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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第九話   『ずっとヒミツにしていたい』

本日はステラ目線でお送りいたします。


◇◇  ステラ





 ――あなたには人に言えないヒミツがありますか?


 お墓まで持って行きたい恥ずかしい勘違い。

 数センチ心を動かせば届くかもしれない恋心。

 友達を傷つけまいとついた優しい嘘。


 心に仕舞っていたいヒミツはきっと誰にでもある。


「っていうかステラはそれで何隠してるの?」


 私だってそうだ。


 誰にも言えないヒミツのヒミツを、琥珀色の首飾りに仕舞っている。沙智やトオルと出会う前から、理解者であった両親を亡くす前から、あるいは、この世界に生まれ落ちるその前から、ヒミツはヒミツだった。

 でもね。私のヒミツは全く甘美じゃないんだ。


 後から聞いて心がほっこりするなんて、ない。


「だとしたら称号?」


 ――私が■■であること。


 これが沙智やトオルにも言っていない私のヒミツだ。


 私たちは普通の人間と相容れない存在だ。その事実を、内にある魔力の色と、私たちが何者かを示す――称号が、証明している。

 例えるならそう。私たちはマモノだ。大人になれば知らずの内に毒を撒いて周りにいる人をみんな殺してしまうマモノ。恐れられ、疎まれ、見つかれば憎悪の言葉と一緒に刃を向けられる。望んでマモノになった訳じゃないのに。何も知らずに親しくなった相手も、私の正体が分かれば離れていく。

 どれだけ人恋しくても、私たちは独りぼっち。


 そんなの、耐えられないじゃない。


 だから、私にヒミツができた。

 大人になるまでの、少しの間でいいの。

 人の温もりに触れていたくて。


「睨めっこでもしてるんですか?」


 でもね、マモノはいつだって恐れてるんだ。

 このヒミツが、ヒミツでなくなるその時を。


「ステラ」


 町の魔女から姿を欺けるペンダントを受け取った時、私にはそれがキラキラと輝いて見えた。積年の願いを叶えてくれる宝石に見えた。

 これで誰かと笑い合えるかもしれない。

 呑気に喜んだ私はまだ知らなかったんだ。


 ヒミツを背負うことの、辛さなんて。


「ステラも素直に人を好きになれるといいですね」


 ねえ沙智。ねえトオル。

 もう少しだけでいいの。


 ――私のヒミツに気づかないで。





※※※





 ジェムニ神国の夜は、昼の喧騒を忘れて静寂に浸る。

 まだ未完成の月が照らす道、私は一人、夜を歩いた。


「トオルに心配かけちゃったなあ」


 私が一人歩いているのは、「ちょっと夜風に当たってくるね」と言って、逃げるように旅館を飛び出してきたからだ。怖かったんだ。トオルの笑みと、意味深なセリフが。「あなたのヒミツなんてもう見透かしてるんですよ」と言っているみたいに感じたから。勿論トオルがそんな嫌味な子じゃないことは知っている。

 恐れたのは、トオル本人ではなく、私の心が壊れてしまうことだった。


 ヒミツがバレてしまうかもしれない。

 そんなドキドキに耐えられなかった。


「バカだなあ、私」


 ――分かってたことじゃない。


 沙智もトオルも、鈍くはない。

 今はまだ、何も気付いていないはず。

 でも、隠し通すのは、難しい。


「はあ」


 いっそ二人には本当のことを明かしてしまおうか。


 そんな安い考えに誘われる度、私は「ダメだ」と首を振る。

 私はマモノだ。それを知って傍にいてくれた人なんていない。沙智やトオルなら受け入れてくれるんじゃないかとも思うけれど、怖いんだ。

 そうならなかったらと考えたら、ヒミツを開けるのが怖い。


 正体を、明かしたくない。


「うん。やっぱりダメ。我慢我慢。頑張れ私」


 こうして物思いに耽っていた私は、すっかり忘れていたんだ。通りから外れたこの辺りがどういった場所か。


 海底を映したような暗い夜。塀の向こう、公園に佇む男のブロンズ像は、近くを通った私を少しも見ようとしなかった。その代わり、すっと公園の芝の香りを風に乗せて私の方へと送ってくる。挨拶代わりにしては、やや乱暴な風。その行先を何となく目で追おうと視線を動かして、やっと気付く。

 その男は、私を待ち構えるようにそこにいた。

 公園の防護柵に尻を乗せ、半端の月を仰いでいた。


 ブロンズ像は伝えてくれていたんだ。

 トオルが促した注意と同じことを。


「駄目なのはテメエだろ」


 ――行方不明の冒険者ら七名、芝の公園にて遺体で発見――


「こんな夜道に一人出歩くなんざチョー危険だぜ?」


「は?」


 極めて、異質。

 それが男の最初の印象だった。


「ジェムニ神国は七不思議が生まれるほど物騒な引力があるからな。まあ一人になりてえ気持ちは分からなくもねえが」


 ニヤリと笑みを浮かべる男。


 歳は二十代後半から三十代前半といったところか。首から下は灰色のジーンズに黒のジャケットという目立たない服装。だが一転して首から上は特徴的だ。赤と緑のチェック模様が入ったレーニン帽もさることながら、奇妙な禍々しさを放つ短い白髪もまた存在感がある。

 魔力で視てみたところレベルは28。高い。

 ただ、凶悪な笑みや独特な風貌からは威圧感を感じるものの、特段恰幅が良いということもないようだ。


 ――さて、どうしよっか。


 まだニュースになっている殺人鬼か確信はないけど、対応を間違えばまずいというのは直感が告げていた。


 私は慎重に口を動かす。


「そう言えば殺人鬼が出るってニュースで見たね。随分と残忍な殺人をしているらしいけど、それってあなた?」


「はは、ああ間違ってねえよ」


 心の奥底で「人違いでありますように」と祈りながら出した言葉は、白髪の男にあっさり肯定されてしまった。

 知ってた。そうだと思った。


「メチャ渋い顔しやがるなあ」


「当たり前でしょ?」


「だが怯えてはいねえ。いいねえ」


「品定めは済んだ?」


 適当に話をしながら、私は腰の短剣に手を添える。

 男の、あの狂ったような笑い顔。

 地獄の果てまででも追いかけてきそうだ。


 ここで、倒しておきたい。


「オレの名はギニー」


「へえ」


「ステラっつったな」


 なるべく速攻で決める。帰りが遅いなと不安がって私を探しに来た沙智やトオルが鉢合わせる、なんて事態は避けなければならない。目の前の男のレベルを考えると二人では太刀打ちできなさそうだから。

 だから、私がここで仕留めるんだ。


 そんな思考が、男の妙な言葉で止まる。


「単刀直入にいこう。オレと手を組め。可愛い後輩が幻想を捨て切れず人形になるのを見過ごすなんざ、寝覚めがわりぃ」


 ――可愛い後輩?


「どういう意味?」


 すごく嫌な予感がした。


 ――まさかこいつ。


 眉を寄せる私。白髪の男はニタと笑ったかと思えば、すっと自分の顔の前に右手の人差し指を突き立てる。

 直後、そこに灯るんだ。

 嫌な予感を射抜く証明が。


 黒く禍々しい魔力の光が。




「――オレがテメエと()()って意味さ」




 風が止んだ。月明かりを薄雲がゆっくりと咀嚼し始めた。

 人の気配が消えた夜闇の空気はずっしり重く、何かを喋っていなければ呑まれてしまいそうな危うさがあった。だけど声が出ない。

 夜は何もかも塗り潰してしまいそうな暗闇を押し広げた。


 そこに淡い鼓動。私だ。


「――――」


 ずっと思っていたことがあったんだ。


 自分と同じ、漆黒の魔力を持つマモノ。称号に刻まれたマモノ。

 自分と同じ、望まずともいつか誰かを殺めてしまうかもしれないマモノ。

 自分と同じ、恐れられ、疎まれ、孤独を運命づけられたマモノ。


 そんな鏡みたいな誰かと出会えた時。


 私は。


 何を思うのかなって。


「――――」


 自分と同じ人と出会えた喜びみたいなものがあった。

 そんな人が殺人鬼だというショックがあった。

 心を見透かされているような不安感があった。

 琥珀に隠したヒミツを掴まれたという恐れがあった。


 その全部が複雑に絡み合い、声を出す枷になる。


「昼間、テメエの姿を見た。自分が何者なのかを隠して、仲良くお友達ごっこをやってるテメエをだ。ドッと吐き気がしそうだった。オレは人間って生き物が心の底から憎くて憎くてたまらねえからなぁ」


 白髪の男ギニーは指を眼前から下ろして、私の戸惑いを知ってか知らずか突き刺すような言葉を続ける。

 この動揺まで見抜かれてはいけない。

 私も、何とか応戦を試みる。


 だけど――。


「だが同胞は別だ。それも人間と繋がれるなんて夢見てる後輩なら、目え覚まさせてやんのが先輩の務めってもんだ」


「余計なお世話って知ってる?」


「そう怒るなや。大体テメエだって分かってるはずだぜ?」


「何を!」


「自分の正体に勘付きそうな仲間を、今度はどんな嘘で煙に巻けばいいのか頭を悩ませる、それ以前の問題だって」


 言葉がまた詰まる。


 ギニーの語った「それ以前の問題」。ずっと見なかったことにしてきたけど、それにはちゃんと心当たりがあったんだ。

 そうだ。私はいつまでも沙智たちの傍にはいられない。

 その事実をまだ私は見たくなかった。


「なあステラよ、テメエはさっさと人間なんて見限るべきなんだ。オレらが人間と分かり合うことはねえ。そんな当たり前の現実から目を逸らして、くだらない幻想に憑りつかれた同胞は、決まってつまらねえオワリを迎えることになる」


 視線を上げてギニーの顔を見る。


「テメエ、このまま幻想ばかり見てると」


 凶悪な殺人鬼らしい歪んだ笑み。

 それがない。

 この時ばかりは。


「――――ちまうぞ?」


 まっすぐ私を見つめていたんだ。


「オレと来い。そんな糞みてえな未来からテメエを救ってやれる」


 私はすぐに言葉を返すことができなかった。

 だって、分かってしまったんだ。

 ギニーは、本気で私のことを考えている。

 自分と同じだから。だから、案じている。


 ――でも。


 分かってしまった。でも認めたくなかった。

 その結果が不自然に裏返る叫びになる。


「わ、私を助けるって話が、どうしてあなたの悪趣味な犯罪に手を貸すって話に繋がるっていうの!?」


「ああ?」


 焦りと拒否反応が安易にギニーの矛盾を突こうとする。

 殺人鬼なら殺人鬼らしく、理解のできない怪物であって欲しかった。

 同胞を思う優しい心の持ち主なら、やはりそうであって欲しかった。

 どちらかなら、迷う必要はなかったし、迷わなかった。


 でも、こいつは――。


 ギニーは「まさか殺戮衝動を自覚してないのか?」とよく分からないことを呟いたあと、面倒そうに語り出す。


「オレたちはマモノだぜ。そして魔神がオレらに求めてんのは、マモノとしての役割に準じることさ。糞みてえな話だが、それができねえ奴から都合のいい操り人形にされていく。いわゆるバッドエンドってやつさ。――ああ、役割の中身は言わずとも分かるだろう。人間を殺すことさ。ここが、さっきのテメエの問いに対する答えよ。別にわざわざテメエのオトモダチとやらを手に掛けろなんて試すようなことは言わねえが、糞を一つ潰しゃあ、それで一つテメエの未来を買える」


「だからって人を殺せなんて――」


「ありもしねえ幻想のためにテメエが未来を捨てるこたあねえだろ!」


「――――っ!」


「オレと手を組め、ステラ!」


 差し出されるギニーの掌。

 狂気的なのに。

 掌は確かに私を救おうとしていて。


「そのペンダントがなきゃあ傍にもいられねえ腐った人間どもと違って、オレたちゃ同種同士、理解し合える!」


「私は――」


 受け入れられない。その気持ちが大半だ。


 どうして殺人鬼の言いなりにならなくちゃいけないのか。救ってやるだなんて余計なお世話だ。気に入らない。

 今すぐあの手を叩いてやりたい。

 でも何でかな。手が動かない。


「私は――」


 惑う気持ちがある。少しだけ確かにある。


 私が目を背けていた問題を彼は浮き彫りにした。沙智やトオルのこと、自分のこれからのこと。ギニーが本気で私のことを案じてくれていると分かったから、簡単に拒絶できなくなった。

 何より、初めて出会えた「同じ人」を失うのが惜しい。

 どうしても、そう思ってしまうんだ。


「私は――」


「私は――」


「私は――」


 手を取りたいと思えるほどじゃない。

 でも、弾けるほどの意志もなかった。


 そうして私が雁字搦めで動けなくなってからどれほど経っただろうか。数歩分先で深々とギニーが溜息を吐いた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「昔、この国に妖精ってのがいたらしい」


「――急に、何の話?」


「まあ黙って聞いてろやぁ」


 手の甲で私の言葉を跳ね返す素振りをして、彼は続ける。


「妖精はあらゆる傷をなくすことができた。魔獣に抉られた肉も、妖精が手をかざせば元通りよ。一時は最も神に愛された種族なんて言われてたそうだ。そんな天使の如き治療能力が災いして、妖精は欲深い人族に狙われることになる。これだから人間ってのは嫌なんだが――まあ、オレの感情はいい。重要なのは、人間と共にあろうとした妖精が、人間に裏切られ、そして滅ぼされたって事実さ」


「――――」


 その話は昔、古い図書で読んだことがある。


 ギニーは人間への嫌悪感を隠そうともせず表情を歪めたあと、公園へ視線を遣った。彼が見つめる先には凛々しく佇む石の男が。

 すっと目を細めるギニー。

 暗くて、その眼差しにある感情は読めない。


「ただ一人、ヨナーシュという男だけが妖精のために動いた。だが一体何人が、あそこにあるブロンズ像が奴だと知ってるよ?」


 また溜息、そして。


「ヨナーシュのような英雄はもういねえ」


 夜の深淵を映したような瞳で睨むんだ。


「人間と繋がれる。分かり合える。そんなのは全部幻想だ。ステラ、テメエ、叶わねえ夢追ってると妖精みてえに滅ぶことになるぞ」


「私、は――」


 公園のブロンズ像のように私が何も言わなくなったことに失望したのか、ギニーは両手をポケットに突っ込んで背を向けた。

 攻撃を仕掛けるには絶好のチャンス。

 でもやっぱり、右手にある短剣は動かない。


「次は満月の日だ。それまでウンウン考えろやぁ」


 そうして男は去っていった。

 薄雲が晴れる。月は照らす。


「――オレだけがテメエを救えるんだ」


 最後の音色は、どこまでも。


 どこまでも、力強くて――。





※※※





 マモノは分かっていた。


「どうしてあの日、私は」


 いつまでも誰かの傍にはいられないってこと。

 姿を欺けるペンダントを手に入れたからって、大人になれば毒を振り撒いてしまうマモノの特性は消えちゃいないこと。

 そう遠くない日に去らなくちゃいけないこと。


「死ねなかったのかな」


 でもね。お願い。


 もう少しだけ。


 ヒミツをヒミツのままにさせて。


「こんな称号なんて」


 ねえ沙智。ねえトオル。

 もう少しだけ隠させて。


 私が――。


「ステラ?」

「――あ!」


 ――私が、魔王だって。


【エガリテ像】

沙智「旅館のすぐ近くに公園あるよな?」

ステラ「うん」

沙智「あそこで腕組んでる男の人の像って誰?」

ステラ「未来のあんた」

沙智「絶対嫌だ」

ステラ「じゃあ今のあんたで」

沙智「冗談はいいから答えを!」



※2022年2月21日

加筆修正  

旧十三話&ステラ・ギニーの邂逅シーンを合併

それに伴う修正


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