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2章の4

 ボウガンにつがえた鏃を向けたまま、黒ずくめの集団が志郎と琴美へじりじりと距離を詰めてくる。

 二人は背中合わせになり互いの死角を補うと、油断なく周囲に警戒の視線を巡らせた。


 相手もこちらを警戒しているのか足運びは鈍い。焦れったいほどに、ゆっくり、ゆっくり、近付いてくる。



(畜生、もっと近付いてくればまとめて斬り伏せてやるんだがな)


 志郎は鍛えぬいた駿足はもとより、一撃の射程と速度に関しても自信があった。ジャケットに隠し持った棒手裏剣や匕首を投擲するという手もある。


 このような多数に囲まれた場合の連携も、琴美とは一応話し合って決めてある。

 その中の一つ、琴美のつむじ風を巻き起こす魔術の砂煙で相手の視界を眩ませ、混乱に乗じて飛び込む策の実行を考えたが、こちらは既に人質を取られた身だ。今は下手な行動はとれない。

 なにより、ぶっつけ本番でそれを成功させて樹里を助け出す自信もあまりない。無関係な人間の命をも今の自分達の肩にかかっているとは、重い責任だ。



「武器を捨てろ!」という罵声に表面上は大人しく従い、志郎は鞘に納めた二刀を地面に置き、琴美も杖を足元に転がした。



 それを見て安心したか、七人のうち五人がボウガンを構えたまま素早く包囲網を形成し、御堂を捕らえている二人組が武器を拾い上げ、人質をつれて陣形の外へ移動していく。


 二人組が樹里を連れていく前に、一瞬こちらに視線を投げ掛けた。

 ゴーグル越しでも理解できる。侮蔑の眼だった。


 琴美は悔しげに唇を噛み、志郎も小さく舌打ちする。


 ただでさえ辛い状況だったというのに、この上更に人質まで取られて囲まれるとはとんだ失態だ。


 ちらりと志郎が琴美を見やる。

 彼女の視線の方向には、御堂樹里がいた。

 二人の男に捕らえられ、刃を首筋や顔に翳され怯えている。


 首筋や顎や頬の数ヶ所に軽く刃を当てられたのだろう。

 血の気の引いた顔から、薄皮が裂けて微かに血が滲んでいる。



 恐怖を与えて楽しんでいるのだ。なるほど、ホームズやハールマンといった殺人鬼に協力するだけのことはある。

 彼らも人を殺すことに快楽を見出だす集団のようだ。



(胸糞の悪い連中だな)


 口のなかでそう小さく吐き捨てる。冷淡な志郎ですら、静かな怒りを覚える光景だった。ましてや顔見知りの同級生がそのような目に遭わされているのだ。

 琴美もぎりりと奥歯を噛み締めて、沸き上がる怒りを鎮めているように見えた。



 今すぐにでも飛び出して行きそうな雰囲気すらあったが、ここは我慢しろと無言で制していると、前方のハールマンが肩をすくめて不満を漏らす。



「全く、二軍が余計な真似をしやがってよぉ。てめえらゴミの手なんぞ借りるまでもねえと言ったはずだがなぁ」


 仲間とおぼしき集団をぐるりと見回し、ハールマンが不満げにぼやく。


「二軍……?」


 耳ざとく、ハールマンの言葉を拾った琴美が聞き返した。



「勝手に喋るんじゃない!」


 黒ずくめの一人が、呟いた琴美にボウガンを向けて怒鳴ったが、


「てめえこそ煩えんだよ! ブッ殺されて喰われたくなけりゃ、黙ってな雑魚共」



 ハールマンの恫喝に黙らされる。


「も、申し訳ありません」とやっとの思いで絞り出した声は哀れなほどに震えていた。


 牙を剥いた獣頭に正面から凄まれ、吼えるような大声で恫喝されれば無理もないだろう。

 何よりも、「殺す」という言葉に冗談でも何でもないほどの重みがある。


 これ以上神経を逆撫ですれば、本当に殺されかねないと思うのは当然だ。


 黒ずくめ達に恐怖が伝播していくのは、志郎達にも容易に理解できた。


「ふん、冗談じゃねえ。俺にも趣味ってもんがあるんだ、誰がお前らみたいなの喰うかよ」


 不満げに呟きながら、長い爪の伸びた毛むくじゃらの手が前掛けのポケットから煙草とマッチを取り出した。鋭い牙でそれをくわえ、マッチで火をつけ紫煙を吸い込む。


 長く伸びた鼻面から煙を吐きながら、嘲笑混じりにハールマンは語り始めた。



「まあいい。ガキ共、冥土の土産に答えてやるぜぃ。こいつらはなぁ、俺様と同じ人殺しが好きでたまらん集団だ。俺達のように真の悪魔になりたいのさ」



 ハールマンの言葉を一言一句聞き漏らさぬように耳を澄ましつつ、志郎がそっと横へ視線をやると、琴美が口のなかで小さく呪文を唱え続けている。


 真っ直ぐに伸びた瞳は、敵に捕らわれた同級生が映っていた。

 マントの下で、隠し持っていたアサメイを手にする気配を感じる。

 恐らくは、樹里を救出する気だ。



 その意を汲んで、志郎が会話を長引かせて時間を稼ごうと試みる。



「悪魔になる?そういえば、ホームズも同じことを言っていたな」


 志郎は確かに、殺人医師ホームズがこう口にしていたのを聞いていた。

 このホームズが真の悪魔になる為の、と。


「はははっ、あの馬鹿も余計なこと喋ったもんだ。それで殺されちゃあ世話ねえや」


 仲間に対する哀悼の意などは微塵もなく、狼男はただ侮辱と嘲笑だけを口にする。


 甦っても、殺人鬼の人間性を欠いた性質は変わらない。いや、ハールマンのように人肉を食する嗜好の無かったホームズですらも人を喰う性質に目覚めていた事から判断するに、恐らくは生前よりも残虐性や冷酷さといった暗黒面は強化されているのではないだろうか。



「その通り、俺達は悪魔を呼び出す触媒なのよ。いずれ俺達を死の世界から甦らせてくれた御方が、殺人鬼の誰か一人に悪魔を宿らせて下さる。

 そして、悪魔を喚び出す儀式には、いたぶり殺して怨みを育てた後、死体に邪霊を降ろした人間の首が必要なのさ。

 ああ、ホームズの野郎を殺してくれたことには感謝してるぜぃ。おかげで頭数が減ったからな。首が揃えば俺達は最後の一人になるまで殺しあう予定なんだよ」


 げへへっと下卑た笑い声を立て、短くなった煙草を足元で踏み消し、更に続ける。


「悪魔を宿して今よりもっと強い身体になりゃ、もう警察に追われてビクビクすることも無ければ死ぬこともねえ、永遠に殺しを楽しむことができるんだ。考えただけで堪らねえぜぃ」


 その光景を想像してか、獣面に恍惚の表情が浮かんだ。長い舌と牙の間から涎をたらす姿は邪悪そのものだ。


「まあ、悪魔になるのは俺様に決まってるぜ。てめえらの首も足しにしてやるから感謝しな」


 勝手に言ってろ糞野郎、と志郎が忌々しげに舌打ちをする。


 不快感と怒りを浮かべる志郎とは対称的に、琴美の表情は暗い。


「人殺しの蟲毒か。どこの誰だか知らないけど、とんでもない事を考えるわね」


 魔術の心得のある彼女の口から驚愕と呆れの混じった声音で、ぼそりと漏れた呟き。


 蟲毒(こどく)とは、密閉された容器に蛇・蜘蛛・ガマ・蜥蜴・蟷螂・蝗・犬・狐といった虫や獣を何十匹も閉じ込め共食いさせ、最後に残った一匹を呪いに用いる呪法である。

 最後に生き残った動物に相手を咬ませたり、黒焼きにした粉を振りかけたり、壺に入れて相手の家の床下に埋めたりすることで効果を発揮し、憎い相手や家そのものに災いをもたらすと言われている。

 

 そして、生物をなぶり殺して呪いに用いるという方法は犬神に通ずるものがある。

 こちらは犬を土に埋めて飢えさせ、怨念を高まらせたところで首を落とす事で生まれるとされる邪霊だ。

 イヅナやクダギツネのように陰陽師や修験者が扱う使役獣として有名だが、人と獣では生まれる怨みの度合いが違いすぎる。

 その首ひとつだけでも、存在している限りは延々と死霊の類を呼び寄せる危険な呪具になることは間違いない。






 蟲毒と犬神。

 どちらも日本では古くから伝わる呪いだがそれを西洋魔術に取り込み、しかも犬や毒虫どころか人間を生け贄にするとは尋常ではない。

 一神教の思想よりも、八百万の神々に代表される多神教としての面が強い神道の思想の定着した日本で悪魔を喚び出す為の策なのかもしれないが、十中八九ろくなことにはならないだろう。

 いや、もしかしたら相手はその『ろくでもない事態』こそを望んでいるのか。


 しかし、相手の行う術が呪いならば、それを打ち返す『返りの風』を吹かせればいい。

 人を呪わば穴二つ、呪いを使う者は自分自身も呪い殺される場合を考えなけばならないのだ。

 いい気になって町を恐怖に陥れているゲスどもに、それを思い知らせてやる。


 決意を胸に、術式を完成させる。

 今現在できる、切り札中の切り札だ。相応のリスクを背負うことになるが、この術で必ず同級生を救ってみせる。


 マントの下で短剣を振り払い、言い放つ。



「影よ、走れ!!」


 凛とした声とともに魔女の姿が残像のようにぶれたかと思うと、次の瞬間にはその身体が“ふたつ”に別れ、影が夕闇の中を疾駆する。



 鏡あわせのように、瓜二つの姿。

 そう、長谷川琴美は自身の分身を作り出していたのだ。


 ドッペルゲンガーの秘術。

 魔術の修行中に偶然編み出した高等術だが、実戦投入は初めてだ。しかし、もはや後戻りは出来ない。

 十字型の鍔元に秀麗な象嵌細工の施された儀式用の細身の長剣を手に、分身が樹里を捕らえている二人組へ襲い掛かる。


「う、うわっ」


 理解を超えた光景にパニックを起こしたか、二人組の片割れ、先ほどまで樹里を直刀で脅していた方が、情けないほどに震える手でボウガンのトリガーをひく。当然狙いなど定まっているわけが無い。

 あらぬ方向に飛んでいく矢は、風切り音を残して闇の中へ消えていった。


 その隙を逃さず、マントを翻らせて断罪の剣が振るわれる。

 片手斬りが首筋を裂いた瞬間、破裂した水道管のように鮮血を噴き上がった。頚動脈を断たれたのだ。


 特殊素材製らしいスーツは硬かったが、刃を完全に通さないわけではないようだ。

 棒立ちになって痙攣する手から、ルーンの杖と日本刀が落ちていた。続いて、どさりとその身体が地面に崩れ落ちる。


 分身は今はそれに目もくれず、樹里を羽交い絞めにしているもう一人に狙いを定めた。

 相手の姿を見る。背は高い。心臓や鳩尾は防弾チョッキに守られている。

 ならば、こちらも首を狙う。

 相手の目線と同じ高さにまで跳躍し、剣を薙ぐ。白い肌に返り血を浴び、燃え盛る炎のような斑模様を作った美貌が、彼が最期に見た光景となった。


 白々とした光芒が再び闇を引き裂く。今度は喉笛を深々と斬り込んだ。

 分身と本人の感覚は共有されている。刃が骨まで到達した感触に背筋を寒くしながらも、琴美は一切の容赦なく剣を振るっていた。

 志郎に剣術を教わっていたことに心の中で感謝する。以前の自分ならば、恐らく今の戦い方はできなかったであろう。


 樹里を拘束していた腕から、力が抜けていく。

 すでに大量出血で瀕死の男を蹴り飛ばし、樹里を引き剥がす。

 守るように小さな身体を抱きしめようとしたその時、銀光が頭上から叩き落すような勢いで襲い掛かってきた。ハールマンの肉切り包丁だ。

 そのマッシヴな肉体からは想像もできないような跳躍力を発揮して、一息に分身との間合いを詰めたのだ。


 身をひねって何とかこれをかわしつつ、地面に転がった刀と杖を拾い、放り投げた。


 琴美の本体と、志郎は過たず自身の獲物をキャッチする。



「まさかこんな事もできるとはな。まったく魔術ってのは便利だぜぃ」


 憎憎しげに顔を歪め、狼男が魔女めがけて再び刃を振るった。

 魔女も鋭く剣尖をうならせて斬撃を見舞う。背中で樹里を守りながら、狼男をその場に釘付けにしているのだ。


 あちらの方は、しばらくの間は分身がなんとかしてくれる。

 そう判断した志郎はすばやく臨戦態勢に移った。まずはこの雑魚どもを蹴散らす。


「さあ、覚悟してもらおうか!」


 いちおう樹里の奪還には成功し、武器も手元に戻った。相手は武器を持ってはいるがただの人間だ。ならば遠慮することは無い。


 腰に刀を差して居合い構えを取り狂猛に吼える志郎と、杖を手に呪文を唱え始める琴美の姿に、包囲している黒ずくめ達が臆したように足を下がらせる。


 しかし、絶大な攻撃力を誇るハールマンが控えている事と、飛び道具を持っているという優越感が勝ったらしい。


 トリガーが引かれ、四方八方から黒く塗られた矢が闇に擬態しながら襲来してくる。

 

 しかし、その矢はただの一本も二人の身を捕らえることはできず、虚しく空を切るのみであった。


 人間離れした俊足を発揮し、瞬く間に志郎が敵陣に肉薄する。あっけに取られる暇すら与えるつもりは無い。


 今まで首を切られた犠牲者の痛みをお前達も少しは味わえ。


 鞘から放つ無慈悲な抜き打ちの一刀を受け、形容し難い異音をあげて首が跳んだ。


 頭部を失い切り株のように棒立ちになった屍の切断面から、血柱が噴き上がる。


 仲間の一人が一瞬のうちに殺害された恐怖からか、再び矢が打ち込まれてきた。


 しかし、志郎は涼しい顔で首なし死体を盾にそれを防ぐ。

 矢が背中に突き立てられるたび、びくびくと魂の失せた肉の塊が痙攣する。


「近づかれたら矢は撃つな、味方にあたる!!」


 かろうじて理性を保っていた一人が、腰の直刀を抜いて怒鳴る。

 それが聞こえているのかいないのか。残る三人も刃を抜いて構えていた。否、志郎の殺気にあてられ、抜かされたといった方が正しい。

 

 うおお、と悲鳴にも似た声を発して突撃してくる。取り囲んでなますに切り刻むつもりだろう。


 しかし、その進軍が剣士に到達する前に魔女の声が鳴り響く。


「ハイル、西の風ゼフィルスよ! 無意識の海を司る女神達よ、我に力を与えよ!」


 局地的に発生したカマイタチが、殺人快楽者を切り刻む。四人のうち二人が巻き込まれ、地面に転がされた。


 ホームズやハールマンには決定打にならない威力の術でも、人間相手ならば効果は十分だ。

 全身に無数の裂傷を刻まれ、ねずみ花火のように全身から派手に血飛沫を撒いて激痛に転げまわる。深手を負っているのは明らかだった。


 あっという間に、残るは二人だけとなった。

 志郎の鋭い視線に全身をがたがたと震わせているが、見逃してやるつもりは無い。


 ここで殺さなければ、こいつらはハールマンたちの一味に協力して関係ない人間をまた殺すに違いない。それに、怪物や魔術がらみの事件は拝み屋が秘密裏に解決する義務がある。警察に突き出すのも面倒な事態になるのだ。


「全く、因果な商売だぜ」


 ふうう、と長く静かに息を吐いて上段に刀を構えると、裂帛の気合とともに踏み込んでいく。

 上からの斬り下ろしを警戒してか、敵の直刀が頭上に掲げられる。事実、志郎の太刀は大きく背中へ振りかぶられた。


 しかし、それを下方へ下ろそうとする瞬間、手元がわずかな揺らぎを見せる。


 それを見抜くことなく、彼は志郎に胴を薙ぎ払われていた。

 殆ど胴体を真っ二つにされ、どちゃりと内臓を撒いて血の海に沈んでいく。


 斬り下ろしから胴払いへ一瞬のうちに変異するその太刀筋は、鹿島神道流“霞之太刀”であった。


「うおおおおああああっ!!」


 志郎の凄まじい太刀捌きを見て自棄を起こしたか、最後の一人が獣のような勢いで突進を仕掛けてきた。


 長い刀身を生かしての連突きだ。このようなタイプの敵は素人でも危険だが志郎は慌てず一手一手を回避し、自分の間合いへと誘い込む。

 相手は自分が罠にはまっている事にも気づいてはいないだろう。

 何度も相手の突きを空振りさせると刀を肩に担ぐような姿勢をとり、ぐっと頭を沈める。


 転瞬、相手の懐へと潜り、鮫皮を巻いた柄頭で顎を跳ね上げた。


 鉄を仕込んだそれは鈍器と呼ぶに相応しい。べきっという乾いた破砕音と共に、顎の骨が砕けた感触を手元に伝えてくる。


「じゃあな」


 袈裟懸けの一刀が脳を揺さぶられた衝撃と、顎を砕かれた激痛に悶絶する敵に振るわれる。


「がはああっ!!」


 鮮血と共に迸る断末魔。

 引き裂かれた防弾チョッキごと刀に心臓を食い破られ、とうとう最後の一人が絶命した。


「さて、残るはあいつか」


 視線の先では、ハールマンがドッペルゲンガーと死闘を繰り広げている。



 琴美の分身は長剣と言う不慣れな武器で樹里をかばいつつよく戦っていてたが、やはり徐々に押されていた。


 はやく加勢に行かなくては。

 そう思っていると、視線の中で蠢くものを発見した。

 カマイタチに刻まれた敵の一人。まだ息があるようだ。

 ずりずりと虫のように這いずり、味方の死骸へ近づいている。

 血まみれの指が、死骸の持っていたボウガンにかかった。

 震える手で狙いをつける。御堂樹里を狙っていた。


 それを視認した瞬間に、志郎の身体は走っていた。

 樹里に駆け寄り、抱きしめて盾になる。その代償に左肩へ矢が突き刺さり、焼け付くような痛みを受けた。


「がっ……!!」



 激痛に耐えながらも、ポケットから振り向きざま棒手裏剣を放った。

 眉間を貫かれ、今度こそ敵がその息を止める。


「無事か、御堂」


「そ、それより矢が!!」


 深々と刺さった矢の痛みに、改めて志郎の顔が歪む。幸い大きな血管は傷ついていないようだが、どっと脂汗が背中に浮くのがわかる。


 不運は連鎖する。

 このとき、相棒の負傷を目の当たりにして、琴美のドッペルゲンガーがわずかに立ちすくんでしまった。


 狡猾な人狼はそれを逃さず、包丁を振るう。


 左肩から右腰まで一直線に叩き切られ、分身の身体から血が弾けた。


 噴水のように上がる鮮血ごとドッペルゲンガーは背中から倒れこみながら、大気に溶けるように消え失せる。



「……ぐぶっ!!」


 直後、琴美は血の塊を吐いていた。

 内臓を握りつぶされるような痛みに全身を蝕まれ、急激に意識が薄れていく。


 激痛に耐えるようにくの字に身体を折って地面に伏せ、もだえ苦しむ。



 遭遇すれば死ぬという話で有名なドッペルゲンガー現象は、離魂病と呼ばれる霊的症状が原因という説がある。読んで字のごとく、肉体から魂が勝手に離れてしまい、やがて衰弱死してしまうのだ。


『今昔物語』にも鼻から魂が抜け出していくのが見えたので、もうすぐ自分は死ぬと身近な人間に挨拶回りを済ませた後、三日後に死んでしまった農夫の話がある。


 琴美は魔術の修行中に離魂病を起こしたことがあり、その後ある程度はこれを自由に使用できるようになったのだ。


 しかし、自分の魂の一部を切り離して使う以上、痛みすらもフィードバックされてしまう。そのうえ、分身が殺されれば自らの寿命も縮むおまけつきだ。



(これは、寿命が三年は縮んだかな)



 激痛の中でも、やけに冷静にそんなことを考える。同級生を救うために切り札を使った優しさは裏目に出てしまった。

 

(ごめん、御堂さん。それに、また狗賀君にも迷惑かけちゃったね)



 口の中に広がる鮮血の味と臭い、そして自分を必死に呼ぶ樹里の声を耳に、次第に琴美の意識は飲み込まれていった。


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