第五話 『最強の聖剣を見てみたい』
ジェムニ教会は、ジャンブルドストリートのやや北側に位置する。商店街には似つかわしくない荘厳な白い佇まいが目印だ。建物は少し大きな住居くらいの大きさで、特徴的な尖塔もない。しかし西洋的な雰囲気は随所に感じられる。個人的に面白いと思うのは、この西洋的な建物の向かいにあるのが黒い瓦屋根の和風なカフェだということだ。様々な文化がごちゃ混ぜになっているジャンブルドストリートの象徴のような場所だと考えると興味深い。
俺たちの目的でもあったジェムニ教会。そこへ図らずとも向かうこととなったのは奇妙な縁である。
「でも何でキャロルが教会に呼ばれたの?」
「職場だからですよ」
「ここでもバイトしてるんですか?」
「いえいえ本職の方ですよ」
――まさかの教会が勤め先だったらしい。
にっこり微笑んだキャロルは境界の漆色の扉を開ける。彼女の金色の髪を追って内部へ足を踏み入れると、最初に視界に入ってきたのは、左右に分かれてまっすぐ奥まで伸びている長椅子と、最奥の神秘的な祭壇だった。俺たちが礼拝堂と聞いて思い浮かべるような光景が広がっている。
そのセピア色の光景に圧倒されていると奥から人がやって来た。
「お待ちしておりましたキャロル様。そちらの方々は?」
「私の友人です。せっかくなので教会を紹介しようと思いまして」
「それはそれは!」
「それでオーウェンさん。相談したい案件とは?」
「裏手の電子モニタープレートが割られてしまいましてね。本当に困った冒険者ですよ彼は。まあ詳しい話は後ほどにしましょう」
「ええ、それで構いません」
キャロルと話している若い男――オーウェンはローマンカラーの司祭服をカジュアルな雰囲気に弄ったような恰好をしていた。そんな男がキャロルに対してへりくだった態度を取っているのである。
まさかと思って俺は尋ねてみる。
「なあ、もしかしてキャロルって偉い人?」
「いえいえ違いますよ」
顔色を窺うような問いかけをキャロルは否定した。
そしてくるりと向き直って微笑むのだ。
「――私は『守護者』を受け継ぐ者」
天井のステンドグラスが明滅する。
「このジェムニ教会が有する『聖域』を千年前より護り続ける一族の、最も新しい担い手というところでしょうね」
体の前面で掌を重ねて淑やかに微笑む綺麗な金髪少女。その白地の私服は、天井から送られてくる虹色を拒絶することなく全て受け入れた。――しかし肩に見えるインナーシャツの一部分だけは何色も受け入れようとしなかった。
§§§
俺たちは礼拝堂横の客室へと案内されることになった。オーウェン曰く、人目がある礼拝堂では歓談できないでしょうとのこと。
更には昼時のお腹が空く時間であることを察して、簡単な食事と紅茶まで用意してくれるという仕事人っぷり。中々有能である。
俺たちはゆっくりソファーへと落ち着いた。
うむ。上質な触り心地だ。悪くない。
「オーウェンのおにぎりは美味しいんですよ?」
「なら今日からあの人は『ミスターおにぎり』だな!」
「いいですね。私もそう呼ぶことにしましょう」
雑談はそこそこに、まずは教会について聞くことにした。
キャロルは指を動かしながら慣れた口調で説明を始める。
「当該フロアには百人以上が来訪することもある礼拝堂が、地下一階には最重要施設の聖域が、地下二階には歴史的遺産があります。また上階には古い資料が集まる教会図書館もあるんですよ」
図書館と聞いたところで膝の上で小さく拳が跳ねた。
それをトオルが目敏く見つけて補足してくれる。
「私たちはその図書館に用があったんですよ」
「あら、でしたら後ほど覗いてください」
「――――」
「温泉の話ではないですよ、お客さん?」
「わざわざ言わんでいい!」
覗き未遂の一件がふと頭に過ってしまった俺をキャロルが揶揄う。俺は何も言っていないのにステラたちの視線が冷えた気がした。
本当にキャロルの揶揄いは性質が悪い。
俺は頬を膨らませながら話題を逸らした。
「教会の仕事は儲からないのか?」
「ええ、マッチ一本も買えません」
しくしく泣き真似をするキャロル。さすがに大袈裟だろうがバイトを大量に掛け持ちしていると知っているので何とも言えない。
俺の沈黙に調子づいた彼女は、そのまま悲劇のヒロインを演じるかのように、胸に左手を押し当てて、右手を天井へと伸ばした。
「私がこれだけ尽くしているというのに!」
「ほーう」
――チャンスだ。ニヤリと俺は笑う。
実はずっと聞きたいことがあったのだ。この流れなら俺の無知にも疑問を抱かず答えてくれるに違いない。
「じゃあ質問だ!」
「はい」
「さっき話してた聖域とは何ですか?」
挑発的に「尽くしているなら分かるよな」と笑う俺。そんな俺を見て意図を察したステラが仕方なさそうに苦笑した。
ただキャロルも俺の煽るような言葉に淡々と返す。
「聖属性の魔力で空気が満たされた場所のことですね。かつて神様が『聖剣』をその地に落としたためできたと言われています」
「――――。聖剣があると聖域になる?」
「ご存知の通り、聖剣は聖属性の魔力エネルギーを芯からふんだんに溜め込んでいます。だから聖剣による攻撃は、聖属性魔力を表面に纏わせただけの普通の剣よりも魔王相手に有効なダメージソースとなるんですが――まあ戦闘面のことはどうだっていいんです。聖剣を長い年月同じ場所で保管し続けると、内部のエネルギーが周囲に漏れ出して、その空間は青い魔力の満ちた聖域へと変わってしまう訳です」
「インクがどんどん滲んでいくようなものか」
何もご存知ではなかったが内容はある程度理解できた。
コクコクと満足げに頷く俺にトオルが隣で呆れている。
「本教会の聖域には、魔王から聖剣を守るための結界があります。その結界を維持するのが私たち『守護者』の一族なんですよ。バーバラお母様も、アシュリーお婆様も、みんなみんな聖域を護り続けてきたんです。すごいでしょ?」
「それはすごいな」
だから最も新しい担い手という訳か。
俺は納得しておにぎりの残りを口に詰め込んだ。
なのにキャロルは少し不満げだ。
「お客さんって意地悪ですね」
「何で?」
「何でじゃないですよ! 知ってて長々と答えさせたんですから、せめて『大正解ですパチパチパチ』とかやってくださいよ!」
「大正解ですパチパチパチ」
「もっと感情を込めて!」
俺は適当に手を鳴らしつつ、内心では危ない危ないと冷汗を拭った。今の俺は全部知ってて質問しているという体だった。
生憎キャロルにはまだ俺が異世界人であることを――ひいてはこの異世界に関して無知であることを明かすつもりはない。
基本的に俺は慎重な性格なのである。
「ではここにも聖剣があるんですか?」
「ええありますよ。御覧になります?」
「なります」
「お、お兄さん!?」
繰り返そう。俺は慎重な性格なのだ。
基本的にはであるが。
§§§
――聖剣を見ることができる!
最高のファンタジーイベントである。勇者やヒーローという存在に憧れたこともある俺が黙っていられようものか。
だというのにステラやトオルときたら「もう少しこの部屋で休憩」「あとで感想お願いしますね」とスルーを選ぶ始末。とんでもないことである。彼女らには夢に心躍る気持ちというのがないのか。
「キャロルというコネがあって初めて入れる場所なのに!」
「ヒミツですからね。オーウェンさんに怒られます」
浮ついた気分で俺は了解と敬礼する。
聖域は教会地下一階にある。礼拝堂を通ってエントランス間近の白い階段をキャロルに続いて下りていく。普通の住居よりも長い階段を終えると、壁も床も真っ白な小さな踊り場に辿り着いた。はずれの町の風車塔を思い出す。
あの時と違うのは空間の狭さと、すぐ脇に見える分厚い鉄の扉だ。冷たい金属の平面世界で蝶々の装飾がひらひらと舞っている。
何だろうか。この蝶々をどこかで見た覚えが――。
「この扉の先が聖域となっています」
呆然と扉を仰いでいた俺を突いてキャロルが笑う。
「もしお客さんが魔王だったら中に入れませんからね」
「どう見ても人間だろ?」
「それと、私も聖域には入れないのでご了承ください」
「まさかキャロルお前!」
ジョークだったのだが、温和な笑みで「『守護者』の規定で入ってはいけない決まりなんです」と返されてしまった。
なるほど。確かに大袈裟な反応はあって然るべきだ。
「さあ、どうぞ」
促されて鉄扉の右側にそっと掌を乗せる。冷たい。
俺は右手に力を込めた。すると扉と接していた床や天井からギシギシと岩が削れるような鈍い音が響き渡った。好奇心の鼓動と期待で胸が膨らむ。鉄の扉によって固く閉ざされた聖なる領域。そこには――。
そこには一体どんなファンタジーが待っているのか。
「――――」
重い扉は開かれて。
――青白い光の粒子たちが視界を包み込んだ。
自然と目が見開かれる。
部屋の構成物は一階礼拝堂と全く同じだ。左右に分かれてまっすぐ奥へと伸びている長椅子と、中央通路の終着点にある神秘的な祭壇。ただし一階のセピア色を基調としたカラフルなステンドグラスのある礼拝堂と違って、このフロアには一切の色がなかった。洗剤で洗ったように真っ白である。
それが味気ないと言うつもりはない。寧ろ逆だ。余計な色が何もないからこそ宙を漂う青白い光球が、美しく、幻想的だったのだ。
「――――おお」
思わず感嘆の声が口から漏れる。
「本来魔力は自然に溶け込むものです。しかしここでは、あまりに魔力濃度が高いせいか結晶になって浮遊するんですよ」
「綺麗だな」
大気中の水分が飽和して霧になるようなものだろう。青白く光る無数の粒子たちが視界でゆらゆら舞う。
触れようと手を伸ばしても光は肌を透過する。触れられないからこそ美しいと感じた。止まり木に頼らないそれらは、まるで扉にあった蝶々の装飾が自由を得て飛び立っているかのようで。――静かに高揚する感覚の中でふと思った。俺はどうして扉の蝶々が元は青色だと思っていたのだろう。
「祭壇にあるのが気になる聖剣ですよ」
「ああ」
「何なら鞘から抜いてみてくださいな」
扉と聖域の境界でキャロルが何やら楽しそうな笑みを浮かべている。
そう言えば聖剣を見に来たのだったなと苦笑した俺は、通路をまっすぐ歩いて祭壇前へとやってきた。ここは一際光が多い。
光の中心へ目を遣れば、聖剣はそこに静かに横たわっていた。まるで眠っているかのようだが、並々ならぬ威圧感はあった。
畏れ多く思いながらも俺は手を伸ばす。
白い鞘と金色の柄を両手に持って。
「――――!」
――あれ?
「ふん!」
――あれれ?
「ふんぐう!」
――おい。
微動だにしない。聖剣の鞘は刀身と一体化しているかのように固くて、歯を食いしばって力んでも全く抜けそうにない。
どういうことかと振り返ると、扉に片手を付いて座り込み、もう片手で必死に笑いを堪えているキャロルの姿があった。
また嵌められたらしい。
「もっと腹から力を入れないと抜けませんよ!」
「だからもう一度チャレンジして間抜けな姿を晒してくださいって、顔にがっつり書いてあるぞ」
「あははは、バレちゃいましたか。残念です!」
――この聖剣を『オーブ』の交換材料に持って行ってやろうか。
不貞腐れた表情で扉の前まで戻ると、笑い過ぎて涙目になっているキャロルも扉を頼りにそっと立ち上がった。
また笑いそうになっているのが腹立たしい。
「聖剣は人を選ぶんですよ」
「はい?」
それはどういう意味なのだろうか。
眉を顰める俺にキャロルは続ける。
「聖剣は『本物』しか認めません。その人物が勇者足り得るのかを見極めます。そして聖剣に認められた勇者だけが称号『認められし者』を獲得し、その聖剣の鞘から刀身を引き抜くことができるようになる、という訳なんですよ」
人を選ぶ剣か。そう言われてみると、確かに祭壇の聖剣もそこで自分に相応しい誰かの訪れを待ち焦がれているかのように思えた。
ヤマトも聖剣を手に入れた際は苦労したのだろうか。
「あれは『聖剣エクスカリバー』――千年の間、誰も選び続けなかったと言われている最も有名な一振りなんです」
「――――。エクスカリバー?」
馴染みのある単語の名に確認を取ると彼女は頷いた。どうも聞き間違えではなかったらしい。エクスカリバーと言えば俺たちゲーマーの誰もが知る最強装備の一つだ。気分は最高潮に盛り上がる。ただ、ヤマトが持つ『聖剣アメノハバキリ』は日本神話、目の前の『聖剣エクスカリバー』はアーサー王伝説と、出典がバラバラなのはいただけない。聖剣を落としたという神様の杜撰さが垣間見える。
まあその神様の杜撰さよりも問題なのは――。
「キャロルさんキャロルさん」
「はい?」
「最初から抜けないって分かってたろ!」
薄々思っていたことを声にする。するとキャロルはペロリと舌を出して誤魔化したあと、両手を体の前に添えて。
浮かべたのは勿論、満面の笑みだった。
「当たり前ですよ。だってお客さんは世界の運命を覆せるような勇者などではなかったんですからね!」
「――――」
普段の俺なら「余計なお世話だ!」と叫ぶのだが、その笑みに妙な安堵感も感じられるのが不思議で喚くのはやめた。
――代わりに問いを発する。
「じゃあさ」
俺は人差し指をすっと祭壇の方へと伸ばした。
それを見てキャロルの表情から笑みが消える。
「あれは何なんだ?」
聖剣のすぐ左隣。白雪を青白い蝶々が舞う神秘的な光景の中で、それだけが禍々しく異彩を放っていた。この世の悪意の全てを詰め込んだかのような恐ろしい色合いの、黒い宝玉が鎮座していたのだ。聖なる光とは対極。近付いた時も俺は意識的にそれを視界に入れないようにしたのだ。
チラリと見るだけで胸がムカムカしたから。
「あれは『魔王玉』と呼ばれるアイテムです。魔王の力を何十倍にも増大させてしまう危険な代物です。だからこそ彼らが立ち入ることのできない聖域で管理してあるんですよ。――聖剣と一緒に、私たち『守護者』が絶対に護り通さなくてはならないものなんです」
そう告げるキャロルの瞳は強い使命感に満ちていた。
※※※
『調査対象はレベルも低く戦闘経験もほとんどないと思われる。留意点はユニークスキル持ちであること。一般人で二つも有しているのは珍しいが、どちらも戦闘系スキルでないため脅威ではない。はずれの町事件を解決させた立役者だというのも疑わしい。調査対象に特別性は感じられなかった。よって結論付ける』
『調査対象:七瀬沙智』
『――ノープロブレム』
【聖剣】
沙智「アイテムシリーズ第何弾?」
ステラ「今回紹介するのは聖剣です」
沙智「神様が作ったと聞きましたが?」
トオル「伝説級のアイテムですしお高いんでしょう?」
ステラ「問題ありません。聖剣が勝手に人を選ぶので」
沙智「まさか聖剣側に選択の権利が!?」
ステラ「選ばれるよう素敵な人を目指してくださいね!」
※2022年1月8日
加筆修正
表記の変更




