第二十二話 『みんなでなら届かないはずがない』
一回限りのサクとの邂逅は鈴の音色で幕を閉じた。同時にユニークスキル『キャラ依存』も失われる。
代わりに得たのは祝福だ。頑張りたいのだと叫ぶ自分を、頑張れと応援してくれたたくさんの人を、もう二度と見過ごしてしまわないように。今まで見ようとしてこなかったものを見る瞳を。
三つ目の瞳を――。
「――――」
ゆっくりと瞼を開ける。広がる絶望は何ら変わっていない。災害は降り、終わりをもたらす魔神は未だ雲の狭間に。
思わず笑えてしまうような世界だ。
だけど、もう立ち止まりはしない。
「悪いなヤマト、ワインはやっぱいらないや」
「沙智?」
「ほら、俺たち未成年だろ? どんな味がするのかは興味あるけど、アルコールは大人になってからの楽しみにとっておこう」
「はあ?」
諦めムードだったのではないのか。そんな風にポカンと俺を見上げるヤマトを小気味良く笑い飛ばす。
それから俺はまっすぐ胸を張ってみせた。
「諦めるのってさ、格好悪くないか?」
「何、を?」
「あの魔神が落ちてくるのを遅らせてくれ。そうしたらあとは俺がやる。――俺が心から憧れた物語のヒーローは、お前が目指した格好良い勇者は、きっと最後の一瞬まで諦めないはずだ。だから頼むヤマト、任せろって言ってくれ」
しばしの沈黙が広がる。
いきなりかゆいことを言い過ぎただろうか。段々と自分の発言が恥ずかしくなってきて俺はそわそわし始める。
そんな隣で、ヤマトは小さく息を漏らした。
「――ぷ」
「お前今笑ったな!」
「笑ってねえよ」
「絶対笑っただろ!」
言うのではなかったと頭を抱えて悶絶する俺の横で、ヤマトはワイン瓶を置いてゆっくりと立ち上がった。
瞳に蘇る衝動は青。
手に取るは黒き聖剣。勇者の証。
五芒星はその使命を背負う。
その瞳が見据える先に、希望を。
「生き残ったらいつか二人で飲み明かすぞ」
「ヤマト!」
立ち上がったその背中を見るのが嬉しくて。
一緒に頑張れる人がいることが嬉しくて。
「こっちは任せろ。だからそっちは任せた!」
「ああ、任された!」
笑みを宿して背中を向け合う。そして俺は見た。
ユニークスキル『第三の目』――消失した『キャラ依存』の代わりにサクがくれた祝福だ。いわゆる千里眼のような能力で、瞳に魔力を込めれば、ある一定範囲をモノクロで見渡すことができる。強力だとは思うが、現状を打開するような劇的な爆発力はこのスキルにはない。
これは俺が勝手に勇気を貰うためのスキルだ。今も抗う少女たちから、勇気を貰うためのスキルなのだ。
頬を緩める。胸を掴む。
準備はできた。
さあ――。
「――挑んでやる!!」
§§§
風車の黒十字が回る。青いフィルターが消えて再び白雲の世界に戻った風車塔の中にも風は舞い込む。
タイムリミットは十分――いや、もう八分ほどか。それまでにあの魔法陣のある場所に辿り着くのだ。ヒントは貰った。だから辿り着きさえすれば何とかなるはずなのだ。そうして必死に走る俺の視界に障害が飛び込んでくる。
「そういやいたな『ゾンビ』ども!」
螺旋階段の途中、恐らくはヤマトが砕いたのであろう風車塔内壁の瓦礫で立ち往生を食らっている無数のアンデッドたちと遭遇する。バルコニーにいた俺たちの生命エネルギーに誘われて押し寄せてきたのだろう。
これを突破しなければハッピーエンドは存在しない。
俺は覚悟を決める。
「――――!」
瓦礫の破片を一つ掴んで放つ『砲撃』。青黒い死肉の隙間に紫苑の軌跡が作った細くて脆い道を俺は一気に駆け抜ける。
残念ながらアクション俳優の如くアクロバティックな回避はできないので幾らかのダメージは甘んじて受け入れた。ライフゲージバーが二割ほど削れたところで俺は遂に魔の『ゾンビ』地帯を突破する。
ここを突破すれば下層には全く『ゾンビ』はいない。
足の遅い死肉から逃げ切るのは造作もない!
『オヒネリクダセエエエエエ!』
『イノチ! イノチ!』
「――じゃあな!」
風車塔の最下層から地下シェルターへ繋がる出入口に飛び込むと、俺はヤマトが蹴り砕いた穴から手を通して扉の閂を閉めた。
これで風車塔に溢れかえっている『ゾンビ』たちは追って来れない。俺は振り返って青灰色の通路に臨み、再び『第三の目』を発動する。
このスキルのお蔭で魔法陣があるフロアまでの道順はバッチリだ。
「また地響き! ここが崩れる前に急がないと!」
この地下構造物が短時間集中砲火の災害に耐えかねているようだ。天井からパラパラと砂の涙を流して悲鳴をあげている。
――頼むからもう少しだけもってくれ!
ジクジク響く痛みとバクバク鳴る心臓を宥めながら、俺はまた一つ瓦礫を飛び越える。通路を曲がり、潜り、そして――。
そして遂に魔法陣フロアへ繋がる扉を視界に捉えるのだ。
「見つけた!」
頑張れ。挑むんだ。足掻き続けろ。心で繰り返される衝動に押されて、分厚い木目の扉に指先を伸ばしたその時だった。
綱引きに負けた怠惰が、居場所を求めてやって来る。
『どうせ無意味だよ』
「――――」
『どうせ挫けるに決まってる』
「――――」
扉はうんともすんとも言わない。地響きで岩盤が歪んだせいなのだろうが、頑張りたいと燃える俺から追い出された怠惰が、反対側で手を重ね、自分の境界線を必死に守ろうとしているように感じるから不思議だ。
俺はまだ消えていない。そう足掻いているみたいで。
――分かっている。こいつは幻だ。
『こうして俺の声が聞こえているのがその証明だ。こんな苦労をしなくてもって感情がお前の中にあるから、俺の声が――!』
「違うよ」
『――――! 違うものか!』
「いいや違うよ」
この期に及んで幻聴が聞こえた理由なら分かる。
多分これは俺のけじめなのだ。
「俺は意志の弱い人間なんだと思う」
扉越しに掌を重ねて俺はゆっくり言葉を紡いでいく。
「ちょっとのことで諦めたがる。――だけどそんな俺の中にも頑張りたいって心はちゃんとあってさ、その淡い輝きを見つけてエールを送ってくれた人がたくさんいたんだ。記憶の底から過去の後悔を引きずり出して俺の尻に火を点けようとした怪物もいれば、優しい言葉、厳しい言葉で、真正面からぶつかってきてくれる友達や女神様なんかもいた。みんながそれぞれのやり方でエールをくれた」
心の中で怪物が叫んだ。このエンディングで本当に良いのかって。
隣にいる友人が叫んだ。きっとお前ならまだやれるはずだって。
「お前の耳にだって届いていただろ?」
『――――』
聞こえなかったとは言わせない。
白紙のノートのチェックマークに何も感じなかったのか?
勿体ないなあと顧問が呟いた時に目を伏せたのは何でだ?
水溜りが映した罪悪感を踏み潰したのはどうしてなんだ?
差し出された伊吹の掌に居心地の悪さを覚えたのは何で?
全部、本当は聞こえていたからだろう?
「ずっと耳を塞いできたその言葉たちに今は応えたいんだ。みんなのお蔭で前へ走り出せるようになったよって伝えたいんだ」
だからこれは訣別である。
停滞の中にいた日々との。
「今度こそ俺は始めるよ」
『――ふ』
「この物語の最初のページを捲るんだ!!」
重い扉が開かれる。その一瞬幻が笑った気がした。
――残り二分。
§§§
真っ暗なその空間に妖しい炎はもうなかった。壁沿いの燭台にあった灯火は激しい地響きに呑まれて全て死んでいる。それでもこのフロアが明るいのは、天井で今なお爛々と輝く巨大な幾何学模様のせいだろう。
生き物でもないくせに「メニュー」を有する召喚の魔法陣。
エネルギー体を引き寄せるための引力は魔法陣そのもの。
だが召喚経路は称号システムの回線が担っているのだ。
サクが言った壊せるもの、それはつまり――。
「トオルの称号を壊した要領であのメニューも壊せれば!」
これは感覚的なことだが、あのメニューは生き物でない魔法陣に無理やり付与したせいか人間のそれより脆く思える。
あれならあのユニークスキルで完全に壊せるはず。文字を書き換えるという領分からは外れているような気もするが。
まあそれはいい。
問題は、だ。
「――で、どうやったら触れるんだ?」
天井までの高さはおよそ五メートル。
魔法陣の真下に瓦礫は一切なし。
当然ジャンプして届く距離でもなく。
奥にいる不死者の協力も期待できず。
結論――。
「詰んでませんか?」
まずいと俺は慌てふためく。ヤマトほどの跳躍力があれば難なく天井まで届くのだろうが、この五メートルは一般人の俺には高すぎる。
タイムリミットもあまり残っていないだろうし、先程ぐるりと見渡してみた限りでは三脚代わりになりそうなものはなく――。
「あれ、そういや変なの見えた?」
天井の魔法陣に夢中でさらっと流してしまったが、そう言えば見たくないものが見えた気がしたような。
カクカクと嫌な顔で振り返ってみる。
――気のせいじゃなかった!
『アイルビイイイアバッグ!!』
『アテンションプリーズゥゥ?』
『カノジョノカオミセテエエ!』
「噴水広場にいた変な『ゾンビ』揃い踏みかよ!!」
しまったと俺は舌打ちする。
閂で施錠しても駄目だったか。歪んだ扉を開けるのに時間を掛け過ぎた。比較的足の速い個体が俺のすぐ後ろまで近づいていたようである。
今更あれらの相手をしている時間の余裕はないぞ。
思考の渦の中で叫ぶ。
「どうする?」
考える。考え続ける。
「どうする?」
諦めたくない。何も。
「どうすればいい!?」
この声は木霊するだけだと思っていた。
どうしようもなく繰り返されるだけと。
だけど――。
「何でもいいから何かないのかよッ!!」
「――ありますよ」
ハッと目を見開く。出口の見えない暗闇にその声は明るく飛び込んで。顔を上げた俺の口から声にならない感情が漏れる。
楓のように鮮やかで綺麗な赤毛も、可愛らしい栗色の瞳も、随分と久しぶりに感じてしまう。この場所で分かれた時と比べて二人はボロボロで、それなのにあの時よりも自信に満ちた表情をしていた。
瞳に明るく輝かせたステラとトオルがそこにいた。
そうだ。そうなのだ。
「一人で頑張ってダメでも大丈夫!」
「みんなでならきっと届きますよ!」
いつだって隣には誰かがいてくれた。
本当に無茶をする二人だと呆れてしまう。それなのに頬が緩むのは抑えられなくて困ってしまった。結局、俺は微笑を浮かべたまま二人に駆け寄って、傷だらけになった右手をすっと伸ばした。
この二人が一緒にいるなら無敵の気分だ。
だから、この言葉はとびきりの笑顔で。
「力を貸してくれ! あの魔法陣に触りたいんだ!」
――残り三十秒。
「触れれば何とかなるんですか?」
「おう多分!」
「あんた多分って!」
「時間がない! 案はあるか!?」
生憎と一から説明する暇はない。俺の口調から差し迫った雰囲気を感じたのかステラとトオルはそれ以上追及せず顔を見合わせる。
それから僅か数秒だ。二人は「どう?」「いけます」と短く言葉を交わして良い笑顔で頷き合ったのである。ずるい。俺も混ぜて。
とは言え説明を求める時間もなかった。
「沙智、信じてるよ」
「お兄さん、信じてます」
「お、おうよ!」
唐突に告げられる信頼の言葉。急にどうしたのかと思いながらも親指を立てて応じると、不意に俺の袖口が掴まれた。トオルだ。
「いきます!」
「え!」
するとどうだろうか。この桑色髪の少女は俺を掴んだまま勢いよく『ゾンビ』共のいる方角へ駆け出すではないか。
小さいくせに力は一丁前。強い力で引っ張られる。青灰色の地面に靴の角をずるずる削らせながら、状況が呑み込めない俺は「何するつもりだ!?」と叫ぶしかなかった。が、当然ながら説明ゼロ。
そんなこんなで感じたのは風だ。
「風の上級魔法を見せてあげる!」
「ほぷ!?」
「――『テンペスト』!」
ステラの掌にあるのは薄緑色の小さなつむじ風だ。それを技名を叫ぶと同時に前方『ゾンビ』三体の中心へと彼女は投げ込んだ。
突如、風の卵は竜巻のように凄まじい音を立てながら爆発的に広がる。中心から弾き出される風の渦に呑まれた死肉たちは、無数の切り傷を受け、三方へ吹っ飛んでいった。丁度一体は俺の脇を飛んでいく。
――ひええええええ!
そうしてできたのは、余白だ。
「えいや!」
風に飛ばされた『ゾンビ』の一体が持っていた武器代わりの杭。それを見事キャッチしたステラは生まれたスペースに飛び込み、地面にグサリと差し込んだ。そのまま左手と足を絡ませて杭に体を固定すると、さっと顔を上げる。
ステラの爛々と輝く小豆色の瞳と目が合った。
――残り四秒。
まさか。
その嫌な笑顔に俺は汗を浮かべる。
「トオル!」
「はい!」
トオルの十八番と言えば投撃技術。
ならば、差し出された手を――。
――掴んじゃうよな!
彼女らの狙いに気付いた時にはもう手遅れだ。ステラは飛び込んできたトオルの手を掴むと、差し込んだ杭を軸にトオルを反時計回りに振り回す。当然袖を掴まれて連結中の俺も一緒にである。
その遠心力をトオルは利用して。
「あとは任せます『砲撃』!!」
「うそおおーんッ!!」
――俺を投げた。
薄っすら紫苑の光を帯びた俺の体が宙を舞う。
内臓が掻き回される。床と天井が交互に映る。
「――――ぃ」
全身を襲う浮遊感が恐ろしくて俺はぎっと視界を閉ざしてしまう。
そうしたら聞こえるのだ。真っ暗闇の中に。
――信じてるよ――
――信じてます――
「ふ」
本当に勝手なことを言ってくれる。
小さく笑みを浮かべた俺はその目を大きくかっ開いた。二人のお蔭で魔法陣の白い光が手の届く距離に見える。
伸ばすのだ。この青い閃光を前へ。
「壊れぇ――!!」
【『第三の目』】
ステラ「沙智のユニークスキルその2だね」
沙智「どっちかって言うとその1改だな」
ステラ「どんな能力だった?」
沙智「よくある俯瞰能力だ。モノクロだけどな」
ステラ「へえ便利じゃん」
沙智「ああ、これで後ろの寝癖を直せる!」
ステラ「いいなあ」
沙智「(あれ、普通に羨ましそう?)」
※加筆修正しました(2021年5月21日)
表記の変更




