5章の5
四つの影が、ゆっくりとした動作で武器を構えた。
前衛の剣と斧、後衛に槍と弓のそれぞれに分かれた陣形だ。
まず、前衛の斧が斬りかかってきた。
相手の武器のなかでは最もリーチの短い手斧が、急速に接近して迫る。
大気を裂く重厚な刃が、首筋目掛けて薙ぎ払われた。
「おっと!!」
間合いを見計らい、余裕を持って後方に身を退き、回避する。
間髪入れず、置き土産とばかりに喉元へ切っ先を斬り払った。
影の喉の辺りから、血飛沫代わりの黒い粒子が霧のように宙を舞う。
悲鳴こそ上がらないが、斧を持った影が喉元を押さえて苦しむ動作を見せた。背中を反らせて、よろよろと数歩後退する。
しかし、すぐに体勢を立て直し、再び斧が構えられた。
「!?」
仕損じたと理解するよりもわずかに早く、斧を持った影の背後から、剣を持った新手が飛び出して来る。
大きく湾曲した刀身の円月刀が、脳天目掛けて志郎に斬りかかった。
垂直に落ちてくる一刀をとっさに受けとめ、衝撃をいなす。剣戟の音が轟き、青白い火花が闇に散った。
相手との距離を取ろうとしたが、返す刀で下方から二閃目がたち昇る。
地を這う燕のような、低空からの斬り上げだ。
切っ先が浅く右脚の太股を薙ぎ、異様な痛みが走る。刃物で斬りつけられた鋭い感覚とは別の、不快な痺れを伴う激痛だった。
「痛って!!」
傷を負ったのを好機と見たか、今度は後衛の槍が志郎の背後に廻りこみ、穂先を突き出してくる。三又の刃が、後頭部目掛けて伸びた。
ガシュッ、と左耳に総毛立つ音が鳴り響く。
わずかだが耳たぶ辺りの肉を抉られた。苦悶の声が漏れる。
「この、舐めんな!!」
背後の敵に対して、身をねじって振り向く。その動きのまま、力任せに斬りつけた。
妖刀に胸を薙ぎ払われ、槍を持った影がよろよろと後退する。
しかし、これも致命傷にはなり得ない。ダメージを与えられてはいるようだが、やはりよろめきながらも、再び影が槍を手に体勢を立て直す。
キリキリキリ……。
槍に気を取られていると、今度は弦を引き絞る音がする。舌打ちをする暇も与えられず、遠間から矢が飛んできた。
頬を掠めて、一本目が後方へ消えていく。ゾッと背筋に冷たい感覚が走った。
敵の位置は左背後、双方の距離は約20メートル程度。
空間認識能力をフル活用して、闇に紛れた敵の配置を掴む。
びゅう、と風を切って再び矢が飛来した。
二本目。頭部にまっすぐ矢が飛んでくる。なんとか刀で叩き落とすと、ひん曲がった矢が足元に転がった。
三本目。先に落とした矢が地面に転がる間髪いれず、心臓を狙って撃ち込まれてきた。これも身を捻って辛くもかわす。
「ぬっ……!」
右足が重い。引きずるような姿勢で、なんとか刀を構え直す。しかし、隙が生まれた。
四本目が体勢を立て直そうとするところで、眉間を狙い飛来する。スローモーションのようにゆっくりと、志郎の視覚が矢を認識する。
ごきっ。
鈍い音と感触がした。
頭部を守った代償に、咄嗟にかざした右手の甲が、鏃に食い付かれている。
「ぐうぅあ……!!」
手甲にどす黒い痣だけを残して、手に刺さった矢が黒煙のような粒子となって消え失せる。
「な、なるほど、血は出ないわけか……。しかし、こりゃ普通に刃物で斬られた方がマシかもな」
傷を受けた箇所から生気をうばれたように、力が抜ける。疲労感も凄まじく、ただ身構えるだけで気力がガリガリと削られていく。
仕損じればこうなるわけだ。
四対一という人数的・戦力的な不利だけではない。相手の攻撃を受ければ劇的に体力・気力が奪われる。
(ただ剣を振り回すだけじゃ殺される……今まで習ったことを思い出せ)
萎える心を奮い立たせ、剣を再び構えてみせる。
表裏一体の乱れ刃紋の刀身を、胸の高さで垂直に立て、峰を返して刃を自分に向ける。
隠剣という、敵を斬る前にまず自分自身の邪念を断つ動作だ。
眼前に翳された刀身の向こうに、敵影が見える。
相手の姿を油断なく視認しながら、呼吸を落ち着けると、痛みが和らぎ、新たな活力が身体の底から湧いてくる。
(よし、教わった技を使ってみるか……)
右足をわずかに踏み出し、左足は後ろに引く。
右半身の体勢で直立し、刀を持った右手を左腰に留め、左手は刀身に軽く添える。
鞘無しの居合い構えだ。
直立不動となった志郎を警戒してか、影は距離を取って包囲を広げている。
数秒の間を置いて、再び斧を持った影が先陣を切って突撃してきた。
凄まじい勢いで踏み込み、闇の中で照りかえった斧刃が雷のような光を伴って志郎を襲った。風を巻いて、斧が眉間に振り下ろされてくる。
頭蓋骨を割られるかと思われた刹那、足元から砂塵を吹かせて、志郎は必殺の一撃を後方に退いて回避していた。顔色が軽く青ざめていることから、本人にも恐らく一か八かの賭けだったのだろう。
しかし、賭けに勝ったのは志郎だ。
「いえええええーー!!」
怪鳥のような声が迸り、腰間から鋭い斬撃が閃く。
足を踏み出しながらの抜き打ちの横薙ぎ。そこから更に上段へ刀を掲げ、腰を座り込むように低く落としながら、体重を乗せて一直線に斬り下げる。
十文字を描く銀光に身体を分断され、凶器の斧もろとも影が吹き飛ぶ。地面に叩きつけられたあとは、靄のように跡形もなく霧散し、消え失せていった。
烈迫の気合いと共に繰り出されたその技は、香取神道流居合い術“一心刀”である。
依子から教わった香取の太刀によって、まず一体目を葬った。
「よし……調子が出てきた」
刀を構え直しながら、残る三体を見回す。
最も近い相手は槍を持った影だ。その背後に剣が控え、更に遠くでは弓矢が弦を絞って狙撃を狙っている。
じり、じり、と土を踏み鳴らし、前衛の槍を持った影が距離をつめてくる。
志郎の意識がそちらに取られたのを好機と見たか、風を切って矢が撃ち込まれた!!
「どあっ!!」
狙われたのは下半身、股の辺りに高速で矢が飛んで来る。
身をひねって死に物狂いで避けた。
バランスを崩して転倒しかけたところで、槍を持った影が眼前に躍り出る。
流星のような軌跡を描き、鋭利な槍が幾度となく突きだされる。しかし、志郎は落ち着いてそれらを捌き、距離を取った。
相手の構えは、腰の高さに槍を留めた中段。志郎は切っ先を下段に垂らし、相手の出方を伺う姿勢だ。
槍を突き入れる隙を狙い、影が摺り足でじりじりと間合いを計る。数秒の間を置いて、胸めがけて穂先が伸びる。
志郎はこれも冷静に対応した。槍を刀で刷りあげ、上に反らす。
「おおおっ!!」
ほんの一瞬の好機を逃がさず、がら空きになった敵の急所へ切っ先を定めた。
左手を峰に添え、膝を折った低姿勢となり、間髪を入れず喉を突く。
鹿島神道流“突留”の太刀!!
だめ押しとばかりに刃を突き刺した喉から、股間までを遺憾なく斬り下げ、敵を殆ど真っ二つになるまで引き裂く。
もがき苦しむような動作と共に、影が背中から倒れながら、消えていく。
その姿には目もくれず、背後を向く。振り向いた瞬間、頬を鏃が掠めて行った。
一歩間違えれば頭を串刺しにされていただろう。
それに気を取られた隙をねらわれ、剣を持った影に、今度は左足を斬りつけられた。
声にならない苦悶をあげて、転倒しかけたが何とか踏ん張った。精一杯の気合いを発して、体当たりのように突っ掛ける。
それぞれの剣がぶつかり、ギリギリと圧しあう。
うお、と短い声を放ち、身体を低く沈めた。そのまま肩に担ぐように刀を構え直し、柄頭で顎を跳ねあげ、更に胸を渾身の力で突き飛ばす。
鈍い打撃の感触が手元に伝わり、影が背中から転倒していく。
このチャンスを逃すわけにはいかない。
遠方に視線を向けて、弓を持った影の姿を確認する。
あれを倒せば、あとは剣と剣の一対一に持ち込める。遠くから飛び道具で狙ってくる厄介な敵を、先に始末すると決めた。
「チェエエエエーー!!」
示現流“蜻蛉”の構えから、猿叫を放って力強く地を蹴って走り出す。
狙いを定められたのを理解したか、影も素早い動きで次々に矢を放ってきた。左右から物理法則を無視し、誘導ミサイルのようなカーブを描いて矢が襲い掛かる。
しかし、示現流の流儀に後退はない。
追尾を振り切り、凄まじい勢いで志郎は間合いを詰め、一刀を叩き込んだ。
「チェストォッ!!」
つがえた次の矢を放つ暇を与えず、脳天から唐竹割りに斬りおとす。
分かたれた右半身がぐらりと傾ぎ、続いてその傾斜にそって左半身が滑り落ちるように地面に転がり、消えていった。
「これで、残るは一人だな……」
呼吸を整えながら、最後に残った、剣を持った影と向き合う。
影は円月刀を上段に構え、間合いを計りながら、こちらの隙を伺っている。志郎は下段に構えて、迎え撃つ姿勢を選んだ。
「…………」
湿気を含んだ蒸し暑い夜風が、両者の間を流れていく。
ひときわ強い風が吹いたそのとき、槌埃と枯れ葉が巻き上げられ、ほんの僅かに志郎の視界が遮られた。
瞬間、怒涛のような勢いで影が踏み込んで来た。
斬撃から逃れるために摺り足で退き、志郎も距離を取ろうとする。
影が高々と刃を掲げるのが見えた。刀身は確かに長尺だが、遠い。少なくとも致命傷を与えるにはリーチが足りない。
怪訝に感じていると、信じられない変化が起きた。
粒子で構成されている影の両腕が、膨張しているのだ。胴体と比べて異様に発達した太く長い腕は、ゴリラを思わせる。
身体変化によって、リーチと破壊力を増した一撃が、落雷のように疾走した!!
甲高い音が響き、火花が散る。
円月刀の切っ先は肉を裂くことも、骨を砕くこともなく、地面にめり込んでいる。
志郎は辛くも必殺の刃をかわし、円の動きで敵の背後に回りこんでいた。
腕を巨大に変化させる殺人鬼の一番手、ハリー・ハワード・ホームズと戦った経験から、攻撃を予測することが出来たのだ。
辛酸を舐めさせられた岡田以蔵との再戦にとらわれがちだった数日前と比べても、確実に進歩できた証である。
「いえええええーーーーッ!!」
背中合わせとなった相手に対して身体を捻り、気合を振り絞って突きを放つ。
鹿島神道流“鴫羽返し”だ。
鋭角な軌道を描いて、切っ先が影の後頭部を刺突する。
頭を串刺しにされ、はじかれたように影が痙攣し、そのまま顔面から倒れこむ。
命がけの修行の終了だ。
結界が解かれ、鳥羽、依子、シュレック子爵、樹里の四人が魔方陣の内側へ入ってきた。
「よくやった。見事だったぞ」
「……そりゃどうも。刀、返しとくぜ」
力ない声で鳥羽の賞賛に応じ、村正を手渡す。あとはもう体力がまともに続かず、へたり込んだ。
「大丈夫!?」
「ば、バカ!! 急にくっつくな」
心配そうに樹里が駆け寄り、肩を貸す。異性に密着されて志郎が照れていると、残る二人はそれを興味深そうに眺める。相変わらず人が悪い。
「よしよし、特訓の成果は出たなシュレックよ」
「ああ、では例のご褒美をあげるとしよう」
「あん? 何だって?」
首を傾げていると、子爵がマントから一振りの刀を取り出した。
「以前言っていただろう。君のために刀を作ってやると。それが完成したのさ」
そういって手渡されたのは、黒鞘に収められた日本刀だ。
先端の鐺に“泥摺り”という金具が仕込まれた鞘と、田宮流の『柄に八寸の徳、見越しに三重の利』の教えを守った、鮫皮を巻いた長柄には見覚えがある。以蔵にへし折られたかつての愛刀・井上真改と同じ拵えだ。
以前と違うのは、真鍮製の飾りっ気のない丸鍔に代わり、銀細工の五芒星の鍔がはめ込まれている。
「どんな刀が封じてあるんだ、これは」
五芒星は世界各国において、代表的な魔を封じるシンボルだ。
西洋魔術では喚起した悪魔から術者の身を守る紋章として数多くの魔術書に紹介されているし、日本でも平安の大陰陽師・安倍晴明が“晴明桔梗印”として、中心に点を打った五芒星を家紋に使ったことは有名である。
「抜いてみろ」
どこか自慢げな顔をする鳥羽に不思議なものを感じながらも、いわれた通り抜いてみる。
すると、星屑のように美しい、玉鋼の輝きが網膜に飛び込んできた。
乱れ波紋の刀身。その重ねは山刀のように厚く、いかにも実戦用としての凄みがある。その分どっしりとした重量が手元に伝わるが、腕力に優れた志郎には、それるらも本人のためにあつらえたようにしっくりと馴染む。
次に目を引いたのは、二尺三寸の刀身の根元。棟区と呼ばれる部位に近い平地に、月と猪の背に乗り、手には弓矢や金剛杵を携えた三面六臂の鬼神の、精緻な彫刻が刻まれていた。
陽炎を神格化した仏法神・摩利支天である。陽炎のように何者にも捕らわれず傷つけられぬ神通力を持つとされ、古くは武家に信仰されてきた神だ。
「例の槍と包丁を解析して作った刀だ。千人斬っても切れ味は落ちず、刃こぼれひとつしないほどの強度がある。更に、『鬼切丸』の銘を与えてみた。私と鳥羽、シュレックの三人で作った自信作だぞ」
「鬼切丸か……」
鬼切丸とは、大江山の酒天童子を退治した事で知られる豪傑・源頼光の郎党『四天王』のひとり、渡辺綱が一条戻り橋で鬼の片腕を斬り落とした伝説の刀の名だ。
もとは『髭切丸』と呼ばれていた源氏の宝剣だが、この渡辺綱の一件から鬼退治の霊刀という謂れがつき、この名で呼ばれるようになったという。
スカイスタンの術式、鬼切丸の言霊、そして幹部たちの魔力を加えて造り上げた刀ならば、あのスカイスタンや、残る殺人鬼達を斬ることも可能かもしれない。
と、そこまで考えてかぶりを振る。
いや、いくら良い刀があっても、結局それを振るうのは自分なのだ。
刀に頼り慢心するようではまた負ける。
「ま、間違いなくいい刀だし、役には立つだろうな。ありがたくもらっとくぜ」
新たに入手した刀を、感触を確かめるように一振りし、鞘に納めた。
決戦の時が、近づいている。




