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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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閑話    『沙に消える鬼の雷鳴』

今回の話は芝の公園で偶然出会ったある少女と少年の話です。

少女が誰なのか、ぜひ考えてみてくださいね!

「けっ、たかがレベル5の分際で俺に挑みに来た奴が迎える結末としてはチョー当然だろっ」


 白髪の男は八重歯を見せて獰猛に笑い、教会に存在する聖域の結界を破り捨てた。羽化して獲得した自慢のユニークスキル『上位結界破り』の力を前に、聖域が千年もかけて作り上げた自然の防壁など薄っぺらい紙の一片に過ぎない。男は聖域の香りに多少の不快さを感じつつも、確かにその足を進めて祭壇の前へ辿り着く。


「ふはははっ。これが魔王玉かっ! これで俺は大魔王にも遜色ない強さを……何だ? 魔力を込めても何も起きねーじゃねーかぁ?」


 魔王玉は男の野心に満ちた叫びに対して無言を徹した。

 魔力を流せば、大抵のアイテムは何らかの反応を示す。だからこそ、男は変わらず漆黒に輝き続ける秘宝に戸惑った。


 だが、これは当然の結果だろう。

 聖剣が特別な誰かを待っていたように、魔王玉――否、封印玉もまた、特別な誰かを待っていた。


 それを知らなかった男の辿る未来はどの道決まっていたのだ。


「……ぐふっ。て、てめえ……」


 女は男に一切気づかれないように気配を消して近づき、光魔法で作り上げられた高度な剣で男の胸を貫いた。男が目の前の宝玉に意識を奪われていたことを鑑みても、女の接近に気づけないほど男は鈍くない。つまり、男は初めから誤っていたのだ。自身が利用しようとした女の力を。


「茶番は終わりだ、ギニー。実に回りくどいやり方であったことは認めるが、結局、お前は終始私の掌の上だった」


 利用していた相手に、実は利用されていた。

 しかし、男に屈辱を感じる暇はない。否応なく、男の鼓動は弱まっていく。女は勝ち誇ったかのように伏した男の耳元で語り続けた。


「魔王化したばかりのお前など、力が抑えられていようが私の敵ではなかった。せめてものお詫びに私の復活を特等席で見せてやろう」


 今度は女が、白い地面に落ちていた宝玉に触れる。

 すると、宝玉は待っていたと言わんばかりに内なる黒を女に返還する。


「さあ、雷鬼王の復活だ――」


 こうして、化け物は再びこの世界に降臨する。

 今はただ、ジェムニ神国にすっかり根付いた「キャロル」に戻り、雷の大魔王として顕現するその時を待つのみである。


 しかし、この物語が現実になることはなかった。

 女の描いたリバイバルストーリーは、少年が「挑んでやる」と宣言した時点で、すでに矛盾と無理解を貫き続けた愚作になり代わっていたからである。

 これは、少年が覚悟を決めなかった場合の“もしも”の話だ――。





§§§





「こんなところで何してんだ? 姉ちゃん」


 すっかり夜も更け、日中は賑やかなこの芝の公園には誰もいなかった。そんな時間帯に、エガリテ像のすぐ裏の小さな墓標を眺めていると、一人の少年が不思議そうに首を傾げて尋ねてきた。不審者と思われるのも困りものなので、私は明るくこう返す。


「やあ。ここは私の知人の墓なんだ。悪党だったけれどね」


「陳家な墓だな」


 それが少年の端的な感想だった。

 確かにその墓は、墓というには随分粗末で、飼っていた金魚を校庭の隅に埋めた時に作られるようなものだった。少年がそう評するのも無理はない。当然私も少年の感想に怒りは覚えない。彼がこんな情けなくても、墓を作ってもらえることは私にとってある種、予想外なことだったからだ。


「仕方ないさ。自分の中に矛盾が生まれたことを理解しながらも、男は改める時間がなかった。もし出会いの形がほんの少し違っていたら、彼もまた、ジェムニの教会に立てられた立派な石碑に名を刻むことができたのかもしれないね。ま、どちらにせよ悪党であることに変わりはないが」


 少年がこの話を理解するのは少し難しかったかもしれない。

 ジェムニ神国魔獣騒動。その背後にいたもう一人の魔王のことはすでに人々の知るところとなった。しかし、実際に彼女がこの事件にどう関わったのかを詳しく知っている人間は一握りしかいない。ゆえに、ジェムニ神国に立てられた石碑がどれだけ重大な意味を持っていたか、誰も知らないのだ。この少年でさえ。


「お姉ちゃん、あの石碑の名前が誰か知ってるの?」


「『雷鬼王キャロルここに沈む』……この男の敵だった者の話さ。聞いていくかい?」


「教えて、教えて!」


 やれやれ、元気のいい子供だ。

 私は少し離れたベンチに少年を誘うと、ゆっくりと話し始めた。


 今度は“もしも”ではない、本当にあった話を。





§§§





 シアノバクテリアの登場によって陸上での地球史が大きく動き出したのと同じように、何事にもきっかけは存在する。キャロルを名乗っていた雷鬼王にとってのきっかけは教会の裏手にある薄暗い路地で起こった。


「何か用か? 解術ポーションは私が紹介してやった愚図が滞りなく運んでるはずだが? やっぱりやめただなんて言い出した日にはそれなりのキャンセル料を払ってもらうぜ?」


「じっくり計画を練ったというのに私が今更怖気づくとでも思うの、雷鬼王? ま、あなたが力を取り戻すために費やしている時間に比べれば、私の可愛い策謀なんて一服する程度もないんでしょうけどね」


 キャロルの言葉にも黒髪の女は減らず口を叩く、彼女らはこの二年間の付き合いでそういう関係になっていた。お互いの素性を知り、時折協力し、そして最も信用を置かない相手だ。しかし、その付き合いもその日のうちに終わることになる。それは――。


「あなたには感謝してるのよ、キャロル。だから、特別にこの情報はサービスするわ。……例のスキルを持った魔王が近々、あなたの仕掛けた餌に食いつきそうよ?」


 それは、雷鬼王の積年の望みが叶うからである。

 キャロルは言葉にしなかったが、胸の内から少しずつ広がっていく熱に確かに高揚していた。ほんの僅かに解けた口元の緊張を黒髪の女も見逃さない。


「嬉しそうね。私も魔神を召喚する計画を待ってみた甲斐があったわ」


「よく言う。一足先に計画を実行に移すくせに」


「あら、あなたなら待ちきれないという私の気持ち、分かってくれると思うのだけど」


 キャロルが「称号を持たぬ魔王」として忌み嫌う女との、これが別れであり、きっかけだった。





 聖域にある、雷鬼王の力を封じた封印玉。

 彼女は人間を謀って『守護者』となり、素性を次々に書き換えながら、封印玉を魔王玉と偽って噂を流し続けたんだ。千年も経てば、魔王の力を増幅させる危険なアイテムが聖域には保管されていると誰もが誤認する。この『魔王』ギニーもその一人だった。


「てめえ、聖域の『守護者』だなぁ?」


 ギニーはキャロルの帰宅に合わせてやって来た。

 暗い路地で、背後から、冷たく。


「『守護者』っつー称号は自由に捨てられるらしいじゃねーか。魔王玉を手に入れるにはあの結界が邪魔なんだよ。つまり、俺が何を言いたいかドンと分かるよな、守護者ぁ?」


 その獰猛な笑みが男なりの威嚇だったのだろうが、キャロルにとっては言葉が醸し出す凶悪性など問題ではなかった。彼のレベルは低く、羽化すらしていない。ハサミで桜の幹を切れないように、幾ら優秀なスキルを保持していても、今の彼では聖域を破ることなど不可能だった。


 だが、折角の結界破りの能力者、みすみす逃すつもりもない。

 キャロルは僅かに唇を震わせる演技をして、男にこう提案した。


「ふっ、その程度のレベルじゃ魔王玉を手に入れたところですぐに勇者に倒される。私と取引しないか?」


「ああ?」


 確かに近づく死に怯えながらも虚勢を張り、生き意地の汚いことこの上ない。

 そういう偽りの仮面を被るのは雷鬼王の常套手段だった。彼女には守るべき確固たるプライドは存在しない。時と場合に合わせて柔軟に自分を変える――だからこそ、千年もの間、ジェムニの人々は雷鬼王に騙され続けた。


「お前のレベリングに協力しよう。レベル30にもなればお前は自力で結界を破れるはずだ。魔王玉を手に入れられるだけじゃなく、効率よく強くなれるのだから悪い話じゃないと思うんだがな?」


「……対価は?」


「命の保証」


 この男もまた、哀れな被害者さ。

 キャロルの提案ににかっと笑い、ギニーは疑いもせず雷鬼王の掌の上に乗った。

 




 それからのレベリングは順調に進んでいた。

 君も知っているだろう? 例の連続失踪事件だよ。


 だが、一つ問題が発生した。

 それは、はずれの町のジュエリーの計画が頓挫したことによる。


「そうだな。これらは必要最低限の出費だった」


 ジュエリーの計画を叩き壊した張本人たちが今、ジェムニ神国に辿り着いた。慎重なキャロルとしては、石橋を叩いて渡るという諺に準じて、彼らを処分しておきたかった。しかし、ステラが『魔王』だと知ったギニーは興味を持ち、どうにか仲間に引き入れられないかと考え始めた。


 これはキャロルにとっては面倒でしかない。

 始末すれば計画に集中できるが、ギニーがへそを曲げる可能性がある。今は、彼を掌から失ってはならないのだ。ステラを仲間に引き入れたいのなら、その仲間である沙智らも殺してはならない。かといって、放置もしておけない。


 ゆえにキャロルは――。


「この先をまっすぐ行った場所に私が働いている旅館があるんです。よろしければどうですか?」


 彼らを見極めることにした。

 ギニーの計画ではない、自分の復活劇を邪魔しうるかどうか。





 まずは最初に脅威判定が消えたのは七瀬沙智である。


「もう一度チャレンジして間抜けな姿を晒してくださいって顔に書いてあるぞ?」


 この男はレベルも低ければ、強力なスキルもない。ユニークスキルは見慣れないものだが、戦闘系ではなさそうで、常識すらない。それでもはずれの町で生き残ったのだから何か特別なものがあるのかもしれないと考え、聖剣に触らせたみたものの、結局エクスカリバーは彼を選ばなかった。唯一、異世界について調べている点が気がかりだが、まあ大した問題にはなり得ないだろう、彼女はそう考えた。


 次にチェックがついたのはトオルという少女である。


「ごほっ、ごほっ……これから洋服屋のバイトですか?」


 ロブ島出身と言っていたから青目族に違いない。レベルも低く、特筆すべき点はない。しかし、青目族というのはもう一つのメニューを持っている。その時、レベルやスキル構成がどんな変化を遂げるか不明なところがあった。しかし、少女は如何にも具合が悪そうで、少し突けば簡単に崩れ落ちそうだった。ゆえに、少女はキャロルの敵にはなり得ない。


 唯一危険性があったのはステラだ。

 しかし、彼女は『魔王』として力を振るうことに抵抗を感じていた。沙智やトオルと普通の人間として接したい、そんな愚かな感情で『魔王』としての本来の力を仮面で隠す。かといって完全に人間になり切れるわけでもなく、常に疑い、迷い、哀れにも縋る。


 これに、万が一が起こせるはずがなかったな。

 それがキャロルの結論だった。


「仕方なくギニーを手伝っていた、というストーリーの方が今後活動しやすいか。折角『守護者』という称号を持っているのだし、これで嘘を作るか」


 優しいキャロルは、脅威を判定するのに充分な役目を果たした。

 冷たいキャロルは、ギニーが七瀬沙智を殺してしまわないように必要だった。

 そして、私がこれから演じる第三のキャロルにバトンを繋ぐ。


 私が事件に関わっていたことが公になっても問題ない。

 これから演じるのは、お前らが普通だと思っている、素顔だと思っている、三人目の『キャロル』だ。密かにお前らを出し抜いて、雷鬼王として復活した後も演じ続ける『キャロル』だ。





 キャロルの調査によって、彼らにはギニーを倒せる力も、雷鬼王の計画に気づく才覚も無いことが証明された。これで雷鬼王のリバイバルストーリーは安泰である。彼女もそう思っていた。


 しかし、物語というのは起承転結で描かれるものだ。

 「転」の部分、これは他と分け隔てなくキャロルの物語を襲うことになった。


「だからこそ、ギニーの言葉を借りてもう一度問おう」


「――――」


「お前は、何者だ?」


 それから起きたことはキャロルにとって悪夢としか言いようがない。

 少年はあろうことか称号『勇者』を獲得し、たった一人でギニーに挑んだ。信じがたいユニークスキルの発動に、戦闘の最中に起こった奇跡。彼が用意した幾つもの秘策など問題ではない。私の判定を彼は、彼の力で覆したのだ。もし、最後に放った『聖撃』が僅かに逸れていたなら、聖域の結界は破られることは無かっただろう。


 ゆえに、キャロルはもう仮面を被らない。

 この男の前では仮面は被れない。

 祭壇にもたれかかり今にも息が途絶えそうな少年が、キャロルは他の何よりも怖かった。 


「お前は……またキャロルを演じるのか?」


 か細い彼の声にも、彼女は確かに頷いた。

 油断は絶対にしないと決めたから。


「人を騙すために、人は仮面を被るのだから」


「――――」


 最初の声は何とか耳まで届いたが、彼女の返事に対する応答はもう聞こえなかった。


「何か言ったか?」


 男は答えない。

 キャロルは感じたのだろう。

 今、自分は何か、重大な何かを聞き逃したと。

 それは間違っていない。


 もっと言うなら、彼女は少年に「仮面は人を騙すためのツール」だと言及すべきではなかった。仮面を被って必死に人に近づこうとする少女を救いたい少年にとって、その言葉は許容しがたいものだったから。まあ、雷鬼王はステラを最後まで愚かな魔王としてしか見ていなかったから、これが少年を奮い立たせる言葉になるだなんて思いもしなかったのだろう。


 『魔王』として繋がることを諦めようとしたステラ。

 『キャロル』として人を騙し続けた魔王。


「やるよ、封印玉」


 少年は降伏した。

 内心でホッと溜息をついたのも束の間、封印玉は空を舞う。

 自然と彼女の目はそれに釘付けになり、その一瞬で少年は聖剣を片手に掴む。


 それは、とんでもない賭けだった。

 ああ、雲を掴むような話さ。

 しかし、少年は『勇者』であることを最後まで諦めてなどいなかった。


「聖ぃ」


 千年、誰も選ぶことのなかった聖剣は少年を選ぶ。

 一度は選ばなかった少年を選ぶ。


「撃ぃ」


 聖剣は崩壊を始める。

 その身をもって力とし、もう魔力の残っていない少年の願いを叶えるために滅びてゆく。


 一瞬に全てを捧げる強き意志。

 初めてその時になって、キャロルは気づいた。

 千年前、雷鬼王の力を封じた女勇者と、少年は同じ目をしていたのだ。

 諦めの悪い、まっすぐな――。


 ――届くのかもしれない。


「ライ」


 キャロルが焦り、恐怖し、雷魔法を唱えた時にはもう遅い。

 少年が仕掛けた玉響の勝負に間に合うもはずもなく、青白い光が視界を包み込む。


 これが、雷鬼王の最期である。





§§§





「これが魔獣騒動の裏で起こった事だよ、少年。尤も、話題の矢面に立つのは避けたいという彼の思いから、この話が表沙汰になることはないのだがね」


 私が話し終えると、少年は隣のベンチで気難しい顔をして腕を組んでいた。


「雷鬼王は賢くて強かったんだよね? それでも負けちゃったの?」


 なるほど。

 千年も前から計画を進め、敵となり得る存在を事前に調べ、そして当然強くもあった。そんな化け物が敗北を喫したことが少年には不思議でならないのだろう。私は彼の疑問にどう答えるか少し迷った。彼が神から称号をスキルを貰ったから? 運が良かったから? では、彼の立ち位置に別の誰かがいれば、同じようにギニーを倒し、雷鬼王を過去の化け物にすることができたのだろうか?


 私はこう答えることにした。


「彼女は確かにあらゆる脅威を判定した。ただ一点、彼が異世界と関係があるという事実だけを彼女は疎かにしたんだ」


「ん?」


「雷が如何に猛威を振るおうと、沙はそれを容易く受け流す。闇よりもずっと暗く禍々しい力であっても、水際の清らかな沙は邪を払う。沙とはそういうものなんだよ。彼こそが、雷を鬼の如く統べる王――『雷鬼王』が最も相手にしてはならない敵だった」


 そして、私は最後にこう締め括る。


「異世界を知らない彼女が『沙』の意味するところに決して辿り着けなかったということさ」


「んー?」


「ふふっ」


 きっとこの少年にも理解できない。

 今、この世界で、この話で、「砂」を「沙」と変換できる人間は私と彼をおいて他にはいないのだから。


 すっかり話し込んでしまったが、元はと言えば少年に不審者と思われないように、とのことで話が始まったんだったな。また妙に長くもつれこんだものだ。


「さて、私も行くとしよう」


 少年はまた疑問符を浮かべる。

 結局、彼はこの夜、疑問を別の疑問に変えただけだった。

 少年が見つめる先で、私――綿毛のような白い髪を後ろでまとめる少女はどこか遠くを見つめて呟いた。


「ふふっ。君こそ想像できない未来を掴み取れるというのかな?」 


 これは少年に向けた言葉ではない。

 遠い未来と繋ぐ言葉のタイムトラベルだ。


「――受けて立とう」


 誰かいるのか、思わず少女の視線を少年は追った。

 しかし夜が一層際立つこの時間に人影はない。


 少年が最後に耳にしたのは人称が不可思議な一節。

 それだけを残して少女は旅立つ。


「こうして少女は立ち上がった。ワタシの知らないところで、『妖精たちが空へ飛び立つ物語』を始めるために立ち上がった」


※加筆・修正しました

2019年10月22日  一部修正

        

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