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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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幕間    『境界線で』

 まっさらな場所。


 そこにはあらゆる生命もなければ、紡がれる歴史もない。世界というものが大樹に生る果実で例えられるのなら、ここは果実を支える枝葉ですらなかった。果実や枝葉の間隙にある、何もない場所。無数に存在する「点」の空間。こういう、他の何にも気を遣う必要がなく、また果実や枝葉がよく観察できる場所こそ、『大世界の意思』の使いが腰を下ろすのにふさわしかった。


 ――神界。


 世界の『護り手』が果実や枝葉を調整する場所。


「――【境界を定める】」


 そのまっさらな場所にただ一人立つ男が、人差し指と中指だけ伸ばした右手でまっすぐ宙を薙いだ。


 この原始的な景観にはそぐわないタキシード姿で、今のように空間を薙ぐのが彼の仕事だった。

 全てのモノに境界がなくてはならない。どんな形態のモノであっても、それこそ概念的なモノであっても、境界がなければ、混じり合い、それらは世界で存在を保てなくなる。だからこそ、この境界を定める使命は、彼の右目の白いラインに賭けた誇りだった。


 そんな彼の下へ来客がやって来たようだ。


「――サクだな?」


「大変ね。境界を司るボウンダル神としては」


「私の役目とはそういうものだ」


 青い着物を身に纏った黒髪の少女。千年前――この場所で時間などという概念は意味を為さないが、ある世界で換算したら千年前に、タキシード姿の男神が拾ってきた見習い神である。


 いつものように何の前触れもなく背後に転移してきた彼女に、「随分と次元を渡るのが上手くなったものだな」と減らず口を言ってから、ボウンダル神と呼ばれた彼は語り出す。


「生物は次元を越えてはならない。自然科学が主体である世界、魔法が存在する世界、タイムトラベルが可能な世界、電子上に存在する世界――交わるべきでない世界が次元を越えて交われば、世界は呆気なく崩壊する。それが分かっているからこそ世界は、異なる世界の者に、記憶を許さないのだろう。たとえそれが、偶発的な事故で攫われてしまった異世界漂流者であっても」


「普通、消えゆく記憶を取り戻す方法なんてない」


「だが、あればそれは不具合だ。そのイレギュラーが世界の秩序を侵すなら、私はそれに『護り手』として対処しなければならない」


 ボウンダル神は白いラインの入った右目を細める。

 その先には、今しがた権能を及ぼした世界がある。


「今回観測したイレギュラーは、例の世界でユニークスキル『リコール』と呼ばれるものだ。小さな箱庭で生み出されたチカラの一端が、大世界の権限を超えるなどあってはならない。故に、その効力の絶大性に一線引かせてもらった。生憎と、こういうカタチのないものの境界を決めるのは得意でね」


 ボウンダル神がしたこと。それは言わば「記憶の歯車」の奪取。異世界漂流者の記憶を、世界転移以前まで巻き戻せないようにした。何か代替する歯車でも見つけない限り、ユニークスキル『リコール』は、異世界の記憶に触れることができなくなったのである。


 ――境界線を引いた。


 ボウンダル神は白線の入っていない左目だけ閉じ、「不本意だったかな?」とサクの反応を探る。


「いいえ」


 彼にとっては意外な返答がきた。


「異世界転移事故は、『大世界の意思』でもまだ対応できないでいる案件。だからこそ私たち『護り手』は形のない秩序の代弁者として、その補填に『祝福』を与える。――フェアでいいじゃない?」


 彼女の聞き分けの良さは好ましいことだが、ボウンダル神は何か解せないものを感じた。「フェア」という言葉を、このやりたい放題している見習い女神が使ったのが気になったのである。


「私はお前の、あの少年への過干渉にも一線引きたいのだがな」


「あなたが言ったんでしょ。彼の担当は私。彼への補填は私が自由に決めていいんだって。だから私は決めた。ある異世界物語に出てくるキャラとして必死に何かになろうと奮闘する彼を、私の権能『譲渡(バタフライズ・ギフト)』でサポートし続けること――それが彼へ送る私なりの『祝福』なんだ」


「サポートか。脅迫の間違いじゃないか?」


「まさか。敢えて別の言い方をしたとしてもエールでしょ」


 透き通るほど綺麗な青い蝶を生み出して戯れるサク。やはり、七瀬沙智という少年に入れ込んでいる割には、今回の――元の世界へ帰りたいという彼の願いを真っ向から切り捨てるような対処に――不快感を示さないのが解せない。しかしボウンダル神は追及しなかった。


 代わりに投げかけたのは問いだ。


「あの少年、辛くも一枚目を取り戻したが、お前は奴が再び次元を越えられると本気で思っているのか?」


「当然」


 間髪入れぬ返答は自信に満ちている。


「だってね」


「だって?」


 ――アリサの花。


 その世界では、相手の願いが叶うことを祈る時、プレゼントにこの白い花を刺繍して贈る習わしがある。


 同時にこんな逸話もあった。


 光の加減によっては虹色にも見える花。その五枚の花びらは、その人を、その人たらしめる、五つの重大な記憶を表している。

 記憶の消失が、その世界での死と同義なら、逆もまた然り。

 記憶の再生は、その世界で息を吹き返すことに他ならない。


「――夢は、いつだって前にしか転がっていないんだから!」


 その日、楔は打ち込まれた。


※2022年2月21日

ストーリーを分割しました

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