第十二話 『光る想いを隠せるはずがない』
方針は決まり皆がそれぞれ動き出す。ヤマトらは明日に備えて戦闘の準備やはずれの町の立地の調査などを。メイリィは一人、ジェムニ神国へと向かい、国に状況の説明と応援要請を。ステラはヤマトらのサポートを。
皆がそれぞれの役割を果たす中、俺は噴水広場にいた。明日、ビエールとデイジーらを取り次ぐためである。
「という訳で、明日友達連れてくるからよろしくおっさん!」
「坊主のダチって金あんのか?」
「いつも無一文って訳じゃないわ!」
俺の返答に「客ならいいんだ!」と豪快に笑うビエール。俺が悪意に気付いているとは微塵にも思っていなさそうな顔だ。
嫌悪感を抱く。だが不思議と恐怖は抱かなかった。
その理由はちゃんと分かっている。
「――――」
豪快に笑う髭面の隣で、まっすぐこちらを見つめる桑色髪の少女。その瞳にある感情は、悔しそうな不満と一途な願いだ。
どうしてまだこの町にいるんですか、と。
早く逃げてくださいと言ったでしょ、と。
俺はグッと奥歯を噛み、少女を思い切り抱き締めた。
「ちょ、お兄さん!? いきなり何ですか!?」
「ところでおっさん、この女の子すごく可愛いんだけどお幾ら?」
「そいつは売り物じゃねえよ、坊主」
「ちぇー」
こうなることは、分かっていたはずだ。
散々わちゃわちゃと撫でまわしたあと、そっと少女から手を離す。勇者らが動くから先走るなというメモは、これで上手く渡せたはずだ。
本来の目的は果たせた。そう自分を納得させながら、俺は「じゃあ明日な」と手を振って踵を返す。最後に少女の顔は見なかった。
そして去り際、ふとその言葉は口から零れる。
「はあ、何やってんだろう俺は」
§§§
用事は済んだが、このまま戻っても色々な準備を頑張っているヤマトやステラたちの邪魔になるだけだった。
だから俺は、町の西入り口の、柑橘が生る木の下に座り込んで、茜空にゆっくりと流れる白雲を眺めていた。
あの頼りない様はまるで俺ではないか。
――それで、お前らどうするんだ――
どうもできやしない。
――その『奴隷』の女の子のことさ――
どうにかしてやりたいとは思う。
でも無理だ。無理なのだ。
――俺たちが動けば、その子の無茶は止められるだろう――
ヤマトらがポーション奪取に動くことを知れば、少女が、主人にバレるかもしれないというリスクを背負って挑む必要はなくなるはずだ。
あの子は利口だ。勇者らの計画を狂わすような真似はしないはず。
だが、それは今回の無茶を防げるだけなのだ。
――でも、その子は『奴隷』のままだ――
無茶を防げたからって、少女の立場が変わる訳じゃない。
命じられれば、いとも容易く捨て駒にされてしまう。
ビエールを殺せば、称号の効力で少女も死んでしまう。ビエールが自ら所有権を手放さない限り、少女の首輪は外れない。
魔神がこの世界に作り出した称号システムは絶対だ。
少女を、本当の意味で――。
――救えた訳じゃない――
「だからって、俺に何ができるってんだよ?」
先刻のヤマトの言葉と脳裏で会話して出た、何度目かになる結論を、俺は力なく自分の影に吐き捨てた。
あるいは、少女の所有権を他に移せれば可能性はあったのだ。主人だけは、首輪を外して『奴隷』の称号を消すことができるから。
だが先程の会話からしても、ビエールに少女を手放す雰囲気はない。
「はあ」
結局、少女だけが救われない未来へと続いている。
「自分が自由になれないって分かってたから、バレた時点で殺されるような危うい橋でも渡れると思えたのかな?」
昨夜の揺らぎない少女の顔を思い出しながら、何気なく町の外へ視線を遣る。丈が綺麗に揃った艶やかな芝の葉が、夏の風を歓迎して左右に揺れている。その景色は穏やかで、今の心のありようとは相容れなかった。
少女の覚悟は完了していた。俺だけが割り切れないでいる。
良いのだろうか。これまでみたいに仕方ないと諦めて。
ならばもう何も考えまい。苦しいだけだ。
今まで通り、妥協して、甘えて――。
「――あれ?」
そうして、少女の犠牲を割り切ろうとした時だった。
「いや待て、何かが違う!」
少女との短い思い出がフラッシュバックのように頭に流れる中で、何か違和感を覚える一瞬があったのだ。瞬きのように刹那。しかしそれは、少女の強さを根底から覆すほどの大事な意味を持っているように感じた。
だから俺は、もう一度最初から少女との思い出を辿ってみる。
――いつだ? 少女の揺らぎをいつ垣間見た?
そうだ。俺が思わず発した臆病風にも怯まず笑ってみせたあの少女が、感情を殺した一瞬が確かにあった。
無関心を装って、目を伏せたのは。
「ぁ」
記憶にその瞬間を見つけた途端、モノクロになって錆びついた少女の笑顔がじわじわと溶けて色付き始めた。
一拍遅れて、体の奥底から生じたのはマグマのような激情だ。
「何だよ。――何だよくそ!!」
激しく怒号を吐き捨て、俺は背後に佇む古木を思い切り素手で殴った。殴って血を滲ませて、馬鹿な自分を罵った。
本当に恥ずかしい。本当に愚かしい。
何が、人の弱さを理解できない人種だ。
何が、物語に登場する完璧なキャラだ。
俺は少女の、一体何を見ていたというんだ!
「奴隷であることに甘えたくない?」
あの時――。
「馬鹿が!」
少女は――。
「奴隷だからって名前も言えなかったくせにっ!」
誰よりも、名を呼ばれる瞬間を待っていた!
俺と一緒で、少女は本当は怖がりで、甘えて逃げ出したいと思っていた。そんな少女が震える拳を背中に隠して、頑張りたいんだと戦おうとしている。
このままじゃ駄目だと何となく思うだけの俺と違って、実際に臆病を我慢し飛び立とうとする少女。それを傍観できるのか俺は。
「俺にできることなんて、きっと何もない」
空を仰ぐ。
「だけど、もしチャンスがあるのなら」
掠れた叫びの行方は知らない。それでも間違いなくここは、諦めることを止めて空を目指し始める者の飛行場。
ちっぽけな天道虫の飛行場だった。
§§§
ステラの家に着いた頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。ドアを開けて玄関に座り込むと、丁度ヤマトの声が聞こえてくる。
「そこまで大規模な戦闘にはならないだろうが、万が一の時はその『地下シェルター』に住民を避難させればいいんだな?」
「色んなところに入り口があるらしいよ~!」
――地下シェルターの入り口というと確か風車塔の中に一つ見たな。
真っ白な空間に滑稽に浮かんでいた閂の扉を思い出しながら、俺はテーブルを囲むヤマトらを見て表情を緩ませる。
この狭い部屋も、随分と賑やかになったものである。
そんな風に目を細めていると、ステラが湯気を出す赤いヤカン片手に出てきて小さく微笑んだ。
「お帰り。遅かったじゃん?」
「ちょっぴり自分探しをしててな」
「はあ?」
ステラは俺の発言を聞いて首を傾げたあと、また意味の分からないことを言っているだけと判断して溜息を溢した。
心外だが、こちらも多くを語るつもりはないので別に良い。
「あ、そうそう! フィスが魔法のパスを繋いでおきたいから、寝る前に少し時間が欲しいだってさ」
「パス? よく分からんけど分かった」
詳しい話は用事を済ませてから、本人に直接聞くか。そんなことを思いながら息を吐いたその時、足元のタイルに染み付いた血痕が目に入る。ステラが呪いの症状で吐血した時に付いた血痕だ。
今までは、特に何も思わなかったが。
ふと、疑問が――。
「なあ、ステラ」
「何?」
「どうしてステラだけ呪いの進行が早かったんだろう?」
深い思考の伴わない、何気ない問いだった。
町で歩いていると、すれ違う人々の咳き込む声が何度も聞こえた。しかし、ステラのように途中で蹲ったり、吐血したりした者は一人も見ていない。明らかにステラだけが呪いの進行が早かったのである。
仮に、住民の中でステラが一番最初に呪われたからという理由ならば、あんなにも症状に差が出るほど早期に狙われたのはなぜか。
振り返ると、ステラは背を向けていた。
「たまたまじゃない?」
「でも」
「たまたまだよ」
「そっか」
その声は子守唄のように優しくて、俺にそれ以上踏み込ませなかった。
気になるが、言いたくないことを敢えて追及する必要もないだろう。
今は、自分のことに集中すべきだ。
「まあいいや。それより奥にデイジーとアリアはいるか?」
「明日の相談?」
「そうそう簡単なミーティングをな」
二人は丁度俺がいる玄関からの死角で、他人の声が全く聞こえないほど集中していたらしい。その内容は、愛刀アレクサンダーの手入れに愛猫ハチ公との戯れタイムという緊張感の欠片もないものだが。というか後者は羨ましい。
ステラに頼んで呼んできてもらい、俺たちは外に出た。
――やけに生温かい夜だな。
夏も盛りの八月上旬。風車が運ぶ夜風は湿気を孕んで夏特有の匂いがした。
空を仰げば上弦の月。その欠けた部分に想いを馳せる。
「何だ一騎打ちか!? 差し詰めアリアは審判だな!?」
「――――」
相変わらずこの二人は平常運転だ。俺の緊張なんてどこ吹く風、自分の心惹かれる世界だけを向いて生きている。
こういう良いところは見習わなくてはならない。俺はすっと頬を緩めて、握り拳を解き、二人に対して胸を張る。
「あのさ」
無関係な三文字だけで、舌が急速に乾いていく。
散々甘えを許してきた俺を『怪物』が見ている。
「あのさ、俺」
この無茶苦茶な決意を二人はどう思うだろう?
でも、ごめんなさい。
――頑張りたいと思ったんです。思ってしまったんです――
そのまっすぐな瞳に憧れてしまった。
「俺、明日いきなり暴れ出すかもしれないけどそん時はよろしく!」
迫りくる臆病風から逃げるように早口で捲し立てて、俺は目を瞑ったまま勢いよく頭を下げる。
やはり余計なことはしないでくれと二人は怒るだろうか。ビクビクしながら俯いて待つこと数秒、肩に手が置かれる。
恐れ半分でそっと顔を上げると、二人は――。
「良いなお前! 最高にいいな!」
「ガンバレ」
まずい。俺は即座に後悔した。期待を持たせ過ぎた!
デイジーはまるで好敵手でも見つけたかのような喜びを瞳に。アリアは無表情ながらも、可愛く拳を掲げてエールをくれる。
快い反応は大変有難いが、そんなに期待されても困る!
思わず面喰った俺は慌てて釈明した。
「かもしれないだからな! 絶対じゃないからな!」
「分かってる」
「おい本当に分かってる!? ニヨニヨすんな!」
「分かってる」
決戦前夜。
麦色の町は黒い闇の中に包まれ、そこかしこで街灯の淡い光が躍り出す。風車の羽根に月は光を投影した。欠けた暗闇も日が経てば必ず光り出す。隠し切れない衝動がいつかは光になって輝き出す。
俺も、あの少女も、きっとみんな同じなのだ。
この夜ばかりは『霧の怪物』は姿を見せなかった。
代わりに、夢を見る。
※※※
記憶の残滓だ。されど思い当たる情景はなかった。
なぜか、世界が薄っすら赤いベールを被っている。
『私のせいなんだよ!』
墓前に佇むセーラー服の少女が、突き刺さんばかりの叫びを上げる。石畳や墓石を穿つ雨粒の音さえ掻き消すほど痛烈で、悲哀な叫び。
傘も差さずに佇む彼女の背後にもう一人「誰か」がいた。そいつは必死に少女に向かって言葉を投げかけている。
――この場所を、俺は知っている。
足繁く通った場所だ。忘れるはずがなかった。
ここは死んだ母が眠る墓地だ。
ならば、この二人は誰だろうか?
どちらも記憶になかった。
『いっそ私が死んでたら良かった!』
俺の存在には気付いていないのか、セーラー服の少女は「誰か」に背中を向けたままひたすら悲しい叫びを繰り返す。
姿が朧気だ。まるで曇ったガラス窓を挟んでいるかのよう。それでも涙を流していることだけははっきりと分かった。
そんなセーラー服の少女の背後で「誰か」は必死に叫んでいる。
『どんなことでもきっと意味はあるからさ!』
『前向いて一歩ずつ歩いてくしかないだろ!』
『やりたいことでも見つけられたらきっと!』
虚しいな。そう思った。
まるで絵本やドラマの中から借りてきたかのような綺麗事ばかり捲し立てる「誰か」に俺が抱いたのは不快感だった。
きっと、今言い放ったことをたったの一つも実戦していないのだろう。そう思わざるを得ないほど空っぽ。空っぽだ。
『ふざけんな! そんなのできないくせに!』
セーラー服の少女は「誰か」に取り合わなかった。当然だ。
少女は、とっくに「誰か」の怠惰を見透かしている。
『――――』
結局少女は一瞥すらせず、墓地を去ろうとする。
一瞬チラリと見えたその瞳は、まるで何かを悲痛な決断をしたかのように輝きを失って、不安になるほど虚ろだった。
思わず呼び止めようとしたが声が出ない。手を伸ばしたが触感がない。代わりに指先が離散するような感覚があった。
仕方がないので、俺は視線で少女を見送った。
彼女の背中が雨の中に消えたあと、俺は馬鹿な奴だと思いながら、残された「誰か」へ視線を戻そうとした。
すると、不思議なことが起きたのだ。
――あれ、どこ行った?
忽然と視界から「誰か」が姿を消したのである。いや違う。一歩も動いていないのに俺の視点が変わったのだ。
そしてまた、強引に変えられる。
目が合った。
『――届くはずないのにな』
息を呑む。俺を見下ろしていたのは間違いなく、先程まで俺が軽蔑を以て見ていた「誰か」の瞳だった。
この目は知っている。鏡に何度も見た。
『――お前が全部台無しにするんだよ』
怠惰を貪る自分の目だ。
『――だって、お前は』
俺は、そいつの傷口の中にいた――。
【称号】
ステラ「魔神が人々に与えたメニューの一項目だね」
沙智「称号システムって言うくらいだもんな」
ステラ「何の意味もない文字列であることもあれば、人に何らかの制約だけ与えるマイナスのものあるんだよ」
沙智「プラスの影響を持つ称号もあるんだろ?」
ステラ「そうだけど私は嫌いだなあ」
沙智「(何かトラウマでもあるんだろうか?)」
※加筆修正しました(2021年5月21日)
表記の変更
サブタイトルの変更
夢の内容変更




