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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第十九話  『どちらの仮面を被りたい?』

 仮面が二つあった。


 一つは、騙された時の痛みから身を守るための疑う仮面。

 一つは、幾つもの記憶に生きる願いや喜びを信じる仮面。


 様々な環境に応じて無限に増え続ける心の仮面。使い分けをしようとしても仮面の記憶が本心と複雑に入り混じり、自己を見失うことは決して稀ではない。


『ギッコンガッコン面が訊ク』


『ホントのオ前はどこにイル?』


 ゆえにこの男は問う。

 この男は代弁する。





◇◇  沙智





「お兄さん、今日は一体どうしたというんですか?」


 夜の暗闇を薄く引き伸ばして張り付けたような中途半端な空。

 ブランコのベンチを吊るす鉄の鎖の錆びの匂いが鼻から体内に侵入し、いつしか揺れ動く心まで錆び付かせていたようだ。彼女の予期せぬ登場に何も感じない。


「どこか具合でも悪かったんですか? ――違いますよね?」


 荒み切った俺をトオルはそれでも諦めなかった。

 整理のつかない苛立ちを声に反響させながらも、彼女は冷静に逃げ道を塞いでいく。あくまでブランコの柵を越えないところから力強く俺を睨み続けるのだ。


「ステラと何かあったんですね」


 どうして満月は今日に限ってこの少女を連れてきたのだろう。

 秩序立てて何が悪いのかを総合的に判断しようとしている彼女は一番出会いたくない相手だった。推測だけでステラを敵と決めつける俺からすれば。


 俺の沈黙を前にトオルは仕方なさそうに溜息を吐く。

 きっとこの少女は何も分かっていない。


「駄目ですよ。喧嘩したならちゃんと仲直りしないと、友達なんですから」


「……ただの腐れ縁だよ」


「ステラと同じこと言いますね、お互い素直になればいいんですけど」


 随分と勝手なことを言うものだ。

 実際に俺たちが友人関係になった試しは一度もない。


「で、今日のつれない態度は何なんですか?」


 本題からしれっと逃げようとする俺をトオルは睨んで釘を差した。どうも厄介なことに手ぶらでは帰ってくれないらしい。

 

 そもそもこのトオルという少女を信じてもいいのだろうか。

 今回は偶々ステラの無理のある優しさにスポットライトが当たったが、トオルだって怪しいものである。あなたのお願いには少し弱いかもしれないと微笑みかけてくれる少女が果たしているだろうか。無条件の優しさなど存在しない。


「トオル、お前はどうして……俺について来てくれたんだ?」


「急に何ですか?」


 この大人びた少女なら、俺へ向ける優しさの理由をしっかりと納得できる形で説明してくれると期待して尋ねた。それができないなら、伏せておきたい悪意があるということに他ならない。


「ちょっとした確認作業だよ」


 トオルは話題転換とも思える質問返しに不機嫌に眉を顰めたが、答えなければ話が進まないことを俺の表情から察してまた溜息を吐いた。


「ワガママですよ」


「ワガママ?」


 意味が分からないと首を傾げると、トオルは黄色の柵に片手を乗せて空を見上げた。無意識に彼女の視線を追いかけ、その先に見つけたのは柔らかな満月がもたらす光芒。


「誰かと一緒にはしゃぎながら通りを歩いて、財布と相談しながら洋服を選んでは自分に似合うのかなって頭を悩ませたり、美味しそうな匂いのする料理が運ばれるのを今か今かと待ち望んだり――」


 語られた言葉はいつかバルコニーで語られた無数の夢たちだ。

 照れくさそうに頬を染めて、でもトオルはとびっきりの笑顔で。


「その夢に出てくる誰かを私はお兄さんやステラにしたかったんです」


 この言葉を聞いた瞬間、膝に固く祈るように握り合わされた両手の緊張が解けて、自然と安堵の笑みが口元に零れた。柵を越えて少女にまで届かないように小さく、噛みしめて。


「ほらな、トオルは信じてもいいだろ?」


 疑った方が良いと喚き続けた防衛本能に優しく言い聞かせるように呟いた。

 ステラだけでも大変だというのに、トオルにまで勘繰りを入れると本当に心が擦り減って壊れてしまう。彼女が信頼に値すると分かったことに俺が今どれだけ安堵したことか。


「そ、それと今日の態度と今の話に何の関係があるんですかっ」


 トオルはやっぱりさっきの話が照れくさかったようだ。

 耳まで赤くして恥ずかしさを誤魔化すように声を荒げる。


 だが再びギシギシと力が入って軋む両手を見つけるや否や、今度は不安そうに俺を呼ぶのだ。


「……お兄さん?」


 話さなきゃ駄目か。

 キャロルとの取引は「何も見ていない、何も知らない」。


 そこに抵触しないように俺は注意深く言葉を選んで、今俺が抱えている問題を声に出した。どこかでステラが俺を監視しているんじゃないかという恐怖を何とか抑え込みながら、少しずつゆっくりと。


「詳しくは言えないけど昨日、あることがきっかけでステラに疑惑が生まれた。あいつが一緒に来てくれるのは俺を陥れるためじゃないかって……そう思うとあいつの行動が色んなことに辻褄が合うから不安になって……」


「ステラを信用できない、と?」


「お前は怒るかもな」


 敢えて火に油を注ぐこともないのに、冷静に俺の心境を確認するトオルが不思議で俺は嫌味みたいに呟いた。でもやはりトオルが怒ることはない。単純な理由だ。


「お兄さん」


 疑っていたいとドロドロ醜く沈み込んだ海の黒の中に、やっぱり彼女を諦められないという赤い波紋が幾つも浮かんでいる。その波紋を封じ込めようとしているのは傷つくことを恐れている自分自身で、本当は――。


 トオルは俺の葛藤をとっくに見透かして査定を終えている。


「苦しいのはステラを信じたいと思っているからじゃないんですか?」


 トオルは今日一日中目にし続けた。

 脳裏に浮かんだ思い出の数々を、掻き消そうとやっきになった無様な男を。


「一度ステラと話してみたらどうですか?」


 初めからそうだった。

 トオルは優しいけれど、決して容赦はない。

 そこが弱さだと理解すれば完璧に晒しだすまで攻撃を止めようとしない。


「でも――」


 もはや認めてしまえば楽だったのだ。

 一体俺は今、自分に嘘をついて何を守ろうというのだろうか。

 ステラが敵かもしれないという推測の根拠を消せないことが怖いのか、それとも的を突かれて意地になっているのか、それさえも分からなくなってまだ喉元を震わせる。


「人は根源的に未知を恐れるものだ、そう言ってたじゃないですか。ステラのことをちゃんと知らないから怖いんですよ」


「…………」


 話して――推測通りだったならゲームオーバーなんだよ。

 当然その事を口に出せる訳もなく、選んだのはまた沈黙。


「私はしばらくしてから帰ります。ステラは宿にいるはずなのでしっかり二人で話してください。話して……自分の思いに整理をつけてください」


 トオルは散々俺の弱さに針を突き立てると、足早に去っていく。

 何度か掠れた咳を聞きながら、夜は確実に月空を呑み込んでいく。





§§§





『――お姉ちゃんって言うな!』


『――あんた、まだ拗ねてんの?』


『――な、長かったねピーマン時代』


『――じゃあ海に行っといで。運が良ければ水魔法が』


『――すごく風が気持ちいいんだよ。行ってみない?』


『――ああ、あんたも鴨にされたんだね』


 赤い波紋。

 ステラを信じたい。


 その気持ちに素直になれなくて。





§§§





 ステラを疑っていたいのか、それとも信じたいのか。

 長らく悩み続けると、どちらが本心だったのかさえ不明瞭になっていく。

 きっとステラに会って話をすればトオルの言うように自分の気持ちに整理がつくのだろうが、それはどうしても怖かった。


 都会の夜には虫も鳴かず、行き交う人も誰もいない。徐々にブランコは夜に馴染むようにその温度を落としていく。すると不思議なことに自分の体温までもが従順に平熱から三度以上も落としたほど凍えるような寒さを感じるのだ。


「何で仲良くなっちゃったんだろう」


 投げやりに足を蹴り出してブランコを揺らす。

 当然ながら鎖が軋む音が数度反響しただけだ。


 その音も消えれば静寂に巻き戻る。

 ここは静寂、やはり彼は歌うだけ。


『ギッコンガッコン面が問ウ』


「……今度はお前か」


 いつの間にかそのシルエットは俺の目の前に浮かんでいた。トオルと違って無遠慮に柵を乗り越え、彼は月を背に黒いマントを棚引かせる。解れた白い包帯は夜に流れてゆき場なくはためいている。


 壊れた演奏家――思い返せば彼との出会いはいつでも恐怖に綴られた。

 だが今感じるのは鬱陶しさだけである。


『オ前はどうして面を被ル?』


「…………」


 案内所の電子モニター前でステラの嘘を見破ったのは確かこいつだったな。

 この男の嘘を嗅ぎ取る鼻を無心に信じれたら楽なのに。


『ギッコンガッコン面が問ウ』


『オ前はどうして嘘をツク?』


 どうも今日の壊れた演奏家は語彙のレパートリーに富んでいるらしい。テープみたいに同じ言葉を永遠と繰り返すのではなく、少しずつ言葉を入れ替えて俺の嘘に問いかける。その代償かは分からないが、なぜか彼は首から提げているアコーディオンを鳴らそうとしなかった。


『ギッコンガッコン面が呼ブ』


 鬱陶しいな、本当に。


『不安なら私を被レば――』


「お前は一体何なんだよッ! 人が一番苦しい時に邪魔すんなッ!」


 とうとう俺はブランコから飛びのいて声を荒げた。

 どいつもこいつも、何も知らない癖に。


 苛立ちを一切包み隠すことなく歯ぎしりしていると、彼はまた歌い始める。またくだらない歌ならすぐさま遮って邪魔してやろうと準備していたのだが、それを歌と呼ぶには全くリズムがなく、抑揚さえなかった。


『心優しい人がイた。妖精誰も信ジなかった』


「は?」


 何の感情もこもっていない端的な詩。

 こいつは何を言っているんだ?


 妖精――。


 百物語の際、確か宿の女将さんから妖精の話を聞いた。

 古くからジェムニ神国に住んでいた妖精には人の傷や病気を癒す力があったと言う。ところがそれを目当てに人間による乱獲が始まり、ついに歴史から妖精は一匹残らず姿を消した。


 その心優しい人とやらを妖精が信じないのは当たり前だろう。

 だって妖精にとって人間は悪の象徴でしかなくて――。


『信ジて、裏切られるのが怖かったから』


「――っ」


 そうだよ。

 信じて、ステラに裏切られるのが怖いんだ。


 ステラを敵だと決めつけた勝手な推測だけで逃げ出してしまえば楽だろうよ。

 話しに行って、あいつの嘘が決定的なものになることを俺は恐れている。


 ――ステラを信じたいと思っているからじゃないんですか?


 その恐れが、俺をまだここに縛り付けているんだ。


『羽を千切ラれ皆死ンだ。彼を信ジず妖精滅ブ』


 いつの間にか彼のリズムのない演奏に俺は浸っていた。

 どうしても妖精が他人事だと思えなくて。


 きっとこのまま推測だけで逃げ出したら、思うんだろうな。


『滅ビて思ウ。あの時――』


 ステラを――。


『信ジていれば――』

「信じていれば――」


 背後でブランコはもう止まっている。

 それが本当の願いだと知っている。


 でも、まだ怖くて。


『ギッコンガッコン面が訊ク』


『どの面選ブ? 信ジル面か、疑ウ面か』


 壊れた演奏家は再びリズムを取り戻し、右手を持ち上げた。そこにはジェムニ神国に初めて訪れた日、俺がなぜか買ってしまった無表情の仮面がある。目と口と――ステラと向かい合って話す覚悟のない俺に必要最低限なパーツを与える仮面。


「俺は――」


 選択肢は今、俺の目の前にある。

 確かめなきゃいけない。

 トオルが言ったように、ステラが本当に信頼足り得る人間なのか。


「返せよ」


 乱暴に彼から仮面を奪い返して俺はゆっくり歩き始めた。

 会いに行こう。確かめに行こう。





§§§





 会うことを決めてなお、恐れは消えない。

 いつまでも俺は、自分の心が壊れるのを守ろうとして。

 その選択が――。


「俺はお前の秘密を知ってるぞ、ステラ――!」


 その選択が、今後の運命を決定する。


【ジェムニ七不思議①――ベスル地区編】

 ジェムニ神国って大陸西側で最大の国だから、様々な人が行き来する度に妙な都市伝説が生まれるんだよね。最近話題になっている七不思議ベスル地区編は以下の三つだよ。もしどれか一つでも見かけたらステラ情報局まで!


・嘘を探して徘徊する壊れた演奏家

・夜な夜な腹筋するヨナーシュのエガリテ像

・教会に隠されていると噂される魔王の力を封じた封印玉



※加筆・修正しました。

2019年9月9日  加筆・修正

        表記の変更

        ストーリーの一部削除

        

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