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これは俺が勇者になるための物語  作者: 七瀬 桜雲
第二章 ジェムニ神国
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第二話   『異世界でお約束を果たしたい』

 この脱衣所の構造はそう難しくはない。この綺麗な縦長長方形の脱衣所フロアマップを「引き戸の出入口」を下にして見ると、まず左から順に「竹ラグベンチ」と衣服を仕舞える収納棚二列――仮に「レフトシェルフ」と「ライトシェルフ」にしておくが――これらが縦方向に川の字になって並んでいることが分かる。そのいずれもフロアの上端下端には接していない。うちライトシェルフは壁沿いに設置されており、右上の角には「ロッカー」が置かれている。壁沿いに一緒に仲良く並んでいるのだ。レフトシェルフの上端は空いていて通路になっており、一方で竹ラグベンチの左側では音の煩い「扇風機」が回っている。扇風機はロッカー手前からギリギリ見える位置にある。どうでも良い情報のようで何気に重要だ。他に言及すべき点はそうだな――出入り口は右側に寄っているためレフトシェルフより左側にいる人からは死角になって見えないことか。


 俺の現在地は右角のロッカーの中。

 竹ラグベンチにはステラとトオル。


「――おい、お前ら」


 現在の推定時刻は十九時。

 即ち女湯の時間である。


 もう皆まで言う必要はあるまい。


「――サービスシーンが見たいか?」


 形式:リアル脱出ゲーム。

 制限時間:二人に悪巧みがバレるまで。

 目標:ナゾノヒカリ突破。


 ゲームスタート。





§§§





 キャロルが紹介してくれた宿はとても立派だった。宿というよりは旅館とでも言うべき佇まいで、何より温泉付きというのが評価が高い。キャロルの紹介で安くなったということもあり、俺たちはジェムニ神国滞在中の宿泊場所に即決した。

 部屋は二階。何となくトイレを一番先に確認したことを覚えている。


 そう「覚えている」だ。


「――――」


 俺は気が付いたら真っ暗闇にいたのだ。意味が分からなくて俺は大混乱。とりあえず直前の行動を思い出そうとしている最中だ。


 部屋を確認したあとキャロルを交えてフロントで談笑したのも覚えている。彼女はあちこちでバイトを掛け持ちしているらしく、この旅館も洋服屋もどちらも本業ではないそうだ。そうだ。仕事熱心だなあと感心した俺にキャロルがこう言ったのだった。「この旅館の温泉は交代制で男湯の時間は十九時までなので、入るのなら急いでくださいね」と。思い出した。

 それで温泉で温まり気持ちよくなってしまった俺は、浴衣に着替えて、少し休憩をと竹ラグベンチで横になって――。


「――――」


 ならば、なぜ俺は今こんな暗闇にいるのか。

 その答えはきっと彼女が知っているだろう。


「もしもし、いるんだろ?」


「はい、キャロルですよ!」


 控え目な声と一緒にカチリと音が響く。するとパッと暗闇に光が。どうやら彼女が懐中電灯のスイッチを入れたようだ。

 にっこり笑顔で正座しているキャロルに俺は目を細める。


「ここってどこ?」

「脱衣所のロッカーの中ですよ」

「にしては広くないか?」

「そういう事情を考慮してますので」

「そういう事情って?」

「男女がロッカーの中ですることです」


 無言で扉を開けようとする俺。

 その腕を慌てて掴むキャロル。


「待ってください! 確かにこのロッカーを大きくしたのはそういう配慮からですけど今は違うんですよ! 交代時間になっても出てこられないお客様が心配になって覗いてみれば、竹ラグベンチで熟睡しているではございませんか。このままでは後にやって来る女性方が悲鳴をあげてしまわれるに違いありません。そこで私は急いでロッカーにお客様を隠したという訳なんです。――ご安心ください。お客様が退屈しないようにと双眼鏡と私お手製の覗き計画書は用意してますので!」


「待て色々とおかしい!」


「お客様に最高のおもてなしをするのは旅館従事者の使命です!」


 それはもうバイトらしからぬ力強い宣言だった。


 意気揚々と言い切ったあと「因みに今晩泊っている女性客はお客様のご友人だけですので問題ありませんよ」などという問題発言。

 何というお節介をと俺は頭を抱えた。嫌な汗が出る。もし女性陣が俺を見つけるようなことがあっては今後の沽券に係わるのに。


「速やかに脱出すべきだな!」


「待ってください面白くなるのはこれから」


「お前面白いって言ったな!」


 ここに長居してはならないのだ。一人コクリと頷くと、キャロルの手を振り切って俺はロッカーを開けようとする。

 それを狙ったかのようなタイミングで。


『――がイチゴたっぷりで美味しそうだったよね』

『私はフルーツタルトというのが気になりました』


 ガラガラ引き戸が鳴った。





§§§





 ――最悪である。


『ケーキって言えばベスル地区のどこかに食べ放題の店があるらしいよ』

『私もその噂は聞きました!』

『ミルフィーユが美味しいんだって。行ってみたいよねー!』


 ――最悪である。


『それで妖精はどうなったんです?』

『確か私が読んだ本ではね』


 ――最悪である。


『ステラは肌が綺麗ですね』

『そういうトオルだって。ふふふ、えい!』

『こそばゆいですってステラ!』


 ――最悪である。


 俺はキャロルの口を押さえながら痛烈に後悔した。決断が遅すぎた。どうやらとっくに女湯の時間に代わっていたようである。

 現在時刻は十七時くらいか。そんなことを脳裏に浮かべ、しかし口は決して開かない。物音を立てないよう細心の注意を払う。


 とにかく今は息を潜めて様子見すべきだ。

 キャロルにも理解させ、俺は気配を殺す。


『へえ演劇があるんですか』

『行ってみたいんだけど問題は沙智かな』

『お兄さんは嫌がりそうですね』


 どうやら俺の話題らしい。


『沙智って妙なところでスイッチ入りそうじゃない?』


 ――妙なとこって何だ?


『あー確かにそうですね』


 ――何を納得したんだ?


『今もどこかで覗ける場所を探してそう!』

『もうすでに覗いてるかもしれませんよ?』


 何だか聞いていると腹が立ってくる。俺が一度でも二人の前でエロい面を見せたことがあっただろうか。

 二人がそんなことを言うなら俺も遠慮はしない。はずれの町でのたん瘤事件の雪辱は忘れていないのだ。


 俺は声を潜めて右手を伸ばす。


「キャロル、例の聖典を」


「お客様?」


 当然「聖典」とは彼女お手製の覗き計画書のことである。

 俺は二っと笑って小さく呟く。


「おいお前ら。サービスシーンが見たいか」


 俺の名前は七瀬沙智。

 楽園を目指す男だ!


「あの~お客様」


「何?」


「盛り上がっておられるところ申し訳ないのですがご報告を。脱衣所のベンチに置き忘れてきちゃいました」


 きょとんと首を傾げる俺。何を忘れてきたのだろうか。

 キャロルは恐る恐るといった雰囲気でへにゃりと笑う。


「――聖典」


 瞬間、世界が眩んだ。


「なあにいいいいいいいいいいいい!?」

「お客様お静かに!!」





§§§





『今何か聞こえませんでした?』

『気のせいじゃない?』


 慎重にロッカーを開く。全開にする必要はない。ほんの数センチほど隙間を作れば脱衣所の様子を把握することはできる。

 ステラとトオルの姿は収納棚もといレフトシェルフが邪魔で見えなかったが、聖典の白い表紙ははっきりと視界に入った。


 竹ラグベンチの先端で扇風機のそよ風を浴びていた。


「お前聖典だぞ! 置き忘れるか普通!」


「お客様急に乗り気ですね!」


「どうすんだよあれ! どうすんだよ!」


 アレがステラたちに見つかれば一貫の終わりである。あの聖典を書いたのは俺ではないと言い訳しても――言い訳でも何でもなく事実なのだが――信じてくれないに違いない。理不尽な制裁コース一直線だ。

 何としてでもあの聖典は回収しなければならない。


「えっと私が取ってきましょうか?」


「確かに女湯の時間に女のお前が脱衣所に現れても問題ない。けどさすがにロッカーから出てきたとなると怪しまれる」


「では――」


「脱出するだけなら、ここから脱衣所出入り口までの通路がレフトシェルフのお蔭で死角になってるから簡単なんだ。ただあの聖典を回収するとなると、どうしてもレフトシェルフの向こう側に行かないといけない!」


 そこはステラとトオルがいる領域。

 つまり自殺行為だ。


「お二人がいなくなるのを待つのはどうです?」


「あいつらが浴場に入るまで待つってことか。確かにそれなら聖典は安全に回収することができるか。――いや駄目だ。それだと二人の素敵な姿を拝めない! さすがに浴場に侵入するのは無理だバレる!」


「めちゃくちゃ乗り気ですね!」


 ここまできて諦めるなんて選択肢はあり得ないのだ。俺は今日何が何でも男の夢を叶える。叶えてみせるのだ。

 せめてレフトシェルフの向こう側に踏み込むことなく、竹ラグベンチの上の聖典を回収する手段があれば――。


 ――待てよ?


「――閃いた!」


「さすがお客様です!」


 完璧な作戦が思い浮かんでしまった。

 これは自分の才能が恐ろしい。


「――――」


 キャロルは聖典は忘れてきたくせに俺の衣服が入ったバスケット籠はちゃっかり回収してきてくれている。そこには制服から零れ落ちたボタンもある。

 俺はキャロルに懐中電灯で照らしてもらって暗闇からボタンを取ると、音を立てないようそっとロッカーから脱出する。


 狙うは扇風機の台座にある強弱のスイッチだ。


「上手く当たれよ!」


「まさかスキルまで使うとはさすがお客様です!」


「本当に褒めてる?」


 キャロルが金色の瞳を輝かせて親指を立てるが全く敬意を感じない。俺は小さく溜息を溢すと、集中してボタンに紫苑の魔力を込める。

 そう『砲撃』スキルの出番なのだ。


 ボタンは見事にスイッチに直撃して――。


『うえええいきなり風が!』


 風力を増した扇風機が竹ラグベンチ先端にあった聖典を吹き飛ばす。

 吹き飛ばされた聖典はまっすぐ飛んでレフトシェルフを越えて。


「――よし!」


 作戦通りに見事俺の手元まで飛んで来る。


「素晴らしいお手前です!」


「出口まで急ぐぞキャロル!」


「了解であります大佐殿!」


 ――何故に大佐?


 この旅館の扇風機は旧式だ。突然風の勢いが強くなってもステラたちは故障としか思わないだろう。

 それに俺のボタンを後で見つけても問題ない。ここは脱衣所なのだからそういうこともあるだろう。


 さあ出口を確保したら拝ませてもらおうか。

 二人の霰もない姿を――!!


「あれ?」


 ――ゆ、浴衣姿だと?


「キャロルどういうことだ!?」


「お風呂上りということかと」


「ええ、何で!?」


「いえ何でも何も時間ですし」


 どういうことだと壁掛け時計へ視線を遣って俺はようやく理解した。――現在時刻二十時。つまり俺は最初から勘違いしていたという訳だ。最初に聞こえてきた引き戸の音は浴場と脱衣所を仕切る戸の音。

 つまりステラとトオルはすでに入浴済み。服を脱いでいたのではなくて服を着ている最中だったという訳である。

 思えばキャロルに時間の確認はしなかった。


 そして――。


「――何ではこっちのセリフなんだけど?」


「いいやあああああああああああああ!!」


 それは致命的なミスだったのである。



 聖典の回収で満足すれば良かったものを、欲を出して墓穴を掘った愚かな男の叫びは旅館の隅々まで響き渡った。しばらくの間、従業員たちの間で、俺は「画竜点睛を欠く男」として語り種になったそうだ。

 この雪辱、やはりいつかは晴らすべし。





◇◇  ジェムニ神国南門





 沙智たちが脱衣所でそんな馬鹿騒ぎを繰り広げている丁度その頃、その少女は今日も活動を始めた。

 手に持っているのは大量のビラである。


「よーし張るぞお!」


 長く森の奥深くで暮らしてきた彼女にとって、ジェムニ神国の都会の光景は今でもまだ新鮮だ。積み木を寝かせたように隙間なく並ぶ家々。森にはない不思議な料理の香り。すぐ隣を横切った人の会話にも好奇心旺盛に長く尖った耳を揺らし、フードがずり落ちると慌てて小さな両手で被り直す。

 そんなことを昨日も一昨日も繰り返したのだ。


 世界は広い。今日は何と出会えるだろうか。肩に乗った桃色熊のぬいぐるみと二人で少女は胸を躍らせる。

 明日になれば少しくらいは情報が集まるだろうか。


「――さあて『世界樹の涙』はどこかなあ?」


 この小さなエルフが沙智と出会うのはもう少しだけ先の話である。


【ジェムニ神国】

ステラ「大陸西方の最大国家、それがジェムニ神国!」

沙智「文化ごっちゃ混ぜだな。和洋折衷どころじゃないぞ?」

ステラ「今いる南のベスル地区は特にそうかもね」

トオル「色々な国から商人が集まりますから」

沙智「他は?」

ステラ「北のテスル地区と中央のヨークコートはまたいずれ」



※2022年1月8日

ストーリーの一部変更

・キャロルの登場シーンを増やしました


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