第十一話 『エルフの少女にたかりたい』
ロブ島への出立が八月十七日に決まった。今日から四日後だ。途中の赤の国まではここジェムニ神国からの馬車で楽にいけるそうだし、赤の国からロブ島までは船の旅なので魔獣の心配も減る。そんな訳で特別準備が必要ということもなく、俺たちは今日もまったりと過ごす予定である。
「さあ、絶対に見つけますよ!」
「うん。今日こそはね!」
「ケーキを頂きましょう!」
「ケーキを食べまくろう!」
女子チームは噂の洋菓子店を見つけることに熱を入れている様子だ。
対する俺の興味はケーキにはない。というか前すらあまり見ていない。頭の中が昨日の夜のことでいっぱいだった。
――はい、これあげる!――
祝、女の子から貰った初めてのプレゼント。
別にステラへの恋愛感情がある訳ではないが、そんなものは関係ないのだ。古今東西、男の子は女の子の真摯なプレゼントに弱いのである。
ということで俺はずっと浮かれているのだ。
何だろう、この気持ちは。このドキドキは。
「にしてもトオル、ホントに大丈夫?」
そんな俺の前で会話は続く。
「朝から咳き込んでるけど調子悪いんじゃない?」
「大丈夫ですよ。昔からよくあることなので」
「でも具合が悪くなったらすぐ言ってね」
「私は、むしろお兄さんの方が心配ですけど」
――え、俺!?
いきなり自分のことが話題に上がったのでビックリする俺。そんな挙動不審な様子をトオルは怪訝な顔で見つめてくる。
「さっきからずっと心ここにあらずって感じです。ケーキ屋なんてお兄さんはあまり興味がないでしょうに、結局ぼーっとしたままここまで付いてきましたし、何か思い悩んでいることでもあるんですか?」
さすがトオル。よく見ておられること。
栗色の視線を浴びながら、俺は上機嫌に「どうしよっかな~♪」と悩む素振りをする。正直、自慢したい。お守りのこと。サンタさんからプレゼントを貰った子供みたいに自慢して燥ぎ回りたい。
少しなら許してくれるだろうか。
俺は、ふっと笑って――。
「実はな」
「きっとお守りを貰った時のことを思い出してドキドキしてるんだよ。ほら、こないだトオルにもあげたやつ!」
「ああ、そういうことですか」
「あれ?」
思考が飛ぶ。
ここで俺はやっと大いなる勘違いをしていたことに気付いたのだ。
あれは俺だけへの特別なプレゼントじゃなかったと。なのに本命チョコを貰ったみたいに「やったあ!」と一人浮かれていた俺。
恥ずかしさで徐々に赤くなる。そこへ追い打ちをかけるように、ステラとトオルがにやりと笑って「沙智」「お兄さん」と呼んだ。
あれは、明らかに揶揄う時の顔ではないか!
――ごめん。許して。
そんな心の声は届かなかった。
「かーわいいっ!」
「可愛いですね!」
「~~~~ッ!!」
Q.耳まで真っ赤になったユデダコ沙智の次の行動は?
「――俺、逃げる!!」
これが正解。
そこからは一心不乱だった。
背後でステラとトオルが何か叫んでいるのを無視して、本屋と居酒屋の合間から薄暗い路地へ駆け込む。真っ赤な顔で駆けるその様は、さながら、ものすごいスピードで脇目も振らず飛ぶアカトンボ。
薄暗い路地を「ああああ!」と奇声を上げながら、両手を頭に添えて、くねくね走り続ける。完全に奇行種である。
建物の外壁に肩を擦ろうが、漬物石に躓こうが、変なピエロを踏んづけようが止まらない。その様まるで、親ライオンに会うために、ボロボロになりながら必死に崖を上ろうとする子ライオン。なお、自然の逞しさという観点は捨て去るものとする。それを取れば何も残らないが。
しばらくの後、暴走車は止まる。
燃料切れであった。
俺は緑色のポストの隣に頭を抱えて蹲った。落ち着いたら、途端に込み上げてくるこの強烈な羞恥心。
「恥ずい――ッ!!」
よく考えたら分かることではないか。あの気遣い上手のステラが俺にだけプレゼントを渡しているはずがないと。
最初に確認しておけばなんて思っても後の祭りだ。
「とりあえず、ほとぼりが冷めるまでここにいるか」
今戻ったら七福神のような笑みで迎えられ、子供をあやすように「よしよし」と宥められるに違いない。
そんなの拷問である。
なので、まずはこの心地の良い静寂で心を癒そう。
そう思った矢先にすぐ近くから聞こえてくる雑音。
「いーからさっさとお宝全部出せってんだヨ!」
「ソーですね!」
「ゲヘヘ、ついでに財布も出してもらおうか!」
――はあ。
「――――」
俺はこめかみを押さえながら嘆息した。
この世に、平穏はどこにもないらしい。
§§§
騒ぎの中心はこの奥の丁字路のようだ。
「痛い目に合わなきゃ分かんないかヨ!」
「ソーですね!」
「げへへ、げへへ!」
――あんたらこそ煩いって言わなきゃ分かんないか?
さっきまで奇声を発して駆け回っていたことを棚に上げて、心の中で不満を垂れる俺。清らかな禊を邪魔された怒りは深いのだ。
もしここにステラたちがいれば、俺の目の、瞬間冷凍庫も驚きの冷めように、顔を引き攣らせること請け合いだ。
ちらりと物陰から様子を窺う。
見たところ、フードを被った小さな子供を、大人三人がかりで取り囲んでいるという実に大人げない状況のようだ。
もう一度深々と溜息。
そして、すっと顔を引っ込める。
「――なんか前にもこんなことあったっけ」
瞳に黄色いリボンと揺れるポニーテールが蘇る。件の、名前を思い出せない以前付き合っていた同級生である。あの時は確か、他校の生徒に泥棒と間違えられて彼女と一緒に雨の中を追いかけられたのだ。――あれ、追いかけてきたのは駄菓子屋のお婆ちゃんだったかもしれない。駄目だ。思い出そうと手を伸ばしても記憶が深い靄の中にある。
呆れた目はやめてほしい。
大切なのは過去じゃなくて今なのである。
という訳で、俺の取るべき行動はこれだ。
「逃げる!」
今日はこればっかりである。
仕方がないだろう。
巻き込まれると大変だって身に染みているのだ。
思い出せないけど。
何より。何よりもだ。
――こっちは傷心なんだよ。構ってられるか!
そういうことである。
「すみませんがお引き取り下さい。あなた方がちゃんとした交渉の席に座ろうとせず傲慢にも暴力で訴えようとするんであればあ、私の方からこれ以上お話することはもう何もありません」
逃げ腰一択の俺と違って、フードの子供は驚くことに、幼い少女の声で立ち向かうことを選んだようだ。
――へえ。
ちょっと興味が湧いたので、数歩戻してまたポストの陰から覗き見る。
「あれ?」
よく見ると絡まれている子、一昨日の夜に通りの案内所前へモニタ―ニュースを見に来ていた、金髪エルフの女の子ではないか。
壊れた演奏家にビビッて汗を流していた俺に、自分も怖がりながら、どうぞとハンカチを貸してくれた姿をはっきり覚えている。
――けど、あの熊は何だ?
謎なのは少女が抱えている桃色の熊のぬいぐるみ。明らかに動いている。生き物みたいに動いている。
『――――♪』
いや、あれについて考えるのはやめておこう。
あれはそういうものだと受け止める方が楽だ。
さて、絡まれている子が知り合いと分かった。
ならば、俺だって対応を変えよう――。
「とまでは思わないけどな!」
当然だ。繰り返す。こちとら傷心なのだ。
それにピンチならいざ知らず、エルフの少女はチンピラ相手にまだ余裕のある雰囲気なのだ。丁寧な言葉で冷静に渡り合おうとしている。それを邪魔するのは無粋というものだ。そうに違いない。
あの少女なら熊パワーで上手く切り抜けるはず。
と思ったのに。
「はい帰ってえ、このハゲとデブとのっぺらぼう!」
「だとこらあ!」
――なぜそこで喧嘩を売る!?
「さっさとポスターに書いてたもん出せヨ!」
「いい加減にしてくれないとルビーパンチ食らわせるぞお!」
『――――!』
「ソーですね!」
「ボス、そこ肯定するとこ違う!」
「ぬいぐるみで何できるヨ!」
――もう勝手にやっててくれ。
ほとほと呆れ果てた俺は、ゆるゆる首を振り、ささくれた心を癒せる次の巣穴へと向かうのだった。
「――――さすらいの騎士、見参ッ!!」
俺は――。
「何だヨ!?」
「誰だよてめえ!」
「ソーですね!」
俺は――。
「ええ?」
俺は、何をしているのだろうか。
『――――?』
さよならしようと一度は背を向けたはずなのに、なぜ俺は両者に割って入る形でこんな場所に突っ立っているのか。
見ろ、後ろの少女のぽかんとした顔を。心なしか熊のぬいぐるみまできょとんとしているように見えるではないか。
武器もないのになぜ騎士の真似なんか。
「ぐへへへ、泣かせてやるぜ!」
「ソーですね!」
「ボス、そこはもっと威圧感ある雰囲気で!」
「ソーですね!」
「そうそう、そんな感じだヨ!」
――突然、正義の味方になりたくなった?
いいや違うとも。
――全身が磁石になって引き寄せられた?
まさかのまさか。
「俺らは泣く子も黙るブラック冒険団『ビターラムネ』だヨ!!」
「ソーですヨ!」
「ぐへへ、ボス釣られてるっす」
俺がこうして割って入った理由。
だって――。
だって――。
『お宝全部出せってんだヨ』『世界樹の涙の情報を求む』『以下の品から三点お選びください』『交渉の席に座ろうとせず』『というアイテムで魔法の適性を増やすことができるぞ』『随分カラフルですね』『ポスターに書いてたもん出せヨ』『イタズラで貼られていたのを回収してきたところなんですよ』
だって――。
「――全てのピースが繋がったから!!」
俺は宝石みたいにきらきらの目で言い切った。
なおこの場合の「きらきら」は、ロマンチックな星夜を見上げる子供が瞳に浮かべるような純真無垢なものとは違う。金目のものを見つけた守銭奴の目と同じものである。ドルマークである。
俺は、「もしかしてカッパのお」と呟くエルフの少女を、背中越しで親指を立てて安心させ、見栄を切った。
「知っているか諸君! この地域には殺人鬼が出るからって、昨日から軍人さんたちが巡回を強化しているそうだ! つまり、つまりだ! 俺の秘儀『助けてお巡りさーん!』の成功率がふんだんに上がっているということだ! たとえ叫びを聞いてくれたのがお巡りさんじゃなかったとしても」
「――通りかかった物好きとかでもいいもんね」
「そういうことなのだ!」
まさに虎の威を借る狐。と踏ん反り返って「あれ?」と首を傾げる。途中で乱入した声に覚えがあるような気がして。
――まさか。
寒気がして丁字路の奥へ目を遣る。
そこで。
「では救援信号を受け取ったので撃ちますね?」
「沙智、あんたはその子と一緒に離れててね!」
掌でつむじ風を鳴らす赤毛の少女と、紫苑の魔力を帯びた瓦屋根の破片を手に物騒なセリフを吐く桑色髪の少女。
ステラとトオルだ。
その笑顔は、先刻の恥ずかしい大失態を思い出させる。
そうしたら思ってしまったのだ。俺は。逃げなきゃと。
「やべえヨ、魔法使いだヨ!」
「ぐへへ、なら逃げるが勝ちだ!」
「ソー「そうですね!」」
「あれ、ボスっぽくない声した?」
逃げなきゃと。
「――何でお兄さんがいの一番に逃げてるんですか!」
「ぐは!」
§§§
ジャンブルドストリートから外れた路地裏。じめじめした雰囲気とは裏腹に、外気に晒された金髪は明るく美しい。そして自然と気分を高揚させるのは、俺の世界では創作物でしか見られない耳。以前ずっと深く被り込んでいた灰色のフードをすんなり背中に降ろしてエルフらしい顔を見せてくれたのは、一先ず少女から信用が得られたからと考えていいのだろうか。
「やっぱりカッパの人だったあ」
少女が幼さの残る顔で微笑む。
「あの時は名前も言わずに行っちゃってごめんなさい。私はソフィー。それでこっちの熊のぬいぐるみがルビーって名前なのお。ありがとね。助かったよお。――それで、えっとお、大丈夫う?」
「勿論。俺って鉄製だから!」
そんなことはない。人間やめた覚えはない。
衝動的に走り出そうとした俺の背中へ瓦屋根の破片が直撃。
やったのはトオルである。
俺は小さな犯人に恨めしい目を向けた。
スキルによる投撃でこそなかったが、痛いものは痛いのだ。
トオルは視線を逸らしてぼそっと溢す。
「苦労してやっと見つけ出したのに、また逃げ出されたらたまったものじゃないと思ってしまいまして、つい」
今度は俺が目を逸らした。
――なるほど、この勝負は分が悪いな。
面と向かってそんな風に言われると、さすがに俺もちょっと恥ずかしいくらいで大袈裟過ぎたかと頭が冷える。
それに大事なことは別にあった。
優先順位を間違えてはならない。
「まあまあ。困ってる女の子を助けてたんだから労ってあげよ?」
「それは、まあ、そうかもですね」
ステラの有難いフォローにトオルが渋い顔になる中、俺はやや腰を屈める。エルフの少女と同じ視線になった。
これで本題に入れる!
「ところでソフィーだっけ。悪いんだけど、ちょっとだけ職務質問させてくれ。さっきのエセラップ男が振り回してたポスター、あれ町中に張り回ってたのって、もしかしなくても?」
「ん。私だけどお」
ニヤリと内心ほくそ笑む俺。
――やっぱりか!
ステラはきょとんとしたままだが、勘の鋭いトオルは今のやり取りだけで気付いてしまったようだ。俺を見る目が死んでいく。
そう。俺が助けに入ったのは、正義の心の目覚めたからではないし、摩訶不思議な磁力が働いて引き寄せられたからでもない。
「じゃあ!」
「じゃあ?」
Q.なぜ俺は急に助けに入ろうと思ったのか?
「――『火のオーブ』寄越せぇぇえええええ!」
これが正解。
トオルが甲高い指笛を鳴らしたのを合図に、ステラが「逮捕!」と叫んで、興奮状態の俺を取り押さえにかかった。
俺が「そこに魔法使いの夢が!」「――あ、でもその指笛カッコいいな」「でもやっぱり魔法使いの夢が!」と暴れる度に、トオルが呆れて首を振り、ステラが無言で羽交い絞めにする力を強める。
傍から見ると、とんだ馬鹿騒ぎのはずだ。だけど、そんなもみくちゃを眺めるエルフは、何だか少し羨ましそうで。
「――あれえ、私のカバンはあ?」
少女が自分のことに目を向けるのは随分と後だった。
【さすらいの騎士】
沙智「違うんだ! 弁明の機会をくれ!」
ステラ「――見参(ぼそ」
沙智「待って!」
トオル「『さすらい』も『騎士』も『見参』もないと思います」
沙智「ああああ!」
※2022年2月21日
加筆修正
サブタイトル変更




