第十話 『月夜に叶わない夢を語りたい』
玄関に揃う靴を見ると思い出すことがある。
『なあ、ステラ』
『何?』
『どうしてステラだけ呪いの進行が早かったんだろう?』
彼女のボロい家の玄関に残る褐色の痕跡が今でも蘇る。
あの日、ステラは「たまたまだよ」と微笑んで誤魔化した。優しい声音で、俺にそれ以上踏み込ませなかった。
俺も、そんな雰囲気に気圧されて追及しなかったし、同じ場面が繰り返されても追及しないことを選んだろう。
でも、今では思うんだ。
『ねえ、聞いてる?』
『え?』
聡明なステラが、呪いの可能性を検討もしなかったこと。
呪いだと受け入れてからの対応が後手後手だった不思議。
彼女らしからぬ、ちぐはぐさ。
まさかとは思うけれど。
もしかしたらって、そう思うんだ。
※※※
「何でも昨夜通報があったそうですよ。例の殺人鬼を見たって。知り合いの軍人さんに聞いたら、通報してくれたその子、真っ青な顔で震えてたらしくて……。まあそういう訳でずっと分からなかった殺人鬼の人相が分かったものですから、何とか次の犠牲者が出る前に解決しようと軍人さんたちも必死になってるみたいです」
――ロブ島のナレージ大図書館。
次の目的地は決まったが急ぐつもりはなかった。「急いては事を仕損ずる」という諺だってあるのだ。
そういう訳で今日はそれぞれゆったりと過ごしたのだが、そんな中で気になったことが、町中で何度も見た緑色のベレー帽を被った人たちだ。先日までは気にならない程度しか目に入らなかったが、今日は明らかに多かった。そして丁度、彼らが何者なのかという質問に対する回答を旅館の仲居さんから得たところである。
「へえ、あれは軍人さんだったんですね」
「お役に立ちましたか、画竜点睛を欠くお客様?」
「その呼び方はやめてください」
不貞腐れたようにそう言うと、仲居さんは口元に手を当てて微笑み、フロントの奥へ行ってしまった。
「はあ」
俺は溜息を溢しながら、二階の宿泊している部屋へ向かう。
もう随分遅い時間だ。ステラたちはきっと寝ているだろう。
「そう言えば」
――今朝、ステラ元気なかったな。
二〇八号室と書かれたドアに鍵を差し込みながら、ふと思い出したのは、いつもとは様子が違った赤毛の少女のこと。
何だか無理をしている感じがあった。体調が悪いのを隠しているとか、そういうのじゃない。何だか気落ちするようなことがあって、でも無理して気丈に振舞っている、そんな風に感じられたのだ。
思い過ごしという訳ではないと思う。
それくらいなら俺にだって分かるのだ。
「今日一日で元気になってればいいけど」
ドアを開けて靴を脱ぐ。三足分になった靴を何となく眺めたあと、俺は部屋へ入る。暗いけど月明かりで様子は分かる。
「あれ?」
俺は首を傾げた。
ベッドにトオル一人分の膨らみしかない。何だか以前にもこんなことがあったなと苦笑しながらバルコニーの方へ目を遣ると、やっぱりいた。
月を見上げて物思いに耽るステラの背中だ。
俺はにやりと笑い、そわそわと引き戸に手をかける。
――今回こそロマンチックな会話を!
自分がコミュ障であることを忘れた哀れな男である。
そうして意気揚々と扉を――。
「ステラ?」
「――あ!」
こちらに振り返るステラ。小豆色の瞳が潤んでいる。仄かな月明かりに照らされた姿は、まるで何かに怯えているみたいだった。
突けば、ぱらぱらと崩れそうな儚さがある。
そんな不安定な姿を今だけ意図的に無視する。
――違う。そうじゃない!
ロマンチックな会話がしたいのに第一声が「ステラ?」とは何なのか!
土壇場で気の利いたセリフが出てこない自分の語彙力を呪う。だがすぐに思い直した。今ならまだやり直せるのではないかと。
そういう訳でテイク2、レッツゴー。
「ここは可愛い女の子を誘う甘い香りでも漂わせているのかね」
「沙智、無理しなくていいよ?」
「やっぱり駄目?」
「うん。まるでダメ」
赤点だったようだ。残念。
俺はがっくしと項垂れながらステラの隣に行き、手すりに両腕を乗せて同じように月を仰いだ。以前と同じように、淡い月明かりは背後のガラス戸に反射し、俺という来客を包み込むように歓迎してくれた。
舞台は俺を歓迎してくれたが、役者はどうか。一度は振り向いたステラも今は引き戸に背を向けている。ちらりと見ると、どこか不安そうに唇を噛み締めていたけれど、やがて意を決したように俺に尋ねた。
「何か見た?」
「いいや」
「じゃあ何か聞いた?」
「いいや」
「――――」
「ああ分かった。一人でポエム歌ってたんだ。そうだろ。いやあ、ステラがそんな恥ずかしいことしてるなんて!」
「違うから!」
ステラは「もう!」と頬を膨らませたあと、ふっと表情を緩めた。一緒に何かを警戒するようなピリピリした雰囲気も消える。
その様子を見て俺もほっと胸を撫で下ろした。
役者も俺を受け入れてくれたみたいだ。
俺は笑顔で持っていた袋を掲げてみせる。
「アイスいる?」
「ああ、帰りが遅いと思ったら」
「だってコンビニがないんだもん」
「コンビニ?」
「この世の大体全てが揃う場所!」
「あはは、何それ!」
ステラが楽しそうに笑う。うん。やっぱり神妙な顔をしているより、笑顔の彼女の方が可愛らしくて好きだ。
俺は袋からアイスを取り出して包装紙を破く。幸いアイスは二つにぱきんと割れるタイプだ。元はぱきんと割らずにそのまま贅沢な食べ方をしようと思って買ったのだが、まあ仕方がないので分けてやろう。
ステラが「ありがと」と受け取る。
それから、また二人で月を仰いだ。
「――――」
お互いに、何か喋ろうとはしない。
ステラといるとこういう時間がよくあるのだ。お互いに無言でただ隣り合っているだけという不思議な時間の使い方。無理に話題を引っ張り出すこともないし、相手から引き出すこともない。でも息が詰まることもないのだ。例えるなら釣り人の感覚が一番近いかもしれない。相手が自然と話し出すのを待つ時間が、ルアーに魚が食いつくのを待っている時のような心地良さがあるのだ。
この静寂は好きだ。
だけど、たまには俺が魚になってやるのも悪くない。
そう思った俺は、アイスの棒を咥えながら話を振る。
「なあ、ステラ」
「はーい」
「ステラは何か夢とかある?」
「え?」
ステラの小豆色の目が丸くなる。
「急にどうしたの?」
「いや、こないだの夜、ここで丁度トオルとそんな話をしたからさ」
「ああ、なるほどね」
少し恥ずかしい話題も前例があれば怖くない。俺はくるりと向きを変えて今度は手すりに背中を預けた。
夜に咲く赤い楓は月下に何を思うのか。
「夢かあ」
ステラは「難しいなあ」と唸る。
「そんなこと今まで考えたこともなかったからなあ」
「そうなのか?」
「参考までにあんたやトオルはどんなことを?」
柔らかな表情でステラがそんなことを尋ねてきたので、俺はこの前のトオルとの夜会を頭に思い浮かべながら答えた。
「夢って言えるほど大層なものじゃないけど、俺はやっぱり元の世界に戻ることだな。それで支えてくれていたたくさんの人たちにお礼を言いたい。トオルの夢はスーパーの詰め放題みたいに盛り沢山だったから、今度本人に聞いてくれ。思い出そうとしてみたけど駄目だ。多すぎる」
「ありゃりゃ」
「夢が難しかったら願いとかでもいいぞ?」
「願い、ねえ」
俺のは何なら「当面の目標」と言い換えられるし、トオルのも夢と呼ぶには些細なものばかり。だから言葉のグレードを下げてやれば、ちょっとした未来図は語ってもらえるかなと思ったのだ。
ステラが「うん」と頷いた。
「ヒミツ」
「え?」
「だからヒミツだってば」
「ええー!」
夜中なのに思わず大声をあげてしまう俺。
そりゃないぜという心境である。
「ごめんごめん!」
ステラは「でも」と続けた。
「一番目の願いはヒミツだけど、二番目なら教えてあげてもいいよ」
「おお、下げてから上げたねえ!」
「ホントにちょっと叶えばいいなあってものだからね」
俺の食いつきように若干引いた様子のステラは、両手で俺を落ち着かせるようにしながら、苦笑気味に保険を掛ける。
それから、偲ぶように月を眺めた。
「もう六年も前になるのかなあ。ふふ、実は行き場がなくて困ってるのを拾ったのは沙智、あんたが初めてじゃなくてね。半年ほど私の家で一緒に過ごした、少し変わった女の子がいたんだ」
「変わった女の子?」
「そうそう。生活費を稼ごうと私が白犀を倒してる時にね、手伝いもしないで遠くでペンを走らせてるんだよ。文句を言いにいったら、『次の物語は、文明を得るに至った白犀が人の命を狩って生計を立てるストーリーなんてどうだろうか?』って皮肉を飛ばしてくるんだよ。ホント、同じ十二歳のセリフとは思えなかったよ」
「それは変人だな!」
思わず俺も顔が引き攣ってしまう。
恐ろしいことを考える少女である。
「名前はシャロンって言うんだ。綺麗な白い髪の子でね。今でもブラックコーヒーを飲んでる姿が目に浮かぶよ」
「十二歳でブラックだと!?」
戦慄。俺なんて十二歳でやっと苦手だったピーマンを克服することができたというのに、同じ年でブラックとは!
あまりにも衝撃すぎて声に出ていたようだ。ステラに「長かったんだね、ピーマン時代」と同情されてしまった。
なお、オクラは今でも無理だ。
ここだけの秘密にして欲しい。
「しばらく一緒に暮らしてたんだけど、ある時、いきなり変な言葉を残して出てっちゃってね。それっきりなんだ」
「手紙もないのか?」
「うん。だからいつかね」
そこで一度言葉を区切って、ステラはまた月を仰ぐ。夜風に揺れる赤い髪を押さえて遠くに想いを寄せるステラ。
その横顔は少し寂しそうで。
「いつか、また会えたらなって」
「そっか」
自然と胸に手がいく。
気持ちがすごく分かるのだ。
多分、一緒だから。
俺の、元の世界にいるみんなに会いたいという気持ちと。
ステラがふっと頬を緩める。
「これが私の願い。つまらなかったかな?」
「いや、めちゃくちゃ応援したくなった!」
俺が感想を言うと、なぜかステラは頬を赤くして、居心地の悪さを誤魔化すように視線を遠くへ飛ばした。
そんな反応をされると俺の方が照れてしまう。
なので茶化すつもりはなかったのに、つい言ってしまった。
「なるほどねえ。それからはずっと人見知りさんだった訳か」
「あーあ、バレちゃったか」
ステラは開き直ったように笑う。
はずれの町でステラが人と話している姿はあまり見なかったし、暮らしている場所も人気の少ない場所だった。おまけに、小さな集落だったのに、ローニーの探し人をすぐ見つけられなかったのなら疑って当然だ。
ステラが、俺と同じ人見知りであると。
否定するかと思いきや、素直に認め意外だった。
なんて思っていると――。
「でも多分、あんたほどじゃないよ」
と好戦的な笑みで挑戦してくる。
「言ったな?」
「言ったよ!」
正直ステラの言い分は正しいと思うが、負ける訳にはいかないのだ。俺は片目を瞑って「あくまでも余裕ですけど?」感を演出。対するステラも「どの口が言ってるのか」と視線で挑発してくる。そこからは無言の対決だ。お互いに視線だけで相手を屈服させようと――って、これではロマンチックな夜も崩壊か。
このまま、また最初の静寂に戻るかとも思った。
だけど、この静かな睨み合いは不意に決壊した。
「あははは」
ステラが笑ったのだ。
「でもね、確かにこんな風に笑えたことはなかったかもしれない。だから、あなたやトオルに出会えたことは本当に感謝してるんだ」
「あ、ああ」
――いきなり、そういうのはズルいと思う。
手すりから離れ、しっかりこちらを向いて、偽らざる本心をまっすぐにぶつけてくるステラ。しかも今度は照れている様子さえなかった。穏やかな笑顔で、本当にまっすぐに、胸中を明かしてくれているのだ。
それが嬉しくて、だけど照れくさくて。
「そうだ!」
どう反応すればいいか迷っていると、ピコンとステラが何かを思い出したのか薄暗い部屋へと戻っていく。
そして一分も経たない内に戻ってきて。
「はい、これあげる!」
「え?」
渡されたのは――。
「これってお守り?」
手で包み込めるほどの、綺麗な紅いお守り。右下には白い糸で、五枚の花弁がある可憐な花が刺繍されていた。よく見ると縫い目が疎らで、ステラが頑張って縫い込んでくれたのだと分かる。
嬉しい。でも急にどうしたのか。
不思議に思い、顔を上げたら。
そのまま、言葉を失った。
「感謝の気持ちと祈りを込めて。――あなたの大切な夢が、元の世界に帰りたいって願いがどうか叶いますように」
優しい月明かりを浴びるその綺麗な赤髪は美しく。
両手を後ろに、照れるように微笑む姿は愛らしく。
「あ、ありがとう」
騒ぐ鼓動を抑え込んで俺は何とかお礼を言った。するとステラがまた嬉しそうにはにかむものだから、またドクンと胸が高鳴る。
本当に、月が俺のいる側にあってくれて良かったと思う。もし正面から照らされてしまったら、きっと、恥ずかしさとか、嬉しさとか、色んな感情が混じって感極まった顔がステラに見られてしまうから。
赤くなった顔が見られてしまうから。
「ほら、もう遅いし寝よ?」
「ああ」
――この祈りにはちゃんと応えたいな。
ステラの背中を見送ったあと、俺は目を伏せる。バルコニーに一人残り、熱くなった手を胸に持っていく。
「――――」
懺悔すると、実はロマンチックな第一声に失敗したのは、俺の語彙力がなかったことだけが理由ではないのだ。
引き戸を開ける直前、聞こえてしまった。
月に向かって彼女が零した独り言が。
――どうしてあの日、私は死ねなかったのかな――
もしかしたらとは、思っていたのだ。
あのステラが、呪いを検討もしなかった。
呪いだと受け入れてからの対応も後手後手だった。
彼女らしからぬ、ちぐはぐさが目立った。
ステラは、あの時。
死んでもいいと思っていたんじゃないか。
「――――」
今でもそう思っているのかどうかは分からない。
でも、もし今もそんなことを考えているのなら。
――絶対に支えになってやろう。
この紅いお守りを握り締めて、強くそう思った。
【アリサの花】
沙智「このお守りに刺繍されてる花ってなんて名前?」
ステラ「アリサの花だよ」
沙智「いや、持ち主を聞いてるんではなくて」
ステラ「変な名前でしょ。でもそういう名前なんだ」
沙智「へえ」
ステラ「願いが叶いますようにって伝える時にこの花の柄があるプレゼントを贈る風習があるんだ。それと『世界樹の涙』や『夜明け石』と並んで伝説級のアイテムとしても知られてるよ。この花に触れるとユニークスキルを授かることができるんだって。あと他にも逸話があって――」
沙智「盛り盛りだなおい!」
※2022年2月21日
加筆修正しました
視点を沙智に再変更しました




