高に振舞うことも決してない。

 セリーヌさんが評した通り、周囲を頻りに窺う子猫のような人だった。


「改めて、アルフを預かってくれた件ありがとうございます」


「気にしないで良いですよ」


「ヤマトにもお礼を言わなきゃいけませんね」


「え、何でですか?」


 あの迷子騒動にヤマトは一切関わっていないのだが。

 そう思ってコトンと首を傾け、それが失言と遅れて理解する。。


「あなたのパーティーリーダーなんでしょ?」


「――、ああ、そうです! そうでした!」


 慌てて、俺は左右に両手を振って誤魔化す。


 彼女ら勇者の前では、俺はヤマトの従者という設定だった。今朝のステラの忠言を忘れてはなるまい。シアンさんが実は白で、地雷を踏んだ俺が「六人目」を知る人物を無意味に増やしたという結果は、笑いものである。

 そうだ、墓穴を掘ってはならない。


 焦る俺に、不思議そうに首を傾けるシアンさん。

 その様子に不味いと悟り、俺は急いで話題を逸らした。


「ア、アルフとは長い付き合いなんですか?」


「半年前に偶然出会ったんです」


「もしかして初対面でいきなり飴をねだってきたりとか?」


「ふふっ、当初は静かだったんですけどね」


 アレが静か、だと?

 冗談も休み休み言って欲しい。


 道中で飴を頬張っている子供を見つければ羨ましがって騒ぎ出し、迷子になり、楽しそうなことを聞けばキラリと目を輝かせて混ざろうとし、迷子になり、すぐに調子に乗って格好つけようとして、そして迷子になる。迷惑を掛けることに関しては、他を寄せ付けない才覚を発揮する、あの兎が静か?

 ――嘘だな、俺は確信した。


「あの兎の騒がしさは一級品ですよ」


「やっぱりそう思います?」


「ええ、ネミィと足して二で割っても、良い塩梅にはならないです」


「そう、ですね」


 ネミィの話題を出した途端、シアンさんの声は元気をなくした。

 ある種、想像通りすぎる反応に、俺の中で無遠慮な探求心が騒ぎ出す。


「――――」


 これは、あるいは酷く独善的な感情だ。

 人の心を勝手に覗いて知った気になろうというのは、それこそ悪魔の所業なのではないか。人が嫌がる規制線の向こう側を踏み荒らして、知りたいという感情を身勝手に押し付けるのは、趣味が悪い。

 そう分かっていて、それでも知りたかった。


 暴走した『魔王』ミシェルを殺さなければならなかった苦汁の決断には同情するが、色んな人々の心に優しく寄り添ってきた勇者が、なぜネミィの悩みには寄り添うことなく放ってしまったのだろうか。

 少女から大切な人を奪ったことに、負い目でも感じているのだろうか。

 シアンさんが、少女をどう思っているのか、知りたい。


 喉奥が熱くなり、声が漏れ出す。

 規制線が、千切れた。


「ネミィのこと、知ってますよね?」


「――無口な子です」


 掘り下げようとすると、明らかにシアンさんの様子が変わった。 

 黄色信号が灯るも、声は止まらない。


「シアンさんが、ここに預けたんですよね?」


「――ええ」


 彼女の耳が前に垂れたのが見えて、脳は自制を訴える。

 でも、やっぱり声は止まらなくて。


「ネミィは――」


「こちら桜饅頭になります。ごゆっくりと、どうぞ」


「――っ」


 ブレーキを踏んだのは、酷く他人行儀なセシリーさんだった。

 彼女はテーブルに桜饅頭が乗ったお皿とコーヒーを置くと、俺たちの顔を窺うこともなくお盆を抱えて踵を返した。驚いて、メイド衣装の背中を呆然と眺めていると、シアンさんが俯いたまま低く喉を鳴らす。


「その話は、止めてもらえませんか?」


「――――」


「すみません、お願いします」


 震える声は、何かに縋るようで、何かを拒むようで。

 俺は視線を落としただけだった。





 それから数分間、気まずい時間が続いた。

 お互いに手持無沙汰を誤魔化すよう、饅頭をフォークで突いた。


 踏み込み過ぎたという自覚はある。だが自分を叱咤する一方で、シアンさんのネミィに対する反応が予想を超えて過剰だったので面喰ってしまった。やはりネミィからミシェルを奪ってしまったという罪悪感が今なお彼女の心に深く根付いているのだろうが、だとしても、震える声は切なくて、苦しくて。

 シアンさんもそうだが、セシリーさんの反応も異常というか、敏感すぎる。先程の彼女の行動は明らかに会話を遮るようなものだった。まるで、彼女までもが、ネミィの話をして欲しくないみたいに。


 何で聞いてしまったんだろう。

 そう考えた時に、浮かんだ答えは一つだけだった。


「――――」


 俺は、シアンさんを黒だと思いたくなかったんだ。

 だから彼女の善性を引き出そうとした。


 自分の馬鹿さ加減に呆れて、一度コーヒーを飲んで落ち着こうと白い湯気の立つマグカップに手を伸ばす。

 しみじみと感慨に耽るような声が聞こえたのは、その時だった。


「――桜って良いですよね」


「え?」


 突然の話題提供に、俺は思わず頓狂な声を上げる。

 すると、彼女はどこか懐かしそうに目を細めて、白い陶器のお皿に描かれた一枚の桜の花びらを白い指でなぞった。


「昔、母から貰った絵本に綺麗に描かれていたんですよ」


「絵本、ですか?」


「ええ、実在しないのが残念でなりません」


 やはりこの世界には桜は存在しないのか。

 だとすると、その知識を持ち込んだのはサクに違いない。


 俺も彼女につられて、手元のお皿の可愛らしい模様を見下ろした。

 麦色の饅頭が二つ座っていたその席には、五枚揃った一輪の桜ではなく、一枚の花びらと三本の雄しべだけが、控えめに、それでも美しく描かれていた。

 その変わった意匠は、不思議と俺を懐かしい気分にさせる。


「綺麗な花なら、探せば結構身近にありますよ?」


「それでも、桜という言葉に、美しさを疑う人はいないでしょう」


「――――」


「勇者という言葉に、正義を疑う人がいないように」


 儚げにそう微笑み、彼女はマグカップは小指で弾く。

 俺には何だか、その正義という言葉だけが、酷く揺らいで聞こえた。


 ガラス窓から放射状に伸びる陽の光が、背筋を正して座している彼女を照らし出して、その眩しさとは対照的に彼女の顔に影を鮮明に映し出した。まだ日が昇って間もないというのに、そこにはもう、黄昏時のような侘しさがある。


 シアンさんは一度目を瞑り、次の瞬間には鋭い眼差しを俺に突き付けた。

 その時には俺も、覚悟を決めた。

 

「――本題に入りましょう」


「本題、ですか?」


 内心で落胆の色を隠し切れず、何かの間違いではないかと、往生際悪く期待して復唱する。あわよくば冗談でしたと笑い飛ばして、アルフの愚痴でも溢し始めないかと、みっともなく期待する。

 だが、そんな淡い期待を、鋭い声は許さなかった。


「もしかしたら、あなたは私の意図に最初から気づいていたのでは、と疑っています。どうですか?」


 その声は、桜というよりバラのようだ。

 口調は丁寧で綺麗なままだが、その内には無数の棘がある。


「そりゃ、ただのデートのお誘いだったら嬉しかったですよ。できれば、そうあって欲しかったです」


 俺は悔しさを噛み殺して、俯き加減に答える。

 ガクガクと震える俺の肩に目を細め、シアンさんは冷酷に続けた。


「あなたは、非常に頭が回る」


「――――」


 脅迫状に応じない俺の動向を察知したなら、必ず仕掛けてくる。 

 そうは思っていたが、あんまりだ。


「あなたは、ヤマトをも誑かした」


「――――」


 なるほど、俺が六人目だと黙ってヤマトの従者になったと思っているのか。

 事実とは違うが、この際、それは問題ではない。


 俺は、心のどこかで、切ないけれどもまだ救いのあるストーリーを、子供みたいに望んでいたのかもしれない。ネミィの慕っていたミシェルを倒した勇者は、どうしても戦わなければならなかったんだって。せめて一人でも多くの笑顔を選び、救えなかった幸せに涙を流す優しい勇者なんだって。


 信じたかった。

 間違っても、魔神信仰会と癒着するような敵ではないんだって。


「私の本題、分かりますよね?」


 シアンさんは眼光に敵意を宿して、その右腕を徐々に上げていく。

 厳しい棘だらけの声に、下唇を噛みしめる。


 心の底から悔しい。

 できれば敵であって欲しくなかった。でも、仕方ないよな。

 戦うと、そう誓ったのだから。


 俺は奥歯をギッと噛み潰し、左手を隣の椅子に座るリュックへ。

 ――その時だった。


『――――』


 ドアベルが鳴った。

 前後の窓ガラスが割れて飛び散る。

 カウンター奥の戸が開かれる。

 食器が、割れる。


「なッ!?」


 彼らは、突然現れ、瞬く間に俺を取り囲んだ。

 玄関口から、窓の外側から、奥の厨房から、インテリアの観葉植物の影から、カウンターの下から、二階へ続く階段から、あらゆる場所から現れてテーブル席を囲う。その手には、如何にも切れ味の良さそうな剣や、数度叩くだけで頭蓋骨を粉砕できそうな鈍器を、確かな戦意と一緒に光らせる。

 彼らには耳や尾があり、一目でシアンさんの部下の獣人だと分かった。


 右腕を上げる合図から、予行練習をしていたみたいに、一瞬。

 バクバクと激しく心臓が泣き喚く。嵌められたと理解した時には手遅れだ。カウンターでは獣人たちに守られて、セシリーさんが申し訳なさそうに俯いている。

 そして目前には、聖剣を右手に添えて、瞳孔を開く灰色の猫。


「策謀は終わりよ」


 額に汗を浮かべながら、今では思う。

 彼女が黒と確定する前に、自身が六人目だと墓穴を掘ってはならない。そこに気を取られて、より知られてはならない秘密を、失念していたと。

 だからこそ、彼女の言葉は鋭い凶器となって――。


「――赤毛の『魔王』のお仲間さん?」


 急転直下で、俺の心臓をぶち抜いた。


【秘密の首飾り】

 琥珀のような宝石が煌めくアイテムだよ。これを身に着けていると、持ち主のレベルやライフゲージを隠蔽できるんだ。称号やスキル構成みたいな、より深くまで探れる『鑑定』スキルの効果も遮断できるんだよ。私ははずれの町で入手したものを、沙智はヤマトから貰ったものをそれぞれ身に着けてるんだけど――。



※加筆・修正しました

2020年5月15日  加筆・修正

         表記の変更

         ストーリーの追加

          ・聖剣の破片


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