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第十五話  『魔法は円環によって発動している』

 赤の国への出発が決まり、朝から忙しなく動き出す。

 トオルは旅費を稼ぐために北西の魔獣地帯に向かった。ステラは一度俺の様子を見に来た後、ヤマトに会いに勇者会議に向かう予定だそうだ。

 魔神信仰会と手を結んで聖剣を虎視眈々と狙っている勇者が、五人の中の誰か分からない以上、事は、迅速に、丁寧に、行われなければならない。


 一方で、軟弱な俺は修行回だそうだ。

 赤の国の観光客歓迎の看板を越え、少し南に歩いた森の中。

 そこで、レイファは笑顔で掌を伸ばす。


「――ようこそ、ここがわしの秘密基地じゃ!」


「何だこりゃ?」


 俺は、目の前に広がる構造物に愕然と肩を震わせた。

 落ち葉の絨毯の先には太い幹の樹齢何百年もありそうな立派な大木があり、その大木にはベニヤ板で作られた螺旋状の階段と小屋が取り付けられていた。

 どこからどう見ても、紛れもなく秘密基地である。


 痛烈に、敗北感を感じざるを得ない。

 昔、どこぞの人が立ち入らない鬱蒼と茂った場所に、ブルーシートだけ広げて妹と秘密基地だと騒いでいた、何年前かの自分が恥ずかしい。


「良いじゃろう? 風が木々に分断されて穏やかに吹き渡り、木の葉の揺らぎは温かな木漏れ日を生み出す。近くに川も流れておるし、優良物件じゃぞ?」


「もう、ずっとゴロゴロしてたいな」


「せめてステラが茶菓子を持って来るまでは頑張ってみい」


 自慢に乗じて駄々をこねてみたが、効かなかったようだ。

 俺は秘密基地となっている椚の根元にリュックを置く。レイファも隣に荷物を置き、道中露店で購入したたこ焼き串を咥えながら、辺りを見回した。


「念のため結界は張っておくぞ。――『魔力結界』」


「おお?」


 この悪魔、一体どこまで有能なのか。


 魔神信仰会の連中に所在を把握されないようにするため称号『認識外の存在』は有効にしてある。仮に『探知』のマーカーをつけていたとしても、これで俺を追跡することはできない。一方で聖剣の破片を包む麻布には、レイファに魔力阻害の特殊な術式を掛けてもらったので、こちらも安心だ。


 ただ、それでも用心深く、という考えなのだろう。

 石橋を叩いて渡るが如く、レイファは地面に触れて魔力を行使する。周囲に立方体の赤く薄っすらとした膜が現れ、すぐに周囲の色に溶け込んで消えた。

 これで、外と魔力を断絶する空間の完成だった。


 そして、異変は起きる――。


「む?」


「何だ?」


 背後で、ガサッっと何かが落ちる音がした。

 枯れ枝やドングリが落ちたにしては重厚感のある音に驚いて振り返ると、落ち葉の絨毯の上で灰褐色の物体が何やらもぞもぞと動いているではないか。

 俺はレイファと顔を合わせて近寄ってみると、それは一羽の鳶だった。


「え、枝から落ちた?」


「怪我はないようじゃの」


 レイファが慎重にトビを抱えて羽や脚の様子を窺った。猿も木から落ちる――なんて諺があるが、猿にせよ鳶にせよ、間抜けな話には違いない。

 鳶は最初は混乱していたのか暴れていたが、レイファの手に悪意はないと理解したのか次第に落ち着きを取り戻し、数分後に礼も言わずに飛んで行った。


 不思議な話もあるものだ。

 俺は腰を伸ばして、鳶が消えた空を仰ぎながら尋ねた。


「結界にビビッて落ちたのかな、あのアホな鳥?」


「この結界はあくまで魔力が漏れないようにするだけであって物理的な結界ではない。魔力を持たない鳥が影響を受けるはずがないんじゃがのう」


 一体何だったのか。

 立つ鳥はやはり、少しも跡を濁さなかった。





§§§





 気を取り直して、肝心の修行回である。

 今回レイファに確認してもらうスキルは、火魔法と『聖剣作製』の二つに絞った。この二つが最も使い勝手がよく、応用が効くと感じたからだ。


「『ファイアボール』!」


 じっくりと右手の中心に意識を集中させ、白い光とともに小さな火球を生成する。一見便利なのだが、一歩間違うと火傷してしまう危険な魔法であるため決して余所見はしてはならない。


 精錬されていると前方に掌を添えるだけで火球が独りでに飛んでいくらしいが、今の俺のレベルでは野球のボールを放るのと同じように振り被って投げる必要がある。俺の手元から放たれた火球は五メートルほど空を切って、落ち葉の山に落下して大火災になる前にふわりと消滅した。


 まあ、上出来だろう。

 胸を張ってレイファに感想を求めると――。


「はあ、完全に初心者じゃのう」


「おい!」


「飛空距離も短いし、火力もマッチ並みではないか」


 この悪魔、歯に衣着せるつもりが全くないようだ。

 火魔法の適性すらなかった異世界転移当初と比較すれば大きな進歩で、ここに至るまでの苦労を考えるとレイファがあからさまな溜息が妙に腹立たしかった。


 つい先ほど特殊魔法の一端である結界を披露した魔法使いは、風魔法を唱えて足元の落ち葉を払い、数秒も経たないうちに今度は土魔法で丈夫な杖を作り出す。

 そして俺が悔しがる前で、悠々と地面に円を描き出した。


「良いか、魔法の基礎は『円環』なのじゃ」


「円環?」


「この世界の根幹にあるのは常に魔力じゃ。わしらは自然界からこの魔力を受け取って、時には普通スキルとしてそのままの形で、時には魔法として火や水などに変換した形で、魔力を自然に返しておる」


 何だか難しい話になってきたと、俺は顔を顰める。

 するとレイファはクスリと笑って、杖で地面に何やら模様を描き出した。俺は屈み込んで頬に手をつき待っていると、次第にそれは形を成す。

 幾何学模様の、いわゆる――。


「それ、魔法陣か?」


「これが、円環の理を最も意識した良い例なんじゃ」


「と言うと?」


「魔法陣は、自分の力量を超えるレベルの魔法を行使するための拡大鏡じゃ。自然の微細な魔力の流れを掴みやすくなり、より大きな力を行使できる」


「――あ」


 レイファの説明を聞いて、俺はピンと思い出した。

 はずれの町の情報屋の奥の部屋やシェルターでジュエリーが用意した魔法陣。町全体への呪いなど、確かに一個人が使える能力としては規格外だと感じていたが、魔法陣を利用していたからこそ可能だったのか。

 そう考えると、円環の理というのは、中々侮れない。


 俺が難しい唸り声を上げると、レイファは爽快に笑う。

 そして、今しがた描いた魔法陣の上に立って、こうアドバイスした。


「お主の掌と自然との間で魔力の小さなやり取りが交わされとると、もっと意識してみい。ほれ、こんな風にの。――『ファイアボール』!」


「え?」


 使い終えた杖を前方にひょいっと投げると、レイファは水平に突き出した右手の掌から俺の数倍のサイズの火球を射出して、見事に杖を焼き払った。

 十メートル程先で、杖が、黒焦げの塵になって消えていく。


 思いの他威力が低くて、少し不満げなレイファ。

 火魔法まで使われたことに、呆然と立ち尽くす俺。


「お前、何でもできるな」


 激しい嫉妬の念を込めて呟いたのは、言うまでもない。





 お次は、ユニークスキル『聖剣作製』である。

 これは触れた物に対して聖属性の魔力を付与するという、当初はどういう能力か全く分からなかった。しかも、対象が剣である必要はないという事実。

 改めてこの能力について説明すると、聖属性の魔力による攻撃の威力を高め、魔獣などが持つ瘴気の影響を抑える効果があるようだ。しかもその効果は乗算されるようで、土地に聖属性の魔力を付与して聖域を展開した後で、聖剣を作成して攻撃すると、威力が飛躍的に跳ね上がる。

 ただし、二分経過すると、全て光となって消滅する。


 一先ず、アドバイスを貰うために実演してみる。

 二分経過して、青白い光となって空に浮かんで消えていく落ち葉を眺め、レイファは落ち葉掃除に便利だのとふざけた感想を口にした。

 だが不意に、麦わら帽子のつばを摘まんで首を傾げる。


「お主、これは水にも効果があるのか?」


「いや、どうだろう?」


「ならば、実験してみるとしよう」


 そう手招きされて、向かったのは秘密基地からすぐ近くの小川だ。

 小さな灰色の岩である程度整えられたこの小川は、聞けば、彼女が昔東の水源から流れるよう作ったものらしい。本当に多才な悪魔だこと。

 レイファは川の畔に屈み込んで、また話し始めた。


「この世界には『聖水』と呼ばれるアイテムが存在する」


「ゲームとかによくあるアレ?」


「む、まあ似たようなものかのう?」


 俺の雑な確認法に、レイファは苦笑する。

 彼女は竹筒の水筒を水を汲みながら、『聖水』についてこう語った。


「生成過程も不明、産地も局所的で、極めて貴重なアイテムじゃ。これを瘴気を持つ存在……例えば、魔獣や魔王に浴びせるとどうなると思う?」


「どうなるの?」


「――毒のように作用して、体表が溶ける」


「怖いなっ!?」


 思いもよらぬ悍ましい返答に、身が震え上がる。

 人間の皮膚に塩酸を掛けたようなものだとレイファは笑って語ったが、俺は乾いた笑顔と一緒に鳥肌を立てるだけである。

 ゲームで敵モンスターの体表が溶けだしたら、発狂ものである。


 ところで、この『聖水』というアイテム。

 特徴は、水が聖属性の魔力を帯びていることに尽きるそうだ。


「故に、お主の『聖剣作製』であれば――」


「作れるかもしれない、と?」


「まあ、物は試しと言うじゃろ、ほれ」


 宙を飛んで来る水筒を慌ててキャッチし、へらへら笑うレイファを睨んだ。

 この悪魔はどうも先ほどから俺の慌てぶりや落胆ぶりを揶揄っているように思える。白いワンピース姿は容姿も相まって実に清楚なのだが、こうして腕を組んで仁王立ちしている点も含めて、何というか、勿体ない人だ。


「――良いな、魔法の基礎は?」


「円環、だろ?」


 先ほどの復習をして、俺は水筒の中に人差し指を突っ込んで詠唱してみる。

 しかし、上手く水に聖属性を持たせることは叶わなかった。きっと剣や建物と違って、水が液体で、不定形なのが難しい要因なのだろう。

 指を戻して、少しだけ深く考えてみる。


 コツは、魔力の円環を意識すること。

 そこで、両手で輪っかを作って水筒を持ってみた。

 範囲の指定である。


「『聖剣作製』」


 すると、どうだろうか。

 濁っていた水はみるみる澄み渡り、青白い光を放ち始めたではないか。


「おおうっ!」


 これには、俺も思わず感嘆の声を漏らした。

 成功を喜ぶと同時に、頭の中に下衆な考えが思い浮かぶ。


 確か、レイファの話では『聖水』は極めて貴重なアイテムだったはずだ。つまりこれは、夢にまで見た一攫千金のチャンスなのではなかろうか。

 自分の胸が、かつてないドキドキで高鳴るのを感じる。


「成功じゃな」


「こ、これで俺、お、おお、大金持ちに――!」


「二分で消えるがのう」


「…………」


 オ、オチが完璧じゃないですか。

 結局『聖水』も例に漏れず、レイファの予言通り、ふわふわと泡のように浮かんで広い青空へ消えていった。

 まさに、泡沫の夢である。





§§§





 秘密基地の方から正午を知らせる鳩時計が鳴く。

 稽古はこれでおしまいで、丁度良い時間だったので、俺たちはそのまま川の畔の大岩に乗って昼食を取ることにした。カフェで貰ったお弁当の包みを開くと、ふわっと煮物の香ばしい匂いが辺りを漂う。

 川のせせらぎを聞きながらの昼食は、格別だ。


「しかし、知れば知るほどお主のスキル構成はサクと似ておるのう」


「そんなに?」


「ああ、ソックリ過ぎて懐かしい気分になる」


 握り拳ほどの爆弾おにぎりをぺろりと平らげ、レイファは目を細める。

 思えば、レイファが俺に接触してきた理由は、サクとユニークスキルが似通っていたからだった。顔まで瓜二つというのは、いまいち実感に欠けるが。

 だが、彼女の感想を聞いて、かつて抱いた疑惑が再浮上する。


 俺のメニューは、女神サクが細工した可能性だ。


 普通の人にはないメニューのユニークスキル欄の『Undelivered』表示であったり、都合の良いタイミングで手に入るスキルや称号。極めつけが、それらを手に入れた時に、偶に聞こえる女の声だろう。

 ジェムニ神国でスキルを教わった時などを除いて、称号『勇者』や『聖剣作製』が手に入った時などは、必ず女の声が脳裏に響いた。

 もし、それがサクだとすれば――。


「ひょっとしたら、俺にスキルをくれてるのはサクかもしれない」


「スキルを譲渡する能力、か?」


「まあ、神様なんだから何でもありなんだろ?」


 レイファは唸り声を上げたが、結局は推論止まりである。

 今度サクと会ったら、じっくり問い詰めてやろう。


 そう勝手に納得したところ、レイファが妙な事を尋ねてきた。


「お主、『ゼロのその先』は持っておらんのか?」


「何だそれ?」


「ライフポイントがゼロになっても少しの間だけ活動できる、一度切りのユニークスキルじゃ。サクが持っておったスキルなんじゃが――」


 そこまで言い、レイファは「いや気にせんでいい」と首を横に振った。

 ひょっとすると、まだ一つだけ残っている『Undelivered』のユニークスキルがそれなのかもしれない。そう思うと少しドキドキする反面、少し不安だ。

 サクもまた、俺に何かを期待したのだろうか。


 期待、その二文字が今は重くて心の隅に放り捨てる。

 代わりに、レイファに楽しいエピソードを求めることにした。


「そう言えば、サクってどんな奴だった?」


「お主も知っておろう?」


「破天荒で突拍子もない事を言い出す、極めて理不尽な奴!」


 過去の体験を思い出して、滑らかな口調でサクを酷評する。

 レイファも思うところがあったのか、クスリと小さく苦笑した。


 それから、彼女は遠い空に目を細めた。

 木の葉の隙間から漏れる日の光と山鳥や川の奏でるハーモニー、これだけは、千年経って町がどのように変わっても、変わらずあり続ける。

 郷愁の記憶から、レイファが穏やかに語り出す。


「――この土地は、昔はイズランドと呼ばれておった」


「――――」


「随分田舎じゃったが、人々は活気付いておった。そんな彼らが、ある五日間だけは死んだように沈み込む。この土地に生まれた者は『イズランドの決まり』という称号のせいで、その期間は国から出られんのじゃ」


 渓谷でネミィから聞いた話と同じだった。

 理不尽な称号が、人の安らかな暮らしを蝕んでいく。


「この称号は、五日目にイズランドの代表者が空に大砲を放つことで効果が切れる。当時の人々は前日の夜から、早く早くと、不安に怯えて待ち望んだ」


 俺は、自然とジェムニ神国の事件を思い出した。

 あの時も、門が開かないと分かった途端、辛うじて保たれていた住民の秩序が崩れ去った。逃げ場のない逃げ場を探して、何人も俺の隣を駆け抜けた。


 今よりも魔王災害が激しかった時代だ。不安で仕方なかっただろう。

 同情して、俺まで気分が沈んだ時だった。


「――この五日間を笑顔溢れる日々に変えましょう!」


「は?」


「それが、サクのあの時の無茶ぶりじゃよ」


 朗らかな口調を真似して、レイファはウインクする。

 今までのきな臭い空気を吹き飛ばして、彼女は明るく語り出した。


「あやつは異世界の知識を持ち込んで、その悪夢の五日間で祭りを開いた」


「それって今の競赤祭?」


「そうじゃな。異界のお菓子や余興で町は大いに賑わい、称号を終わらせる大砲は華やかな花火へと変わった。誰もが夜空の星々よりも明るく咲く花火を、まだかなまだかなと、笑顔で待てるようになった」


 懐かしむように微笑むレイファの横顔に、鼓動が早まる。

 祭りは、称号を失くすような根本的な解決策ではない。それでも、彼女らが導き出した答えは、多くの人々を救った。サクに異世界の知識があったからではない。レイファに知識を体現できる力があったからではない。

 それは、紛れもなく、俺が欲してやまない――。


 ――“特別”だった。


 身体が熱を帯び、舌が猛烈に乾いていく。

 溢れ出す心音が、、自然が奏でるハーモニーを、強引に上書きする。


「――――」


「まあ、祭りで使う小道具は一から百まで、全部作らされたがのう!」


 もう、声は何も届いていない。

 初めて会った時の、俺の勘は正しかった。

 やはり、レイファだった。


 俺にはない、力がある。

 俺にはない、知恵がある。

 俺にはない、優しさがある。

 俺にはない、経験がある。

 俺にはない、胆力がある。


 俺にはない、特別がある。

 レイファには、答えを出せる力がある。


「あ、あのさあ!」


「何じゃ?」


 ネミィにとっての誰かが、俺だと思ったように。

 俺にとっての誰かは、レイファだった。


「ステラが『魔王』だって前に話しただろ?」


「ふむ」


「そ、その事でさ」


 声が、喉元に引っ掛かって、上手く音に出せない。

 身体の全身に縫い針を刺したように筋肉を強張らせ、ポカンとした表情で俺を眺めるレイファに向けて、何とか無理やり、思いの丈を引っ張り出した。

 それは、まるで神様にでも祈るかのように。


「――頼みがあるんだ」


【『イズランドの決まり』】

 一年のある五日間、赤の国で生まれた人は国境を越えてはならないという規定を示した称号だよ。その五日間だけメニューの称号の文字が黄色く光って効力を発揮するんだ。五日目に赤の国の代表が空に大砲を打つことで失効するんだって。――でも、何でこんな変な称号を魔神は作ったんだろう?



※加筆・修正しました

2020年5月7日  加筆・修正

        表記の変更


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