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エピローグ

「……以上が、全てです」


 作成した報告書の全てを読み終え、志郎と琴美が安堵の息をついた。


 事件が終わって、ちょうど一週間後の事である。

 二人は日を改めて、首領フォルキュアスへの報告を行っていた。

 志郎は全身の至る部分が包帯や絆創膏だらけだが、本人が直接報告することを望んだ。


 これで、今回の事件は本当に終わりを迎える。


「残念ながらスカイスタンの死体は、確認できませんでした。でも、きっとあいつは死んでいると思います」


 落下地点を確認したが、そこにあったのは夥しい血痕だけであった。

 千切れたマントの切れ端ひとつすらなく、その得物であったサタンの剣も、まるで煙のように消え失せていたのである。

 しかし、あの妖術師の死亡については、不思議な確信があった。

 いつか復活するにしても、それには恐らく永い年月を必要とする。



「ご苦労、二人とも。

 スカイスタンの術や武器を回収できなかったのは重ね重ね残念だが、これでアリオクは壊滅した。

 琴美も初仕事にしては少々重すぎる事件だったが、よくぞ生き延びた」


 フォルキュアスの言葉に、琴美が微かに顔をしかめる。


「人が悪い……。その言い方じゃ、まるで首領は私が死ぬと思ってたみたいじゃないですか」


「アホかお前は、甘ったれたことぬかすな。

 この仕事は常に死と隣り合わせだぞ。死ぬ覚悟が無いなら、さっさと辞めた方が身のためだ」


「そんな、身も蓋もない。辞めませんよ。

 死ぬのも殺すのも確かに嫌ですけど、私は魔術研究がしたくて、好きで始めた仕事なんですから。ね、志郎?」


 そして、今度は悪戯っぽい笑顔で、隣に立つパートナーの手を握った。


「え、あー、うん……」


 しどろもどろになりながらも、彼も握られた手は離さない。

 その様子に、フォルキュアスが小さな笑いを漏らす。


「まぁ、胸を張るといい。しばらく町は静かになる。

 お前達が掴み取った平和だ。では、次の仕事までしっかり休んでおけ」


「はい、では……」


 琴美が志郎に肩を貸しながら、二人で退室する。

 扉を開くと、そこには三幹部と樹里が控えていた。


「お疲れ様、狗賀くん」


「ありがと。大丈夫だ、手はいらん」


 よろける志郎を樹里が気遣って支えようとするのを、やんわり断る。

 ぶっきらぼうな口調は相変わらずだが、少し態度が素直になった。

 それをみた琴美の顔が、怒りと嫉妬で瞬時に赤く彩られた。


「もう、私の前で他の女にデレデレしてんじゃないわよ剣術バカ……!!」


「で、デレデレしてねぇよ。ていうか誰がバカだコラァッ!?」


 ギャーギャーと喧しく言い争う姿に、鳥羽は苦笑いし、依子とシュレック子爵は相変わらずのニヤニヤ笑いで眺めている。


「ふん、もういいわ。あんな剣術バカはほっといて、二人で行きましょ御堂さん」


「ええ、長谷川さん」


 女子二人が仲良く手を繋ぎ、想い人を放置して出入り口へと歩き出す。


「おいおい、本当に置き去りかよ….。女は分からん」


「ふふ、こりゃ今後が楽しみだなぁ?」


「全くだ、青春を楽しみたまえよ少年」


 チャシャ猫のように意地の悪い表情で、依子とシュレック子爵が笑っている。

 うるせぇアホどもと悪態を返すものの、軽く流された。

 この二人は相変わらず飄々として、まるで霞のように掴み所がない。



「でも、いつかはどちらか一人を選べ。これ、大人としての忠告な。真面目な話、どっち付かずの方がよほど失礼だし、相手も傷付くんだぞ」


「分かってる……」


 鳥羽の言葉は真摯だった。

 志郎も神妙な顔で頷く。


 祖父を失ってからの、血塗れた空虚な人生を変えてくれたのは、あの二人だ。


 心の壁を越えて、優しさと温もりを与えてくれた、長谷川琴美。


 自分とは最も縁遠いはずだった、ごく普通の日々の大切さを感じさせてくれる、御堂樹里。



 報いをうけて、いつか戦いの中で命を落とすかもしれないが、それでも自分は周囲の人に恵まれている。

 その想いに応えるためにも、精一杯生きる。

 改めて、そう覚悟した。





「あ、きたきた。おーい、早くしないと本当に置いてくよ!!」


 二人を追いかける志郎に、琴美が振り返って派手に手をふった。

 これから三人で遊びにいくのだ。


「ところでさ、首領さんも人が悪いよね。しばらく町は静かになる、だって。

 まるでまた今回みたいな事件が起きるみたいじゃない」


 樹里が、不満げにそう漏らした。

 せっかく町は平和になったのに、水をさされた気分だった。


「……いや、首領の言う通りよ。ずっと平和が続く確証はない。

 今回ほど大事になるのは、珍しいけどね」


 しかし、琴美にはそれを軽々しく肯定することは出来なかった。


「この近隣は、ずーっと昔からこういった戦いが繰り返されている。

 良くも悪くも霊的な磁場が強いから、幽霊や妖怪による騒動や、黒魔術師による犯罪が絶えない土地なの。

だから、表に出ないだけで、私たちファウスト以外の魔術結社だってたくさんあるのよ」


「そう、なんだ……」


 それを聞いて、少し樹里の顔色がさっと青みを帯びた。


 そう、魔との戦いに終わりはない。


 濁った池の水面。

 陽光を遮る木々の葉陰。

 家の中の家具の隙間。

 日常で生まれる小さな死角や物影に至るまで、悪意あるモノは闇に潜み、常に獲物を引きずり込む為に手ぐすねを引いて待ち構えているかもしれない。


 それに対抗する為に、人間は歴史の陰で魔術を編み出したのだ。


 そして、人の心は簡単に悪へと傾く。

 生け贄を魔に捧げれば、富、名声、才能、権力は思いのままだ。

 故に、矮小な欲望を満たそうと、邪法に手を出す者も後をたたない。



 だが、闇を完全に消し去る事は出来なくとも、和らげる事は出来る。

 最期には誇り高い騎士の魂を取り戻してスカイスタンに反逆した、あのジル・ド・レエのように。


「大丈夫、負けないよ。私も志郎もね」


 心からの笑顔を作り、強く言った。




 深夜の雑木林で、異形の影が腕を振るった。

 肉を叩く、鈍く硬い音が鳴り響く。


「ぎゃあっ!!」



 短い絶叫と共に、黒衣の男が地面に投げ出された。

 鼻から夥しい血が溢れて顔面は血に染まり、前歯が折れている。

 強い力で殴られた証拠だ。


「や、やめろ……」


 必死の懇願は聞き入れられず、巨大な影が覆い被さった。

 バナナの房のように大きな掌が、ぐわりと男の頭を掴む。


「へげっ!!」


 奇妙な断末魔。

 瓶の蓋を回すように、男の首が半回転した。顔が背中を向く。

 そして、ブチブチと、筋肉と骨の断裂する怖気立つ音がして、力任せに首がねじ切られた。

 その恐怖の貌で固まった頭部を、影がボールかお手玉のように宙へ放り、弄ぶ。


 ひとしきり悪趣味な遊戯を楽しんだ後、鮮血の迸る頭を口へ放り込み、硬い頭蓋骨を果物のように噛み砕いて燕下した。


 明らかに、獣が食うために獲物を仕留めるのとはわけが違う。

 苦痛と恐怖を与えて、いたぶり殺したのである。


「ブフゥ….…」


 地獄絵図の中で、男を惨殺した者が、まるで笑い声のように満足げな息を吐き、むくりと腰をあげた。


 筋骨粒々とした、見上げんばかりの巨体。

 服は着ていないが、全身を黒々とした硬い剛毛が覆う。鼻梁は前へ細長くせり出し、頭部には太く鋭い角が生えていた。

 人間と山羊の姿を掛け合わせた獣人だ。


 それは、サバトの黒山羊。

 レオナルドやバフォメットとも呼ばれ、黒魔術の邪悪な儀式を司るという、西洋の悪魔である。


「サバトの黒山羊か……。

 自分で扱いきれない使い魔を喚起して殺されるとは、皮肉ね」


 木陰から姿を出した魔女装束の少女が、死臭に顔をしかめながら杖を掲げる。


「ほんと、馬鹿だよな。どいつもこいつも」


 その傍らで刀の鯉口を切り、少年もゆるりと構えを取った。


「志郎、身体の調子はもう大丈夫?」


「大丈夫だ、問題ない。長谷川、一瞬でもいいから怯ませてくれ。あとは俺が殺る」


 新たなる供物を見つけた歓喜に嘶き、地を蹴立てたサバトの黒山羊が、二人へ猛然と突進を仕掛けてくる。


「分かった。じゃあ、いくよ……。

ハイル、西の風ゼフィルスよ!!無意識の海を司る女神達よ、我に力を与えよ!!」


 魔女の口から、風神の聖句が鋭く流れる。

 一直線に突っ込む黒山羊に対し、旋風が舞った。

 分厚い毛皮がカマイタチによって引き裂かれ、血煙が渦を巻く。


「ゴオオッ!!」


 痛みと驚きの入り交じった音を発し、黒山羊の突進が停滞する。


 一瞬の隙を見逃さず、刀を携えた少年が、跳躍していた。

 巨体の魔物の頭よりも高く飛び上がり、刃を抜き放った。

 抜刀術だ。


「いえええーーっ!!」


 怪鳥の気合いと共に、銀の斬撃を垂直に叩き落とす。


「ブエ、エ、エエッ…………!!」


 悪魔が死に至る激痛に、悲鳴を上げて仰け反る。


 抜き打ちの一刀は、黒山羊の脳天から股間までを遺憾なく断ち斬っていた。

 正中線に沿って、真っ二つに割れた身体。

 ムクムクと蠢く肉の断面が、どす黒い血飛沫を破裂した水道管のように吐き出していく。

 やがて、根本に斧を入れられた巨木のようにゆっくりと、サバトの黒山羊が天を仰いで倒れ込んだ。


「鹿島神道流“瀧落とし”……」


 刀身に滴る血を振り払い、少年が刃を鞘へ納める。


「ったく、いつまでこんな事するのかね……」


 手元には、敵を斬った生々しい感触が残っている。

 どんな下衆な悪党や人喰いの怪物でも、少年は本来、殺す事を好まない。

 誰かがやらなくてはならない事で、仕方がないとは思っていても、心のどこかにはやりきれない気持ちがあった。


「決まってるでしょ、これからもずっとよ」


「だよな….」


「でも、安心して。私もずっと貴方と一緒よ」


「そっか、ありがとよ」


 少年に、魔女が微笑み、そっと寄り添う。


 そして二人は、終わり無き戦いへと、歩み出していく。



〈完〉

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