第十二話 『魅惑の味を堪能したい』
「ここは食べ放題だから楽しんでってねえ!」
「ソフィー、それワタシのセリフ」
俺たちは複雑に入り組んだ路地にある、いわゆる「穴場」に来ていた。店の名前は『ルパラディ=ドゥーラ』。時間無制限で食べ放題という、思わず赤字にならないか心配になりそうなサービスが噂を呼び、その見つけ辛い立地も相まって都市伝説にまで数えられた伝説のケーキ屋である。ステラとトオルが絶対に行きたいと目を輝かせていた店だ。
――お礼がしたいんだあ――
十四歳エルフ娘の純真な言葉。
少女がなくしたショルダーバッグは見つけられなかったので、お礼とは、絡まれているところを助けたことを差すのだろう。
俺とステラは、密かに、これまで苦労があったトオルが幸せになれるよう応援する「トオル愛護団体」の一員を自称している。そんな俺たちは、トオルと一つしか違わない少女の澄んだ瞳に揃って弱かった。
なお俺に業の深い趣向はないと追記しておく。
俺は、健全に、お姉さんタイプが好きである。
「店長さんもエルフなんですね」
「ポスター作るの手伝ってもらったんだあ」
「ああ、やっぱりあの紙束って」
「ん。作り過ぎちゃったのお!」
店長エルフは俺たちのテーブルに注文の品を置くと、「まあごゆっくり」と素っ気ない態度で引っ込んでいった。
そうして――。
俺の視線の先にかき氷が一つ。
「――――」
このスイーツパラダイスに狂喜乱舞する女子組と違って、俺は軽く食べられるものを一つだけ頼む考えだった。
おやつ時でもないのだし。
適当にメニューを捲って目についたのは、若葉のようなシロップで爽やかに色付けされた、夏にぴったりのかき氷。
メロン味かなと思っていたのだ。
だが、一口食べて目を引ん剥く。
「ステラさんたちは冒険団の仲間とかあ?」
「ううん、違うよ」
「家に帰る手助けですもんね」
「そうそう。私たちはね――」
――何だ、これは!
メロンシロップの味ではなかった。前提の、かき氷のシロップは色が違うだけで味は同じという噂は戯言と割り切る。
今まで感じたことのない味わいだ。綺麗な色だけ使って描いたキャンパスのように完成された甘みに、スパッタリングで色を塗したような酸味のアクセントが加わったことで究極の味に昇華している。
似た味にはちょっと覚えがない。
「あれ?」
あまりにも衝撃だった。スプーンでまた一口掬って匂いを嗅いでみるが、やはり知らない香りだ。だが心地良い。
舌が震えている。苦節十八年、時に火傷しながら淡々と仕事をしてきた舌が、初めて舌を巻いている。舌だけに。
「ねえ沙智、私たちってどういう関係?」
――美味すぎる!
隣に座っているステラが俺の肩を揺すって呼んでいることに気付けない。
それほどまでに俺は虜になっていた。
この味は、あっという間に特別なものになっていた。
「沙智?」
「え?」
かき氷のグラスが空になってやっと俺はステラに気付く。こちらを見つめる小豆色の瞳は不安そうで、しかも名前を呼ぶだけで多くを喋ろうとしない。そんな態度を不思議に思いつつも、俺は口を開いた。
問いの内容なら察したのだ。さすが俺。
「ごめんごめん。聞いてみるから待ってて」
「聞くって誰に?」
「このかき氷が何味か気になったんだろ?」
「いや何の話!?」
違ったようだ。
「それはメルポイ味だよお」
『――――♪』
向かいのソフィーがにっこり微笑み、それに合わせテーブルの端で桃色熊のぬいぐるみルビーが小躍りした。
――メルポイ。
心の中で復唱する。やはり覚えのない食材だ。少なくとも、この味を表現できる食材は俺たちの世界にない。
「メルポイってどんなの?」
興味を持った俺は更に聞いてみた。
すると――。
「果物かなあ」
「調味料だね」
「魔獣ですね」
「はい?」
意味の分からない三者三様の解が。
「果物、調味料は分かるけど、魔獣って何だ? 植物系のモンスターみたいなのがいるってこと? いや待て。よく考えたら調味料もおかしくないか? 調味料だとしても俺が知りたいのはその原料なんだけど。もしや、言うのも憚られるような恐ろしい見た目の食べ物なのか? いや、でも美味しいのは間違いなくて――」
「沙智、メルポイはメルポイ。考えるだけ無駄だよ」
俺がメルポイの迷宮で彷徨っていると、ステラが呆れたように首を振って、その小豆色の視線を別の場所に向けた。
「そこの可愛いぬいぐるみと一緒でね」
『――――♪』
くるりと回ってお辞儀するクマさん。
「本当に、どういうカラクリなんですか?」
「カラクリじゃなくてペットだってばあ!」
なんてことないという感じでトオルに笑ってみせるソフィー。
だが、ぬいぐるみが魔法にすら頼らず自律的に動いているなんて、俺たちには充分なんてことある光景である。
――この世は、謎だらけだ。
まあメルポイに関しては、帰りに果物屋にでも寄れば実物を見ることができるに違いない。果物屋でなくとも、どこかで見られるだろう。ここはジャンブルドストリート。あらゆる国々の文化が入り混じった「ごった返し商店街」なのだ。
そう思うと少し落ち着けた。
「ソフィーはその子と一緒に旅してきたの?」
「まあねえ」
「え、一人旅だったの!?」
俺は驚く。
「故郷で眠ってるカメさんを起こすためにい、『世界樹の涙』がどうしても欲しくてえ。ほらあ、何でも治せるすごいお薬って聞いたからあ。大きな国だしい、ちょっとでも情報があればいいかなあって軽い気持ちで来たんだけどお、まさかカバンなくしちゃうなんてえ。――絶対リーナに怒られちゃうよお」
「見つけられなくてごめんね」
「んーん。なくした私が悪いからあ」
ソフィーは小さな手を振って微笑む。
幸いショルダーバッグの中には何も入っていなかったそうだ。そう何もだ。この少女は空間魔法が使えるらしく、持ち物は全て亜空間に仕舞っているらしい。いわゆる「アイテムボックス」的なやつだ。
ソフィー曰く「あのカバンはダミーなのお。中の魔力を漏らさないからあ、あのカバンに手を突っ込んで空間魔法を発動させたらあ、亜空間からモノを取り出したことがバレないんだあ」とのこと。
最初聞いた時は「へえ」と感心したものだ。
――別に空間魔法を羨んだりはしなかった!
だがそういった「賢さ」と、チンピラに絡まれても臆さないような「肝」があったからこそ、一人旅ができたのだろう。
それはすごいことだ。
「大変だったろうな」
自然とそんな感想を溢してしまう。
そうしたら、ソフィーが苦笑した。
「どちらかと言えばこの国に来てからがだねえ」
「――――? 広すぎて迷っちゃうってこと?」
ソフィーの苦笑はますます深まるばかりだった。どうも頓珍漢なことを言ってしまったようだ。
こういう時は素直に先生に頼るに限る。
「ということでステラ先生、出番ですよ」
「エルフって昔は迫害を受けていた種族なんだ」
「え?」
「エルフってすごい魔法を使える人が多いから、それが外からだと怖く見えたんだと思うよ。まあ他種族と交流を断って久しいから、今ではエルフに偏見の目を向ける人も少なくなったけど、それでも一定数はね」
「そういうことなんだあ」
何と言うべきか、困った話である。
ただでさえ魔神が支配するお先真っ暗の世界だというのに、抵抗する勢力も一枚岩になれないとは。
いや、だからかもしれない。
このディストピアが千年も続くことになったのは。
「そっか」
ソフィーが深くフードを被っていた理由も今なら分かった。エルフの特徴である長い耳を人に見られると面倒なことになる恐れがあると、彼女自身、ちゃんと理解しているからだろう。
あるいは、何か嫌なことがあったのかもしれない。
ソフィーは黄色い瞳を細めて寂しそうに言う。
「知らないっていうのはきっと怖いことなんだよお」
「――――」
たった数秒の短い言葉だ。
だが込められた想いはそれに収まらないほど切なく。
余韻が、胸を締め付ける。
「――――」
俺は何か言って場を和ませなきゃという焦燥感に駆られた。
何だか少女が、このまま消えていく声の余韻を追い、一緒にこの世界から消えてしまうような気がしたのだ。
俺は明るい話がないか探して。
――そうだ。あれなら!
良い話題を思いついた俺は、意気揚々と始めた。
「確かに知らないものは怖いよな。何を隠そう、俺も昔はピーマンが怖くて怖くて見向きもしなかった。そうしたら妹が『食わず嫌いは良くない!』って言って、自分のおこづかいでピーマン買ってきてさ。いやあ、地獄で――あれ、ちょっとタイム。ちょっとタイムください!」
「その間にミルフィーユ頼もっと」
違和感を覚えて話を中断。おかしい。三月に母親が事故で亡くなって、俺は父親と二人暮らしだったはずだ。
妹なんているはずない。
でも、でも、だとすると。
――お前は誰だ?
「ごめん。友達の誰かだったかも」
「お兄さん、まーた忘れちゃったんですか?」
「えへへ、まーた忘れちゃったよ」
トオルの冷め切った視線から逃れるようにそっぽを向いて、頭を掻きながら「最近多いんだよなあ」と誤魔化す。
「忘れん坊が帰り道を忘れて一生迷子になる話、する?」
「しない」
結局、場を和ませたのはステラだった。
【物忘れ】
沙智「いやあ、最近本当に多いんだよなあ」
ステラ「それ聞くの二回目」
沙智「日記とかつけるべき?」
ステラ「私はつけてるよ?」
沙智「今度みせて」
ステラ「分かった。持ち歩き金庫買うね」
沙智「あれ?」
※2022年2月21日
ストーリーの分割
加筆修正




