第七話 『渓谷をわいわい歩いている』
「――じゃからゲーム機は構造が分からんから無理と言っとるじゃろう」
「何で面白半分に解体しなかった子供の頃の俺ぇぇえ!!」
絶叫を響かせて競赤祭は二日目。
今日も今日とて宿の表のベンチから一日が始まるのだが、昨日と違う点はやはり、祭りで賑わう町の活況に負けじと俺が朝から騒いでいた事だろう。
ジョズエ氏曰く、昨日までの冷めようはどこへやら、だそうだ。
そんな宿の表口へステラが伸びをしながら顔を出す。
「おはよ、沙智」
「おう」
ちょこっと挨拶を済ませ、俺はすぐに手元の企画書に視線を戻した。
昨夜は早く寝ろと叱られ、全く進まなかった企画書である。
本当は愛すべきゲーム機を作りたかったのだが、その内部構造がどうなっているかなど、技術者でない俺が知る由もなかった。
構造が分からなければ、『万物創生』の力は借りられない。
「防犯ブザーとかなら簡単に作れるんじゃがのう」
「この子供大好きっ娘め」
寝言は寝てから言って欲しい。
とは言うものの、彼女が複雑な物をどの精度で作れるかは確かに興味がある。
唸り声を上げる俺の耳に、蚊帳の外からまた声が届く。
「ヤマトとの約束は今日の夕方だったよね。それまで時間に余裕があるって事でセシリーたちと北の渓谷に遊びに行く事になったから、早く準備してね」
「ほいほーい」
適当に相槌を打って、今は企画書に集中。
ステラは夢にも思うまい、俺がレイファと文明テロを企てているとは。大儲けした暁には少しなら……ちょっと待て。
企画書からパッと目を離し、ジジジと顔を動かす。
瞳に映ったのは、陽気な悪魔を不思議そうに眺めるステラ。
「渓谷に遊びに行くって、何?」
「ところで沙智、その人、誰?」
きょとんとした顔で疑問符を投げかけ合う俺たち。
教訓、「報・連・相」は大事です。
§§§
北の渓谷は、世界樹と並ぶ赤の国の観光看板である。
高地から谷底へ、そして谷底から向かいの小峰へ、その急斜面に生え揃う木々は季節に応じて様々な景色を作り出す。春は花の薄桃、夏は新葉の緑、秋は紅葉の錦、冬は白き雪化粧。
谷底にはダムから小川が流れ、澄んだ水には鮎が泳ぐ。
さらに奥の墓地を越えれば、ロブ島へ続く岬と海だ。
渓谷までは少々距離がある。
しばらくは馬車の旅だ。
「今日はオフなセシリーが渓谷を案内させていただきますねっ!」
この渓谷ツアーの参加者は七人。
馬車での送迎は面識のある御者である。
向かいの席には荷台の後方から順に、ステラ、セシリーさん、レイファ。こちら側の席には同順で、トオル、アルフ、不本意ながら俺、そして――。
「懐かれとるのう」
「放っとけ」
一番会話に混ざりにくい俺の隣の席に、氷のように無口な少女ネミィ。
興味本位でレイファやアルフが同行したいと願って出ることは容易に想像できたが、この少女まで同じような反応を示すとは正直意外だった。
彼女の同行が決まったのはカフェに顔を出した時の事だ。
――私も、行きたい。
俺の背中をツンと突いて、ネミィは静かにそう告げた。
相変わらずその表情はシベリアの万年雪のように凍てついたままだったが、心を閉ざしていた少女が初めて口にした小さな願いを無下にはできなかった。
この瞬間、「俺抜きで楽しんできてね」と言えなくなったのである。
今、馬車に揺られても、白髪の少女はやはり人形さんだ。
せめてこの渓谷ツアーが気晴らしになればと柄にもなく考えていると、荷台の後方でセシリーさん主催の事前勉強会がすでに始まっていた。
「――渓谷にあるダムは百年前までは実際に使われていたものです」
「もう使われてないんですね」
「ええ、今では水面に浮上性の水草が繁茂するとても綺麗な景勝地になっています。展望台からも見られるんですが、今日は特別にダムの天端へご案内しますね。私、鍵を持ってるんです」
天端とは何だろうかと頬に手をつきながら俺は尋ねてみた。
こっそり答えてくれたのは悪魔にしては気が利く奴だ。
「ダムを堰き止める堤防の上の部分じゃよ」
詳しく聞くと、半円状のその堤防とそれに繋がる鉄橋でダムを一周できるらしく、遊歩道として整備されているらしい。だが数年前に転落事故が起きて以来、天端へ上がる道は封鎖されているようだ。
さすがは千年生きた悪魔である。
因みにレイファは、昨夜のような禍々しい振袖は控えたようで、白いワンピースに麦わら帽子という百八十度回転したようなお淑やかな服装だった。
これで完璧な黒髪赤目の美女の完成。
恐ろしい、やはり悪魔だ。
「で、その鍵をどうしてセシリーが?」
「うちの家族が代々受け継いでいるんです。ダムが使われなくなっても豪雨があった時には適度に放水しなければいけませんから」
「観光資源を守るため、でしょ?」
「ええ、もし決壊しても海が広い懐で受け止めてくれますよ」
和やかに微笑むセシリーさんに俺は感心を通り越して嫉妬していた。
カフェの営業にダム管理まで熟す万能型で、おまけにコミュニケーション能力も抜群。何だか全力で生きている感じがひしひし伝わり、少し肩身が狭かった。
この国は特にそうだ。
自治会を頑張るジョズエ氏や、メルポイに人生を捧げる少女、花火親子――彼らの生き方を見ると、自分の将来への不安が漠然と浮上してくる。
俺は、何かになれるのだろうか、と。
「御者さん」
「何ですかい?」
「御者さんって何で御者になろうと思ったんですか?」
荷台の先頭で馬を引く彼に質問を投げかけたのに、大した意味はなかった。
ただ華やかな荷台の雰囲気に居た堪れなくなっただけだ。
だが、御者はどうだろう。
手綱を握る彼の拳がグッと強まったと思ったら、彼は遠い青空に流れる入道雲を、どこか昔を懐かしむような郷愁溢れる表情で眺め始めた。
数秒経って彼は、年季の入った、染み入るような声で応じた。
「――そりゃあ、私が『御者』だったからですよ」
この時、俺は御者の言った意味が正しく分からなかった。
ただ、灼熱の太陽に焼かれるその後ろ姿が印象的で。
「ま、今ではそれで良かったと思ってるんですがね!」
すぐに侘しさを吹き飛ばして満面の笑みにある御者の顔が印象的だった。
俺が御者と話している間、間に挟まれた氷の少女がずっと目を瞑って、荷台の縁で歌う雀の鳴き声に耳を傾けているのもまた、印象的だった。
やがて外の景色から人工物は消え、草木や花に溢れる自然となる。
ドングリがカラカラ転がるのを見つけたと同時に、馬車の旅は終わった。
§§§
この渓谷ツアー、俺の認識が甘かったと認めざるを得ない。
ただ山道をのほほんと散策するだけかと思えば、苦しい、苦しすぎる。幾ら斜面に沿った蛇腹道になっていると言えども、この傾斜を降るのは体力を使う。
結果、どうなったかと言うと――。
「お主、サクと違って体力ゼロじゃのう」
「だから放っとけって」
ガンガン進む前方集団とノロノロ歩く後方集団に綺麗に分かれたのである。
元より身体能力の高いステラ、トオル、そしてダムの放水管理で何度も足を運んだことのあるセシリーさんは当然、前方で和気藹々と進んでいる。
というか、すでに三人の背中が見えない。
因みに、曰く体力ゼロのもやしっ子、俺が率いるこの後方集団。
中々に不思議な顔が揃っている。
「ネミィ、疲れてないか?」
コクリと頷く小さな雪色の女の子。
淡々と歩いている様子を見るに、彼女が後方集団にいるのは子供には厳しいという理由ではなく、単に俺が後方にいるからな気がする。
なぜここまで懐かれたのか、本当に分からない。
レイファは差し詰め、俺たちのお守りだろう。
一番不思議なのは、目の前で木の棒を振り回す白い兎である。
「お前はぐんぐん前へ進んでいくタイプだと思ってたんだがな」
そして猪突猛進、注意散漫の結果、迷子になるタイプだと思ってた。
俺が視線で暗に補足すると、アルフはチチチと指を振る。
「甘いよ、さっちー」
「あぁ?」
「最後尾に気を遣うのが大人の対応だってステラが言ってたー!!」
俺は、かの邪知暴虐な赤毛の女王に嵌められたらしい。
察するに、飼い主がしっかりリードを持て、という事か。
「レーファもさっちーと同じで体力ゼロのへなへなっ子ー?」
「何じゃその嫌な呼び方は」
「俺を凝視しながら言わないでくれません?」
アルフの俺に対する評価が不当に低い気がするのは気のせいか。
丁度、数メートル先に大きな一本松の脇に古びた木のベンチが見える。標識がある分帰路の手前で、ベンチがあるという事は、あそこは山道の休憩所だろう。
占めた、と俺は内心で笑みを浮かべた。
タッタッタッと悪魔と兎を追い抜き、俺はベンチの上に仁王立ちする。
無論、偉そうに腕を組んで、である。
「いいか、そもそも俺はな――」
「ところでさっちーは前の三人なら誰がタイプー?」
「人の話を聞けぇっ!」
この兎に立場を分からせようとした時点で俺の負け。
あの陽気に揺れる長い耳はお飾りなのである。
それに――。
「恋バナには興味があるのう」
「だしょー?」
「因みにこの世界はハーレムエンドも狙える。全員選んでも別に構わんぞ?」
「世界が構わんでも俺が構うわっ!」
お節介者レイファを引きずり込んだ時点で兎の勝ち。
完膚なきまでに俺の負けである。
ベンチの上に立って目線を高くしたところで今の俺には威厳の欠片もない。
尤もそれだけなら肩を落として降参の意を示せば終わりだったのだが、そうは問屋が卸さない。ここにきて沈黙を守っていたネミィが参戦だ。
「お兄ちゃんはステラさん一択。ずっと見てた、間違いない」
「な――っ」
「ほーう」
「へぇー!」
一転、ベンチ上は黄色い目線を浴びるステージへ早変わり。
この時、俺がどれだけ焦っていたかは誰にも分かるまい。だって、お喋りな兎が、お節介焼きの悪魔が、囃し立てないはずがないだろう?
「ち、違う、良い子だなぁとは思うが――」
「ところでレーファ、結局へなへなっ子なのー?」
「だから話を聞けぇっ!」
するっとまた話題を変える兎の目ん玉を後で刳り貫こうと俺は心に誓う。
木の棒を掌で支えてマイペースな兎には、さすがのレイファも失笑だ。
「わしはお主らが道から逸れんよう見とるだけじゃ」
そう告げるとレイファは俺の隣に腰掛け、麦わら帽子を膝の上に置く。
一本松の木漏れ日が白いワンピースに影を落とす。
瞼を閉じて静かになった彼女をアルフは不思議そうに眺めていたが、内情を知る俺には分かった。レイファのこういうところは実に年寄り臭い。
銀杏や紅葉を揺らす爽やかな山風の心地良さ。
山鳥の囀り、落ち葉の合唱、遠く聞こえるせせらぎの音。
レイファは、それを肌で感じて楽しんでいる。
そんな自然の嗜み方を知らない兎はちんぷんかんぷんの様子だ。
アルフは待つのも苦手である。
「標識も一杯立ってるのに迷子になる訳ないよー」
「アルフ、そっちじゃない」
言うが早いか迷うが早いか、すぐさま分岐を間違える兎。
分帰路には目立つ色合いの大きな字で『ダムは左、展望台は右』と書いてあるのだが、そんなものをアルフが読むはずがない。
長い白耳が飾りなら、クリっとした瞳も飾りである。
これにはレイファも呆れて肩をすくめるしかない。
「良い機会だ、この際はっきり言っておこう、兎」
「ほ、ほえ?」
立場を分からせる。
涙目になった兎を見るに、当初の目的は達成できたようだ。
十数分後――。
ようやく辿り着いた谷底には、幅が広くて一様に浅い小川が流れている。そこには歴史が感じられるような欄干のない大きな石橋が架けられている。
その石橋の上に人影が三つ。
どうやら先行組は水分補給も兼ねて待っていてくれたようだ。
「遅かったね」
「違う、お前らが早いんだ」
タオルで汗を拭いながら、俺は唇を曲げた。
そのやり取りを石橋の橋名板に背中を預けて遠目に見守っていたセシリーさんは、穏やかな笑顔を浮かべ、「では説明を」とまたガイドを始めた。
「この石橋はダムの放水時には沈んでしまいます。向かいの小山を越えると墓地と岬があるんですが、今日は途中で右の脇道に入ります」
「脇道ですか?」
「あそこへ行くんですよ」
セシリーさんが川の上流部を左手で指し示す。
つられて顔を向けると、遅れて俺はその巨大な構造物を目の当たりにした。
高さは何メートルあるのだろうか。
視界を遮るように立ち塞がった巨大なクリーム色の壁――ダムの堤防に間違いない。荘厳な自然の中に違和感なく聳える様は、古の遺産とでも言うべきか。
自分でも不思議なことに、胸が躍っているのを感じる。
「あのダムの上へ向かいましょう!」
「――――」
「っと、その前に休憩します?」
来たばかりの後方組をセシリーさんは気遣ったのだろう。
正直、俺としては有難い提案だった。
小川の岸には人が腰を置けるような丁度いいサイズの岩がゴロゴロ転がっており、日陰になっているその場所へ誰もが一呼吸置こうと移動した。
そんな中、橋上から動かない者が二人。
ダムに見惚れる俺と、気まぐれな兎である。
「でも、ちょっと驚いたなー」
「何が?」
「ネミィが一緒に来たことだよ」
思い返せば、アルフはあの無口な少女と顔見知りだった。一昨日と言い今日と言い、この兎の少女は時折、ネミィの事を気遣う発言をする。
俺はそれが、何となく嬉しかった。
だから――。
「お前もそうやって人を案じてくれるんだな」
「そりゃそうだよ、だって」
橋名板に飛び乗った兎の表情を確認しそびれた。
奏でる音が変わる瞬間を。
「――ネミィの大好きだった人が、ここで死んじゃったんだもん」
山鳥の囀り、落ち葉の合唱、美しいせせらぎの音。
もう、同じようには、聞こえない。
【『テレポート』】
特殊魔法の一つ、空間転移魔法だよ。使用者の魔力容量によって移動できる距離や、一緒に移動できる人数、飛ばせる量が変わるんだって。他にも閉鎖空間からの脱出、移動はできなくて、一度行ったことのある場所じゃなきゃ飛べないらしいから、要注意だね。
※加筆・修正を行いました
2020年5月1日 後書きの修正




