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5章の4

 深夜。

 山道にほど近い町外れは、車の通りも殆どない。

 幅の狭く急激なカーブの多いアスファルト道路が、蛇のようにうねうねとねっているため、交通量の少ない割に比較的事故が多い区画だ。


 その閑散とした道を、一台のパトカーが巡回していた。

 乗っているのは二人の警官だ。


 住宅街の人々は既に寝静まった頃である。両者ともに表情からは、眠気がありありと見える。助手席のひとりが、何の気なしにあくびを噛み殺しながら、窓から外を覗いた。


「……お?」


 すると、怪訝な声が漏れる。


「どうした?何かあったのか」


 運転席のほうが問う。

 

 視線の先に、動くものがあった。黒い人影だ。 運転席側もそれを認め、不審に思い車を停める。


 道路脇の繁みに、誰かがいる。車のライトを頼りに姿を見定めた。

 黒い着物を着た男のようだ。金属を砕く無機質な音と、柔らかいものを裂く有機質な音が混じりあい、異様なほど闇夜に轟いている。


 男が手にしているのは、長い刃渡りの刃物だった。それを足元の何かに狂ったように叩きつけている。


「君、何をしているんだ!!」

 

 眠気が吹き飛んだようで、二人の顔が一気に強ばる。

 油断なくガンホルダーに手をかけて、ゆっくりと近づいていく。


 すると、足元のものを八つ当たりのように刃物で切り裂き、砕いていた男が、ゆらりと振り向いた。

 今まで山のなかをさ迷っていたのだろうか。着流しは泥で薄汚れ、髪の毛も目に見えて脂にまみれている。

 浮浪者じみた、神経を逆撫でするような陰気な気配が周囲に漂う。


 そして、振り返った口に肘の上辺りから切断された、人間の腕をくわえていた。手にあるのは、血でどす黒く染まった日本刀だ。


 繁みの中に埋もれていて気付かなかったが、男の足元には横倒しになったバイクと、その持ち主がゴミのように打ち捨てられていたのだった。

 バイクも人体も男の手によるものだろうか、殆ど原型を留めず破壊されている。

 刀だけでここまで壊せるのなら、男の腕力も、刀の斬れ味と頑丈さも尋常ではない。


 血刀を手にした男が首を勢いよく横へ振るい、くわえていた腕を吐き捨てる。

 人を食らったばかりの真っ赤な口腔をむいて、男が笑った。ねっとりとした、粘液質な嘲笑だ。

 新しい獲物を見つけたという、暗い悦びの現れか。


「う、うわ!!」


 反射的に銃を構え、ひとりがトリガーを引く。

 偶然の産物だろうが、弾丸は男の右の肩口へと撃ち出された。錯乱した状態としては上出来である。


 貫通力の高い弾丸に肉と骨を貫かれ、男がもんどりうって倒れこむ。


「馬鹿、やりすぎだぞ!!」


 血の気を失った蒼白の顔で、もうひとりが叫んだ。しかし、


「ぐう、グウウゥ……!!」


 獣の唸りを上げて、弾丸に撃たれた男が立ち上がる。

 火にくべた生木が爆ぜるような音と共に、その身体中から火の粉が舞い始めた。

 瞬く間に小柄な身が一回り膨張する。着流しの上半身が消し炭となって弾け、赤熱を伴う、鋼の塊のような肉体が露となった。


 額の生え際には、片方は半ばから折れているが、右側からは牛を思わせる太い角が生えていた。その姿は、まさしく鬼だ。


 刀を携え、炎を纏った鬼が、恐怖を煽るようにゆるりとした足取りで近付いてくる。


 銃を撃った同僚を諌めた警官は、口を開けて呆然としていた。理解の範疇を越えた光景を目の当たりにし、咄嗟の反応が遅れたのだろう。

 それを無視し、鬼は自分を撃ったほうの警官へ狙いを定めたようだ。文字通り殺意の燃える眼が、哀れな獲物を見据える。


 警官の喉は悲鳴すら上げられず、ヒュー、ヒュー、と笛が鳴くような気の抜けた音だけが漏れていく。

 それでも、腰を抜かしそうになりながら車へ向かって逃げ出した。

 エンジンはかけたままだし、もちろんキーも差されている。車にさえ乗れば、逃げきれると考えているのだろう。


 どうにか運転席にたどりついた。震えの止まらない足でアクセルを踏み、急発進させようとする。我に反った同僚が待ってくれと叫ぶが、もはや耳に入らない。

 しかし、車はなかなか動き出さなかった。ギアを上手く入れられないようだ。


 それを嘲笑うように、鬼がアスファルトを蹴って高く跳躍していた。

 ボンネットをひしゃげさせて車に飛び乗り、熱風と火の粉を巻き付けた凶刃が、フロントガラスを紙のように突き破る。


 白いヒビに覆われたガラスの内側で、赤い血が弾けた!!


 鬼の刃は警官を貫き、標本のように座席に縫い留めたのだ。

 ガラスの向こうでは胸を一突きにされた警官が、ビクビクと痙攣している気配がする。


「ハーーーーッ」


 長く息を吐いて、刀を抜く。

 刀身に付着した血と脂を、長い舌でべろりとさも旨そうに舐め、新たな獲物へ狙いを定める。

 絶叫が響いた。


「わあああ!!」


 青ざめた顔色で、残る一人が走り出した。

 往生際が悪い、と言わんばかりに舌打ちをして、鬼もそれを追おうとする。

 急な傾斜の下り道を、転げるように逃げていく。


 しかし、鬼とは別にまたひとつ、空中からその背後へ迫る影があった。


 悪魔を思わせる黒い翼を広げ、金属を擦り合わせたような甲高い声を喉から発して、追いすがる。


 警官の首筋にかかる、生臭い息……。


「ひっ……!!」


 ひきつった声が漏れる。それが悲鳴に変わる暇を与えず、後頭部に鋭い牙が潜り込んだ。

 犠牲者が最期に感じたのは恐らく、脊髄と首の骨を無慈悲に噛み砕かれる、おぞましい音と感触であろう。


 霧のように吹き散る血を引いて、巨大な翼を備えた影が、犠牲者を口に加えたまま、飛び上がる。

 獲物を巣に持ち帰る鳥のような行動だが、その身が備えているのは、コウモリの翼だった。


 影の正体である、コウモリの翼を持つ赤毛の女は、邪魔の入らない樹上の高い位置へ留まると、勢いよく魂の失せた肉塊を貪り始めた。




「二人とも、随分と苛立っているな」


 木の下闇に姿を隠すように立った、ドクロの杖を手にしたマントの怪人が、猛り狂う二人の魔人を前に、そう口にする。


 鬼は、岡田以蔵。

 コウモリ女は、エリザベート・バートリー。


 両者とも、志郎と琴美に敗れ重傷を負わされたが、生きていたのだ。

 しかし、魔人の肉体を手にいれた者が、生身の者に敗れたことで凄まじい屈辱を味わった。


 名門貴族の生まれであるエリザベートはもちろんのこと、以蔵も足軽の生まれながら、多数の暗殺を成した剣の腕で幕末に名を轟かせた刺客であり、みずからの剣力には自負がある。

 そのプライドを砕いた相手への憎悪は、限界を越えて膨張していた。


 数日間の間、手当たり次第に物を壊し、捕らえた人間を力任せに殺し続けている。


 あの二人を殺すという妄執のみが、いまの二人を支配しているといっても過言ではない。


「だ、大丈夫なのだろうな?」


 スカイスタンの隣に立つ男が、顔色を悪くして問う。

 法衣のような黒いフード付きのマントを頭からかぶり、腰には細身の剣を差した、顔色の悪い神経質そうな男だ。


「もちろん、貴方に手出しはさせませんよ。ご安心下さいませ、首領どの」


 ていねいを通り越し、慇懃無礼な口調でスカイスタンが返した。


「しかし、既にうちの戦闘員までこいつらの餌食になっている!!

 いいか、お前の封印を解いてやったのは私だぞ。お前はあの殺人鬼達に宿す悪魔の力で、『アリオク』をより強くすることだけを考えればそれでいい。余計なことはせず、このバケモノどもを儀式まで手なずけておけ!!」


 口から泡を飛ばしながら吐き捨て、首領と呼ばれた男が逃げるように去っていく。

 台詞こそ威勢がいいが、その顔には恐怖が貼り付いていた。

 術者としての実力差を知っている相手への、精一杯の虚勢だ。


「スカイスタン様、よろしいのですか?」


 闇の中から声が響き、甲冑の大男が巨体に似合わぬ素早い動きで姿を現した。ジル・ド・レエだ。


「放っておけ、所詮は烏合の衆の頭だ。余計なことをするなと言っていたが、あちらにこそ我々に余計な手出しはさせん」


「では、いよいよ?」


「ああ、喚起の儀式を近いうちに執り行う。サタンがこの世に降臨されるのだ」


 魔を奉じる妖術師が、誇るようにドクロのステッキを高く掲げ、宣言した。

 

「それより、お前も彼らと戦ってから様子が少しおかしいな。あれ以来、イゾーやエリザベートのように人を殺していない。それに、人の肉ではなく山の獣を捕らえて食しているようではないか?」


「それは……」


 くくく、と喉から絞るような低い声でスカイスタンが笑う。いかにも愉快そうな顔には、多分に嘲りが見える。


「あの魔女に感化されたかね。しかし、お前は自分が何者か忘れたわけではあるまいな。『青髭公』ジル・ド・レエよ?」


「…………無論です、スカイスタン様」


 数多くの子供達を欲望のままに犯し、惨たらしく殺した大殺人鬼は、赦しを願う罪人のように神妙な面持ちで地に膝をつき、いつまでも頭を垂れていた。







『ファウスト』本部の中庭の、開けた空間に六人が集まっている。


 志郎と琴美のコンビに、鳥羽、依子、シュレック子爵の三人。そして見学の樹里だ。


 殺人鬼と、それを統べる術者スカイスタンを倒すため、志郎は魔を祓う神道流の真髄を学ぶための、琴美は魔術師としての地力を増すための訓練を行う。


 放課後はしばらく自宅に帰らず、二人とも本部に泊まり込みで訓練だ。

 厳しいスケジュールになるが、特に志郎はここ何日か負傷で欠席しているため、これ以上授業を休むわけにもいかない。時間を捻出するための苦肉の策である。


「では、二人ともこれからみっちり可愛がってやるから、覚悟しておけ」


 ぐっふ、と気味の悪い笑いを漏らすのは、当然ながら依子だ。


「志郎の鍛練は、香取神道流を使える私がメインにやる。あとついでに、鳥羽も柳生の技を習わせてくれるそうだ。

 加島神道流とある程度の重複もあるので今更と思うだろうが、祓い清めとなれば、神道の思想や型に込められた意味等もきちんと理解しなければ意味がない。それを肝に命じておけよ」


「分かった」


 普段の悪態もつかず、頭を下げる。

 スカイスタンの強力な妖術や、配下の魔人たちの能力を破るには、悪鬼・邪霊を斬る神道流の真髄を身に付けなくてはならない。



「長谷川君の魔術に関しては私が指導する。コレクションの一部を館に持ち込んでいるので、そちらの使い方も教えてあげようか。気に入ったものがあれば、譲っても良い」


「ありがとうございます!!」



 シュレック子爵の申し出に、琴美は元気に挨拶を返した。

 この自称貴族の末裔の魔術師は一見するとフランクだが、真に気に入った相手以外にはコレクションを見せたがらないし、術の手解きも殆ど行わない。

 それを考えれば破格の申し出だ。

 強力なアイテムを譲って貰えれば、手っ取り早い戦力強化に繋がる。

 

「なあ、ところでこれ何で取っちゃ駄目なんだ?」


 志郎の右目には、未だに眼帯が貼り付けられている。

 すでに火傷は治癒しているし、幸い視力も損なわれていないが、依子は頑なにそれを外すなと主張していた。


「それはな、包帯とか、絆創膏とか貼っている男の子が好きなんだ。そういう性癖なんだ」


「おい、だから生唾飲み込むな。舌なめずり止めろ」


「とまあ、冗談はさておき。それにも理由がある」


 冗談に聞こえねえ、と志郎が頭を抱える。


「以前にも言ったが、お前は自分のポテンシャルを発揮できていない。せっかく鼻が利くんだから、視覚だけに頼るな。視覚を不自由にしたぶんを、鼻で補えるくらいにするのが目的だ」


「……ちょっと待て、つまり暗闇でも嗅覚だけで相手を捉えられるようになれってか?」


 これは無茶ぶりに聞こえた。

 敵の探索や追撃・尾行に鼻を使ったことはあるが、それはあくまでも相手の向かった方角や距離が大まかに分かる程度である。

 例えば暗所で目隠しをして、多人数の敵の位置を把握し、倒せるような正確さはない。

 少なくとも志郎本人はそう思っている。


「あまり文句をいうな。スカイスタンは先の戦いでお前の視力を奪う術を使っていた。暴走していなくとも、今のお前があれを食らえばなすすべ無く負けるぞ。そのための訓練だ」


 鳥羽が釈然としない様子の彼を諌めた。

 マシンガンのようにしゃべりまくる依子とは対照的に、普段からあまり口数の少ない男だが、こちらはこちらで口を開けば厳しい言葉を容赦なく言ってくる。


「たく、どいつもこいつも…………分かったよ。やるよ」


「素直でよろしい。では、改めて鍛え直してやるからな!!」


 用意していた木刀を構える。

 依子も木刀を手に向き合い、特訓が開始された。


「まずは香取剣法の基本となる表ノ太刀からだ。相手の動きと地形をよく読んで動け。力任せではいかんぞ、神道流剣術で重要なのは見切りだ」


「わかってるよ。それであんたに通用するとも思ってねえさ」


 幼い頃に祖父から伝えられた教えを思い出しながら、落ち着いて刀を振るう。

 依子もそれに応え、木のぶつかり合う音が、甲高く庭に響き渡った。




「さて、こちらも訓練を始めようか」


 じゃらじゃらと全身のアクセサリーを鳴らし、シュレック子爵が柔和な笑みを浮かべた。


 魔女装束に身を包んだ琴美の傍らには、少し距離を取って樹里が立っている。

 最初は志郎たちの方を見学していたのだが、凄まじい速度と気迫を伴って振り回される剣の迫力に圧され、こちらへ移動してきたのだ。


「まず、君が出来ることを教えてほしい。今どんな魔術が使える?」


「えっと、風、火、水、稲妻が扱えます。あとは石を弾いて相手を撃ち抜いたり、分身したり、空を飛んだり、白魔術で敵を縛ったり、攻撃を防いだり。月が出ていれば力を増幅も出来ます。軟膏や毛皮のアクセサリーがあれば、短時間は動物にも変身できます。だいたいこんなもんですかね」


 指折りながら、能力を確かめる。それを聞いて子爵の顔が柔和になる。彼の予想よりも琴美の能力は多彩だったらしい。


「その若さでそこまで出来れば十分だ。やはり君は才能がある」


「ちょっと待って、何気に凄いこと言ってるよ長谷川さん」


 樹里が驚いた顔で琴美を見ている。


「動物に変身って、つまりあの狼男みたいなのになれるの?」


 基本的に一般人である樹里の反応は、この中ではかえって新鮮だ。それがくすぐったくて、琴美が照れ臭そうに頬を掻く。


「イヤ、さすがにあそこまで強力な変身は出来ないわよ。先に言ったように軟膏や毛皮が必要になるし、この軟膏ってのがまた調合が難しくてね。材料も高価なものが多いから、そう簡単には作れないの。あとそんな強い動物にもなれないから。せいぜい猫になれる程度よ」


「ふむ……しかし、殺人鬼の力に対抗するには有効な手段かもしれないな」


 マントの下で腕を組み、シュレック子爵が考え込むような仕草を取る。


「獣には獣だ。イゾベルの“妖精の矢”が得意なら、同じく彼女が悪魔から授けられた変化の術も、もっと修行すれば伸びるのではないかな?」


 イゾベル・ガウディは16世紀スコットランドの伝説的な魔女であり、キリスト教的な魔女のイメージの原型ともいえる人物だ。


 1662年頃、自身が暮らすマリシャ州のオールダーンという田舎町で、人間に化けていた悪魔と出会い契約を交わし、本名とは別にある魔女としてのジャネットなる名や、悪魔との契約の証である魔王の印を肉体に刻まれた事で魔力を身に付けたという。

 彼女はトウモロコシや豆の茎、イグサを乗り物に変化させる術や、それに乗って移動する姿を見た者を指で弾いた石で射殺するための術などを駆使したとされるが、中でも有名なのが動物に変化するエピソードだ。


 特にイゾベルは野ウサギに変化することを好み、その姿で時に魔王の伝令となって野を駆け回り、時に数頭の猟犬に襲われ殺されかけたことを詳細に語り、当時の厳格なスコットランド人たちを驚愕させたと言われている。


「……わかりました。それでいきます」


 すこし考え込むそぶりをみせたが、殆ど即答に近い。目には目、歯には歯、獣には獣だ。


「よし、方針が決まった。では、始めようか」


 呪文の詠唱の声の出し方や精神統一の方法など、術の行使のひとつひとつに指摘を入れながら、こちらも時を忘れたように、延々と指導が続いていった。






「ねぇ、大丈夫なの?」


「…………」



 放課後の屋上に、むなしく声が響く。心配そうな樹里の問いに返答はなかった。

 志郎は無言で屋上のフェンスにもたれ掛かり、ピクリとも動かない。


 密度の濃い日々が過ぎ、あっという間に10日が経った。


 学校から本部に直帰し、後は時間の許す限り鍛練する。これをひたすら続けた結果、志郎は極限状態に近づいている。


「……見ての通り疲れてるよ。でもな、そろそろ掴めそうなんだ」


 訓練の苛烈さを物語る擦り傷だらけの顔を歪めて、志郎が笑った。


 神道流の剣理や流派の思想なども含めて、連日依子から叩き込まれた志郎は、それらをスポンジのように吸収してきた。

 今はここにいない琴美も、以前に比べて術の威力が増している。目的のひとつである変化の術も、ずいぶん使いこなせるようになった。


「そう、でもあんまり無理しないでね。今日は私も向こうに寄るから、ご飯くらいはきちんと食べてよ」


「……ああ、悪い。そうする」


 今夜は成果を見せる期日だ。

 寝食を忘れて打ち込んだ結果、志郎は予定よりもかなり早く、依子の組んだ訓練カリキュラムを消化していった。


「ところで、長谷川さんは?」


 彼女も疲労の蓄積ぶりは、志郎と大差はない。思い詰めていないか心配なのだろう。

 放課後から姿の見えなくなった友人を、樹里が案じる。


「あいつなら何か用事があるって、授業が終わった後にどっか行った。重要な用事だから外せないってよ。あの変な3人組に熱心に頼み込んでたから、よほどの事なんじゃないか?」


「心当たりは?」


 少し考え込むそぶりを見せ、


「…………無いな」


 返ってきたのは簡素な返答だ。

 気にはなったが、心配しないで良いと言っていたので、志郎もそれを信じたらしい。


「信頼、してるんだね?」


「まあな。ほら、パートナーだからよ」


「ふーん……」


 微妙に迫力のある表情で、樹里がじっと見つめて来る。居心地が悪いようで、志郎の顔が妙に汗ばんでいく。


「じ、じゃあ俺夜に備えてしばらく家で寝るから、もう帰る!! また後でな!?」


 そそくさと、学生鞄をひっつかんで去っていく。


「……言い訳がメチャクチャ下手ね。ったく、剣術バカ」


 苦々しい口ぶりとは裏腹に、どこか楽しそうな表情だ。


「なんで二人とも、あんなの好きになるかな」


 樹里の脳裏に、友人である魔女の顔が思い浮かぶ。

 これからもお互い苦労しそうね、と誰にも聞こえない小さな声で、呟いた。





 時刻は飛んで、その日の深夜である。

 いつも訓練に使う本部の中庭に、志郎と樹里、そして依子、鳥羽、シュレック子爵の五人が顔を揃えた。


 現在の中庭は、面積をほぼ埋め尽くすように大きな魔法陣が描かれており、五人はその外側に立っている。琴美の姿はない。


 彼女はやはり今日は席を外すらしい。

 珍しいこともあるものだと皆が首を傾げるが、今はそれを気にしても仕方ない。


「では、覚悟はいいか?」


「いつでもいい」


 鳥羽の鋭い問いに、志郎が簡潔に返す。

 ようやく眼帯を外す許可を貰い、久々に両目を使って鍛練が行えるせいか、心なしか表情がさっぱりとしている。


「よし、じゃあこれ使え」


 鳥羽が普段から背負っている、ど派手な鞘に納めた刀を投げて寄越す。


「私の愛用の村正だ。貸してやるからありがたく思えよ」


「はいはい、わかりました」


 鞘から抜くと、改めてずしりと重い手応えを感じる。

 刃渡りゆうに三尺はある長尺刀なので当然だ。

 闇夜のかすかな光を集めた乱れ刃紋の刀身が、鬼火のように輝いている。その様子はずっと眺めていれば、正気を失いそうなほどに妖しい美しさがあった。


「へぇ、いい刀じゃねえか」


 口では面倒臭がっていたが、いい刀を貸して貰えることには素直に感謝した。


 鍛えられた鉄に魔を祓う効果がある、というのは世界共通の概念である。

 例えば西洋の黒魔術では、喚起した悪魔を屈服させるために、魔術師が悪魔のシンボルマークに鉄剣を翳して脅す過程があるし、聖ゲオルギウスがドラゴンを倒した聖剣のエピソードなどはよく知られている。

 また東洋でも悪鬼・妖怪を退治した名刀や霊剣のエピソードは枚挙にいとまがない。

 実体のない悪霊が相手でも、この剣は恐らく役に立つだろう。


「それくらいの刀じゃないと今夜の試練は越えられないんだよ。

 いいか、これからシュレックがこの魔法陣の中に悪霊を放つ。お前は内側に入って悪霊を刀で全部斬れ!!

 魔法陣は結界だ。悪霊は陣の外側へは出られず、外の様子も分からないが、それはお前も同じ条件だ。一度入ればお前も外へ出られないと思え。失敗すれば、晴れて悪霊どもの仲間入りだな」


 依子が言ったのは、厳しい条件である。

 神道流の悪霊祓いの技をここ数日ハイピッチで叩き込まれてきたが、志郎が実戦でそれを使うのは初めてだ。


 しかし、逃げるわけにはいかない。


 顔を強ばらせながらも、一歩一歩、魔法陣に足を踏み入れる。


「シュレック、始めろ!!」


 鳥羽の声に、心得たとばかりシュレック子爵が、円の上に四つの人形を置いた。

 恐らくは粘土をこねて作られている、辛うじて人の形と判別できる程度の簡単な作りだ。剣、槍、斧、弓矢と、それぞれが異なる武器を手にしている。


「これはとある魔術師から譲ってもらった呪いのアイテムだ。土くれに死んだ人間の血や髪の毛を練り込んである。

 よほど人に怨みのある連中らしく、見境なく人を害するのが物騒なので、封じられた霊を成仏させてくれと頼まれたのさ。今からこの人形から悪霊を出すので、頑張って倒したまえ」


 言うや否や小瓶を取り出し、人形の上にその瓶の中身を振りかける。

 風に乗ってかすかに青臭さを感じることから推測するに、乾燥させた植物を粉末に加工したもののようだ。


「何ですか、それ?」


 粉末を見た樹里が首をかしげ、自称子爵に素朴な疑問を投げ掛ける。彼女の魔術関連の知識はまだ乏しい。


「ヒソップというハーブだ。ヘブライ語の『聖なる草』が語源とされ、イエス・キリストも儀式によく用いたと言われる由緒正しいものさ。これで“中途半端に”悪霊を祓おうとして、相手を怒らせようと思っている」


 楽しそうにとんでもないことを言う。

 それ大丈夫なんですか!? と聞くよりも早く、マッチが擦られ、点火された粉末ハーブが勢いよく燃えて、四つの人形を包み込む。


「火の大天使ミカエルの力によりて、聖ジョージの守護によりて、我全ての悪の種子と子供らを、神の永遠に定めたる深き淵に……」


 ここまで読んで、突然人形をサッカーボールのように思い切り蹴飛ばして、身を翻す。

 すると、人形から黒いノイズ状の粒子が溢れ出し、炎を瞬く間に飲み込んだ。

 ぐねりぐねりと全身を軟体生物のように不気味に捻りながら膨張し、やがてノイズの塊が四つの人型を形成し始める。


 伝わってくる気配は、紛れもない激怒だ。


「早く結界張れ、外に逃げるぞ!!」


 鳥羽が弱冠、切羽詰まった顔をする。

 それに応えてシュレック子爵が祈祷文を読み上げると、陣から淡い光が放たれ、周囲を取り囲む光の壁が出来上がった。


「始まったな……」



 志郎の呟きに合わせたように、四つの影がそれぞれの得物を構える。

 四人の悪霊と剣士が、魔法陣の中で対峙した。

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