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第三十話  『――るいてえ燃くし激は命』

◇◇





 勝利条件は、渓谷地下墓地に広がっている魔法陣の設計図をパジェムから聞き出すこと。赤の大魔王を復活させないためにも、そしてパジェムに罪を受け入れさせるためにも、必ず必要な条件である。

 ただしパジェムには、契約に従って魔神信仰会ジュエリーから借り受けている戦力がある。交渉するにしても、その戦力が邪魔だった。


 七瀬沙智らが去った後の、庁舎中庭。

 その北棟内壁の三階から、縦長の垂れ幕が下げられる。


『――協力を求む』


 大勢の人間には垂れ幕は白い布地にしか見えず、そこに記された文字を読むことができた者はそう多くない。なぜならこれは、勇者ギーズのユニークスキル『メッセージ』によって書かれた、魔力の文字。

 伝えたい人間にだけ見える、魔法の文字なのである。


 一人の愚者は、気づかない。

 二人の勇者は、動き始める。





◇◇  沙智





 ネミィが命を懸けて赤の国の住民を奮い立たせようとしたことを忘れない。シアンが命を懸けて理不尽な壁でも越えられると証明しようとしてくれたことを覚えている。悲しみも悔しさもまだ俺の心には根付いたままだ。それでも一羽の白兎が教えてくれて、俺はまだ答えを探すために迷えるんだと分かって嬉しかった。

 だから、もう二度と立ち止まりはしない。必ずその高い高い壁を乗り越えて、みんなで目指したいと一生懸命足掻いた未来を掴み取ってみせる。


 誰かの死に意味を付けるためではない。

 俺が辿り着きたいからだ。その答えへ。


 ――この世界を、好きになりたい。


 だから、迷え。

 だから、考えろ。

 だから、戦え。


 立ち止まって、俺は小さく息を吐いて呼吸を整える。力を抜いて脇で広げた掌をセシリーさんが掴み取って、力強い表情で俺の不安そうな表情に頷きかけた。相変わらずタフな彼女に苦笑を浮かべて、俺も覚悟を決めて振り返る。

 さあ、ここからが踏ん張る時間の始まりである。


「かくれんぼ、そろそろ止めないか?」


「――な」


「取引しようぜ、パジェム」


 競赤祭最終日午後二時過ぎ。

 ここは、渓谷墓地。


 異常な熱気が横たわる灰色墓石と赤や黄色の紅葉の景色。この場所をパジェムとの交渉場所に選んだのは、決して彼の脅迫状に対する意趣返しではない。彼が保険に隠し持っている設計図を聞き出してすぐに魔法陣の修復作業に移行できるようにという意図は当然あるが、一番は、ここでなら勇気を振り絞れると思ったからだ。

 ネミィが決意し、シアンが挑んだ、この場所ならば。


 振り返って低い声音で呼びかけた俺に、少し離れた楓の木陰に隠れていたパジェムが姿を見せる。冷汗を浮かべて、彼は唇を震わせた。


「何で俺様が後を追ってると……?」


「お前さ、俺が生きていると分かってラッキーだと思ったろ」


「は、はあ?」


 気配を消していたはずなのに所在がバレて動揺するパジェムは、期待していた返答とは異なる言葉の一撃を食らって、更に顔を引き攣らせる。

 隣りのセシリーさんは一歩分下がり、俺は冷静に続けた。 


「お前の狙いは、雷鬼王さえ屠った伝説の聖剣エクスカリバーの力を借りて赤の大魔王を討伐し、その名声を得ることだな?」


「ああそうさ! ソイツがあれば俺様がヤマトより上だと証明できる!」


 両手を脇に広げて表情を歪めるパジェムに、青目の勇者の推測を思い出す。彼のヤマトへ抱く偏向的な対抗心は事実だったらしい。

 俺は彼の装飾過多なピアスを眺めながら、更に声を続ける。


「聖剣は認められた者にしか扱えない。認められていない者が無理やり奪い取っても、鞘から刀身を引き抜くことはできない。そんな決まりを覆す方法は、当人が抜刀中に鞘を壊し、剥き身の刀を奪い去ることだけだ。だからお前は昨日、あの地下墓地で俺を追い詰めて、俺に聖剣を抜かせるつもりだったんだ」


「それが、一体どうしたって!」


「だが運の悪いことに、シアンが来たせいでお前は目的を達成しないまま地下墓地から逃げるしかなくなった。更に、後に他の勇者から俺たちの死亡報告を聞く」


 俺の指摘に、パジェムはグッと息を呑み体を退く。

 どうやらこれも事実で間違いないようだ。


 先刻の攻略相談会の中で幾つかの疑問が新たに過った。その一つが、一貫性のないパジェムの行動である。聖剣を奪い取るには俺の生存が必須条件であるにも拘らず、俺たちの嘘の死亡報告に安堵。一方で大魔王攻略に聖剣エクスカリバーが必要と考えていたにも拘らず、元々の実力で大魔王攻略戦に参加。

 これらの行動に納得のいく説明を考えて、比較的すぐに答えが出た。ギーズが見たというパジェムの安堵の表情は、自分の悪行が外部に漏れなかったと分かったことによる一過性のものであり、本当は――。


「お前、焦ったんだろう?」


 返答のないパジェムに、俺は一歩踏み出して声を強める。


「持ち主が死ねば聖剣は再び固く閉ざされる。そのまま赤の大魔王が目覚めでもすれば、復活に協力したという不名誉な事実だけが残ってバッドエンドだ。お前は無理を承知でも、エクスカリバーなしで大魔王に挑まざるを得なくなった」


 彼は、昨晩の緊急会議でシアンの挑発に乗って攻略戦に参加したかのように見られている。だが彼が小物臭いという以外に理由を求めるのであれば、不名誉なバッドエンドを是が非でも回避したいからという動機以外に考えられないのだ。

 だから、そこに彼の一貫性のない行動が生まれた。


 ところが、そんな無理くりな挑戦は当然失敗した。

 敵の絶大性を、彼は改めて知ることになった。


「――だけど、聖剣ゾルファガールじゃ赤の大魔王は倒せなかった」


 パジェムが悔しそうに顔を顰める。

 一方、俺は彼に指を差して。


「繰り返すぞ。お前、ラッキーだと思ったろ?」


「――――」


「赤の大魔王を倒せず、自分の悪行がバレないためにはどうすべきか必死で頭を悩ませていた時に、俺が生きていると分かった。まだ聖剣エクスカリバーを奪えるチャンスがあると分かった。セシリーさんの口封じもする必要があったろう」


 淡々とした口調で、冷静に徹し、詰め将棋のように。

 一手ずつ、確実に、後の逃げ道を塞いでいく。


「俺たちが二人して庁舎から離れたら、お前なら確実に追いかけて来てくれると思っていたぜ、パジェムさん」


 伸ばした人差し指を拳に変えて、ニヤリと歯を見せ笑う。

 お前の行動は全て解き明かしたと、探偵のように。


 俺に自分の行動や思考が見事にトレースされたことが気に食わないのか、パジェムは苛立たしげに鼻を鳴らした。しかし、俺たち二人に視線を遣った後、周囲の木陰や山沿いの草陰、整列して立ち並ぶ墓石を見回して、態度を一変させる。


 聞こえてきたのは、男の傲慢な嘲笑だ。


「ふふふ」


 何たる愚かさ、何たる馬鹿さ。彼が考えていることが手に取るように分かってしまう。呆れた俺は見下すような発言を言いそうになったが、その予兆を瞬時に感じ取ったセシリーさんが慌てて俺の口を塞いでくれたお陰で事なきを得た。

 危ない、ここで相手を逆上させては上手く交渉できなくなる。


「で、俺様としたい取引ってのは?」


「お前、地下墓地の魔法陣の修復方法を知ってるな?」


「それを俺様が教えてやるとでも?」


 挑発的に微笑み、パジェムは右手を上げる。

 瞬間、周囲の物陰に蠢く人の気配。


「てめえら、やっちまえ!!」


 パジェムは腕を勢いよく下ろして、狂気に頬を染めて醜く叫ぶ。

 それに呼応したように、物陰の至る場所から黒装束の者たちが七人、颯爽と姿を現して、瞬く間に俺たちを囲んだ。勇者パジェムは自らの腹心を除いて仲間を持たないことで有名だが、だからと言って戦力を持たない訳ではない。

 彼と魔神信仰会ジュエリーの契約。パジェムが聖剣エクスカリバーを奪取するまでの間、魔神信仰会の武力と名は彼に貸し与えられる。


 それに頼って勝利を確信したパジェムは。


 ――次の瞬間、言葉を失った。


「街中を黒装束に大挙させるのは気が引けたか?」


「散開させたのは失敗だったわね」


「お陰で成り代わりやすかったよ」


「悪いな、魔神信仰会のお仲間は殲滅済みだ!」


 黒いマントを脱ぎ捨てて露わにされたのは魔神信仰会の顔ではない。ギーズ、セリーヌさん、ステラ、ヤマトの自信に溢れた表情だった。更にギーズの部下コリンとトオルもマントを脱ぎ捨て、最後の一人黒装束レイファはそのまま俺とセシリーさんの手前に恐ろしい速度で飛んできて、すっと左腕を伸ばす。


 パジェムは、ようやく理解した。

 ここに、味方など初めから一人もいないと。


「な、なな、な!?」


 彼が魔神信仰会の仲間を引き連れて尾行するであろうという事は端から予測済みである。故にギーズのユニークスキル『メッセージ』で他の勇者にも協力を要請して、庁舎からこの渓谷墓地に至るまでの道中で敵戦力を削ってもらった。

 セリーヌさんのユニークスキル『鳥の目』は隠れている黒装束を見つけ出すのに最適だ。彼らの実力であれば、敵に悲鳴を上げさせる間もなく意識を刈り取るのは容易であり、倒した敵はコリンのユニークスキル『箱庭』の牢獄に閉じ込める。


 倒した敵の衣装を剥ぎ取って入れ替わった俺の仲間の存在に、結局パジェムは一切気づかなかった。――何もかもが計算通りだ。

 フードを下ろして、レイファが一歩前へ出る。いつもの禍々しい黒と赤の振袖はマントに隠れているが、瞳の真紅は鮮烈に男を見据えていた。


「さあ楽しい楽しい契約の時間じゃぞ?」


「へ、へ?」


「ふふふふ、わしらは今回のお主の悪行を広い心で許すこととした。その対価として、生き血の代わりに魔法陣の修復方法を差し出してもらおう!」


 それは、まさしく悪魔の囁きだった。


 やたらと堂に入った演技。確かにその条件で情報を聞き出すのが当初の目的ではあったのだが、三人の勇者たちが奥で苦笑するほど脅せとは言っていない。

 一方のパジェムは、この状況の悪さでもまだ諦めていない様子で。


「クソが! てめえら調子に乗りやがって!」


「諦めろ、パジェム!」


「うるせえ! ……そうだ、エクスカリバーだ! エクスカリバーさえ奪えりゃあこんな状況どうとでもなるんだ!」


 先行きの見えない真っ暗闇の中で、パジェムが希望の光を見出したのは俺が持っている聖剣だった。彼も腰の黒い聖剣を引き抜き、俺に二又の切先を向ける。

 聖剣ゾルファガール。認めた持ち主にユニークスキル『砕けぬ盾』を授けると謳われる、これも紛れもない伝説の一振りだ。


 勇者たちが警戒して剣を、拳を、杖を構える。

 だが、俺はあくまでも冷静に徹した。


「聖剣エクスカリバーがあれば、全部倒せるからか?」


「そうだッ!!」


 俺の問いかけに、パジェムは激しく唾を散らす。

 そんな姿が、俺の瞳には滑稽に映った。


 何か一つの物事に絶対的な信頼を置く人間というのは総じて脆い。貫き通せば鋼にもなる心の剣は、ひょんなことで折れてしまった途端、全く役に立たないゴミ屑に成り果てる。そして、盲目的に一つを信じた人間に、代わる武器はない。

 彼が勇者の五芒星の一角を背負うという意味を正しく理解していたならば、もしかすると彼にも別の道が見えたのだろうか。


 考えても、もう遅い。


「じゃあ初のお披露目だ! よーく見るといい!」


「何ッ!?」


「これが、お前の欲した聖剣エクスカリバーだ!」


 風が吹く。風は墓地の石畳に転がっていた枯れ葉を一斉に拾い取り、熱気が横たわる少しくすんだ青空へ螺旋を描いて跳ね上げた。その大粒の逆さ雨の中に、まっすぐにパジェムに向かって伸ばした右手の先端に、銀色の光。

 その死刑宣告を目にしたパジェムの口が、大きく開け放たれる。


 ――聖剣エクスカリバーは、もはやゴミ屑だ。


 持前の莫大な魔力容量は失われ、剣としての体裁も保っていない。人差し指と中指で挟まれた鋼の一欠片を見たパジェムは、信じられないものを目の当たりにしたかのように顔をから色を失った。


「は、そ、そそそ、それはッ!?」


「この聖剣は雷鬼王を倒した瞬間にその役目を終えている。内側に元々あった魔力も全部解き放たれて、今はそこらの石ころと変わらない。だからこのまま赤の大魔王が復活したら、誰にも止めることはできない。誰も救われないんだ!」


「あ、あぁああ!」


 ずっと信じ求めてきた聖剣は残骸だった。その事実に男は言葉を失い、風に押されるほど弱弱しくなって、背後の黒い墓標に背中をぶつけてへたり込んだ。

 正しく受け入れられるよう逃げ道を塞いで、俺は拳を前へ振るう。


「――魔法陣の設計図を教えるんだ、パジェム!」


 その一言が最後となった。


 パジェムは頭を抱え悔しそうに絶叫して、行き場の失った聖剣の切先を振り返って黒い墓標に、八つ当たりのように突き刺した。そのまま頭を地に伏して慟哭し始めた男の下へ、魔法陣の修復方法を聞き出すためにレイファが無言で近寄る。

 仲間の堕落に思うところでもあったのだろうか。三人の勇者はそれ以上言葉を掛けることもなく、男の性に合わない背中を遠巻きに眺めていた。


 ともかく、これで終幕である。

 彼の処断は勇者たちに任せよう。俺も無事に役目を終えられたとホッと安堵の溜息を溢し、ステラやトオルと親指を立て合う。その後、一緒に頑張ったセシリーさんと微笑み合い、お互いに手を合わせようとして、その時。


 ――異変は、突然やって来た。





『――――』





 灰色の大地が、不意に鈍くずっしりと鳴動した。足の指先から身体の芯を抉るように縦方向の振動がドクンと伝わって、同時に俺は得体のしれない寒気を背筋に感じた。まるで、何か恐ろしい悪意が、足元で鋭く拍動したかのようで。

 突然のことに驚いたのは俺だけでなく、トオルが叫ぶ。


「じ、地震ですか!?」


「いや違う! 見ろ、墓石が!」


「光ってる!?」


 ヤマトが指差し、ステラが目を見開いたその先に、一つの墓石。灰色の墓地で一つだけ不自然に黒い岩石で作られた墓石が、この地面の拍動に呼応したかのように爛々と紫苑の光を放っていた。特にパジェムが聖剣を突き刺して出来たひび割れから、明るく、鮮やかに。間違いなく、それは魔力が発する光の色だ。


 そして、俺は遅れて気づく。

 黒い墓標の位置が、丁度あの地下空間の真上だということに。


「おい、まさか!」


「『封印玉』じゃと!?」


 辿り着いた結論は、あまりにも遅すぎた。

 呼応したのは、地震の方だ。


 遅すぎる思考を嘲笑うかのように紫苑の光は墓標から大地に染み渡り、地面の拍動はますます激しさを増す。灰色の石畳は、水分が一気に蒸発したかのようにピキピキとヒビ割れ、この世の崩壊のような轟音と共に墓標の真下が崩壊する。

 火山の噴出孔のように、そこから熱が空へ吹き上がって、慌ててレイファがその場から俺の隣に飛び退いた。異常な熱気が空の青を歪ませる。


『――――』


 大地の拍動はなお収まらず、縦揺れは激しさを増して石畳の破片を熱気と一緒に空へ巻き上げた。落下する瓦礫は熱を帯びた流星群となって、ヒビが入った墓地の石畳を更に穿ち、山の木々を薙ぎ倒し、轟々と燃え上がらせる。

 そして、俺たちは誰もが息を呑み、絶望して声を失った。


 ――現れたのは、銀色の腕だ。


『――――』


 黒い墓石が元々あった大地を高く隆起させ、まるで活火山から膨張して溢れ出したマグマのように、巨大な銀色の腕は光溢れる空へと繰り出した。頂きの掌は地面を勢いよく叩き付け、とうとう俺たちは身体を支え切れず大地に手をつく。

 飛んで来る瓦礫などに目を向ける余裕など誰にもなかった。地下の眠りから起き上がった十メートルの巨体が放つ銀色に、瞳を奪われた。


 称号研究家キュリロスの言う通りだ。

 銀は、見る者を魅了する。


 大地の拍動が原因か、自身を縛っていた強力なアイテムの破壊が原因かは知らないが、巨人のメッキの皮膚に幾つもの亀裂が迸る。それはやがて剥がれ落ち、彼元来の真っ黒な体表を露出させた。銀が美しかっただけに、漆黒は禍々しく。

 地下墓地と同じく銀色の皮膚は断熱の作用を担っていたのか、世界は瞬く間に灼熱に満ちる。その黒い身体は、メラメラと真っ赤な炎に包まれる。


『――――』


 メッキの下から赤い目を取り戻し、巨体は気だるげに溜息を吐く。異常な熱気を孕んだ吐息は、それだけで周囲の草木を焼き焦がした。足元には真っ二つに折れた聖剣ゾルファガールと、赤い血に染まった黒焦げの何か。

 レベルエラーの巨大な化け物は、復活と同時に反撃を謳う五人の勇者の一角を落とした。それも最大の防御力を誇る勇者を、一撃で。

 その事実だけが、灼熱と共に俺たちの心に恐怖を刻み込んだ。


 巨体の名は、オレステス。

 ただし、歴史においてその名で呼ばれることはない。


 ――赤の大魔王、それが奴の名だ。


『ジリジリうるせえな』


「ひぃ」


『ちぃ、ボルケの小僧がワシを封印しよったせいで、またゴミムシ共が増えてんじゃねえか。何の利も生まぬ有象無象は永遠に口を閉ざして黙っていろ。うるせえのは嫌いなんだよ。このワシをくだらぬ喚き声で煩わせるんじゃねえ』


 大魔王はようやく開眼した気だるげな視線で俺たちを見下ろし、苛立ち混じりの暑い音を吐き捨てる。何倍もの図体の圧倒的な威圧感の前に、皆は蛇に睨まれたかのように痺れて動けない。その静かな癇癪に触れて、誰一人も声を出せない。

 正真正銘、目の前の炎の化身は、視線だけで人の意識を殺す化け物で。


 否、一人だけいた。

 自我を保てた者が。


「――久しぶりじゃのう」


『ああ?』


 異様な熱気の中での驚くほど冷徹な声で、俺は正気を取り戻す。恐る恐る首だけ振り返ると、目の前の業火すら焼き尽くさん勢いの怒りを瞳に宿し、両手を少しだけ広げて、今にも敵に飛び掛かりそうな、赤い瞳の悪魔がいた。

 他の面々も、遅れて正気を取り戻す。それが絶望でなくとも、自分より激しく感情を起伏させる存在を見れば、人は冷静になるものである。


 だが俺は、レイファの凄まじい憎悪が怖かった。

 大魔王への畏怖に差し迫るほど、恐ろしかった。


『誰かと思えば、『水蝶』んところの悪魔娘ではないか。貴様が生きているという事は、ワシが封じられてから、さほど時は経っていないのか?』


「何を世迷言を言っとるッ!」


 赤の大魔王はレイファに大層つまらなさそうな視線を送った後、直ちに興味を失って周囲を見渡し始める。それはレイファの神経を激しく逆撫でした。

 俺たちでさえ、思わず呼吸を忘れてしまうほどに、激しく。


「お主がサクの心臓を焔の槍で貫いたあの日から千年、一日たりとも忘れんかったぞ。ボルケ主導の弔い合戦には参加できんかったが、今日という日が訪れたのならば赤の国に留まり続けた甲斐があったというものじゃ。――丁度よい!」


 悪魔は、彼女が最強たる所以をもはや留めることなく発揮し、周囲に漏らした紫苑の魔力を、天が焔の天敵として生み出した神秘へと変換させる。激しく怒り、激しくうねり、双頭の蛇が躍り狂いながら牙を磨くような、凄まじい水魔法。


 くだらないものを見るかのような、赤の大魔王。

 そんな敵に、悪魔は怒りの矛先を向けて。


「――親友の仇、討たせてもらうぞ!」


 ここに、第二次赤の大魔王攻略戦は開幕した。


【赤の大魔王・黒像】

 銀のメッキが剥がれ落ちた赤の大魔王本来の姿だよ。十メートルもある黒い巨体には赤い火炎が常に周囲を燃やしているの。銀に覆われていた目も開くようになって、戦闘能力は封印時と比べると段違い。馬鹿げた耐久力も健在で、突破口は、まだ見えない。



※加筆・修正しました

2020年7月1日  加筆・修正

        表記の変更

        パジェムとの取引シーンの変更

         ・沙智の状況確認の追加

         ・勇者一行の登場を変更


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