第三話 『カフェはドアベルを鳴らしている』
『フィンチズカフェ』――俺たちが泊まることになった『アシルの宿』から徒歩五分ほどの高台にあり、桜饅頭が一押しのこじんまりとしたカフェだ。カウンター席と、窓際に並ぶ三つのテーブル席があり、一面ガラスの窓からは無数の星々が覗き込む。
「件のシアンさんには追い付けなかったか」
「その方もやはりアルフを捜しているんでしょうか?」
カウンター席で突っ伏す俺の態度とステラらの発言から察せられる通り、『第三の目』まで発動して急いで猫耳女性を追いかけたのだが、彼女はついに見つからなかった。
「アルフさん、また迷子になったんですね」
「なってないよー!」
「なっただろうがっ!」
意外だったのはこのカフェの美人なメイド服の店員さん――名をセシリーさんと言うらしいが――彼女がアルフと顔馴染みだったことだ。アルフの連れであるシアンさんとも親交があるらしいが、彼女と連絡を取る手段はないそうで、俺としては逃がした魚は大きかったという気分である。
「猫の獣人で名前がシアン、か」
一方、俺から猫耳女性の話を聞いて思案顔になる人間が独り。
明後日の方向を見つめて唸るステラに右端の席のトオルが問いかける。
「どうかしたんですか?」
「ねえアルフ、その人ってひょっとして『勇者』シアンだったりしない?」
言うに事を欠いて一体何を言い出すのか。
ただでさえ忙しい『勇者』がこんな手間のかかる重荷を持ち運ぶ訳が――。
「ギク」
「え? マジなのっ!?」
推測が図星だったのか、アルフはなぜか効果音を口にし耳をまっすぐ硬直させる。その後しまったと言った表情になるが、時すでに遅しである。
何て分かりやすい兎なのだろうか。
隠そうとする意思を微塵にも感じられない。
「勇者ってあの勇者だよな?」
「そ、五人の勇者の一人。『勇者らしい勇者』として知られてて、各地で寄付や無償の魔獣退治をしてるって噂だよ。その影響もあってヤマトよりも知名度が高いって話まで……沙智?」
ステラが途中で説明をやめる。
それはすでに俺の興味が別の事へ移ったと分かったからだ。
「ヤマトを差し置いて知名度が高い……ほーう、へぇー」
聞き捨てならないことを聞いた。
俺の中では勇者と言えばヤマト、ヤマトと言えば勇者で、その絶対的な立ち位置が揺らぐことは決してない。だからこそ彼よりも有名な勇者がいると聞けば、俺は彼の威信に賭けて聴取しなければならないのだ。
「アルフ君、まずはそのシアンさんについて尋ねるとしようか」
「ほえ?」
殺気立つ俺の目にアルフが怯えたのは言うまでもない。
以下が事情聴取の一部始終である。
先に言っておくが、これは別にコントではない。
テーブル席に移動して向かいに座らせ、お冷を用意。
手始めにシアンという人について尋ねる。
「飴くれる人ー!」
眉間にしわを寄せながら、一応丁寧に次の質問。
彼女と離れ離れになった時間と場所を尋ねる。
「いつだっけー? どこだっけー?」
水をぐっと飲み干し、雑に次の質問。
過去に同じような事が会った時はどうしたのか尋ねる。
「シアンがいつもやって来るー!」
思わず前に出そうになる拳を机の下に隠し、最後の質問。
アルフ自身についてさらに深掘りする。
「名前はアルフ! 一杯食べるからこれから数日覚悟なのだぜっ! 因みに実は今日が二十歳の誕生日だからプレゼントに飴をおねだりしてみたりぃー!」
「ステラぁぁぁあ! 代わってくれぇぇぇぇぇ!」
結論、このままだとストレスで胃潰瘍になる。
頭を抱えて激しくのたうち回る俺を、カウンター席からステラとトオルが憐れみの視線を向けてくる。不機嫌な俺とは対照的に能天気に笑っているアルフを見て、彼女らもまたこれからの苦難を察したはずである。
「まあまあ。シアンさんが『勇者』なら最悪でも明後日の夕方には会えるじゃない。それまではー、ほら、愉快な友達ができたって思ってさ」
暴れ疲れてカウンターに頭を沈めて動かなくなった俺をステラが何とかして宥めようとするが、完全に逆効果だ。勇者会議でシアンさんと再び会える明後日の夕方までこの兎の面倒をずっと見なくてはならない。それが如何に憂鬱なことか。
「愉快にも程がありますけどね」
「誰か、よく効く胃薬を用意しておいてくれ」
俺とトオルはすでにお通夜モード。
やはり興味を持ったからって捨てられた子兎を拾うべきでなかった。
「みなさん、とりあえず何か召し上がりますか?」
憔悴して突っ伏した俺に饅頭を一つセシリーさんがサービスしてくれる。
黒と白のメイド服を着飾る彼女の優しい気遣いだけが俺の胃薬だった。
カウンター席に戻った俺はメニューにあった如何にもお腹が膨れそうなセットを注文して、ぼんやりと右側の女子二人とセシリーさんの会話に耳を傾けた。厨房で調理している両親は寡黙な方々らしいが、セシリーさん絶え間なく舌を回し続けており、本物のコミュ力お化けだと怯えずにはいられない。
「この国で祭りがあるそうですね」
「はい、明日から五日間『競赤祭』が開かれます」
そう言えば町を歩いている時に連続旗や幟を何度か見かけたな。
ジェムニ神国よりも人口密度が多く感じたのはそのせいか。
「変わった名前の祭りですね」
「昔、称号『赤』を取り合って勇者と魔王が抗争を繰り広げた逸話から来ているんです。祭りの最終日には毎年恒例とても大きな花火が打ち上げられるんですよ?」
「それ見たいっ!」
「お前は黙ってなさい」
とても大きな花火、その単語に兎の好奇心が夢中になっていた饅頭の山から移る。折角少しの間だけ食べるのに没頭して静かだったと言うのに。
短パンから漏れ出した白い尻尾をぶんぶん振って連れて行ってと無言で訴えかける兎だが、果たして自分が迷惑を掛けている立場だと理解しているのだろうか。その耳引っこ抜くぞ?
「そんなに大きな花火なんですか?」
「それはもうとびっきりですよ。『赤の国自治の規定』第一条にも、『競赤祭最終日の花火は最大限盛り上げるべし』ってありますから」
「誰が作ったの、その規定っ!?」
観光客によく尋ねられるから説明も慣れているのだろう、セシリーさんは湯水の如く詳しい話を聞かせてくれる。その様子はさながら観光大使だ。話しながらでも手元の作業は実にスムーズで、背後の棚に綺麗に等間隔で飾られた白いお皿が彼女の几帳面さを物語っていた。
「皆さんは国外からいらしたんですよね?」
「ええ、そうですよ」
「なら花火と同じくらい『世界樹』もオススメですよ!」
世界樹?
世界樹と聞くと神話に出てくる例のあれを思い出すのだが、そんな壮大な大木が赤の国にあるのだろうか。詳しく知りたい時は彼女に聞くとしよう。
「ステラ」
「ふふっ、セシリーさんに聞けばいいのに」
「察してくれ」
カウンターでお皿を拭きながらセシリーさんはきょとんとしているが、右隣でステラは何がそんなに可笑しいのか腹を抱えてクスクス笑っている。
基本的にこれまでの会話に俺は参加していない。
なんちゃってコミュ障と自称はするが、特にべらぼうに舌が回る相手であれば俺の人見知りは顕著だ。しかもその相手が美人さんなのであれば、なおさら。
「世界樹はこの世界に魔力を生み出す源とされる神木だよ」
「めっちゃ大事じゃんっ!」
「他の木とは比較にならないほど巨大で世界の各地に点在しているの。因みに遥か昔に世界樹から染み出た黄金の樹液がソフィーの探してる世界樹の涙なんだ」
世界樹なのに世界に一本じゃないのか。
魔力を生み出す源となるときっと壮大に違いない。
「赤の国にも世界樹があるんだね」
「ええ、自治会の庁舎をもう少し東に進んだ場所にありますよ」
「ねえ、明日見に行かない?」
ステラはよほど興味があるのか、頬を薄く紅潮させて興奮気味に提案する。
明日は特に予定はないし、何より俺自身もそんな巨大な古木があると言うならば男心をくすぐられる。しかし世界樹が国の東側に位置するとなると気がかりなのは俺の左側でキラキラと目を輝かせている兎の存在だ。
「……面倒だな」
兎を世界樹まで連れていく全てのルートを考慮してみたが、俺の胃の悲鳴を避けられそうにない。途中で何度も迷子になって手を煩わせるに決まっているのだ。
世界樹観光を渋る俺をさらに後押ししたのはセシリーさんのこんな情報だ。
「あんまり夜遅くには行かない方がいいかもしれないですよ。最近、闇夜に紛れて『悪魔』が現れるってもっぱら巷で噂ですからね」
「悪魔って実在するのっ!?」
「夜に出歩いていた子供たちが何度か出くわしたそうです。彼らは口を揃えて友好的な悪魔だと笑うんですが、お伽噺の産物が実際どんな生き物なのかを私たちは何も知りませんからね」
悪魔って幽霊とかの類に含まれるのだろうか。
宿への暗い帰り道が無性に怖くなった七瀬沙智なのであった。
俺が頼んだ豪勢なメニューは調理か盛付か、中々に時間がかかっているようだ。別に待つのは嫌いでないから良いのだが、何もしていないとついつい周囲が気になってしまう。
例えば、厨房から丁度出てきた真っ白な髪の従業員。
不愛想な顔つきのままアルフの頼んだ饅頭の山をお盆ごとセシリーさんに渡し、やっぱり不愛想な顔つきのまま厨房に戻っていくメイド服の小さな少女。
「あの子……妹さんじゃないですよね? 髪の色も違うし」
「諸事情ありまして先週からうちで預かっているんです。洗剤で洗ったみたいに無表情な子だけど、こうして偶にお手伝いしてくれる良い子なんですよ?」
なるほどブラックなバイトではなかったか。
てっきり料理をカウンターに持っていく際に人に見られるのが嫌で、寡黙なご両親が飛脚のようにこき使っているのかと思ってしまった。
「笑えばきっと可愛い子なのに勿体ないね」
「ここに来る前に悲しいことがあったみたいで」
トオルよりもずっと幼い少女にステラの琴線も触れたのだろう。少し残念そうに呟くとセシリーさんの表情が途端に曇った。厨房の戸を見つめながら、まるで雪解けを待つように切なく。
しんみりしちゃったねと俺とステラが密かに目を合わせる。
するとまたしても雰囲気をぶち壊すような陽気な声。
「ま、クールな子だよねー!」
「あれ? アルフも知ってんの?」
その口ぶりからはそうとしか思えない。
頬に餡子をつけたアルフはしゅるりと耳をしならせ、感慨深そうに口を開いた。
「あの子をこの店に預けたのはシアンだからねー。私もシアンには拾われた身だからさ……今のクールなあの子も可愛いけど、早く元気になって欲しいなって思ってるんだー!」
「…………」
俺は、アルフのことを誤解していたのかもしれない。
ついつい迷子や頭の出来の悪さばかりが目立ってしまうが、少女のこれからを案じてにっこり笑う彼女を見ると、根は素直で心優しいのだと思い知った。
まあ、世界樹くらいなら一緒に見に行ってやってもいいか。
え? お前チョロいなって?
放っとけ。
アルフの新たな一面に感動していると、また奥の扉が開かれる。
溢れるほど豪華な料理を乗せて大きなお盆に乗せて、少女はカウンターをゆっくりと歩いた。いつもならそこでセシリーさんがお盆を受け取って少女はお役御免なのだろう。
しかし――。
「ありがと……あれ?」
少女はセシリーさんを通り過ぎ、手を使わずに上手くカウンターの仕切りを押し開いて客席の方へやって来た。誰もが不思議そうに見つめる中、少女は俺の手前にお皿を背伸びして乗せ、空になったお盆を胸に抱えて一歩だけ退いた。
ショートカットの髪はまるで白雪、ふんわりと雪の冷たさを思う。
しかし一向に溶けそうにないと感じるのはどうしてだろう。
瞳も透けているのかのような水色で、瞬き一つせず俺を捉えている。
透けているようで、その瞳には何も見いだせない。
「…………」
十歳前後だろうか、年相応の子供らしさは全くなかった。
セシリーさんは無表情と言ったが、俺にはそれ以前の問題のように思えてならない。嬉しさ、悲しさ、楽しさ、寂しさ――あらゆる感情を生み出す心というやつが、少女の中で凍り付いて機能を失っているかのように感じたのだ。メイド服の白と黒の無機質な色合いがまた、少女の氷のような冷たさを際立たせていた。
少女はずっと俺を見つめて離さない。
困惑していると一言、いや、たった一音――それなのに機械のように冷たく。
「イー」
最初は意味を理解できなかった。
だが少女は裏手に下がっていいか尋ねているのだとすぐに思った。自分で最後まで運んで、お手伝いを完遂したかったのかもしれない。
「いいよ。運んでくれてありがとう」
俺は体の向きを変えて少女に目線を合わせ、怖がらせないようになるべく優しくお礼を告げた。でもやはり少女は無表情で、無口で、絶対零度の氷。
少女は目を伏せ、踵を返す。
カウンターの仕切りを無音で開き、セシリーさんが見つめる背後を気にも留めず通り過ぎ、厨房に続く戸のドアノブを捻る。ただ開ける直前に俺にだけ顔を向けて僅かに声を繋ぐのだ。
「ネミィ、よろしく」
「……おう」
端的に告げると、少女の背中に曇りガラスの戸が覆い重なる。
振り返りざま、俺の味気ない返事に一瞬頬を緩めていたように見えたのは気のせいだろうか。俺の願望が生み出した幻か、それともひょっとしたら――。
尤も今俺が言える事はただ一つだけ。
「これがスペシャルセット……食べきれるかな?」
「私は手伝ってあげないからね」
サラダの上に山のように並ぶチキンに狼狽える俺と、ステラの素っ気ない反応で束の間の氷河期のような冷たく不思議な空間が幕を閉じた。アルフが羨ましそうにトマトを狙い、想像以上に多かったんだと騒ぐ俺にトオルが呆れて溜息。
そんな中でセシリーさんが曇りガラスの戸を見つめてボソリと一言。
「珍しいなぁ……」
少女が自分から誰かに話しかけに向かった事が彼女の記憶では初めてで、何かを思うように漏らしたのだ。セシリーさんのその数音が眠るまでずっと頭から離れなかった。
まるで数千年前に降り積もった、高山の万年雪のように――。
【赤の国自治の規定】
第一条、競赤祭最終日の花火は最大限盛り上げるべし。第二条、町には隠し通路を作るべし。第三条、駄菓子は安く売るべし。第四条、宿には温泉を設置するべし……ねえ、沙智、本当に私これ音読しなきゃダメかなっ!?
※加筆・修正しました
2019年9月30日 加筆・修正
表記の変更
ストーリーの一部削除




