第二十三話 『一緒に行こうなんて言えるはずがない』
◇◇
「――ありえないわ」
その黒い女は目の前に広がる光景に愕然としていた。瘴気を利用した召喚の儀は滞りなく成功し、あとは彼女の唯一信じる救いの神がこのはずれの町に降臨するのを待つだけのはずだった。
それがどうだろうか。
空にあった魔神の腕は雲の断絶へと還っていく。
これで数百年来の願いはまたご破算だ。
「ヤマトでもステラちゃんでもないわよね」
何かが起きたのは明白だった。この逆転劇を起こし得る候補を挙げて、しかしジュエリーはゆるゆる首を振る。
ヤマトは終盤、風車塔バルコニーから空の魔神に向けて、聖属性の魔力波動を連続で放つという謎の行動に出た。ジュエリーから見ても奇怪だったが、それに魔神の降臨を妨げるほどの力があったとは思えなかった。
ではステラはどうだろうか。ジュエリーはその思考をすぐに放棄した。
あの赤毛の少女がどういう存在かを知っていたジュエリーにとって、確かに当初は警戒の対象だった。しかし町で過ごした二年の間で彼女の人となりを知ったジュエリーはステラを脅威ではないと判断したのだ。先んじて呪いをかけたのも、念のための措置だった。尤も、彼女にかけた呪いはポーションを押さえる重要性を甘く見ていたビエールのせいで解かれてしまったのだが。
でも、だとしたらである。
残る候補はただ一人だけ。
「そんなはず――」
ない。ジュエリーはそう断言できなかった。
噴水広場で七瀬沙智がトオルの称号を壊す場面を見ていれば、あるいは地下シェルターでトラップを発動させる前に『奴隷』から解放されたトオルの姿を視認していれば、ジュエリーは七瀬沙智を警戒できたかもしれない。
だが彼女は弱くて頼りない彼の姿しか見ていなかったのである。
「――――」
晴れていく空を眺めてジュエリーは思う。慢心だったのだろうかと。直接その答えを確かめに行くには遅すぎた。
ジュエリーの瞳にジェムニ神国国軍の旗が映る。
「――少し調べてみようかしら」
女は黒い微笑を浮かべてその場をあとにした。
◇◇ 沙智
空は綺麗な茜色。果てしない草原の海に沈んでいく太陽にこの時ばかりは名残惜しさを感じなかった。寧ろ感慨深い。
この一日を何とか乗り切ったという証だったから。
「本当に長かったなあ」
町にジェムニ神国軍による掃討作戦終了の硝煙が上がったのを確認して、俺はゆっくりと立ち上がる。
「ステラ、トオル、終わったみたいだぞ」
「――――すぅ」
「ありゃりゃ寝てるし」
俺は目を細める。よほど疲れていたのだろう。二人は赤味が増した灰褐色の岩陰で可愛らしく寝息を立てていた。
やれやれだ。最後まで見守るのではなかったのか。
仕方ないなと笑って俺はまた町を見下ろした。
この小高い丘は町を俯瞰できるので丁度良い。
「―――――」
――あの後のことを少し語っておこうか。
俺たちの大活躍で魔法陣のメニューは無事に壊れた。それに伴って召喚経路を失った魔神は引っ込んでいったという。なお元凶であるジュエリーには完全に逃げられてしまったようである。腹立たしいことだ。
その後メイリィが連れてきたジェムニ神国軍によって直ちに『ゾンビ』掃討作戦が開始された。町にはもうビエールゾンビのような上位個体はおらず、一律レベル10で知性もなし。おまけに国軍の持ち込んだ対アンデッド用アイテムを見て「これで私の剣も通じる!」と大喜びした戦闘凶様がいたものだから、掃討戦は正しく掃討戦だったようである。
結果半日で終了。全く恐ろしい限りだ。
「何だか町のお葬式みたいだな」
町から立ち込める硝煙を見て感傷的な気分になる。
そんなタイミングでヤマトらが帰ってきたようだ。
「よう沙智、終わったぜ!」
「お疲れさん」
「ステラとトオルはどうした?」
「夢の世界を探索中だ」
俺が指し示した先で寝息を立てる二人を見て、ヤマトは「ずっと張り詰めてたもんな」と爽やかに微笑んだ。
でも同じく張り詰めていたはずのヤマトが元気なのはなぜだ。
「にしても先に眠りこけるならお前だと思ってたよ、沙智。この原っぱはチクチク痛くて眠れなかったか?」
「いや額のたん瘤が痛くてな」
ステラとトオルが導き出した人間大砲作戦。確かに天井の魔法陣に触れることはできたが、その代償は大きかった。この俺が、あの凄まじい勢いを殺せるはずなかろうて。結果そのまま天井に衝突。何も考えていなかったとばかりに「あ」と二人が声を揃えたことは今もはっきりと覚えている。
この雪辱は必ず晴らすと俺は心に決めているのだ。
ただ、その時のことをヤマトは知らない。
「俺と別れたあとの怪我か。本当に何やったんだ?」
「さあな」
「まあいいけどよ」
あの地下シェルターでのことやサクのことを話していないのは単純に面倒だからである。そもそも運が良かったというのが真実でもあるので。
そうとは知らないヤマトに俺はどう映ったのだろうか。
「なあ沙智、お前、良かったら俺たちのパーティーに入らないか? 当然お前が元の世界に帰れるよう協力するぜ!」
こう映ったらしい。
「ハーレムじゃなくなるぞ?」
「だから最初から違う!」
「本当かあ?」
「できる女がたまたま揃っただけだ!」
――果たしてどうだか。
事の真偽はさて置き、ヤマトの仲間たちも彼の意見に異論はないらしい。ハチ公を抱えたアリアだけはやはり感情を読めないが、メイリィも、フィスも、穏やかに微笑んでいる。デイジー様に至っては「好敵手!」と興奮する始末。
その歓迎ムードを嬉しくは思うが――。
「遠慮しとくよ。勇者の旅は障害が多そうだからな」
「そりゃ残念だな」
俺のシンプルな回答に、ヤマトはさして残念でもなさそうな爽やかな笑みで落胆の言葉を返した。始めから答えは分かっていたようである。
ヤマトは小高い丘の先へ進んでグッと伸びをした。
「さてと俺たちはそろそろ行こうかね」
「そっか。魔王退治か?」
「はは、まあそんなところさ!」
世界でまだ四人しか成し得ていない偉業への挑戦を、コンビニ行くのかというような気楽さで尋ねる俺に、ヤマトは痛快に笑った。
それから、彼はウィルヘン草原の水平線に沈む夕日を見つめる。
その瞳に鮮烈な勇者の衝動を輝かせて。
「ギーズ。シアン。パジェム。セリーヌ。――他の四人の『勇者』たちも今頃戦果をあげている頃だろう。だがあいつらとの再会までにはまだ時間がある。この辺りに魔王がいるって噂もあるし、歴史にもう一つ名を刻みに行くよ」
「じゃあな」
「ああ、また会おう!」
お互いの旅路を祈って固い握手を交わしたらそれが最後だった。
夕焼けを背景に影は小さくなっていく。いつまでもこっちを向いて陽気に手を振っているのはフィスとデイジー様だろうか。メイリィはヤマトを指差して何かを言っているようだ。またお小言に決まっている。ハチ公と戯れながら我関せずと歩いているのはアリアだろう。彼らの背中が――。
『沙智』『サッチ』『さっちー』
遠い世界の友人たちにダブって見えた。
結局その日はこの丘で一晩過ごすことになった。メイリィさんが置いて行ってくれたテントのお蔭で魔獣に怯える必要がなくなったのは僥倖だった。ステラやトオルも起きて夜空を見上げながら話をしたり、様子を見に来てくれたジェムニ神国の軍人さんから話を聞いたりして、夜は更けていった。その頃になるとさすがの俺にも睡魔がやって来て、途中から記憶はあやふやだ。
これでマイ枕があったら安眠できたのだがと思わずにいられない。
まあそんなこんなで翌朝、俺は丘に立って考え事をする。
「――さて、俺はこれからどうしますかね」
当面の目標はやはり元の世界へ戻る方法を探すことだろう。
となるとジェムニ神国の教会図書館を目指すべきだ。
ここまでは良いとして、問題は――。
――やっぱり一人で行くのは不安だよな。
瓦礫を挟んで約束した。ジェムニ神国で会おうと。その時の俺に旅の付き添いが欲しいという下心はあったのは間違いない。だが実際に彼女ら二人が同行してくれるかどうかは別問題だった。
ステラには人を避けているような印象があった。トオルもようやく自由になれたのに俺が縛っては意味がない。
「――――」
もしコミュ力があれば何も気にせず「行こう」で済むのだろうか。
うじうじ悩んでいると背後でテントが開く。
「おはようございます」
「ようトオル、ステラは?」
「まだ中にいますよ」
「遅起きさんだな」
「ところで次の目的地はどこなんです?」
「俺のならジェムニ神国だよ」
素っ気ない振りをして俺は答えると、トオルは「すぐ近くですね」と穏やかに微笑んで隣にちょこんと座った。
そよ風に揺れる桑色の髪を眺めながら俺は何となく思う。この少女は年の割にしっかり者だ。少しばかり無茶することもあるが、知恵も戦う術もあるし、何の問題もなくこの世界で生きていけるはずだ。
もし仮にお別れとなっても――。
「ではいつ出発します?」
「え?」
「はい?」
「え?」
想定外の発言に俺の思考がフリーズする。
もしかしてトオルは最初から付き添ってくれるつもりだったのだろうか。驚きに目を見開く俺の前で少女はきょとんと首を傾げる。
やがて先走ったことに気付いたのか慌てて釈明し始めた。
――可愛い。
「あの私、恩を返したいんです! 色々と助けてもらいましたから、お返しがしたいんです! だから、一緒に行ったらダメですか?」
「むしろ助かります!」
「それならよかったです」
心の中でガッツポーズ。可愛い旅のお供をゲットである。
ただ、こうなってくるともう一人も仲間に引き入れたい。
「――よかったね。一緒に行ってくれる人がいて」
テントが開く。中で俺たちの会話を聞いていたのか、ステラは顔を見せるなり穏やかに微笑んで祝福をくれた。
その顔を見るといつかの熱が蘇る。
「なあ、ステラ」
「何?」
「お前も一緒に行こう!」
風車塔で見せたステラの妙に温かい笑顔を忘れない。
その笑顔に俺が感じた身勝手な望みも忘れない。
「でも、私は」
断り文句を探すようにステラが視線を伏せる。
そうだ。ステラはいつも一人でいようとする。住んでいた場所もそうだし、俺にヤマトとの繋がりを持たせようとした時もそうだった。この気丈な少女は、本当の気持ちを俺に悟らせまいと妙に温かな笑みを浮かべるのだ。でも俺は、その薄っぺらい笑顔の裏に透けて見える感情の叫びに気付いていた。
本当は誰よりも彼女が――寂しがり屋だと気付いていた。
「やっぱり」
それを指摘するのは一度は傲慢な気がした。
俺がそう思いたいだけなのではないかと。
「やっぱり」
だけど今は傲慢でいたい。
「トオルもその方がいいと思うよな?」
「はい。私もステラと一緒がいいです」
「――――」
ステラも俺と一緒にいたいと思ってくれたから、あの明滅するスポットライトの中で手を差し伸べてくれたのではないか。
そう思いたい自分がいるのだ。
「ステラ?」
「――――」
空は快晴。雲はない。夏らしい燦燦とした陽光を浴びてライトグリーンの細い葉たちはぐんと伸びをする。灰褐色の岩は徐々に熱を帯びていく。そんな陽気な夏の中で、テントの上に留まった小鳥たちも葉先に留まった天道虫も待っていた。
その温かな香りを運ぶ、小さな後押しを。
――始まりの風が吹く。
「はあ分かったよ。行けばいいんでしょ!」
「よっしゃああああああ!!」
いつか伝えることができるだろうか。
この二人に。遠い世界の友人たちに。
ありがとうを。さようならを。
その答えはきっといつか分かる。
この物語を進めていけば、いつか――。
◇◇
――ここはディストピア。
ウィルヘン草原の街道を北上すると少年の目に飛び込んできたのは黄土色のレンガ壁。西の最大国家を防護する巨大な守りだ。
街道と壁がぶつかる場所には桑色髪の少女の言う通り検問がある。
――人々の暮らしは称号によって管理され、自由と権利は制限される。
検問の女性はやって来た少年ら三人のメニューを確認した。
最初は社交的な桑色髪の少女から。
――魔神が支配して千年。
少女には『トオル』なる見慣れない称号が一つあったが女性は特に問題にしなかった。この広い世界のことだ。こうして幾多の人間のメニューを見てきた女性が知らない称号があったとしても不思議ではない。
次に女性が確認するのは変な前髪の少年だ。
――数多の勇者が魔王に挑み。
女性は頭を抱えた。少年のメニューにも謎の称号があった。『渡る者』なるよく分からないものと『神の罰を受けし者』なる物騒なもの。一応尋ねてみるが、少年の口からは曖昧な返答しかない。せめて神というのが魔神に最後まで抗ったボウンダル神でないことを望みながら女性は許可証を出す。
今年は五人の勇者が動き出すそうなので変な人物は入れたくないのに、と女性は溜息を溢しながら、最後の赤毛の少女へ視線を遣った。
だが女性は知らない。勇者らはもう動いている。
――そして破れてきた。
北の渓谷では勇者シアンが少女連れの魔王を追う。
西の砂漠では勇者ギーズが拳に青い魔力を纏わせて。
東の廃城では勇者パジェムが実験を成功させる。
南の迷宮では勇者セリーヌがヤマトに次ぐ戦果を。
――だが勇者たちの反撃は始まった。
女性は赤毛の少女のメニューを確認したあと彼女にも許可証を出す。陽気に喜んで「やっとジェムニ神国だ」とはしゃぐ少年と桑色髪の少女に、その赤毛の少女はぎこちない笑みを浮かべて続いて行った。
その背中を眺めながら検問の女性は小さく呟く。
――これは五人の勇者の物語。
「よくいらっしゃいました。魔王様」
物語は、始まった。
※2018年8月19日記
これにて、第一章完です。ふい~、なかなか疲れた。
明日からは1日1話更新になりますのでよろしくお願いします。
書いてて見にくいと思ったところやタグの調整などは適宜行って参りますので見づらい方はもうしばらくご容赦のほどお願いします。
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評価やブクマの方もしていただけると大変励みになります。お手数おかけしますがログインしていただければボタンがあると思いますのでよろしくお願いします。
※今後の予定
閑話1話~2話 → 第一章登場キャラ紹介 → 第二章
※加筆修正しました(2021年5月21日)
表記の変更




